第四十二話「少女らの縄張り」
ハッとして目を開けると木目の天井が映った。一瞬の符号に、「父上……」と呟く。
「起きたか」
冷徹な声にアンズは身を起こした。メイとシャクエンが顔を覗き込んでいる。メイと頭がかち合い、お互いに歯噛みした。
「何するの! お姉ちゃん!」
「何って、こちらこそ何よ!」
メイは涙目に訴える。その段になってアンズは自分が生かされている不自然さに気がついた。
「生きてる……」
「殺すつもりの電撃ではなかったからな」
アーロンは、というとキッチンで調理していた。そのような場合か、とアンズはモンスターボールを取り出そうとする。しかしモンスターボールはなかった。
「返すわけ、ないでしょう」
シャクエンがスピアーのモンスターボールを持っている。だが遠隔操作で解除出来るのだ。解除ボタンを指で引っ掛けて押そうとするとそこには何もなかった。自分に取り付けられている四十個近くの仕掛け細工が全て取り払われている。アンズが戸惑っていると、「外すのに時間がかかったし」とメイが不服を垂れて細工の一つを取り出す。アンズは、「何をしたぁ!」と叫んでいた。
「あっ、大丈夫だよ、アンズちゃん。アーロンさんには部屋を出て行ってもらってあたし達でやった事だから」
「そういう問題じゃない! あたいの暗殺道具を!」
声を荒らげるアンズにアーロンがいさめる。
「うるさいぞ、瞬撃の暗殺者。まだ料理は出来ていない」
「別に待っていない!」
「そうか。では俺達だけで食うとしよう」
食卓に皿を並べるとアンズの腹の虫が鳴った。そういえば一晩ほど何も食べていないのだ。
「……お腹空いた」
「何も用意していないと言っただろう。暗殺者が暗殺対象に飯を乞うというのか? なかなかに片腹痛いな」
アーロンの声にアンズは声を潜めた。
「……そこまでして、あたいに敗北を認めさせたいの」
「逆にここまで強情に、お前は敗北を認めたくないのだな。馬鹿も炎魔も回復し、全ての仕掛け細工を奪われた今、瞬撃の暗殺者に立つ瀬はない」
そこまで言われてしまえばもうどうしようもない。アンズが押し黙っていると、「やっぱり作ってあげましょうよ」とメイが声にする。
「かわいそうですよ」
「殺されかけた事を忘れたのか。馬鹿め。こいつがもう一度、俺達に反抗しないとも限らない」
「で、でも……」
メイはそれ以上自分を擁護出来ないようだ。当然と言えば当然。
「いいわよ、お姉ちゃん。あたいは波導使いのお兄ちゃんには勝てなかった。これは事実だし、このまま殺されても仕方がない事」
その言葉にメイがどうしてだかアンズのほうへと歩み寄って肩を揺さぶる。
「そんなの! そんなのって間違っているよ! アンズちゃんはきっと、誰かに暗殺を仕込まれて、それであたし達を狙って」
「炎魔の時とは違うぞ、小娘。シャクエンは俺達を依頼されたから殺そうとしたのだが、こいつの場合は違う。最初から波導使いである俺を殺し、その周辺人物も殺す気だった」
メイは目を戦慄かせる。
「何で……。だって、アンズちゃんには何の罪もない」
「何の罪もない、か。炎魔。罪がないと思うか?」
シャクエンは顔を伏せて、「残念だけれど」と口火を切る。
「暗殺者として、アンズに悪意がなかったとは言い難い。アンズは自分の判断で私達を殺そうとした。メイだってそう。殺されかけたの。だから私の心情としてはアンズを許せない。脅威として暗殺対象に上がってもおかしくはない」
炎魔シャクエンはどこまでも冷徹だ。最初に自分の殺気に気づいただけはある。
「でも、でもアーロンさん。殺さなかったって事は考えがあるんですよね?」
「まずは飯を食え。その後に判断を下す」
その言葉にメイが食卓に戻って白米をかけこみ、アンズへと歩み寄る。どうしてこの人間は自分をここまで信じ込めるのか。殺されかけたのに。
「メイお姉ちゃん。嬉しいけれど、あたいは暗殺者。瞬撃のアンズなの。記憶がなかったからと言って、それは手段であって本当のあたいじゃない。擁護してくれても立場が悪くなるだけだよ」
「分かっている。でもだからって容認出来ない」
「面倒な性質だな」
アーロンが食卓を片付け始める。シャクエンが後を手伝い、アーロンは出かける準備を始めた。
「どこへ行くんですか?」
「ちょっと野暮用だ。今回、あらゆる人々の協力を受けたからな」
「その間、どうすれば」
「どうにでもしろ。殺したければ殺せ。ただ、お前がその判断に至れるかどうかは分からないがな」
「殺しませんよ。あたしは。アンズちゃんがいくら酷くたって、あたしだけは」
何故、そこまで味方になってくれるのか。アンズにはわけが分からない。
「よかったな。馬鹿が庇ってくれて」
そう口にしてアーロンは部屋を出た。
バスに揺られて一時間半ほどであった。
セキチクシティは四十年ほど前に大災害で施設などが根こそぎ破壊されたが復興して目ざましく発展を遂げる街だ。ヤマブキ、タマムシと来て第三の観光都市だと言える。北方にはサファリゾーンがあり、そこいらの柵には珍しいポケモンが放し飼いされている。
その中でも南方の、昔ながらのバラック小屋があった。浜辺に隣接しており、アーロンはその小屋の扉を叩いた。中に人の気配が一つだけある。扉を開けようとすると殺気が膨れ上がった。
扉を突き破ってきたのは毒タイプのポケモン、マタドガスである。アーロンを巻き込んで自爆しようとしたマタドガスへと電撃を見舞って戦闘不能にする。
「惜しかったな」
小屋の奥からそう声が発せられた。アーロンは歩み入り、小屋の奥に広がる常闇へと目線を向ける。
「ワタシへと至ったという事は、アンズは失敗したか」
アーロンは懐に入れておいた紙片を取り出す。
「もし、瞬撃の暗殺者を下した場合、セキチクのこの場所に来るべし。このメモはアンズ本人も」
「ああ、知らないだろう。ワタシが隠して仕込んでおいた」
アーロンは紙片を捨てて口を開く。
「お前が、アンズを仕込んだのか」
「波導使いの暗殺者。やはり、恐れるべき相手だよ、お前は。瞬撃の名を襲名したアンズでも勝てないとなると、次の手を撃たねばならぬな」
アーロンは右手を突き出す。ピカチュウが肩に乗っておりいつでも電撃を放てた。
「そうはさせない。俺が、第二のアンズを生む事のないように、お前を殺す」
そのために来たのだ。しかし奥に潜む人物は身じろぎさえもしない。
「殺す、か。しかしアンズを殺していないのだろう? その辺り、まだぬるいと見える」
笑い声が聞こえてくる。アーロンは敵意を向けた。
「言っておくが生かしておいたのは聞きたい事があるためだ。殺してしまえば人質の価値はない」
「なるほどな。何が知りたい?」
「瞬撃の暗殺者。どうして暗殺同盟とやらをご破算にした?」
「そんな事か」と相手は笑う。
「同盟は、アンズの最後の試練のためにあえて泳がせておいたのだ。瞬撃の名を得るには味方をも利用する。そうして初めて非情なる暗殺者が出来上がるというわけだ」
最初から暗殺同盟に期待はしていなかった、という事か。アーロンは言葉を継ぐ。
「もう一つは、どうしてアンズのような未熟な暗殺者を使ってまで、俺を殺す事にこだわった? 記憶をなくしたアンズはともすれば俺に辿り着く前に死んでいた」
「それはあり得んよ。アンズには段階的に記憶が戻る措置が施されていた。もしどうしようもない境地に陥った場合でもどこかで記憶の根源が戻っていただろう」
その言葉で確信する。この男は、全く情というものがない。暗殺術を叩き込んだアンズを道具としてしか見ていないのだ。
「放った爆弾は返ってくるものではない、か。今回、お前はアンズを使い捨ての爆弾のように考えていたな」
「いいや。親として娘の事は第一に考えていたが」
「嘘だな。波導の眼を使うまでもない。薄っぺらい嘘だ」
その言葉に闇の奥の人物は哄笑する。心底可笑しいとでもいうように。
「まったく……。暗殺者は時代と共に移り変わるというが、それでも変わらないものがあるのだな。波導使い。全く情の捨てられていない男よ。そのような半端な身で何を望む? アンズをどうしようというのだ」
「解き放て。彼女はまだ戻れる」
「不可能だよ。もう随分と殺し慣れている。今さら殺し以外の道はない」
「炎魔が戻れた」
「戻れた? 本当に、そう思っているのか? 炎魔とていつ元の非情な暗殺者にならないとも限らない。お前達は危うい綱渡りを、さも当然のようにしている。炎魔も、瞬撃も、どこにも行けないしどこにも戻れない。彼女達は死地にのみ居場所を追い求める」
頷ける部分はあった。だがその大部分でさえもこの男のエゴだ。
「お前が戻れないからと言って、子供の自由を奪っていいわけではない」
「戻れない、か。波導使い、ワタシが見えているか?」
アーロンは改めて波導の眼を使う。
その人物の固有波導は停止していた。それが先ほどから奇妙なのだ。生きているのならば波導は流れ続けるはずである。
「これがその、成れの果てよ!」
暗闇から身じろぎして出てきた人影が露になり、アーロンは息を呑む。
両腕が石化し、さらに左足までほとんど固まって動いていなかった。辛うじて動いているのは車椅子のお陰だ。
「石化、だと……」
「これが我が業よ。ワタシは先代の瞬撃。名をキョウと申す。ワタシは暗殺者としてあらゆる人間を葬り、殺し屋を殺し返してきた。セキチクで瞬撃の名を一気に高めたのは自分だと感じている。それほどに、優れていた暗殺者、だった」
「だった?」
キョウは目線を伏せて、「ある日の事だ」と言葉を続ける。
「ワタシは暗殺対象を殺そうとした。いつもと変わらず、たとえ殺し屋がいても殺し返せる自信があった。だが、その時、同席していた暗殺者は暗殺対象を守らなかった。それが本懐ではないとでも言うように、ワタシへと立ち向かってきたのだ」
それはビジネスライクな暗殺業界では異端の話だ。暗殺者が同じく暗殺者を殺すのを目的とする。
アサシンキラーだ、とアーロンは感じ取った。
「殺し屋殺し。話には聞いていたが本当にいるとはな。ワタシも目を疑ったよ。だが、それでも勝てると感じていた。ワタシにはメガシンカもあったし、何よりもスピードがあった。勝ったと思ったよ。だが直後にワタシは両腕を石にされていた。相手によれば、それは波導によるものだと」
「波導で、だと……」
石化させる波導など聞いた事がない。アーロンの反応に、「そうか。名高い波導使いも知らんか」とキョウは悔恨を滲ませる。
「その、石化の波導使いはどのような格好だった?」
「それすらも分からなかった。恐怖に駆られたワタシは逃げ出したのだ。恥ずかしい話だよ。だが、忘れた日はなかった。石化の波導使い。それは必ず存在する。それを殺すためだけに、ワタシはアンズを育て上げた。アンズならば波導使いを超えると思っていたのだがな……」
寂しげな微笑みにそれだけの感情を注いできたのが分かる。だが、とアーロンは抗弁を発していた。
「アンズは、お前の人形ではない」
それだけは言わねばならなかった。アーロンの言葉に、「知っているよ」とキョウは応じる。
「知っていて、ワタシはこのような育て方をした。親としては失格だ。殺したければ殺せ、波導使い。どうせ恥の上に生き永らえた命。惜しくはない」
しかしアーロンは身を翻す。
「お前を殺せばアンズが悲しむ」
「そうだろうかな。ワタシの存在はアンズにとっては呪縛かも知れぬ」
「いや。親がいるのならば、まだマシだろう」
その言葉にキョウは尋ねていた。
「波導使い。お主、親は?」
「いない。いや、いたが俺が波導使いとして生きるに当たって縁を消した。アーロンの名はそれこそ呪縛だ。波導使いとしてのな」
もう本当の名前も忘れ去っていた。キョウは、「そう、か」と声にする。
「ワタシも、波導使いも、似たようなものであったか」
「アンズは殺さない。あいつにはまだ、やり直せる機会がある」
「勝手にするといい。最早親としては顔向け出来ん」
アーロンはバラック小屋を後にする。この場所で静かに石化していく男。だがアーロンは憐れまなかった。それは侮辱に繋がるからだ。
せめて、と自分の胸の中で留める。
石化の波導使い。そのような存在がいるとなればいつかは、とアーロンは拳を握り締めた。
「メイお姉ちゃんさ。あのポケモンは何?」
突然に話を振られてメイは戸惑う。
「何って、何?」
アンズは唇を尖らせた。
「とぼけないでよ。あたいの攻撃よりも素早くフォルムチェンジしてみたあれだって。何なの?」
メイには身に覚えがない。気がついたら毒で動けなくなっていたからだ。
「えっと……、メロエッタの事かな。でもそんなに素早くないし」
「嘘でしょ? だってあれ、格闘タイプの技を使ったよ?」
そう言われてメイも瞠目する。メロエッタには格闘タイプは組み込んでいるもののそれはさほど当てにしていない。
「インファイトは確かにあるけれど……でも基本、ノーマル・エスパーだし」
「ノーマル・エスパー? そんなわけないって。格闘タイプだよ」
メイは頭の中がこんがらがってきた。自分の手持ちのタイプを取り違えるほど馬鹿ではない。
「そんな事ないって。ノーマル・エスパー」
「じゃあ出してみてよ」
アンズに促されてメイはメロエッタを繰り出す。緑色の髪を流したメロエッタをアンズは注視した。
「じゃあフォルムチェンジしてみて」
「いや、してみて、って言われても……」
やり方が分からない。メイがあまりに頼りないせいか今度はシャクエンへと言葉を投げた。
「炎魔のお姉ちゃん。見たよね? メロエッタがフォルムチェンジするのを」
「そうなの?」
メイも驚いてシャクエンを見やる。シャクエンは小さく頷いた。
「私も、メロエッタがフォルムチェンジするのは見た。メイの歌声に反応したみたいだけれど」
「あたしの、歌?」
そういえばアーロンも会った当初歌ってみろだとか妙な事を言っていた。メイは戸惑いがちに、「でもだよ」と声にする。
「あたし、歌得意じゃないし」
「あれ、どこかの言語だと思うんだよね。カントーの言語じゃなかったけれど」
メイはアンズへと尋ねる。
「じゃあどこの?」
「イッシュかな、って思ったけれど意味不明な言葉の羅列に聞こえた。炎魔のお姉ちゃんはどう?」
「イッシュでも、シンオウでもない、と思う。多分、もう使われていない言語だと思う」
「使われていない言語って。じゃああたしはその使われていない言語を使ってメロエッタをフォルムチェンジさせたって?」
とてもではないが信じられない。だが二人ともそれを確信しているようだった。
「調べてみない? お姉ちゃん」
アンズの声にメイは注意深く腕を組む。
「駄目だよ。アーロンさんに見張っておけって言われているんだから」
「じゃあ縛ったままでもいいよ。どうせ仕掛け道具とスピアー取られてちゃ勝てないし。あたい、ちょっと気になるんだよね。瞬撃の二つ名を持つあたいのスピアーよりもなお速くって、それでいてトレーナーの意識がないって言うのは」
メイはシャクエンに視線を向ける。シャクエンもどうやら気になっているようだった。
「メイにしては、らしくなかった」
「らしくないって……。でもそうだとすればあたしの意識のない間に、無意識的に言語が出てきてフォルムチェンジさせたっていう事だよね? あり得るの?」
「あり得るあり得ないではなく、あったから言っているんだよ」
「でもその鍵となる歌声に関してメイには記憶がない」
シャクエンのまとめに三人して呻る。これでは答えなど出てくるはずもない。
「もしかしたら、ハムエッグさんなら知っているかも」
メイの考えにシャクエンは即座に制した。
「やめたほうがいい。ハムエッグは、メイの思っているような生易しい相手じゃないから」
「大丈夫だって。ラピスちゃんにも会いたいし」
その名前を聞いてアンズが総毛立った様子だ。
「ラピスって、ラピス・ラズリ? スノウドロップの? ……最強の暗殺者をよくちゃん付けで呼べるね、お姉ちゃん」
「大丈夫大丈夫。あたしが言えばハムエッグさんだって邪険にしないから」
ホロキャスターの通話ボタンを押してメイは電話をかける。すると即座に繋がった。
『おや、珍しいね。君からご連絡とは』
「あの、気になる事があるんで今から行ってもいいですか?」
『構わないがアーロンが許すかい?』
メイはシャクエンとアンズに視線をやる。こっちにはアーロンと渡り合った二人の暗殺者がいるのだ。問題はないだろう。
「全員で行くので大丈夫だと思います。そちらは?」
『ああ。いつでも歓迎だよ。ラピスも楽しみにするだろう』
「分かりました。それじゃ」
通話を切るとアンズが唖然としていた。
「信じられない……。この街の盟主と対等に話すなんて」
「盟主だとか大それた事じゃないって」
そう言いつつもメイは自分の手柄のように感じていた。シャクエンが部屋を出る前に一言だけ確認の声を添える。
「メイ。いざとなれば私がスノウドロップを押さえる。当然、この小さい暗殺者も」
「大丈夫だよ。シャクエンちゃんも大げさだなぁ。あたしがいれば大丈夫だって」
トラックの部屋を後にして、メイ達は店主に出かける事を言い添えて外出する。
アーロンのためにも、自分のためにも不明な点は明らかにせねばならないだろう。
踏み出した少女達は、まだこの街の深淵を知らなかった。
第三章 了