MEMORIA











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雪化粧の白、死に飾りの街
第四十五話「英雄の因子」

「メイちゃん達? ああ、ついさっき出て行ったよ」

 店主に尋ねると返ってきたのはそんな言葉だった。アーロンはセキチクから帰ってきたばかりだが部屋を見渡し、誰もいない事に気付いて焦る。もしやアンズが妙な気を起こして二人を始末したのではないかと。それにしては店主の声は穏やかだった。

「メイちゃんが率先して二人を連れて行った様子だったよ」

「あの馬鹿が、率先して……?」

 どこへ行くと言うのだろう。この街でメイが見知っている場所は数少ないはずだ。喫茶店を出て電話をかけようとすると奇妙な一団が道を阻んだ。

 黒い衣服に口元を覆った軽装の戦闘服を纏った集団が一人の人物を先頭にして佇んでいる。その中心人物にアーロンは目を見開いた。

「……何で、お前が」

「生きている、かな? 波導使いアーロン。前のわたしは死んだだろうからね」

 そこにいたのはプラズマ団の指導者である男だった。紫色の装束を纏った男をアーロンは睨み据える。

「ヴィオ……」

「名前を覚えてもらって光栄だな、波導使い」

 ヴィオと同じ姿の男は特に驚愕するでもなくアーロンの言葉を受け止める。アーロンからしてみれば殺したはずの男が立っているのが理解出来ない。

「身代わりでも立てたのか?」

 最初に浮かんだ可能性に、「身代わり」とヴィオらしき男はせせら笑う。アーロンは戦闘神経を研ぎ澄ました。ここで殺し合いに持ち込む気か。

 だが相手にはその気はないらしい。手を振って、「争うために来たのではない」と告げられる。

「では何のためだ? 言っておくが、前回展開していたプラズマ団は俺が全員葬った。復讐するなら今だぞ」

「波導使い相手に正面切って殺し合いをするほど無鉄砲ではない」

「では何だ? プラズマ団のヴィオ。またしてもこの街の秩序を乱すか」

 アーロンの敵意に満ちた声に相手は顎をさすってから指を立てた。

「いくつか誤解を解かねばならぬご様子。まず一つ。わたしはヴィオではない。ヴィオはプラズマ団が何度でも再建出来るように自分の遺伝子を切り売りし、造り上げていた。わたしは人造人間だ」

 発せられた言葉の意味が分からずアーロンは、「何だと」と聞き返す。

「人造人間だと言った。わたしの記憶はついこの間目覚めたばかりでまだ定着していなくってね。プラズマ団の用意した複数のクローン体の一つなのだよ、わたしは。さしずめ呼んでもらうとすればVi1という型番があるんだが、呼びにくければヴィーと呼んでくれ」

 1をIに見立ててそう呼ばせる気なのだろうか。ならば以前殺したヴィオはVi0、か。

 アーロンは拳を握り締めて、「下らない茶番に付き合う気はない」と答える。

「お前が何者だろうと、道を阻むならば殺す」

「これはこれは。随分といきり立っていらっしゃる。それもこれも、Miシリーズのせいかな?」

「Mi……」

 ヴィオも口走っていた。Miシリーズ。それは何なのか。

「そこの喫茶店で話が出来るかね?」

 ヴィーが喫茶店を窺う。アーロンは、「別の場所ならば」と応じていた。

「なるほど、そこは波導使いにとっては壊したくない日常か」

「相応しい場所がある。案内しよう」

 だがその間に怪しい動きを見せればすぐにでも殺す。アーロンはヴィーの一挙手一投足を観察していたが、相手には敵意がなかった。まさか本当に話し合いだけのつもりなのだろうか。

「残念。コーヒーは好きなのだがね」

 ヴィーはそう呟いた。
















 案内して訪れたのはカヤノの診療所だ。一階部分がテナント募集のままであり、空き家同然になっている。ここならば盗聴器もなければ聞かれて困る話をする心配もない。アーロンの選択にヴィーは満足げに声にする。

「いい場所だな。なるほど、盗撮も盗聴の心配もない、か」

「察しがいいのは助かる。ここならば、殺し合いになっても問題ないからな」

 振り返ったアーロンの眼差しにヴィーは笑みを滲ませた。

「本当に、食えない男だよ、波導使いアーロン。前のわたしが最後の最後にバックアップした情報通りだ」

「バックアップ?」

「Viシリーズは死ぬ前に前の人格バックアップを必ずする。だからお前に最後、感電死させられた時の直前までよく覚えているよ」

 だとすれば自分を恨んでいてもおかしくはない。アーロンは警戒を解かずに、「それはすまなかったな」と答える。ヴィーは口角を吊り上げた。

「下手なおべっかはなしにしよう。お互いに殺し合った仲だ。今さらご機嫌取り、というわけでもあるまい」

 ヴィーは前回のヴィオよりも幾分か若々しい気がした。それは立ち振る舞いからそう感じたのかもしれない。

「雁首揃えて何のつもりだ? プラズマ団として復讐でも?」

「だから、わたしにはそんなつもりは毛頭ないのだよ。前のわたしは確かに少しばかり軽率で愚かだった。だから二の轍を踏むつもりはない」

「プラズマ団再起は目的ではないと?」

「このヤマブキシティがそれを許してくれまい。我々は少しばかり目立ち過ぎた。それだけで皆殺しだ。怖い怖いと心底感じたよ。その後、残党内でヤマブキシティの構造を理解させた。ここはとても排他的で、それでいて整然としている。恐ろしいくらいのバランス感覚で成り立っているこの街は一歩間違えれば死を招きかねない。実際、死の商人がそこらかしこにいる」

 自分もその一人、と言外に言いたいのだろうか。アーロンは首をひねり、「結論を言え」と促す。

「余計なお喋りはしないんじゃなかったのか?」

「そうさな。すまない。どうやらこの肉体も似たように出来ているらしい。本題に入ろう、波導使い。今回、我々は依頼をしに来た。殺し屋としてのお前の腕を買って、だ」

「言っておくが、この街にとって不利益な事は出来ない。それは何倍にもなって降りかかってくるからな。お前らがハムエッグやホテルと渡り合いたいだとか、そういう分不相応な願いは叶えられない」

「そこまで強欲ではないし、向こう見ずでもない。前のわたしはそれで破滅したが、今回はもっと慎重に、ビジネスライクに話をしようと言っている」

 信用は出来ないがアーロンはここで連中をただ逃がすのもあってはならないと感じていた。プラズマ団が再び出現した目的だけでも聞いておかねば。

「ビジネス、か。だが金の動かない行動をビジネスとは言わない」

「分かっている。例のブツを」

 ヴィーが指を鳴らすと部下の団員がアタッシュケースに入った紙幣の束を見せた。一束差し出して本物かどうかを確かめさせる。アーロンは手に紙幣の重さを感じ取った。本物である。

「で、これで何をやれと? 言っておくが明確な意図のない暗殺業務は請け負わない」

「意図ならばあるさ。波導使いアーロン。お前にはとある存在の排除を頼みたい」

「排除? これだけ金を積んで殺すんだ。それなりの人物である事が窺えるが」

 ヴィーは口元に笑みを浮かべて、「悪い契約ではないはずだよ」と口にする。

「端的に言えば、その人物を知っている人間の排除だ」

 ヴィーが写真を取り出す。アーロンはそれを手渡された。

 写真にはメイが写し出されていた。

「これは、どういう冗談だ?」

「冗談でも何でもなく、排除して欲しいのは今回メイと名乗っている人物だよ」

 アーロンは押し黙る。沈黙の果てにどうやら余興でもなければ冗談でもない事を悟った。

「……お前らは前回、こいつを見張っていた。だというのに今度は殺せだと? 辻褄が合わないぞ」

「いいや辻褄ならば合っている。依然としてMiシリーズを我が監視下に置きたい。だがMiシリーズを囲っている人々が強過ぎてね。近付けない。殺気を剥き出しにしている炎の暗殺者だけならばともかくもう一人いる」

「俺か」

「いいや、瞬撃、とか言ったかな」

 アンズの事だ。となればメイはシャクエンとアンズを連れてどこに行ったと言うのだろう。アーロンは直截的な質問を避け、「炎魔と瞬撃」と口にする。

「両方を相手取って殺せと?」

「というよりも、波導使いアーロンならばもっと容易く出来る事があるだろう?」

 問われた言葉にアーロンは応じる。

「俺が自らあの小娘を差し出せばいい」

「理解が早くって助かる」

 ヴィーが指を鳴らしてアーロンを指した。アーロンは歩み出し、「だが疑問が残るぞ」とヴィーを見据える。

「炎魔と瞬撃を殺す。これはお前らが厄介だと思っているからだろう。だが、俺はその二人を下した、言うなればそいつらよりも上の脅威だ。だというのに俺を擁立するのは不自然めいているな。要求には応じなさそうな相手を選んでいる」

「わたしはね、審美眼だけはあると思っている。だから、お前が金を積めば動くタイプの暗殺者である事は一発で分かった。逆に言えば契約した以上の事は絶対に行動する。金のありなしできっちり分を弁えるのだと。前回、Miシリーズの肩を持ったのはこの街に与えられている全幅の信頼を裏切らないためだ。だから我々よりも優先度が高かった。しかし今度はどうだ? たかが小娘一人を差し出す。この街との天秤にかけるまでもない。ただの仕事、些事だ。お前は合理的に対処するだろう」

 相手は思った以上にこちらの下調べを行ったらしい。アーロンが断れない状況を作り出している。

「……暗殺者として在るならばこれを受けないと暗殺業務の優劣をつける、言ってしまえば面倒な仕事人と判断される。そのような情報を流布されれば俺も困る」

「そうだろう? お前はあくまで暗殺者なんだ。正義の味方じゃない。だから、この街の秩序を守るためにプラズマ団を破壊する必要があればそうするが、その必要がなければ金を積んだこちらは客だ。客の依頼を無下には出来まい」

 ヴィーはアーロンがメイに入れ込んでいないと判断して依頼しているのだ。シャクエンやアンズではこの場合感情面で支障が出る事を知っている。

「情報、というものも金銭と同じく対価に入る」

「承知している。例のデータを」

 ヴィーの指示に部下のプラズマ団員が取り出したのはノートパソコンである。そこに表示されていたのは遺伝子配列であった。アーロンは眉をひそめる。

「何だそれは」

「我々プラズマ団がどうして、あのような小娘一人をどうこうするのにカントーまで来たのか、知りたいのだろう? そもそも頻出するMiシリーズとはどういう意味なのか。あの小娘が持っているメロエッタと関係があるのか。お前は徹底的に知りたいはずだ。そのために街の盟主であるハムエッグと手を組むかあるいはホテルに情報を呼びかけるかどっちかをする気だ」

 この先回りする感じ。アーロンはプラズマ団の意図を悟る。

「ハムエッグにも、ホテルにも内密で動けと言っているように聞こえるが」

「事実、そう言っている。ハムエッグはMiシリーズ擁立の意味をどこかで見出している可能性が高い。ホテルも同じだ。もし相手側のほうが高値でMiシリーズを買えば、お前はそちら側につくのだろう?」

 どこまでも読まれている。ヴィオに比べれば騙し合いの相手としては上か。

「Miとは何だ?」

「正式名称はメモリアインシリーズだ。ある特定の記憶を外部記憶装置として残す際に、人間の形を取らせた。わたしと同じく人造人間であり、なおかつある特定の目的のために使用される、動く記憶媒体だよ」

 衝撃、は受けなかった。アーロンはメイにどこか欠損があると思っていたからだ。波導を切ったはずなのに生き永らえた身体。自身の記憶にない歌とフォルムチェンジ。プラズマ団による何らかの結果による人生を捩じ曲げられた人間だと思っていたが、人造人間だとは。アーロンは納得出来る点と出来ない点に分けて考える。

「メモリアインシリーズには、波導がないのか?」

「常人とは異なるだろうね。よくよく目にすれば波導は流れているだろうが、あれは生きた外部記憶装置。人間としてのそれよりも内包する記憶の保護を優先する。そのために我々プラズマ団の作り出したある種の成功作だ」

「何の記憶だ? あの小娘には何が入っている?」

 それを解き明かさなくては。せめて聞かなくてはどうしようもない。ヴィーは少しばかり悩んでいる様子だった。

「……これを聞かせても、お前はピンと来ないかもしれない。何故ならばこれはイッシュの人間に根付く信仰心だからな」

「答えろ」

 有無を言わさぬ声にヴィーは手を振って、「怒るなよ」と制する。

「あれを侮辱されて気分が悪いのは分かるが」

「気分が悪い? 俺は、究極的に明かされない事実に腹を立てているだけだ。あいつの出生など知るものか」

 怒っているわけでもましてや隠し立てするわけでもない。自分にとって必要なのはメイの出生の秘密ではなくメイがどういう理由でプラズマ団に追われていたのか、である。どうしてこの組織はあのような小娘一人に妙な記憶を細工したのか。

 ヴィーは部下数名と目配せしてから決心したようだ。

「教えよう。Miシリーズに内包されているのは、簡単に言うと伝承の記憶。言ってしまえばイッシュ英雄伝説における英雄の記憶だ」

「イッシュ英雄伝説……? 黒と白の龍が争い合い、イッシュを焦土と化した、というあれか」

「知っているのか。波導使いはなかなかに歴史に造詣が深い」

「これしき一般教養だ。それよりも、意味が分からないぞ。英雄の記憶だと? その英雄譚とて、作られた代物ではないとも限らないのに英雄の記憶がどうして再現出来る?」

 ヴィーは唇をさすって少しばかり考えた後に答えを紡いだ。

「正確には、英雄の血族、の記憶の再現だ。イッシュには英雄の血筋を引く人間が何人かいる事を確認している。我らがプラズマ団の王もその一人だった」

「プラズマ団の王?」

「それについては知らないほうがいいだろう。わたしも何でもかんでも教えるつもりはない」

 それがプラズマ団にとっての重要な情報という事か。アーロンは、「英雄の血筋があるとして」と口を開く。

「どうしてあいつに?」

「血筋は放っておくとすぐに薄まる。混血し合ってね。だから純粋な血筋を残すため、その遺伝子を全く別の外部記憶装置、まぁここで言うMiシリーズの中に放り込む。Mi3……メイと名乗っているようだが、彼女の他にもMiシリーズはいる。ただ彼女の内包する記憶が必要になってきたので回収したい。それがプラズマ団の本音だ」

「回収? してどうする」

「解体して造り直すなり、あとは本当にただの人間として泳がせるなりする。前回より、プラズマ団の目的はMi3の確保とその英雄の記憶の保持。それ以外になかった。お前が現れるまではね」

 自分のせいで計画が狂ったとでも言いたげだ。アーロンは鼻を鳴らす。

「あれほど嗅ぎ分けてくれ、と言っているような素人の気配を出されればこちらとて噛み付きたくもなる」

「この街は本当に物騒だ。ちょっと介入すればすぐさまお前達のようなプロ集団が片付けにやってくる。だから今度は本当に隠密に動く事にした。ここに来るまでお前以外の人間と接触はしていない」

 本当か、と問いかける瞳に、「本当だとも」とヴィーは答える。

「ちょっと動いただけで前回は壊滅した。慎重にもなる」

「あいつを回収して、俺は憎まれ役か」

「暗殺者がわざわざ感情の行方を気にするとは思わなかったな。金さえ積めば何でもするのが暗殺者だろう?」

 ヴィーの言葉は気に食わないが真実だ。自分のようなフリーランスにとって金は絶対条件である。

「炎魔と瞬撃を相手取るにはちょっと足りない。倍乗せだ」

 アタッシュケースをアーロンは閉めてつき返す。その言葉に団員が言い返そうとしたが、「応じよう」とヴィーが答える。

「最大限の行動を確約するためならば金など」

「もう一つ。Miシリーズを絶対にこれ以上、カントーに持ち込むな。火種は少ないほうがいい」

「考慮する。カントーにMi3が来たのは完全なる偶然。我々でもMiシリーズの人生にまでは踏み込めない。そうすると完全な拘束になる。Miシリーズは普段は普通の人間として生きる代わりに、必要とあれば我らプラズマ団に搾取されるのも已む無し、という方針をとっているのでね」

「……今回、英雄の記憶が必要になったという事はプラズマ団に何かがあったか」

「詮索はお勧めしないな。イッシュでの出来事なんてカントーの都会で殺し屋を営んでいるお前には関係がないだろう」

 確かに関係がない。これ以上を知ればプラズマ団を敵視しかねない。

「いいだろう。明日の朝までに口座に倍額振り込んでおけ。俺の行動は振り込まれてから、だ。それまではあいつに勘付かれるわけにはいかない」

「承知しているとも。Miシリーズは普段はただの人間。なに、波導使いとなれば一瞬だろう。昏倒させる事くらい容易い」

 アーロンは踵を返す。ヴィーがその背中を呼び止めた。

「一つだけ忠告を。妙な感情を抱いているんじゃないだろうな、Mi3に」

「妙な感情だと?」

 アーロンは振り返り様殺気を放つ。中てられた団員が何人か膝を折った。

「余計な事を言えば敵が入れ替わると思え」

「……肝に銘じよう」

 アーロンは診療所の階段を上がってゆく。それと前後してプラズマ団の人々が出て行った。窓際に座ってそれを眺める。

「また、えらく物騒な話し合いだったな、アーロン」

 カヤノの言葉にアーロンは嘆息を漏らす。

「聞いていたのか。長生き出来ないぞ、闇医者」

「お前に言われたかねぇよ、殺し屋」

 カヤノはアーロンのピカチュウを看護婦に受け取らせ、波導の眼の検査をする。いつも通りの検査キットの溶液をアーロンは見極めた。

「上から、緑、黒、赤、水色」

「正解。波導の眼が濁ったわけでもないか」

「奴らに与するのが気に入らないか?」

「街の秩序を乱した連中が、今度はその後片付けに来たって言うんだから信用ならないだろ。しかも、お嬢ちゃんがMiシリーズ? ワケ分からん」

「分からなくってちょうどいい。理解が早ければ俺よりもあいつに連絡するだろう」

「気をつけな、お嬢ちゃん、ってか? そんな野暮な真似するかっての。お前はずっと前から暗殺者だし、今さら裏切りの一つや二つ重ねたところで死んだ後行ける場所が変わる事はあるまい」

「行く先は地獄、か」

 呟いてアーロンはカヤノに質問する。

「あいつら、どこへ行ったんだ?」

「ワシなら探知していると思ったのか?」

「悪趣味だからな」

 けっと毒づいてカヤノは逆探知システムを取り付けたパソコンを開いた。

「一度仕事で世話になった奴には全員つけている。お前にだけだ、つけてないのは」

「波導感知の邪魔になるからな」

「これによると……、おいおい、やばいぞ。お嬢ちゃんの居場所、聞いたらたまげる」

「いいから言え。どこなんだ」

 急かすアーロンの声にカヤノは頬を引きつらせた。

「お嬢ちゃん、今ハムエッグのところに居やがる……」

 その言葉にアーロンは、まさか、と感じた。既にハムエッグの手が回ってプラズマ団から引き剥がそうという魂胆か。

 だがあまりにも素早過ぎる。先回りにしてもこれではルール違反だ。

「こりゃあ、お嬢ちゃんが自分から行ったんだな。通話記録がある。聴くかい?」

 アーロンは首肯するとメイのとぼけたような声が聞こえてきた。相談したい事があるから行ってもいいかという内容でアーロンは頭痛を覚える。

「……何でこのタイミングで」

「悪運がいいんだろうなぁ」

 カヤノの感想にアーロンは立ち上がって思案する。どうすればハムエッグから怪しまれずにメイを取り戻せるのか。こちらから電話などすればそれこそ薮蛇だ。メイがハムエッグの下を自然に去るのを待つのが一番なのだが、その気配がない。

「盗聴は」

「天下のハムエッグだぞ? 出来るわけないだろうが」

「あいつに枝くらいつけているんだろうが」

「……だからって怖くって出来ないっての。ハムエッグからの報復があるって分かっていて盗聴なんてするかよ」

「使えない」

「結構だよ、使えなくって。今回の場合、深追いしないのが一番じゃないのか? 簡単に元鞘に収める方法を教えてやる」

「何だ。つまらなければ聞かないぞ」

「お嬢ちゃんに実家に帰れ、って言えばいい。それだけだ。イッシュに帰らせればワシらとは晴れてオサラバ。もう関係がない。プラズマ団が空港で拉致しようがどうしようが知ったこっちゃないんだ」

 確かにメイ自身が帰りたいと思えばもう関係がないだろう。だがそれは望み薄だった。

「……あれはお人よしだ。炎魔と瞬撃の問題が解決もしていないのに帰ると言い出すはずがない」

「じゃあどうするよ? 波導使いアーロン。炎魔と瞬撃を相手取って、喧嘩するか? 今回、スノウドロップのオマケ付きだ」

 この街で最強の暗殺者、スノウドロップのラピス・ラズリ。ハムエッグが一言、気に入らないと言えば動く存在に自分達は恐れ戦かなければならない。それほどの戦力だ。

「分が悪いぞ。プラズマ団の汚い金なんてもらわずに今回は見逃せ。街のためにもなる」

「……だが、あいつのためにはならない」

 アーロンの言葉にカヤノは目を見開く。

「お前、お嬢ちゃんのためを思って引き受けたってのか?」

「俺がもし引き受けなかったとしよう。そうなった場合、別の暗殺者があいつを狙う。俺は必然的に巻き込まれざる得ない。無用な争いは避けたいんだ」

「平和主義だね、天下の波導使い様は」

 カヤノは煙草を取り出して火を点ける。紫煙をくゆらせながら、「どうするよ?」と急かす。

「ホテルに協力仰いでハムエッグから奪還するか?」

「そんな喧嘩じみた事をすれば、俺がこの街の秩序を乱す存在だ」

「そんな事しなくっても充分乱れてるっての。お前が引き受けたのばれたらハムエッグが鶏冠に来るかもしれない。真意を分かっていても、だ。お前が無用な争いを避けるためにプラズマ団に手を貸した、って事くらい、この街の盟主はお見通しだろうさ。でもお前を試すために仕掛けてくるだろう。真に街の守り手に相応しいかどうか。スノウドロップとやり合った事は?」

「ない。あれば対策を打っている」

「だろうなぁ」とカヤノは煙い息を吐き出した。

「スノウドロップの手持ちは割れているんだろ? どうにかならんのか」

「あれにとってタイプ相性で優位を取りたければそれこそ炎魔を使うのが相応しい。だからヤマブキで最強の暗殺者の異名を取っていた」

「皮肉な事にお前が仲間にしちまったせいで炎魔は使えんと」

 それこそ皮肉だ。以前までならば金を積めば炎魔は確実に殺しを遂行した。だがもう炎魔は使えない。シャクエンは相当追い詰められなければ殺しなど請け負わないだろうし、何よりも宿主がいない。

「瞬撃も今は無力化してんだろ? だったら手はないな。波導使い直々に行くしか」

 そうなった場合、もう戻れない事はカヤノならば分かっているはずだ。だが忠告もしないのは旧知の仲だからか。あるいはハムエッグに戦いを挑むくらいならば無視を決め込む腹積もりか。どちらにせよ、カヤノはこれ以上頼れそうにない。

「マーカーだけ借りていけないか?」

「あ、ああ、いいが。どっちにせよ、やるのはお前になるぞ」

「知り合いを跨いで他の手を探す。まだ金は振り込まれていない。プラズマ団との契約は口約束だけだ」

「詭弁だな」

「詭弁でもハムエッグを敵に回す最悪の想定だけは避ける。ピカチュウは」

 看護婦が戻ってきてピカチュウの入ったモンスターボールを手渡す。アーロンは開いていた窓から飛び降りた。下階の黒服がアーロンが目の前に降りてきたものだから目を見開く。

「な、青の死神……」

 呻いた黒服を無視してアーロンは駆け出した。ピカチュウを繰り出して肩に乗せる。今は、スノウドロップとの戦闘だけは避けたい。そのためにはプラズマ団よりも先にメイを確保する必要があった。

「ヴィーは、恐らくすぐに動く。俺を待って動くという愚は冒さないはずだ」

 ピカチュウが青い電流を頬の電気袋から放出する。既に戦闘の気配を纏った相棒にさすがだとアーロンは返した。

「だがな、ピカチュウ。今回の暗殺対象は面倒な事になりそうだ」

 一度殺そうとして殺し損ねた相手。加えて今まで殺す機会を失った相手でもある。

 その因果にアーロンは歯噛みした。


オンドゥル大使 ( 2016/05/10(火) 22:36 )