第四十六話「悪党」
「ええ。……なるほどそれはご丁寧に。で、わたしはどっちの肩を持つべきかな?」
『どっちでも構わない。波導使いが死んでも我々としては前回の汚名を晴らせる。逆に問うが、街の盟主として女子供の暗殺は見過ごせるか?』
ハムエッグはカウンターで喋っている四人に視線を配る。密やかな声で、「わたしはね、平和主義者なんだ」と答えた。
「だから争い事は黙って見過ごせないなぁ。殊にそれが街の沽券に関わるとなると」
『判断は速いほうがいい。既に波導使いは動き出した』
「ご忠告どうも。あ、言っておくが」
思い出したような声音に相手は疑問符を挟む。
「わたしはプラズマ団とやら、あんまり好かんよ。じゃあな」
黒電話を置き、ハムエッグは振り返った。ここから先は少しの判断ミスが命取りになる。
「落ち着いて聞いてくれ、メイちゃん」
ハムエッグの尋常ではない声音にメイは首を傾げた。
「どうしたんですか? 汗びっしょり……」
「プラズマ団、知っているね?」
メイが青ざめる。まさか、と言った様子で口元に手をやった。
「まさか、まだ……」
「そのまさかのようだ。残党が君を狙っている。そして、悪い報せだ。残党は暗殺者を金で買った」
「なんて事」
衝撃を受けるメイを他所にアンズが声にする。
「大丈夫だって。あたい、そこいらの暗殺者なら軽くひねれるよ」
腕を掲げてみせるアンズに続き、シャクエンも応じる。
「メイを守れるだけの力は、あるつもりだから」
ハムエッグは思案する。彼女らに何も知らせずかち合わせるのも悪くないか。しかし一抹の不安はある。思い切って言葉にした。
「そこいらの暗殺者じゃないんだ。プラズマ団が雇った暗殺者は青の死神。つまり波導使いアーロンだ」
その言葉に全員に緊張が走る。波導使いが敵になったという事実を誰もが飲み込めていない様子だった。
「何で……。アーロンさんが」
「君達ならば知っての通り、暗殺者は金で雇われ己の義を貫く。一度雇われれば執行するまで命令を違えないのは炎魔であった君ならば分かるね」
シャクエンを見やりハムエッグは声にする。シャクエンは目を伏せて、「炎魔は、確かにそう」と答える。
「瞬撃もそうだ。忍術とやらがどれほどかは分からないが、一度請け負えば裏切らない。違うかね?」
「そうだけれど……。あたい、でも自分の意に反する事なんて」
しない、と言いたいのだろう。この幼い暗殺者は未熟だ。だが暗殺者としてどうあるべきか、は理解しているはずである。
「波導使いアーロンがここを襲撃する。そうなった場合被害ははかり知れない」
「プラズマ団を先に叩けば……」
「そうなった場合でも、アーロンはもうプラズマ団側だ。戦闘は止むを得ないだろう」
「そんな……」とメイが言葉をなくす。ショックで何も考えられなくなっているらしい。ここでアーロンに連絡すれば、という意図も働かないようだ。もっとも、それが働けば今回の作戦はおじゃんだが。
「安心してくれ、メイちゃん。君には最強の盾を用意しよう」
呆気に取られるメイへとハムエッグは目線を振り向けて声にする。
「ラピス。行けるね?」
その言葉にはさすがにメイは異を唱えた。
「ラピスちゃんを? やめてください! そんなの! ラピスちゃんは殺し屋なんかじゃないんですから!」
「ラピスは殺し屋だよ? 何言ってるの、お姉ちゃん」
何の疑問も挟まないラピスの声にメイは困惑する。
「でも、あたしの問題にラピスちゃんを持ち込むのは」
「いや、関係はあるよ。ラピスは君にとても懐いている。君がいなくなれば一番に悲しむだろう。そんな事をさせないためにラピスがいるんだ」
ハムエッグの判断にメイは何も言えないようだ。これでお膳立ては整った。ハムエッグはラピスに命じる。
「メイちゃんを全力で守ってくれ。波導使いアーロンは、戦闘不能にしても構わない」
「それは、殺してもいいって事?」
ラピスの無垢な問いかけにハムエッグが応じようとするとメイがそれを阻んだ。
「駄目だよ! ラピスちゃん。誰かを殺すなんて間違っている!」
「何も間違っていないよ? だって生きるためには誰かを殺さなきゃ。それが必要だと主様が判断するのならばなおさらだし」
思わぬ言葉にメイは二の句を継げないようだ。ハムエッグは的確に指示を出す。
「奥の手を使う可能性も考慮し、波導使いを迎撃するんだ」
一度言ってしまえば、最強の殺し屋スノウドロップは止まらない。放たれし無垢な獣は牙を剥いた。
「殺しちゃってもいいなら楽だね」
ラピスがメイの手を引く。それに続いてシャクエンとアンズも階段を駆け降りていった。全員がいなくなったのを確認してからハムエッグは声にする。
「悪く思わないでくれよ、アーロン。君とわたしの仲だ。よく知っている。こういう時の君はとても不器用で、なおかつ最もやってはいけない選択肢を選ぶ。改めて波導使い、青の死神の実力を街に示してもらおう。それには最強の殺し屋が相手には相応しい」
ハムエッグは黒電話を手に取り通話を繋いだ。
「ああ、もしもし? いい情報がある。買わないか?」
「あん! 何だって、青の死神が――」
大声を出そうとして自分がまだ警察署にいる事に気付いたオウミは慌てて取り繕った。
「青のし、シートをそのままにしていたな、鑑識に言っておかねぇと」
誤魔化しつつオウミはホロキャスターを手に捜査一課を出る。デスクから充分に離れた頃合を見計らって囁き声を発する。
「……危ないところだぜ。ハムエッグ。いつから善良な警官を騙すようになったんだ?」
『君が善良かはさておいて、この情報、面白いと思わないかね?』
「そりゃ面白いがオレにどう転がせって? 言っておくが、青の死神とスノウドロップの仲裁に警官隊を、なんてやめろよ。全滅しちまう」
『炎魔を手なずけていた君ならばこの事案、いい方向に転がせると思ったんだがね』
ハムエッグによればアーロンがプラズマ団側に寝返ったのだという。今にもメイを殺そうと迫っているとの事だったが信憑性に欠けた。
「もっともらしい嘘ってのはな、真実も混ぜるんだよ、ハムエッグさんよぉ。青の死神がお嬢ちゃんを殺すって? そりゃあり得ないぜ」
『ばれたか』
悪びれもせずハムエッグは返す。オウミは鼻を鳴らした。
「大方、プラズマ団からの挑発の矛先をあいつ一人に向けようって腹か。てめぇこそプラズマ団と共謀しているじゃねぇか」
『街の秩序を守るためさ』
「何が街の秩序を、だ。澄ました顔してよく言えるな。……で? オレにかけてきたって事は何かしろって事なんだろ。武力ではなく交渉術として」
『察しがよくて助かるよ。街のごろつき共におすそ分けしてくれないか? わたしから、と言えば彼らは殺気付く。だが汚職警官からの情報ならばちょっとは聞く耳を持つかもしれない』
オウミはパイプ椅子に座り込んで懐の煙草を探る。片腕になってからこの作業が大変で仕方がない。ようやく煙草を探り当てて膝で底面から取り出す。器用に口でくわえて、「それで、だ」と言い直す。
「オレにばら撒けと? 情報を」
『君からならば何人かは受け取って器用に転がしてくれるだろう?』
ハムエッグはこの機会に大きな賭け事を巻き起こすつもりだ。ヤマブキという盤面を最大に利用し、催される賭けには誰もが乗らざるを得ない。それが青の死神とスノウドロップの直接対決となれば観覧しない輩はいないだろう。
「あんたも相当汚いな。俺を利用出来るだけ利用して、んで捨てるって?」
『後始末くらいは手伝うとも。ただ仕掛け人は君が相応しい』
よく言ったものだ。オウミは、「買い被るなよ」と声にする。
「オレはただの汚職警官。しかも右腕が使えないっていうオマケ付きだ」
『まだ君の権限は生きている。炎魔がアーロンのものになった事を知るものも少ない。オウミは炎魔をまだ切り札として持っているかもしれない、という噂はまことしやかに囁かれているんだ』
つまりまだ炎魔を保持しているとちらつかせて情報の確信を高める。オウミは紫煙をくゆらせて悪態をついた。
「相変わらず、薄汚いやり方が好きな野郎だ。ポケモンであってもてめぇさんみたいなのはな、自分の手を汚さない本当の悪だって言うんだよ」
『だが真の悪はプラズマ団だ。彼らがメイちゃんの身柄を確保しようとしなければまず青の死神は動かなかった』
「始まりはあいつらでも一番に祭りを楽しむのはオレ達ってわけかい。そいつは都合がよすぎるぜ」
『祭りを楽しむのには礼儀を知らなさ過ぎるんだよ、連中は。わたしに青の死神が動いた、と情報を送ってきた辺り、したたかだと言える。なにせ、前回率先してプラズマ団を潰そうとしたのはわたしだというのに。人間の業は深いよ』
「ポケモンであるあんたに言われちゃ世話ぁねぇな」
オウミは腕時計を見やる。情報がヤマブキの隅から隅まで行き渡るには十分あれば余裕があるくらいだ。
「……オーケー。請けたぜ、その挑発。ヤマブキの祭り好きな連中に情報を流してやろう」
『助かるよ、汚職警官さん』
「そりゃどうも、喋るポケモンよ」
お互いに軽口を交わして通話を切り、オウミは捜査一課に戻った。
イシカワが、「奥さんですか?」と尋ねてくる。独身だがシャクエンを飼っていた際そのメンテナンスのために妻子を持っていると偽っていたのだ。
「ああ、これがこれでやんの」
角を生やす真似をしてやるとイシカワが微笑む。
「でもいい奥さんじゃないですか。右腕が利かなくなったと言っても優しいんでしょう?」
警察には右腕が利かなくなったのを病気のせいだと嘘の診断書を出していた。オウミは偽りにまみれた自分の経歴を垣間見て鼻を鳴らす。
「そうでもねぇよ」
デスクに座り早速情報を流し始めた。まず、この情報に食いつくであろう輩は、と精査する。
オウミがまず標的に選んだのはホテルだ。この場合、ホテルとハムエッグの食い合いになる可能性が高かった。だがハムエッグの身勝手な要求に対する、これは一種の報復だ。
「悪ぃな。オレ、悪党なもんでよ」