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毒使いの紫、瞬撃の一族
第三十九話「非情なる暗殺者」

 どうして、とは問うまい。だがハムエッグとホテルが統合した結果は非情なるものだった。

「アンズ。いいや、セキチクの忍者の血統の暗殺者。最早、どうして、とは問うまい。ただ一つだけ解せないのは、何故暗殺者の気配が消せた?」

 アーロンの質問にアンズは、「そんな事」と肩を竦める。今朝と同じくただの少女の振る舞いだったが帯びているのは既に暗殺者の気配だった。

「あたいね、父上に飲まされたものがあったの。それは記憶を一時的に消す薬。それのお陰でお兄ちゃんを騙せたってワケ」

 アンズの返答にアーロンは、「ではヤシロ組の集金所にいたのは」と口にする。

「先んじて、記憶を消す前に取引していた。あとあたいはこうしてメモにして忘れてはならない事を段階的に思い出すようにしていた」

 アンズの取り出したのは小さなメモ用紙だ。どうして気付けなかったのだろう。段階的に暗殺者としての本能を取り戻していく殺し屋など。

「二日と半日しか持たない記憶操作の薬だったけれど、充分だったみたいだね」

「お前の事だ。もう手は打ってあるのだろう」

「さっすがぁ。お兄ちゃん」

 アンズが口笛を鳴らす。しかし何ともない。うろたえたアンズへと、「俺は波導使いだ」と答える。

「身体の内側に毒が発生したのならば、その部位を切り離して対応すればいい」

 アンズは口元に笑みを浮かべた。それだけでも愉悦というように。

「本当に……、波導使いって化け物みたいだね。父上の言っていた通りに」

 アーロンは電気ワイヤーでビルから飛び降りる。地面は湿っておりいつでも感電攻撃が行えた。

「俺を騙すだけならば、まだよかった」

「よかった? 変な事を言うんだね」

「騙し合いには慣れている。俺が許せないのは、あいつを騙した事だ。また信じようとしていたのにな」

「メイお姉ちゃんの事? 案外、波導使いも人間らしいんだ?」

 その挑発が聞いていられる限界だった。アーロンは地面に手をついて電気を流す。しかしアンズは感電する様子もない。

「さすがはカントー製。電気を通しもしない」

 アンズの靴はどうやら絶縁体らしい。それくらいの手は打ってくるか。

「なら、今度は電気ワイヤーで狙う? でも、ちょっと粗野だよね」

 スピアーが前に出て電気ワイヤーを切り裂いた。その行動に迷いはない。

「スピアーを探れば、もっと早かったかもしれないな」

「そうさせない人格だったと思うんだけれどね。まぁいいや。瞬撃のアンズ、行かせてもらいます!」

 スピアーが羽音を鳴らしてアーロンへと肉迫する。だがその動きは直線的だ。どれだけ近づこうとも一発だって当たる気がしない。

「どうやら嘗めていたのはお互い様のようだな。ピカチュウ!」

 ピカチュウの放った「エレキネット」がスピアーに絡みつく。すぐさま電流が放たれスピアーはぷすぷすと黒煙を上げた。

「育てが足りないな。これで暗殺とは片腹痛い」

 アンズも種が割れたマジシャンのように手を広げる。

「そうだね。これじゃ、やっぱり波導使いには勝てない。だから、奥の手を用意しておいた」

 アンズが片手を掲げる。その手首から吊り下げられていたのは緑色に発光する勾玉である。勾玉の光が鼓動と同期し、紫色の波紋を浮かび上がらせた。エネルギーが逆巻き、スピアーの周囲に形成したのはフィールドだ。スピアーがフィールドのエネルギーを自身の周囲に展開し、甲殻を作り上げていく。

 その現象にはアーロンも目を奪われていた。

 耳にした事はある。だが実際に見るのは違う。

「――メガシンカ。メガスピアー」

 甲殻が咆哮と共に弾き出されその姿が露になった。振動数を増やすためにさらに小型になった翅に、脚のように発達した針。黒と黄色の警戒色が入り混じり、赤い眼光が射るようにアーロンを睨み据える。先ほどまでよりも発達した両腕の針を一閃させるとそれだけで突風が巻き起こった。 

 明らかにパワーが違う。アーロンは歯噛みした。

「メガシンカ、だと……」

「そう。まさかスピアーだけで暗殺者を名乗れるほどこの業界甘くない事は分かっているよ。毒使いであり、スピアーの攻撃とその速さを万全に使える事。それこそが瞬撃の名の意味でもある」

 アーロンはすぐさま電気ワイヤーを放とうとする。しかし電気ワイヤーはドリルのように高周波振動を巻き起こした針によって寸断された。

「ドリルライナー。地面タイプの技に電気は通用しないね」

 アーロンと戦うのを分かっていて組み込んでいたに違いなかった。手を払って、「囲い込む!」と電気の網を放つ。しかしその時にはもうメガスピアーはいなかった。その巨大さに比してあまりに素早い。電気の網を通り抜けてその針がアーロンの顔面を穿とうとする。一瞬の判断の遅れが命取りになる瞬間。

 アーロンは咄嗟に身を屈め頭上を針が行き過ぎたのを感知する。

 波導の眼がなければ貫かれていた。その確信に身体が震え上がる。

 これがメガシンカ。ポケモンの進化を超える進化だ。

「切り札は最後まで取っておく。定石だよ、お兄ちゃん」

 今となっては忌々しいだけの存在が口にする。アーロンは電気ワイヤーを使って跳躍する。メガスピアーを通り越してアンズ本体を攻撃しようとするが当然のように眼前に立ち現れたメガスピアーに妨害された。瞬時に受け身を取る。払われた針の攻撃でアーロンはビルに身体を叩き込まれた。

 肋骨に皹が入ったのか激痛が走る。通常のポケモンの膂力ではない。

「メガシンカ時にパワーが上がったのか……」

「今の攻撃性能は通常のスピアーの比ではない。気をつけなよ。この針で腕くらいは切り落とせちゃうんだから」

 メガスピアーの姿が掻き消える。アーロンは波導の眼を使って感知しようとするがその網膜の中に映ったのは幾重もの残像を引いたメガスピアーの姿だった。どれが実体なのか分からない。しらみつぶしに攻撃するには相手の速度があまりにも勝っている。アーロンが飛び退ると先ほどまで身体があった空間を針が引き裂いた。削岩機のように地面が抉られる。

「惜しい! もうちょっとだったのに」

 この暗殺者は遊んでいる。メガスピアーの圧倒的力量を前に自分が降伏するか、あるいは殺されると思い込んでいる。

 そこにこそつけ入る隙があったが、今の戦局は分が悪かった。ほとんど裏通りで狭まった路地。ビルとビルの谷間では逃げ切る時間も、空間もない。アーロンは空中へと電気ワイヤーを放り投げる。屋上に絡みついたのを確認して一気に上昇する。メガスピアーの刺突が空間を射抜く。

「惜しいところだね。やっぱり波導の眼が邪魔だなぁ」

 波導の眼を使って辛うじて回避している状態。この状況を打破するにはせめて戦局を変えるしかない。アーロンは屋上を駆け抜ける。だがそれよりも速く、メガスピアーが追いついてくる。

「こいつ……!」

 手を薙ぎ払い見える範囲に電流を放ったもののメガスピアーは即座に回避して距離を取る。まともに渡り合える相手ではない。

 ビルとビルの間を跳んでアーロンは考えを巡らせる。相手が圧倒的に素早く、攻撃力もある場合、トレーナーからつかず離れずの敵を倒すのは難しい。メガスピアーを落とすにはピカチュウを本来の使い方で扱うしかないだろう。だがその場合にしても押し負ければ不利に転がる。

 ピカチュウを手放すのは駄目だ。アーロンはそう判断する。戦闘スタイルを曲げず、自分は暗殺者として戦うべきだ。決してポケモントレーナーなどになるべきではない。アーロンは跳躍した際に制動をかけて振り返る。大写しになった視界にメガスピアーの針が映る。アーロンは危機回避能力で横っ飛びしてメガスピアーの針を避け様に電撃を撃った。だがメガスピアーを掠めもしないのは自明の理だ。

「……かといって、こいつは深追いしないタイプだ。俺が離れ過ぎれば、毒を盛られたあいつらに危害が及ぶ事を熟知している。離れれば、時間をかけ過ぎればどちらにしろ不利か……。厄介な敵には違いないな」

 メイ達が解毒の術を心得ているとは考え辛い。毒のエキスパートとなれば毒の種類は毎回違うと見るべきだ。今回戦局を引っくり返すには、アンズの持つ解毒剤を手に入れる事。さらに、それを手にすると同時に相手に敗北を突き付ける事が絶対条件となる。

 負けを認めさせなければアンズは必ず自滅も覚悟して毒を使うに違いない。ここまで用意周到な暗殺者ならば自身の死さえもその技術のうちに入れているはずだ。

 必要なのは精神の屈服。アンズはシャクエンのように暗殺に疑問を持っているわけでもなければ、プラズマ団のような素人でもない。

 本物の、非情なる暗殺者だ。

 確実に自分よりも強い暗殺者を相手取る場合、どうするべきだったか。

 アーロンは呼吸を整える。師父の声が脳裏に蘇った。


オンドゥル大使 ( 2016/05/06(金) 21:11 )