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毒使いの紫、瞬撃の一族
第四十一話「真の暗殺」

 メガスピアーの追撃は果てがない。

 距離を取ればこちらの敗北が濃厚に。かといって近ければアンズの思う壺だ。接近戦で勝てるタイプのポケモンではない。

「ピカチュウ!」

 何度か放った電撃も全て牽制レベル。命中しない。速過ぎるのだ。

 メガスピアーが残像すら消し飛ばして肉迫してくる。アーロンは電気ワイヤーを使ってアンズの周りを逃げ回る事しか出来なかった。メイとシャクエンを見殺しには出来ない。だが、この状況を是とすれば確実に不利に転がる。どちらにせよ、アンズの要求を呑み、自分が殺されなければならなくなる。

 それだけは駄目だ。アンズを屈服させなければこの戦いに勝利はない。

 しかし暗殺術を使うにしてもメガスピアーの素早さと攻撃力は脅威。数秒でもいい、とアーロンは考えていた。

 数秒でもメガスピアーを止められれば。メガスピアーが自分を視界から取り逃がせば、それが好機になると。

「波導をゼロにして、メガスピアーの感知野から逃れるか……」

 否、とアーロンはその考えを棄却する。メガスピアーが感知しているのは波導以上に自分の気配と他の要素だ。虫ポケモンならば匂い、生体電流、フェロモン、様々な理由が挙げられるが、波導を読んで相手はこちらを追っているのではない。

 ならば触覚を折るか。

 不可能だ。アーロンは即座に捨て去る。

 触角を折ろうとすればそれこそ接近を余儀なくされる。

 メガスピアーの場合、接近が最も恐ろしい。一対の巨大な毒針。それに付随する脚部のような針が三つ。残像すら消し去る超振動の翅が三対。ほとんど戦闘機か重機のような存在だ。それに比すれば波導の殺し屋である自分など羽虫以下だろう。

 ――だが、とアーロンは同時に奇妙な手応えも感じていたのだ。

 どうして、メガスピアーは勝負を焦らない? 

 それにはアンズの策略もあるのだろうが、普通ポケモンは――殊に暗殺者の個体となれば、勝負を焦る。シャクエンの〈蜃気楼〉が確実に相手の命を奪うための攻撃を身につけていたように。自分のピカチュウが相手へとピンポイントの電撃を放って感電死させられるように。

 このメガスピアーはそのパワーとスピードに比べてアンバランスなのは全く勝負に頓着していない事だ。自分が勝てれば、相手を殺せれば、という考えではない。

 メガスピアーの行動を今まで分析するに、このポケモンはともするとアンズの制御下にないのかもしれないという考えさえも浮かんだ。アンズが御せていないから、このポケモンは自分を殺す決定打を何個も見逃している。

 あるいは……最悪の想定だがそれすらも読みの内。アンズはそう考えるであろう事を見越してわざとメガスピアーに必殺の一撃を隠し持たせている。

 自分の記憶を消すほどの暗殺者だ。考えられなくはない。

 しかし、自分を交渉の手玉にとってどうする気なのだ? 自分などホテルの連中にも、もっと言えばハムエッグにも街の人々にももたらすであろう影響は少ない。

 実質的なナンバーツーの座が欲しいのか? わざわざ暗殺同盟を見限ってまで?  

 違う、とアーロンは感じていた。

 アンズは、恐らくヤマブキのナンバーツーなど欲しくはない。もっと心の底から欲している願望があるはずだ。でなければメガスピアーほどの個体を使い潰すわけがない。

 そこにこそつけ入る隙があるとアーロンは感じていた。アンズの心より欲しているもの。それこそが自分にとってこの勝負を分ける一因となると。

 アーロンは電気ワイヤーを絡めて制動をかける。メガスピアーの巨大な針が迫り来るがぎりぎりのところで回避して口を開いた。

「何故だ」

 その声はトレーナーの下にも届いているはずである。アーロンは先ほどから声の届く範囲のビルを飛び越えているだけなのだから。

「何故、すぐに殺そうとしない?」

 その疑問に応じるようにメガスピアーの赤い眼光が自分を捉える。いつでも殺せる、とでも言うように。

「余裕があるな。ならば、何故殺さない?」

「殺したって仕方がないじゃない」

「仕方がない?」

 アンズの声が反響して聞こえてくる。特別大声でもない。これも忍術とやらの能力か。

「だってお兄ちゃん、波導使いなんでしょう? この街の秩序を守るナンバーツー。それをただ力で潰すのって面白くないし、つまらない」

「そんな理由で、いくつか殺せる機会を見逃したのか?」

「いけない?」

「そこまで浅はかだとは思っていない。俺を手こずらせた挙句に、最後の手段まで奪って殺す。それがお前の望み。違うか?」

 アーロンの声に、「驚き」とアンズが返した。

「そこまで分かっているのね。そうよ。最後の手段まで奪うの。それが出来れば波導使いなんて恐れるものじゃないって証明出来るもの」

「証明? 誰にだ」

「誰でもない、この街に、よ」

 嘘だった。その言葉は嘘だ。今のやり取りの中で一つだけ嘘が混じっている。

 この街への証明などどうでもいい。アンズの心より欲している部分はこれだ。

 波導使いをその力の一端まで否定し尽くして殺す。それを誰に証明したいのか、というのが願い。だからこそまどろっこしい真似をしてきた。

「俺を殺したければ殺せばいい。その契機を、何度も逃した事を、後悔する事になるぞ」

「そういう口を利くって事はそろそろネタ切れ? もう真っ向勝負しか芸がないって言っているようなものじゃない」

「ああ、そうだ」

 アーロンはあっさりと認めた。それが意外だったのかアンズの声が僅かに上ずる。

「あら、もう認めちゃうの?」

「認める。俺の力はこの程度だし、メガシンカポケモンに比肩するほどの能力を、俺もピカチュウも秘めていない。もう悪足掻きくらいだ。エレキネットも、ボルテッカーも、十万ボルトも、アイアンテールもそれほど効果はないだろう」

 自分が全ての手の内を明かした事にアンズは困惑しているはずだ。まだ若い暗殺者は騙し合いのレートに慣れていない。

「す、全ての技を言い明かしたって言うの?」

 アンズからしてみれば理解の及ばない行動。しかしアーロンは言ってのけた。

「ああ。全ての技を使っても、お前らには敵わない、と言っている」

「よ、ようやく理解したようね。波導使いでは瞬撃のアンズには遠く及ばないという事を!」

 メガスピアーが攻撃姿勢に入る。最後の一撃。針が静かに回転し、超音波振動で確実に首を落とそうとする。アーロンはその前に手を払った。

「だから、これから行う事は蛇の道だ。本当の、暗殺術だ」

 手を地面につける。アンズは読み取ったのか口にする。

「そこから電流を伝わせてあたいを焼き殺そうって? それは無理! 絶縁体の服飾に、距離もある! そこからここまで電流が来る頃には必殺の勢いなんて――」

「分かっていないな、瞬撃の暗殺者。俺はこの状態から、盤面を覆してみせる」

 とんでもない挑発に聞こえたのだろう。アンズは鼻を鳴らす。

「覆す? どう考えても無理! メガスピアーの針は波導使いであるお兄ちゃんに向いているし、それを止める事なんてピカチュウの電撃では無理だって知ったんじゃないの?」

「ああ。真っ向勝負はもう、捨てる。格上と戦う時、最も重視すべきは」

 師父に教え込まれた言葉をそらんじる。

「相手のパワーを制する事でも、スピードを超える事でもない。邪道を貫いてでも、勝つ。勝利にこだわる事だ。若い暗殺者。教育してやろう。波導を使うとは――」

 アーロンは波導の眼を見開く。

 ビルの中に潜む波導回路がその視界に映し込まれた。

「こういう事だ!」

 ピカチュウの電撃が走る。その瞬間、地鳴りが周囲から漏れ聞こえた。

「何……? 地震?」

 突如として、ビルが段階的に切り裂かれて粉塵を発する。破壊の塵がアーロンとメガスピアーを隔てた。アンズも戸惑っているようである。

「これは、ビルが……!」

 アーロンは後ろに向かって跳躍する。

 ビルが倒壊しているのだ。

 幾重もの切れ目が走り、横倒しになって先ほどまで足場としていたビルが崩落しようとしていた。

「あり得ない……。何をした! 波導使い!」

「言っただろう。波導を使うとは、こういう事だと」

 灰色の粉塵の中に一角が沈んでいく。その中には当然、本体であるアンズがいるはずであった。



















 何が起こったのかまるで分からない。

 突然にビルが倒壊するなどあるはずもない。アーロンが、波導使いの力が作用したのだ。

 だがアンズにはそれを受け止める余裕もなかった。ビルの瓦礫が自分を押し潰す前に忍者の跳躍力で飛び退りすぐさま安全圏を確保する。しかし視界は地獄に染まっていた。

 周囲はまるで見えない。灰色の帳に閉ざされている。加えて音も聞こえない。崩落の音量が激しくてとてもではないが普段の平静さは装えなかった。

 鼓動が爆発しそうである。

 自分は一体、何者を相手取ったのか。恐ろしさにアンズは周囲を見渡し声を上げた。

「め、メガスピアー! どこ? あたいはここに――」

 そこに至ってアンズは二つの愚を冒した事に気付く。

 一つは、戦闘中に手持ちを見失った事。

 もう一つは……声でもって、相手に自分の居場所を教えた事だった。

 それを証明するように灰色のベールから飛び出してきた電気ワイヤーがアンズの足を絡め取った。意想外の事に受身も取らずに転げてしまう。

 そのまま引きずられアンズの肩を引っ掴んだ影に覆い被さられた。

「俺の、勝ちだ。瞬撃」

 視界の中に大写しになったアーロンは自分の左肩を掴んでいる。右手に宿った電流がいつでも自分を殺せるのだと主張していた。

「お兄ちゃん。……なるほど。これが波導使いというわけね。恐れよ、という意味がようやく分かったわ」

「誰にここまでの暗殺術を仕込まれた? お前が認めたがっているのは自分の価値だな? そいつに、俺を殺し馬鹿と炎魔を殺す事で存在証明をしようとしている」

 心のうちを読まれて絶句するが腐っても同業者。相手の弱点くらいは読めてしかるべきだ。

「……お姉ちゃん達を殺すよ?」

「脅迫か。だがその前にお前が俺に殺される」

 言葉に間違いはない。アーロンの眼には自分を殺すと決めた冷徹さがある。

 ため息をついて、「優しいね」と呟く。

「優しい?」

「だって、まだ炎魔とメイお姉ちゃんの事、心配しているんだ? とっくに殺したとは思っていないの?」

「交渉の切り札として解毒剤は定石だ。それも分からずして、毒のエキスパートを名乗るはずがない」

 ここまで言われれば形無しだ。アンズは左肩をしゃくる。

「肩パッドの中に解毒剤が入っているわ」

 アーロンはピカチュウの電気を微細に飛ばし肩パッドを触れずして開かせた。

「本物だな」

「ここに来て悪あがきはしない」

「どうかな。最後まで諦めないのが、この稼業を続けるコツでもある」

「……よく分かっているじゃない」

 アンズは予め左手の薬指に張っておいた糸を引っ張った。すると懐から瞬時に道具が手に収納される。

「虫笛。これを鳴らせば、危険だと悟ってすぐにメガスピアーが来る」

「鳴らす暇を与えない」

「無理よ。それこそ、あたいは熟練の域。虫笛を鳴らし損ねる事なんてあり得ない」

 押さえつけられている今でも虫笛を口元まで持ってきて鳴らせる。その自信があった。

「やってみるといい。結果は自ずと出る」

 強気なアーロンの声にアンズは笑みを浮かべる。

「いいの? 本当に、あたいなら虫笛を鳴らす事は造作もないよ」

「御託を並べている暇があれば、さっさと来い。瞬撃」

 アーロンはまだ自分を嘗めている。虫笛を鳴らす時は主人が危険だと判断された時。つまりメガスピアーは確実にアーロンの命を奪いに来る。

 その時に対応出来るほど速くないのは知っている。

「後悔する!」

 アンズは虫笛を口元へと持ってきた。

 ――勝った、と感じる。

 それ以外の思考はなかった。

 だからか。

 虫笛が指をすっぽ抜けた事に、数秒間気付けなかった。

「……嘘。何で……」

 細工上、虫笛が指を抜ける事はあり得ない。これまで習い性のようにやってきた所作がここに来て破綻する事は絶対にないのだ。

 その時、アンズは自分の左手が痙攣している事に気づいた。指先が硬直し、感覚を失っている。

「は、波導使い! まさか!」

 その声にメガスピアーが殺到してくる。アーロンは一言だけ告げた。

「スピードは俺のほうが上だったようだな」

 その声と共にアンズの意識は闇に呑まれた。




















 メガスピアーの針が自分の背筋を貫く――。それにはあと数センチでよかった。

 だがアンズが意識を昏倒させるのと同時にメガスピアーの身体がエネルギーの皮膜に包まれ、元のスピアーへと戻っていた。スピアーに戻ったせいで針が届かなかったのだ。

 アーロンは振り返ってスピアーの針を電流で蹴散らす。

 それでも汗が滲んでいた。少しの緊張の解れが命取りになる局面だった。膝を折り、呼吸を整える。

「ここまでになったのは久しぶり、だな……」

 消耗した身体に鞭打つようにアーロンは波導を操って身を起こさせる。まだ休むには早い。

 倒れたまま意識を失ったアンズを見やり、次いでスピアーを見やった。主人の命がなければスピアーは自分を殺す気はないらしい。アーロンはアンズから手に入れた解毒剤をポケットに入れて幾ばくか考えた後、答えを出した。

















 突然のビルの崩落にホテルの職員達が戸惑う。

 困惑の声やこの世の終わりだと嘆く声もあった。

「静かになさい」

 ラブリのその一声がなければ逃げ出す者もいたかもしれない。現場を預かったラブリは、「軍曹」と指を差し出す。軍曹が葉巻を取り出してラブリに持たせた。無論、火も点けさせる。

「まったく、後々処理に困る事を……。あなたもそう思っているんでしょう? ハムエッグ」

 通信を繋いでいる相手に問うと、『なかなかにね』と返答があった。

『アーロンがこれほど追い詰められるのはかつてない事だ』

「波導使いが追い詰められる、ね。どっちが勝ったのかしら?」

『奥の手だろう。アーロンが勝ったに三十』

「じゃあわたくしは若々しい暗殺者に十」

 通話口でハムエッグが笑った。

『賭けにならない』

「仕方がないでしょう。波導使いの実力は知っての通りだし。あれが負ければ、本当にこの街は終わりよ。それとも、こう言ったほうがいいかしら? 終わらせたがっているどこぞの誰かさんの思い通りってね」

『誰の事だか』

 とぼけるハムエッグにラブリは声を被せる。

「そろそろ決着がつくはずよ」

 紫煙を棚引かせてラブリは車を出た。埃っぽい空気が充満している。

「ハムエッグ。切るわね。あなたとわたくしが仲良くしているの、波導使いは見たくないでしょう?」

『傍目には牽制し合っている間柄だからね。まぁこういう機会でもない限り、君にはかけないよ』

「こちらこそ。あなたに今度電話する時はご自慢のスノウドロップの実力を問う時ね」

 通話を切り、ラブリは歩み出る。すると裏通りから出てきた人影があった。

 アーロンが肩にアンズを担いで粉塵の向こう側から姿を現す。

 ラブリは乾いた拍手を送った。

「おめでとう、勝ったのね」

 で、と次を促した。

「そいつを殺したの?」

「いや。生かしたままにする」

 その言葉にホテルの職員達がざわめく。ラブリも予想外だったため眉を跳ねさせた。

「これはこれは。波導使い、あなたって本当に、ロリコンの最低のクズだったわけ?」

「街の秩序は守る。まだ聞かなければならない。それに解毒剤が本当に効くのかどうかも分かっていないからな」

 最後まで人質にする気か。ラブリは口角を吊り上げた。

「心の芯まで染まり切った悪党ね」

「意外だな。正義の味方を気取ったつもりはない」

 悪態を悪態で返されてラブリは不愉快そうに葉巻を吹いて踏み消した。

「最低のクズに朗報よ。あのお嬢さんと炎魔はまだ生きているわ。しぶといわね」

「それはどうも。手数をかけるな」

 心にもない言葉だ。ラブリは、「さっさと帰りなさい」と手を払う。

「わたくし達はこの倒壊したビルの後始末に奔走しなくては」

「金は払う」

「当たり前よ。さて、ホテルの職員諸君。火消しよ。存分にやりましょうか」

 了解の復誦が返り、職員達が関係各所へと連絡、及び現場の被害をはかり始める。

「ホテルには今回世話になった。出来れば次は頼らない」

「そうなるといいわね。あと、その瞬撃の持っていた暗殺同盟の書面だけれど、全部本物である事が分かったわ。暗殺同盟は既にヤマブキに展開していた。……でも、一つだけ気がかりなのは、その暗殺同盟、一番に瓦解させたのはその小さな暗殺者だったって事」

 アーロンはアンズへと一瞬視線を流した。だがすぐに無関心を装う。

「興味はない」

「そうかしら? どうせ、あなたの向かうところは分かっている。全ての決着をつける気なんでしょう」

 アーロンは答えずに歩み出した。ラブリは嘆息を漏らす。

「本当に、度し難いのは男のプライドね、軍曹。あんな卑怯な真似されてもまだ、仁義ってのは通したいものなのかしら?」

「お嬢にはまだ分からん世界かもしれません」

 軍曹の返答にラブリは笑みを返す。

「まったく、分からないものよね。だからこそ、面白いのでもあるけれど」


オンドゥル大使 ( 2016/05/08(日) 21:17 )