第三十五話「アンズという少女」
ヤシロ組、副会長が送迎の車を滑り込ませて地下の駐車場へと辿り着いた。
副会長は三人の屈強な男達を連れており、彼らの懐の左側が僅かに膨らんでいる。拳銃を隠し持っているのと、腰には緊急用のモンスターボールによる二段構え。
副会長は、「どこで集金の手はずだったか」と声にした。
「このビルの二階です。上がりましょう」
一人が先導し二人が後部を固める。副会長がエレベーターに入る瞬間、弾かれたように青い影が飛び出す。
男達がうろたえて拳銃を取り出そうとした。
「野郎、ヒットマンか!」
まだこちらが青の死神である事は露見していないらしい。そのほうが好都合だ。アーロンはすぐさま肉迫し、固めていた二人の男を電気ワイヤーで縛り上げた。瞬間に放った電撃で二人の男が同時に感電死する。副会長が視界に大写しになったが前を行っていたもう一人がモンスターボールに手をかけた。しかし、その動作はあまりに鈍い。電気ワイヤーで引きずり倒し、アーロンは手元へと引っ張り込むとピカチュウの電撃を最大値に設定した。悲鳴が迸り男は首を項垂れさせる。副会長がエレベーターのボタンを無茶苦茶に押した。
「閉まれ、閉まれ! 早くだ!」
アーロンが駆け出す。電気ワイヤーを滑り込ませるよりも早く、エレベーターの扉が閉じた。
恐らく副会長はそれで油断した事だろう。しかしエレベーターそのものが電気機器である事に違いはない。アーロンはパネルを引っぺがし、内部に電気を放出する。エレベーターを繋ぐケーブルが逆回転し、昇っていったはずのエレベーターは地下に戻ってきた。扉が開き、アーロンは副会長の首根っこを掴み上げる。
「ど、どこの組の者じゃ……」
喉から出た呻きに、「どこの者でもない」と応じる。副会長はアーロンの服飾を見やりようやく悟ったようだ。
「お、お前青の死神か? どうしてヤシロ組を狙う?」
「ルートの一つがこの街の秩序に抵触した。ご自慢の殺し屋を連れて来なかったのが災いしたな。ここで……」
死ね、と声にしようとした瞬間、プレッシャーの波に肌が粟立つ。アーロンが飛び退ると鋭い一撃が矢のように飛んできた。副会長を刺し貫きかねない一撃が眼前で止まり、そのまま膝を崩す。
「お、脅かすなよ……。お前の役目だ! 殺し屋!」
副会長の張り上げた声にアーロンは警戒を飛ばす。飛翔してきたのは二対の翅を持つ虫ポケモンであった。赤い眼窩に黄色と黒の警戒色。両腕には槍のような鋭い針を有している。
「スピアーか」
その名をアーロンが口にするとスピアーが攻撃を放ってきた。針をドリルのようにひねり上げて回転させ、こちらを抉り取ろうとしてくる。アーロンは電気ワイヤーを駆使して距離を取りつつその攻撃をいなした。
「決して熟練した殺し屋ではないな。スピアーなど」
本体を探す。どこから操っているのかは一目瞭然であった。車の陰に隠れている人影を見つけアーロンは電気ワイヤーを伸ばして隠れ蓑にしている車を強制発進させた。
車が走り出してその陰に隠れていた人物がうろたえた様子を見せる。アーロンは駆け出してその対象を引っ掴んだ。そのまま腕の力だけで押し倒し電流を流そうとする。
しかし、そこではたと手を止めた。
「女……?」
アーロンの行動に涙を浮かべた少女の姿が大写しになる。紫色の髪を後頭部で縛っており、服飾は時代錯誤な忍者装束だ。
「無関係……ではないな。スピアーのトレーナーか」
しかし少女はしゃくり上げるばかりで暗殺者らしさは微塵にもない。
「ゆ、許してください。あたいは……」
まるで被害者のような物言いにアーロンは戸惑った。この少女が殺し屋ではないのか。副会長は、「早くやってしまえ!」と声を飛ばす。
「前金はたっぷり払っただろう!」
少女を殺すか、それとも……。
アーロンは手を離し、背後に向けて電気ワイヤーを放つ。副会長の腕を絡め取り電撃が神経を引き裂いた。
呻きながら副会長が地面に転がる。アーロンは副会長の顔面を引っ掴んで尋ねる。
「本物の殺し屋はどこだ?」
その問いに副会長は瞠目した。
「あ、あいつだ。あいつが殺し屋なんだ」
副会長が目線で示したのは先ほどの少女だがアーロンにはまるで殺気の感じられない殺し屋など存在するはずがないと感じていた。
「嘘も大概にしろ。殺気のない殺し屋はいない。あんなに目立つ格好をした殺し屋がいて堪るか」
副会長は、「本当なんだ!」と譲らない。アーロンは舌打ちをして電撃を流した。副会長の身体が揺れ動きそのまま息の根を止める。
アーロンは少女へと歩み寄った。少女はまだ怖がっているがアーロンは道を示す。
「このビルから出ろ。じきに戦場になる」
その助言に少女は狼狽した様子だった。
「あ、あたいを殺さないんですか?」
「スピアー程度で殺し屋を名乗るには少し足りないな。大方、疑似餌のつもりなのだろう。お前に注意を削がせておいて本物の殺し屋がいる。女を買って使うという、よくある手だ」
アーロンの声に少女は言い返す。
「あ、あたいは買われたわけじゃ……」
「前金を払ったと奴は言っていた。買ったも同然だ。お前にはまだ分からない世界かもしれないがな」
メイやシャクエンよりも幼く見える。組織に利用されていても利用されているのだと分かっていないタイプだろう。
「どうすれば……」
「ホテルがこの場所を包囲している。ホテルに救援を頼め」
「ホテルって?」
まさかそれも知らずに買われて来たというのか。アーロンはいちいち説明するのも面倒で、「外に出れば分かる」とだけ告げた。
エレベーターに乗り込んで集金の大元を叩こうとする。
するともう一人、エレベーターに乗ってくる影があった。少女がアーロンの袖を引っ張る。
「置いていかないでください。あたい、怖くって……」
手が震えている。どれだけ無害な子供を買ったと言うのだろう。アーロンは舌打ちをしてから、「スピアーだけ戻しておけ」と口にする。
「人質にされれば堪ったもんじゃない」
アーロンの指示に従い、少女はスピアーを戻す。トレーナーであるのは間違いないのだがここまで敵意を感じないとなると本当に素人なのだろう。
「名は? 何と言う?」
アーロンの問いに少女は胸元に手を当てて答える。
「アンズです。ハットリ・アンズ」
数分程度だった。ヤシロ組の会長を拘束した、とアーロンから伝令が下されラブリ達ホテルの職員達は包囲陣を解こうとしていた。
ビルの正面玄関から堂々と帰ってくるアーロンにラブリは車の中から窓を開けて挨拶する。
「あら、案外早く終わったのね」
「全員遅過ぎる。こんなので俺の手を煩わせたのか」
「波導使いとなればヤシロ組も手ぬるい、か。でも殺し屋には遭遇したんでしょう?」
ラブリの問いかけにアーロンは目線を向ける。その先には少女がアーロンの背中に隠れていた。ラブリは邪推する。
「何? 今回の報酬にその子も含めろって言うの?」
「違う。こいつが殺し屋だった」
アーロンの言葉にラブリは目を細めて、「あのねぇ」と返す。
「わたくしだって、殺し屋とそうでない人間の区別くらいつく。その子は殺し屋ではないわ。そうであったとしても」
「弱過ぎる」
言葉尻を引き継いだアーロンにラブリは手を振った。
「いいわよ、その子。報酬としてあげても。わたくしにとってしてみれば、今回のヤシロ組の集金の阻止、だけのつもりだったし。その支援としてホテルがあればいい、というだけの話」
少女はアーロンの袖を引っ張る。ラブリは茶化した。
「随分と懐いているじゃない。やっぱりあなたって最低のクズね」
「勘違いをするな。こいつが自分こそがヤシロ組の殺し屋だと言って聞かないんだ」
「だったら殺せば? 簡単でしょ?」
ラブリの言葉にアーロンは返答を彷徨わせる。
「……敵意のない人間を殺すほど、クズになった覚えはない」
「青の死神も手ぬるいわね。いいわ。見逃しましょう。どうせ売っても一文にもなりそうにない子供だし。その筋の変態に売ろうにもヤシロ組の手垢がついているとなれば売りにくい」
「ホテルはいつから人身売買に手を出すようになった?」
お互いに殺気とも取れない会話を続けラブリは笑みを浮かべる。
「衰えてないわね。あのメイとか言う小娘を連れてきた時には、もう青の死神は駄目になったんだと思ったけれど」
「殺気を向けてきた相手は殺す。だが殺気も何も、こいつには何一つ感じられない。あの取引の場にあまりに不自然だ」
「不自然だって事は意味があるって事じゃないの?」
アーロンはポケナビを差し出した。ラブリが受け取って、「これは?」と訊く。
「この子供の持っていたポケナビだ。身柄を明らかにして欲しい」
「何だかんだ言って、結局最大限まで使おうとするのよね。ホテルよりもハムエッグのほうがこういうのは得意でしょう?」
「借りを作りたくないと言ったはずだ」
「いいわよ。本当ならA級の殺し屋との戦闘も視野に入れていた事だし、オマケで身元を解き明かすくらいはしてあげる。で? その子をどうするの?」
アーロンは困惑しているようだった。見たところ少女はアーロン以外信用していないようだ。
「落ち着きどころが見つかるまで、ホテルで保護を……」
そう口にしようとすると少女が涙目になった。アーロンは、「それが一番安全だ」と告げるも少女は首を横に振る。
「波導使い。あなた、身元を引き受けなさい。こっちでもわがままを言う子供はノーサンキューよ」
ラブリの声音にアーロンは、「だが」と抗弁を発しようとする。言いたい事は分かる。ただでさえ炎魔とメイを引き受けているのだ。三人も、はさすがに面倒なのだろう。
「一定期間でいいわよ。それ以降はホテルが引き受ける。ポケナビの解析をやってからでも遅くはないし、一晩くらい泊めてあげなさいな」
「……俺の仕事ではない」
「じゃあどうするの? その子をこの街のど真ん中で放置して、変態共にまんまと掴ませる? 夜のヤマブキでこの子みたいな人畜無害なのは危険よ」
アーロンは逡巡の末に、「分かった」と声にする。
「一日、二日程度ならば」
「物分りがいいじゃない。こっちもポケナビの解析にそれくらい時間がかかるわ。ちょうどいいわね」
ラブリはアーロンへとポケナビを掲げて微笑む。
「まぁ、その間に何が起こってもわたくし達は感知しないけれど」
「悪党め」
その言葉にはラブリも笑ってしまった。
「いつから正義の味方のつもりだったの? そういえば聞いていなかったわね。その子の名前は?」
名前だけでも先に聞いておけば手間が省ける。渋る少女の代わりにアーロンが答えた。
「アンズ、というらしい。ハットリ・アンズと」
「アンズ、ね。聞き覚えはないわね」
「殺し屋ではないんじゃないか?」
「その可能性も視野に入れて探すわ。今日はご苦労様。昼時からお互いに疲れたわね」
「……馬鹿には一通り言い聞かせておいた。もう迷惑はかけないはずだ」
「そうだといいけれど。往々にして、物事は万事うまくいくなんて事はないのよ」
ウィンドウを閉めて車が走り出す。アーロンの背中が遠ざかっていくのをフロントミラーで確認しながら、「アンズ、か」と呟く。
ポケナビの個人情報にアクセスしようとするとロックがかかっていた。
「本当に、何もなければいいんだけれどね」