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毒使いの紫、瞬撃の一族
第三十八話「瞬撃のアンズ」

 二日と半日、と書かれたメモがポケットから出てきた。

 アンズは首を傾げる。どういう意味なのか。そもそも先ほどの暗殺同盟の巻物も誰から預かったのか記憶がなかった。突然に思い出してアーロンに渡したのだ。

 自分はどうしてヤマブキに来たのかもおぼろげである。確か大事な役目を仰せつかったはずだったが誰によって命じられたのかも思い出せない。

「お兄ちゃん。帰れ、って言っていたけれど……」

 アンズは喫茶店を抜けて二階に上がろうとする。その時、ちょうど喫茶店の柱時計が鳴った。正午を示している。その瞬間、電撃的にアンズの脳内を記憶が駆け巡った。

 暗がりの中から指示する声。抹殺してきた暗殺者の断末魔。そして、今まで思考の片隅にも思い浮かばなかった手甲の内部に繋げられた石。アンズは石を取り出す。勾玉型になっており、緑色に発光していた。

 ああ、なるほど、とそこで察する。

 自分はこのためにアーロンへと近づいたのだと。同時にやるべき事が見えた。扉をノックする。

「はーい。あれ、アンズちゃん。どうかした?」

 目の前には自分の置かれている状況などまるで分かっていない愚直な人間が一人。アンズは、「お兄ちゃんが先に帰れって言うから」と声にする。

 メイはアンズを通そうとするがそれに反発したのは部屋の奥にいたシャクエンだった。

「待って、メイ。その子を部屋に入れないで」

 さすがは熟練の暗殺者だ。少しの殺気でもすぐに察知したらしい。

「何で? アンズちゃんは暗殺者じゃないってシャクエンちゃんが言ったばかりじゃない」

「そうかもしれない。いいや、そうだった、が正しい。私も、朝まではこの子が暗殺者じゃないと思っていた。でも今は違う。殺気を持った、れっきとした暗殺者だ」

 シャクエンが手を繰ろうとする。その動作が行われる前にアンズは口笛を鳴らした。するとシャクエンが蹲り苦しみ始める。突然の事に狼狽したのはメイだった。

「シャクエンちゃん? 何で、どうして?」

「お姉ちゃん、何を戸惑っているの? どうかしたの?」

 アンズが部屋に上がろうとする。だがそれを阻止した影があった。黒い表皮の獣が何もない空間から浮かび上がり、アンズの頭部を打ち砕こうとする。アンズは指を立ててそれを制する。

「バクフーンか。って事は、やっぱりシャクエンお姉ちゃんって炎魔だったんだね」

 シャクエンは苦悶の表情を浮かべながら肩を荒立たせる。敵を見据える目が向けられ、アンズが一歩下がった。ようやく振るわれたバクフーンの炎の拳にアンズは微笑む。

「すごい、すごいね。これが炎魔の実力なんだ。スピアーの毒が効いてきたのにそれでもポケモンを操れるなんて」

「何て……。毒……」

「そう、毒」

 首肯したアンズにメイが首を横に振る。

「だって、アーロンさんも毒はないって……」

「あの時は無毒化していたから。でもこれは遅効性の毒なの。だから当然、あたいの意思で操れる。メイお姉ちゃんの身体も毒で一気に殺す事が出来る」

 殺気を帯びた声に尋常ではないと感じたのだろう。メイは声を詰まらせていた。

「……あなたは誰なの?」

「ハットリ・アンズ。それには違いないわ。言っていなかったのはあたいがセキチクで暗殺術を学んだ忍者の血統である事。そして瞬撃の二つ名を持つ暗殺者である事」

「瞬撃……」

「そう、瞬きをする間にもう殺せている事からこの名が使われるようになった。ヤマブキじゃマイナーかもしれないけれどセキチクだと名家なんだよ?」

 アンズがボールを放るとそこからスピアーが躍り出る。スピアーがバクフーンへと針の先端を突きつけた。

「主人の命令がないと、炎魔も形無しね。さて、どうやって殺してあげようかしら――」

 その言葉を放つ前に、膨れ上がった炎熱にアンズは咄嗟に飛び退っていた。バクフーンが熱量を増大させて爆発的な灼熱を放っていたのだ。少しでも触れれば虫・毒のスピアーでは危うい。

「危ないね……。ちょっとでも反応が遅れていたら今頃消し炭だった」

「アンズちゃん、何で! 何でこんな事するの!」

 メイの訴えにアンズは何でもない事のように応じる。

「だってあたい、殺し屋だから。誰かを殺す事に頓着なんてしないよ? お姉ちゃん」

 スピアーの針がメイへと向かおうとする。シャクエンが声を張り上げてバクフーンを呼び寄せた。バクフーンが炎熱の皮膜を張って防御する。

「よく出来ているポケモンね。主人が動けなくっても大抵の人間は暗殺出来る。でも、足りないのは主人の命令以上に動けない、という事。いくら自律稼動出来るポケモンでも、炎魔本体をやれば終わりって事を」

 その時、メイが立ち上がった。手にはモンスターボールがある。

「アンズちゃん。あたし、怒るよ」

 今にも投擲しそうであったがどうせ一トレーナーの手持ちなどおそるるに足らない。

「どうぞ、怒れば? お姉ちゃん」

 メイがボールを投げる。中から飛び出したのは音符の意匠を設えた緑色の髪の矮躯だった。飛び出すなり音響攻撃を放ってくる。

「こんなので、スピアーは掻き乱されない!」

 飛び越えたスピアーがメイ本体に攻撃しようとする。その時、メイが口を開いた。

 聞き覚えのない歌であった。喉を震わせて発せられた歌声に小さなポケモンが変化を始める。緑色の髪が巻き上がりオレンジ色に染まった。矮躯だがその眼差しが力強くなる。アンズは危機回避能力が発生してすぐさまスピアーを手元に戻そうとするがその前に小さなポケモンが目にも留まらぬ格闘攻撃を放ってきた。スピアーが拳と蹴りで吹っ飛ばされる。

 尋常な速度ではない。攻撃が来ると分かっていてもスピアーに指示が飛ばせなかった。

「何……この攻撃……」

「メイ……。逃げて……」

 シャクエンの声にバクフーンが跳ね上がり、自身を火車として転がり込んでくる。アンズは撤退を余儀なくされた。今のままではメイでさえも殺せない。しかし既に布石は打ってある。

 口笛を吹くとメイも糸が切れたように倒れ伏した。毒は有効だ。階段を駆け降りてアンズは喫茶店を抜ける。このままヤマブキを突破すればひとまず任務は完了、のはずだった。

「どこへ行くって言うんだ? 小さな暗殺者さん」

 その声と共に放たれたのは銃弾であった。スピアーで咄嗟に弾く。

「言っておくけれど、わたくし達を嘗めないでもらえる? 波導使いを騙せた、そこまではよかったみたいだけれど。無害な子供ってのにどうしてこう、男は騙されやすいのかしら?」

 ラブリが何名かの部下を引き連れて進行を阻むように展開している。アンズは舌打ちしてすぐさま方向を変えた。ホテルを相手取って勝てるとまでは思っていない。

 波導使いアーロンの仲間を殺せば相手は本気になるだろうか。その時こそ、戦うに相応しい。

 そう感じていたアンズの殺気の渦に切り込んでくるもう一つの殺気があった。飛び退った空間を引き裂いたのは青い電流だ。

 顔を上げる。自然と漏れたのは微笑みだった。

「来たんだ。お兄ちゃん」

 ビルの屋上からこちらを見据えているのは波導使いアーロンであった。


オンドゥル大使 ( 2016/05/06(金) 21:09 )