MEMORIA











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雪化粧の白、死に飾りの街
第五十一話「デッドエンド」

 放たれた声にアーロンは咄嗟の習い性で飛び退った。

 それが結果的に攻を奏したと分かったのは、視線を落とした地面が根こそぎ凍らされた瞬間だった。

 メガユキノオー。その凍結範囲は今までの比ではない。恐らくは目で感覚しているのではなく、全身に逆立った毛も含め、神経を伸ばして不可視の領域まで支配下に入れているのだろう。

 アーロンはメイを引き寄せて跳躍する。脚に突き刺さった氷柱の痛みが増した。どうして、と視線をやると氷柱から根が張っているのだ。まさか、相手の攻撃は自分の発動した全ての凍結にも効果があるのか。

 アーロンは咄嗟に氷柱を掴む。その手まで凍らせようというのか根が張り巡らされようとする。波導の眼を全開にした。

 電撃で氷柱の波導を切り、崩壊させる。しかし傷口までは塞がってくれない。アーロンは傷口の神経の波導を限りなくゼロに近付けさせて痛みを封殺させた。これは諸刃の剣だ。感覚が戻った時、激痛が襲い来る。

 だが今は逃げに徹しなければ。ラピス・ラズリはどう考えても普通ではない。自分に対してメガシンカを使ってくるなど、もう通常の思考の範囲を逸脱している。

「……しかし、これは好機でもある」

 アーロンはホロキャスターの通話履歴から呼び出した。メイが、「こんな時に誰に……」と尋ねる。誰も頼れまい。しかし一人だけ、メガシンカするスノウドロップの存在を看過出来ないであろう存在があった。

「俺だ。見えているか? ――ハムエッグ」

 通話している相手にメイが目を慄かせる。アーロンもここで呼び出すとは自分でも思っていなかった。

『見えているとも。よくもまぁ、逃げ切れているもんだ。このホロキャスターの電波が生きているという事は、幽霊ではあるまい』

 今も追尾電波を流しているという事か。相変わらずこの街の盟主は、と苦々しい思いを抱える。

「馬鹿を確保した。もうこのゲームも終幕だ。あんたにとっても面白くあるまい」

『何が言いたいのか、もっとはっきりと言うといい』

「スノウドロップを下がらせろ。これ以上、プラズマ団などという三下にこの街の戦力を探らせるのはつまらないだろう、と言っているんだ」

 アーロンの提案にハムエッグは応ずる。

「それは出来ないな。まだゲームが終わったわけではない」

「ならば、本当に俺を殺すまでスノウドロップにやらせるつもりか。構わないが、その場合、お前らの奥の手が割れても知らないぞ」

 アーロンの声音にハムエッグは、『ふむ』とまだ余裕を浮かべる。

『奥の手が知られれば確かに参るね』

 恐れ入るのはメガシンカがまだ奥の手ではない、と暗に告げている事だ。アーロンは今にも屈服しそうな自身を鼓舞するべく電撃をラピスへと見舞った。しかし凍結の手がそれを叩き落とす。ピカチュウの遠隔電撃では出力が足りていない。

 かといって、こちらも奥の手を披露すればそれこそプラズマ団の思う壺だ。

「あんたも分かっているんだろう? この祭り、プラズマ団がスノウドロップと俺の手の内を知るために作り出したものだという事を」

 街の盟主が知らないはずがない。それでも乗ってきたのはこの祭りで莫大な利益が出る事を試算しているから。

『儲かるのでね。プラズマ団という集団に関しては黙認の方向でいっている』

「だが、連中がそのまま黙っているわけではあるまい。街にとって有害になるのならばそれこそ内輪揉めをしている場合ではないだろう」

『波導使いアーロン。もっとはっきり言いたまえ。何が言いたいのかを』

 相手は分かっていて焦らしている。アーロンは突きつけた。

「取引だ。この祭りを終わらせる。スノウドロップをこれ以上、大衆の視線に晒したくなければプラズマ団の居場所を察知しろ。そして俺に教えてくれれば、これ以上の馬鹿騒ぎを止めてやる」

 その言葉に通話口から哄笑が上がった。心底馬鹿馬鹿しいと思っているような声音だ。

『アーロン、言いたい事は分かるさ。伝えたい事もね。だが、それはこう言っているのではないか? 自分ならばプラズマ団を倒し、この街を平和に導ける、と』

 沈黙を是とすると、『本当に君は……』とハムエッグは笑いを堪え切れていない。

『傲慢だな。だが、気に入っているのはそういう点でもある。本来ならばここで君にこれまでのプラズマ団の情報網を握らせ、確実に葬ってもらう……のが筋だが、今回の祭りの規模が大きくてね。ここでやめるよりも実際、このまま静観してどっちが勝つかのレートを探って巻き上げるほうが利益になるんだ』

「いいのか? 子飼いの殺し屋の戦力を他の連中に悟られるぞ」

『馬鹿を言え、アーロン。それでこそ、本望だろう。なにせ、これに敵う殺し屋はいないと、再確認する。最近炎魔やら瞬撃やらで分を弁えていない連中が増えた。ちょっとした薬にもなろう』

 あくまでも譲らないつもりか。アーロンは再三確認する。

「ここでスノウドロップを退かせなければ後悔するぞ」

『君らしからぬ脅し文句だな。そろそろネタが尽きるか?』

 悔しいがその通りであった。身体が持たないだけならばまだしもメガシンカポケモンを相手取れるほど自分もピカチュウも強くはない。

 せめて相手の懐に潜り込めれば、と感じるが先ほどの接近でも随分と危うかったのに二度目はないだろう。

「秩序を守るにしては、あんたのやり方ではその真逆だと言っているんだ」

『安心したまえ。君が思っているほど、この街は脆くはない。波導使い一人の埋め合わせは出来る』

 ここで死ね、と言っているのか。アーロンは交渉の声を吹き込んだ。

「いいのか? 俺が死ねば不都合を被るのはそちらだぞ」

『自分の命を引き合いに出すという事は本当に参っているんだね、アーロン。君は、最後の最後まで自分だけは交渉のレートに上げないと思っていたが』

「……生憎と、俺も命が惜しいんでね。現実はこうだ」

『残念だ。本当に、残念だよ、アーロン。君はこの段になってもまだ、スノウドロップを殺すがいいのか、とでも言ってくるのかと思っていた』

 そこまでの胆力はない。もう攻撃の手は尽き果てている。この状態で無理をすればそれこそ使い物にならなくなる。

「プラズマ団の居場所を教えろ。そうすれば丸く収まる」

『それは出来ないね。この祭りを収めるのは、君の役目じゃない』

 どうして、ハムエッグはこの取引に乗ってこない? いつもならば嬉々として自分に教えるはずだ。街の秩序のために。それでも教えないのは――。

 アーロンは一つの考えに至った。しかし、それならばこの戦いそのものが……。

「ハムエッグ。まさか既に、手は打っているというのか」

 確信めいた声音にハムエッグが、『おや?』と声を出す。

『何の事かな?』

「とぼけるな。お前は既に、手を打っている。だからこうやって悠長なお喋りにうつつを抜かせる。こうしている間ならば俺は生きている、という事だからな」

 わけが分からないのか、メイが声を差し挟んだ。

「あの、ハムエッグさん。アーロンさんも限界なんです。だからプラズマ団の居場所を教えてくれませんか?」

 その段になってようやく気づいた、とでも言うようにハムエッグがわざとらしく言った。

『メイちゃんがいるんだね』

「ハムエッグ。言っておくが、それはルール違反だぞ」

 含めた声にハムエッグは、『ルールは誰が決めると思う?』と謎かけを返した。

『ルールを決めるのは強者だ。常にこの世の理は強者が定めてきた』

「自分の事を強者だと? 驕りが過ぎれば死はお前を取り囲む」

『死、か。あの日のポケモンと名もない少女に言ってやりたいね。強者の愉悦とは、ここまで甘美なのだと。驕りだと? アーロン。それはどっちかな』

 何だと、と言い返す前に、凍結の手がアーロンの脚を引っ掴んだ。跳躍の途中であったためにつんのめる形となる。メイがビルの屋上を転がった。アーロンはビルの上で蹲る。

 電気のワイヤーを縁に括りつけて持っていかれないようにするのが精一杯だった。足が少しずつ白い靄に食いかかられる。遠くでメガユキノオーが凍結を操作しているのが目に入る。

 ピカチュウの電撃を放ったところでメガユキノオーには届くまい。アーロンはどうするべきか、決断を迫られていた。

『アーロン。声が遠くなった、という事はピンチかな?』

 この期に及んでまだ余裕しゃくしゃくのハムエッグへとアーロンは確信の声を放つ。

「お前の放った手が、正しく動くとは限らない」

『だが、この状況でわたしが何もしないわけがあるまい。アーロン。ここで死ぬか、あるいはそれ以上の未来があるのか、わたしに見せてくれよ』

 アーロンは縁に巻き付けた電気ワイヤーを感覚する。少しずつ磨耗しているのが分かった。このままではいずれ凍結に負けて引っ張り込まれる。

 屋上の上のホロキャスターが憎々しい。あそこから事態を俯瞰している声が放たれる度にアーロンは歯噛みした。自分は事態に踊らされる駒。だが、その駒とて意思がある。譲れない意思が。

「……いいとも。見せてやるよ」

 アーロンは電気ワイヤーを握り締め、もう一方の手を手刀にして断ち切ろうとする。

 その瞬間だった。

「アーロンさん!」

 メイが駆け寄ってきて電気ワイヤーを素手で掴む。その行動にはアーロンも目を瞠った。

「何をやっている……。離せ」

「離しません! アーロンさん。あたしには、何が正しくって何が間違っているのか全然分からないけれど。でも! 死んで欲しくないんです! アーロンさんには!」

 メイの必死の声にアーロンはフッと笑みを浮かべる。その笑みの意味を解していないのか、メイが眉根を寄せた。

「アーロンさん?」

「傍目にも、俺はヤバイと思われているんだろうな。このままでは負けるのは俺のほうだと。……だが、それこそが。いいや、だからこそ」

 メイが目をしばたたいて、「そんなのいいですからっ!」と電気ワイヤーを力で引っ張りこもうとする。しかし電気ワイヤーはメイの掌を傷つけるだけだ。

「覚えておけ。小娘。こういう時に勝つのは、最後まで諦めていない奴だ。俺は勝負を諦める気はない。ハムエッグの思い通りにもな。だから」

 手刀をそのまま電気ワイヤーに打ち下ろす。断ち切れた電気ワイヤーが霧散した。

「アーロンさん!」

 直後、アーロンの身体は凍結の腕に引っ張り込まれた。


オンドゥル大使 ( 2016/05/20(金) 21:56 )