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毒使いの紫、瞬撃の一族
第四十話「教え」

 草原をルカリオの拳が奔る。アーロンは身体の周囲に張った皮膜で一撃をいなした。

 ルカリオの牽制レベルの拳ならば一撃を受け止めきれる。しかし二発目。本気の打ち込みには耐えられなかった。アーロンは吹き飛ばされまたも地面を無様に転がった。

 草原を風が駆け抜ける。木の根に座った師父は文庫本を読んでいた。

「師父……。波導を身体に張っても、耐えられる強度に限界があります」

 ようやく声にすると師父はパタンと文庫本を閉じて視線を向ける。

「分かったようじゃないか。そうとも、体表に波導を張ったところで、強力な攻撃の前には無意味だし、ルカリオは波導使いだから読めている分もある。通常のポケモンの持つ固有波導はこれほど分かりやすくない。虫ポケモンには虫ポケモンの波導の流れが、四足の獣ポケモンならば四足なりの流れがある」

 師父が手を掲げる。すると一匹のバタフリーが止まった。師父の生命波導をアーロンは目にする。師父の生命波導はほとんど静止していた。動いていないのである。そのせいかバタフリーは動こうともしない。

「波導は、止められるんですか」

「訓練の賜物だな。わたしはこれを習得するのに三年かかった。波導を完全に絶つ術。相手の自律型のポケモンがお前の生命波導を感知して襲ってくる場合有効ではある。だがこれでは、隠れる事は出来ても反撃は出来ない。波導を止めて相手の攻撃が来た場合、波導を静止させていた肉体には直にダメージが来る。つまり通常よりも手薄な状態だ。こんな使い方を間違ってもルカリオとの戦闘中にするんじゃないぞ。これは特殊な場合の使い方だ」

「特殊、ですか……」

「そう、こういう風に」

 師父の体内の波導が急に流れ出す。バタフリーが慌てふためいて飛び去っていった。師父の波導に恐れ戦いたのだろう。あるいは今まで無機物だと思っていたものが生命だと知って驚いたのかもしれない。

「わたしとルカリオは放出型。今は波導を放出してバタフリーを脅かしてやったが、これに似た使い方をお前は出来る。いや、それこそが真髄か」

 師父は立ち上がると胸元を叩いた。

「わたしに向かって撃って来い。ピチューの電撃で、だ」

 思わぬ言葉にアーロンは唾を飲み下す。

「でも、ただじゃ済みませんよ」

 もう波導の使い方はある程度頭に入っている。どの部分を狙えば波導が弱いのかは分かっているのだ。

「いいから撃ち込め。そんな事も出来ないのか?」

 師父の挑発にアーロンはピチューを肩に乗せて突っ走る。手を突き出し、師父の胸元を叩いた。電流を流す――つもりであった。だが電流は霧散し、師父の体内を通り過ぎていく。

「何で……。攻撃を命じているはずなのに」

「体内波導の使い方だ。この瞬間、わたしは胸元の波導をゼロにしてお前の波導攻撃を無効化した。電流をそのまま外に逃がしたんだ」

「そんな事が……」

「波導には可能だ。一時的に身体部位を切り離しその部分の波導をゼロにする。毒を吹かされた場合でも有効になる。毒に染まった部位を切り離せばいい。一時的だがな」

 横合いからルカリオの拳が飛んでくる。アーロンは咄嗟に構えを取って電撃を放たせた。ルカリオが跳躍してアーロンへと跳び蹴りを放つ。跳び蹴りをいなそうとしたがどうしてだか身体が動かなかった。手足が凍りついたように動けない。

「今しがた触れたお前の体内波導をゼロにしてやった。手足に集中して、だ。動けないだろう?」

 跳び蹴りが食い込みアーロンは呻く。ルカリオはそのまま後ずさった。

「まだまだだな。体内の波導循環も上手くいかないようでは、真髄を教えるには至らないか」

 師父は再び木の根に座り込もうとする。アーロンは立ち上がっていた。師父が眉を上げる。

「……体内波導をゼロにすれば、痛みも消せるんでしょう? やってみましたよ」

 今まで薄皮のように纏っていた波導を体内に集中し、ゼロにする。試してみたがこれが意外と集中力を要した。体表の波導よりもなお、だ。

「驚いたな……。もう物にしたか。だが痛みを消すのはやめておけ。後で来る激痛に悶える」

 アーロンが一呼吸つくとその瞬間、抑えていた痛みが逆流してきた。思わず膝を折る。全身の神経を掻き乱されているかのようだった。

「波導循環を操るのはコツがいる。最初に言った通りお前には放出型の波導使いには向いていない」

「じゃあ、ぼくに何をやれって……」

 痛みで視界が白み始める。師父は言い放った。

「お前の真髄は切断だ」

「何ですって……。切断……」

「たとえば、強力な敵が来たとしよう。素早く、固く、攻撃も自分より明らかに上。そんな格上相手に出来る事は、相手の波導を読み、その弱点を切ってやる事。波導のスイッチのオンオフを、お前は習得せねばならない。体内波導をゼロにするのもその過程で学ばせるつもりであったが、これならば急いでも大丈夫そうだな」

「どうやって……。波導を切るなんて出来るはずがない」

「何を言う? お前は最初にピチューにやろうとしていただろうに。波導の線を切る。お前に見えているのは波導の脆い線だ。わたしとの修行で波導の循環まで見通せるようになったが、その起源は波導回路を見て、切る事。わたしの言った事を一度全て忘れて、もう一度、最初の感じでルカリオを見てみろ」

 無理難題に違いなかったがやらなければ師父はそれ以上を教えてくれない。アーロンは立ち上がりルカリオを波導の眼で見つめる。学んだ事を忘れ、循環する波導の流れをあえて無視し、その眼に映る最も原初の波導を。

 するとルカリオの体内に流れている波導がまるで電気基盤のように体内に埋め込まれているのが分かった。最初に見えていた波導の線だ。それが師父との訓練のお陰がよりくっきりと見えている。

「今のお前ならばはっきりと、その線が映るはずだ。それこそが波導回路。通常の波導使いには見えない、お前だけの視界だ」

「ぼくだけの……」

 波導回路は通常の波導と違い動かない。ルカリオがどう構えを取っても一定だ。

「波導回路を切る実験は……、この樹で試そうか」

 師父はもたれていた樹に手を滑らせる。アーロンはそちらに目線をやった。樹にも波導回路がある。

「回路の線を焼き切れ。これだけ訓練させたのだからピチューの電撃を切るように使え、というのは分かるな?」

 アーロンはピチューに目配せし、そのまま樹へと突っ込んだ。手をついて巨木の波導回路を焼き切る。ピチューの青い電流が走った瞬間、驚くべき事が起こった。

 出力はそれほど出していない。むしろ絞ったくらいだ。だというのに、巨木は真っ二つに裂けていた。波導回路を切った部分からまるでチーズのように綺麗に切り裂かれた。

「こんな事……、ぼくは……」

「それがお前の戦闘スタイルとなろう」

 師父は切り裂かれた大木を蹴ってルカリオに促す。一瞬で木のベンチが完成した。腰かけて、「波導を切る、というのは」と続ける。

「波導使いにとっても脅威だ。体内波導よりもどうしようもない波導回路。それは生まれつき定まっており変える事はどれだけ高名な波導使いでも出来ない。お前はそれを自在にオンオフ出来る。ピチューの電撃を介して、な」

 アーロンは掌に視線を落とす。それほどの攻撃性能が自分の裁量一つにかかっている。震えが自然に生じた。

「まかり間違えれば取り返しのつかない攻撃だが、言い換えよう。一撃必殺の攻撃だと。これが決まれば、お前は絶対の勝利をもぎ取れる」

「絶対の、勝利……」

 自分とは縁遠い言葉とも思えたが、師父の声音に嘘偽りの感じはない。本心で、絶対の勝利を信じている。

 アーロンは引き裂かれた樹へと顎をしゃくった。

「今のを、コントロール出来れば……」

「お前は誰にでも勝てる」

 確信に満ちた声にアーロンは血が沸き立ってくるのを感じた。誰にでも勝てる。約束された勝利。自分は別にトレーナーを目指しているわけではない。だが勝利が確約されているという事は男ならばこれほど血の滾る事はない。

「しかし……難点は存在する」

 そんなアーロンの興奮を冷ますように師父は声を発した。

「一撃必殺じゃなかったんじゃ……」

「お前は今、動かない相手に対して波導回路を切断し、相手を死に至らしめた。だが、考えてもみろ。動かない相手などいるか?」

 そう言われてみれば自分の考えは浅慮だった。動かない相手などいるはずがない。敵意を向けられて動かないとすればそれはでくか、馬鹿かのどちらかだ。

「それじゃあ、これは使えないんですか……」

 せっかくの興奮に後ろから冷水を浴びせからけれたようだった。使えないのならば意味はない。

「いいや、使えるとも」

 師父の言葉は疑わしい。その疑念が通じたのか、「わたしは嘘は言わない」と師父が胸元に手をやる。

「お前の青い闇を払いたいのは本当だし、アーロンの名をやったのも気紛れだけではない。お前にアーロンの名を継ぐ素質があると見たからだ」

「アーロンを継ぐ、素質……」

 改めてみて、アーロンという名前はどういう意味なのだろう。どうして自分は今までの自分を殺してまでアーロンの名に縛られる必要があるのだろうか。

「わたしが真に脅威だと判断しているのは、自分より格上で、なおかつパワーと素早さ、全てにおいて勝っている相手を下す事の出来る波導回路の切断。それをお前が御する可能性があるという事」

「脅威、ですか? 教えた師父でも?」

 思わぬ言葉だった。師父は、「脅威だとも」と応じる。

「問答無用で相手に死を与える能力だぞ。使い方を誤ればそれこそ後悔する事になる」

 言い直されてアーロンは戸惑った。相手の波導回路を切る能力は相手を確実に死に至らしめる能力でもある。これは悪魔の手なのか、と震えた。

「安心していいのは、わたしが今のお前を野に放つつもりは毛頭ない、という事だ」

 どういう意味なのか、と問おうとして鳩尾にルカリオの鋭い一撃が食い込んだ。完全に不意打ちだったためアーロンは吹き飛ばされて地面を転がる。視界が暗転しそうになった。胃の腑に痛みが染み渡ってゆき、思考が消し飛ばされそうになる。

「師父……、何で……」

 アーロンは血反吐を吐きそうになりながら訴えかける。どうしてルカリオに攻撃を? その無言の問いかけに師父は文庫本を開く。

「本を読む、という行為に必要なのはどれだけの要素か?」

 唐突な問いにアーロンは困惑するしかない。

「何ですって? 本……」

「字面だけを追うのならば猿でも出来る。言葉の意味を咀嚼し、あるいは解読し、理解し、自分の中で処理するのにはまずは文字の判読。続いて法則性の理解。知識、知恵、思考、考察、あらゆるものが必要だ」

「だから、何で……」

「波導回路を切れるだけでは何の戦力にもならないし、言ってしまえば邪魔な要素だとも言える」

 師父の結論にアーロンは息を詰まらせる。

「だって、師父は切ってみろって」

「言ったから、切った。これは本を読む上でタイトルを言え、と言ったから言った、のレベルだ。本を読むという行為には全く直結しないし、もっと言えば邪魔だろう。タイトルだけ知っているなんてそれは頭でっかちだと言うんだ」

 アーロンは痛みを押してようやく立ち上がる。よろめいて四肢に力が篭るまで時間がかかった。

「じゃあ、どうすれば」

「ルカリオと打ち合え」

 ルカリオが即座に構える。アーロンはそれこそ混乱して言葉が出ない。

「だって、波導回路の切断は、危ないって今師父が……」

「危ないから一回しか使わせない? それでは余計に危ないだけだ。ルカリオと戦い波導回路切断を学べ。まだまだ波導の修行が必要なようだな。いつか言える時が来る」

「……何てですか」

 師父は樹を削って作られたベンチに腰かけアーロンを見ずに言った。

「波導を使うとは、こういう事だ、と」


オンドゥル大使 ( 2016/05/06(金) 21:28 )