第三十七話「血判状」
「ハットリ・アンズ? 誰だそりゃ。また厄介事持ち込んできたのか?」
カヤノは切り出すなりそう言って渋い顔を作った。連日の暗殺者との戦闘で疲労した身体に栄養剤を点滴で補給してもらっている。
「聞き覚えは?」
「あるわけないだろう。それとも何だ? お前、自分の眼で見たものしか信じないタイプじゃなかったのか?」
そう言われてしまえば波導の眼に映った彼女はただの少女であった。しかしアーロンの中には引っ掛かりがある。
ただの少女が自分のような殺気の塊にスピアーを放てるものだろうか。
「目の前で俺は人を殺した。そんな相手に、ただのトレーナーがポケモンを放てるか?」
「お嬢ちゃんは放ったんだろう?」
メイは例外だ。アーロンは、「奴の話はやめろ」と頭を振った。
「一般的な話をする。人殺しを相手に育て不足のスピアーを放ってどうする? 何の目的で俺を狙ったのか」
「本人に聞けよ」
それが手っ取り早いがアーロンにはアンズを責め立てるような真似は出来そうになかった。人間的な側面で、彼女の存在は介入を拒む。
「……俺が聞いたところで煙に巻かれるのがオチだ」
「それほどに厄介な相手を? 何でお前は傍に置いている?」
言われてしまえばぐうの音も出ない。カヤノは、「炎魔とお嬢ちゃん置くのとはわけが違うんだぞ」と口にした。
「炎魔は分を弁えている。もう殺しなんて自分からやろうとは思っていないだろう。お嬢ちゃんはよく分からんが、お前が傍に置くんだ。それなりの理由はあるんだろうさ。だが今回のアンズとかいう子に関して言えば、お前のやり方は下策だ。何で傍に置く? いつか殺し合う時に弱点でも知るためか?」
アーロンは二の句を継げなかった。カヤノの言葉は正しい。どうして危険を感じてまで傍に置くのか。
「分からないが、ホテルの連中に身元の特定は任せてある。一日二日程度だ。手元に置くと言ってもその程度さ」
点滴が終わり、看護婦が針を抜く。
針。
アーロンは考える。スピアーの針には確かに殺気があった。だがそれを操るトレーナーに一切殺気がない。これは奇妙な符号だ。操る者には確かな意思がなければ操れない。スピアーが自律的に動いたとしても自分に攻撃などするか?
「ホテル、ね。ワシはホテルが苦手だからどうとも言えんが、ハムエッグに任せれば一時間とかからんだろう? 何でわざわざ?」
「言ったはずだ。借りを作りたくない、と」
「だがホテルに借りを作ったところで同じじゃないか? ハムエッグ一人にいい気分をさせたくないだけだろう」
今日のカヤノは辛辣だ。何か気分を害する事でも言っただろうか。
「……あんたにしては、随分と踏み込んだ言い草だな。ホテルとの因縁か?」
「つまらねぇ事を言ってんじゃない。ワシが言いたいのは、ホテルにせよ、ハムエッグにせよ、お前が頼っている連中は裏稼業の人間で、表の人間を探るのに向いているのかどうかって話だ」
「叩いて埃が出ないならそれでいい。充分だ」
アーロンは捲り上げていた袖を元に戻し、「邪魔したな」と立ち上がる。
「待てって。一応検査しておく」
カヤノがいつも波導の眼の検査に用いる器具を取り出す。アーロンは、「今日は点滴だけのつもりだったが」と口にした。
「サービスだよ。お前がもうろくしてたんじゃ、お嬢ちゃんも炎魔も守れないだろうが」
「俺に守るつもりはない」
検査器具の色を見極める。波導の眼に支障はない。
「緑、黄色、赤、黒の順だ」
「波導の眼がイカれたわけじゃなさそうだな」
「あんたは何を疑っている? アンズがそうでないのならば、それでいい」
「偶然ってのは、何度も重なるもんじゃないって事さ」
その言い分にアーロンは眉根を寄せる。
「……炎魔の事に、今回のアンズ。どっちも計算ありきの話だと言いたいのか?」
「そうでなけりゃ、誰が青の死神の居所なんて探るかよ。言っておくが死神に引き寄せられるのは死者だけじゃないぞ。死神を殺せるのは同じ死神だけだ」
「肝に銘じておこう」
アーロンは今度こそ立ち去ろうとする。カヤノは、「その眼が曇った時には言えよ」と声にした。
「いつでも看てやる。波導の眼は希少だからな」
「麻酔を刺している間にくり抜かれかねない。曇った時には自分で廃業するさ」
お互いに軽口を交し合ってアーロンは診療所を出た。黒服が小さな人影と口論している。
「だから、分からない子供だな。診療所なんてないって言っているだろう」
「でも、お兄ちゃんはここに入っていったんです」
アンズがどうしてだか黒服と言い合っていた。アーロンが歩み寄り、「どうしたんだ?」と尋ねる。
「ああ、旦那。この子供があんたの事を探っていて」
「探ってなんていません。ただ心配で……」
アンズの声音にアーロンは返す。
「何も心配する必要はない。仕事の邪魔をしてしまったな」
黒服に紙幣を掴ませる。黒服は、「いいですけれど」と濁した。
「子供を連れ回すなんていい趣味だとは言えませんぜ」
診療所付きの黒服にさえも注意される始末か。アーロンは内心自嘲する。
「行くぞ」
アンズを伴って歩き出すと彼女はもじもじした。
「あの……。お兄ちゃんに言わなければいけない事があるんです。実はそのためにその、悪い人と組んでいた事もあって……」
言わなければならない事。アーロンは街灯カメラを意識する。瞬間的に殺しても映るまい。
「何だ?」
「これなんです。あたいにもよく分かっていなくって……。ただ、ここに書かれている事が本当なら、あたい、殺し屋なんですよね……?」
アンズが取り出したのは巻物だ。アーロンはそれを手に取って広げる。
血判帳だった。名前が書かれており、その中で何人かの名前が血で消されている。旧字体で「暗殺同盟」と書かれていた。下部にはこうある。
「青の死神を殺すために暗殺者の同盟を募る。ここに書かれた者達は協力して青の死神討伐を目指すものである……。何だこれは」
この巻物によれば十四名の暗殺者が既にヤマブキに展開している事。そしてそのうち半数ほどが既に死んでいる事が分かった。
「あたい、自分でも分からないうちにこれを親指の血で消していたみたいで……。巻物を持っている事を思い出したのもついさっきなんです」
暗殺同盟。だが真に恐れるべきなのはその同盟よりも連ねている名前だった。
「これは、お前なのか。ハットリ・アンズ、とあるが……」
アンズの名前があったのはただの同盟員としてではない。
頭目、とあった。
頭目、ハットリ・アンズと書かれている。
「……詳しい事は何も分かりません。でも、それによるとあたい、暗殺同盟の頭なんですよね……?」
不安げな声でアンズが問うてくる。アーロンには分からない事が多過ぎた。残り七名ほどの暗殺者が仕掛けてくるかもしれないという恐怖よりも震撼すべきは、傍にいる少女こそが暗殺同盟を束ねる真の暗殺者であるという事であった。
「昨日の今日で不躾ね。それにアポも取らずに来るなんて」
ラブリの罵声を浴びながらもアーロンは焦る必要があった。ホテルは知っているのか。つかつかと歩み寄ろうとすると軍曹と呼ばれている肩幅の広い大男が阻んだ。
「申し訳ありませんがお嬢に直接用があるというのならば私を通していただこう」
「ラブリ。ポケナビの解析はどこまで進んでいる?」
軍曹を無視した声にラブリは、「半分ほどね」と答える。
「機械の解析は専門じゃないから。それに一般人だった場合本当に骨折り損よ」
アーロンは巻物を投げた。ラブリは空中で掴み取る。
「これは?」
「見てみろ」
ラブリが広げて暗殺同盟を眺めた後に、フッと笑みを浮かべた。やがて哄笑を上げてソファの上で転がる。
「可笑しいわね、波導使い。これは、あなたへの挑戦よ?」
「分かっている。これを誰が持っていたか分かるか?」
「知るわけないでしょう」
アーロンは一拍置いてラブリへと声を投げる。
「アンズだ。彼女がどうしてだか持っていた」
ラブリは再び暗殺同盟の名簿を見やって、「なるほど」と得心する。
「頭目の欄に名前があるわね」
「本物か?」
アーロンの問いかけに心底可笑しいとでもいうようにラブリは笑ってみせる。
「本物か、という問いはナンセンスね。偽物掴まされてあなた、焦ってここに来たって言うの? それほど間抜けじゃないでしょう?」
アーロンは、「信用に足るとして」と言葉を続ける。
「その名前と死んだ暗殺者との照合は?」
「可能だけれど、それこそハムエッグに頼みなさい。わたくし達はそれほど暇ではない」
もっともな意見だ。もう体裁を気にしている場合ではない。
「その暗殺同盟、お前ら情報としては」
「持っていなかったわ。この旧字体……セキチクシティにこの字体を使う一族がいたわね。確かハットリとか言う忍者一族」
「忍者……?」
ラブリはソファの上で身を起こし、「暗殺者の中でも古い血統よ」と口にする。
「そもそもあの子の装束が忍者装束じゃない。ある意味では裏づけ、か。でも出来過ぎているわね。だとすれば何で、あの子が直接あなたに渡す必要があったのか」
そうだ、そこが引っかかる。アンズが一切の警戒を向けられたくなければこんなものを渡す事さえも意味がない。
「どういう事なんだ。ラブリ。ホテル側としては失態だぞ」
「よく言うわ。ホテルに今回頼みに来たのはあなたでしょう? 自分で依頼しておいて失態とは。それにこの暗殺同盟、どれほど情報が進んでいるのかを今から調べている間に、何が起こっても知らないわよ」
「どういう……」
「アンズとかいう子を、あなたどうしたの? まさかそのまま家に帰した?」
アーロンはその可能性に思い至る。ハッとして自分の不手際に身を翻そうとした。
「待ちなさい!」とラブリの声がかかる。
「……俺の失態だ。自分でケリをつける」
「だから待ちなさいって。アンズが暗殺同盟の頭目だとしてもここで動けばあなたに殺されるのは確定。逃げ切れる保障もない。どういう意義があってこの巻物を渡したのか、推理なさい」
「そんな時間が……」
「その間に、こちらはハムエッグの情報と通じてこの同盟の暗殺者達の照合にかかる。これで時間のロスはないでしょう」
アーロンは目を見開く。ラブリは、「意外、かもしれないけれど」と巻物を軍曹に渡した。
「いざとなれば街の秩序のために手を組む。今回、明らかなのはセキチクから暗殺同盟なる集団が攻めてくるという歴然たる事実。裏を取らなければならないわ。軍曹、ハムエッグに暗号化通信。暗殺同盟に関するデータを同期なさい」
「了解いたしました」と軍曹が駆ける。アーロンは、「これで、事態の収束がはかれるか?」と訊いていた。
「無理でしょうね。もし、アンズがその通り、頭目だとすれば確かにあなたの考えている通り慌てなくてはならないでしょう。でも一度立ち止まってみなさい。どうして一度殺されかける愚を冒す? そこだけが分からないわ」
アーロンにも疑問だったのはそこだ。どうして裏で手を回さない?
「それが分からなければ狩られるのはこちらよ。青の死神、少し落ち着いて考えなさいな。どうして敵意の一切ない暗殺者が存在出来るのか」
アーロンは今すぐにでもメイとシャクエンの下に帰らなければならなかったが、ラブリの言葉に冷静さを幾分か取り戻していた。何の目的で無害を装ったのか。
「せめてハムエッグから情報が来るのを待っていましょう。お茶を用意するわ」
ラブリは部下達に紅茶の用意をさせる。アーロンはラブリに促されて下手のソファに座った。
「どういう経緯なのか、まずは解き明かさなくっては」