第三十四話「終わりなき輪舞曲」
ホテルが仕事相手だと言う事を明かしたほうがまだマシだったかもしれない。まさかメイとシャクエンがついてくるとは思ってもみなかった。
店主に確認すると出た形跡はないらしい。メイに通用口の存在を白状させると、アーロンはため息をついていた。
「よくもまぁ、そんな下策を」
メイとシャクエンは並んで正座している。さすがに今回は反省しているのかメイは言葉少なだった。
「その、ごめんなさい」
「ごめんで済むか。まかり間違えれば全員死んでいた」
静かな声音に怒りを滲ませるとメイは本気だと分かったようだ。何も言わずに出るのが正解だったのかもしれない。
「でもアーロンさん、シャクエンちゃんの前例があるから信じられなくって。まさか本当のマフィアに会っているなんて」
「慎めと言っただろう。連中の事はホテル、とぼかせ」
その忠言にメイは項垂れた。
「本当に、ごめんなさい」
アーロンはもう怒るのにも疲れて椅子を引き寄せて座り込む。
「今夜の九時に作戦がある。聞いての通りだ。殺し屋との戦闘になるだろう」
「最近、ほとんど毎日じゃないですか。その度にボロボロになってくるアーロンさんを、見ていられなくって……」
「黙って見過ごしていればお前らの存在は露呈しなかった」
アーロンからしてみれば弱点が増えたようなもの。それを懇々と言い聞かせるとメイでも分かったようだった。
「メイ。ホテルの存在については私も知っていたのに忠告しなかった。私にも落ち度はある」
一緒になって尾行したのは事実だが、アーロンは怒る気にもなれない。
「俺の仕事に介入するな。炎魔。お前ならば一回の仕事に一般人が介入すればどれだけ危ういのか理解しているだろうに」
「止めなかった私も悪い」
物分りのいい分メイよりも厄介だ。アーロンは膝を叩いて立ち上がる。メイがびくりと肩を震わせた。
「アーロンさん。怒っていますよね……」
「怒っていない。飯を作るだけだ」
気持ちが揺らいでいる時には何かを調理するに限る。アーロンはオムライスを作り始めていた。
「その、おいしそうな匂いがするんですけれど、食べちゃ駄目とかそういうのじゃ」
「そんなつまらん嫌がらせを考える暇があれば、お前達を遠ざける方法を考える」
メイはがくりと項垂れる。今回に関しては反省してもらわなければならない。
「波導使いアーロン。ラブリの素性を話すべき。そうでなければメイは巻き込まれてしまう」
シャクエンの忠告にアーロンは嘆息をつく。そこまで馬鹿ではないと信じたいが、今回はあまりにもだった。
「……ラブリは裏組織、ホテルミーシャを束ねるリーダーだ。所持ポケモンは不明。だがそこいらの殺し屋よりも強い。しかし一番に恐れるべきはホテルの統率力だ。ラブリが動き出せば、あの大隊五十名近くが動き出す。そこいらの殺し屋以上が五十名だ。その数による圧倒であの勢力はハムエッグと均衡を保ってきた。ハムエッグの所持戦力は流動的だが固定戦力ラピス・ラズリだけでも大隊二十名に匹敵する。あのホテルとはいえハムエッグとの正面を切った戦いはしたくない。だからこの街は一見平和になっている」
その均衡がいつ破れるとも知れないが。アーロンの口調にメイは、「その、平和なんですよね?」と疑問形だ。
「見た目はな。だが裏ではこうして潰し合いが絶えない。実際、ホテルとハムエッグの勢力がぶつかり合う事はまずあり得ないんだが、どちらかの組織に小間使いにされた殺し屋が勘違いを起こして自意識過剰になって大声を張り上げる。その火消し役として俺のような人間にお鉢が回ってくる」
厄介なシステムだった。だがそれのお陰で食いっぱぐれない側面もあり一方的な糾弾も出来ない。自分以外にもこの街にはそうやって食い繋ぐ殺し屋が多くいる。
「アーロンさんは、ハムエッグさんとその、ラブリ、とどっちに比重を置いているんですか?」
「年下に見えるからと言って呼び捨てもしない事だ。ラブリの名前は普段は支配人、と全員が濁している」
メイは失言である事を今さら悟ったらしい。教える事が多過ぎる。
「その、支配人はどれだけ偉いって言うんですか。アーロンさんを一方的になじるなんて羨まし……、いえ許せない事ですが」
この小娘は口の利き方から教育せねばならないのか。アーロンはため息混じりに、「あれはああいう言葉の羅列だと思え」と返す。
フライパンの上でケチャップライスが跳ねた。
「罵倒だと思わなければ罵倒ではない」
「じゃあ、あたしがちょっと言った事くらいは……」
「それは口ごたえ、と言うんだ。……本当に飯抜きにするぞ」
メイは平謝りして飯抜きを回避しようとする。
「食欲と妙なところの失言だけは立派だな。この街では命取りだぞ」
「でも、あの支配人とかいうの、あんなに偉そうだったですけれど、実際に危ない現場に行くのはアーロンさんでしょう?」
注意した矢先にこれだ。アーロンはライスを玉子で包みながら、「それがシステムだ」と応じる。
「殺し屋とそれを活用する側のシステム。もう大昔から変わらないヤマブキシティでの裏を渡り歩く術だ。今さらどうこう出来るわけがない」
「そんな。諦めるなんて……!」
「諦めたから炎魔がこの時代まで続いてきた。これで結論には充分だろう」
シャクエンの存在を引き合いに出せばメイは押し黙るしかないようだ。オムライスを三人分用意し、アーロンはテーブルを囲む。
シャクエンは立ち直って食卓についたがメイはまだ正座している。
「……おい、もういい。黙って食え」
「あたし、何にも分かってないんですね」
「何を今さら……」
嗚咽の声が混じる。箸を止めて目線をやるとメイは肩を震わせていた。
「泣いているのか?」
「泣いてません!」
強情な声で涙を隠そうとする。アーロンにはメイがどうしてそこまで入れ込めるのかが理解出来ない。炎魔シャクエンの事も、今回のホテルに関しても何も言わなければいいだけの話なのに、この少女はどうして他人のために涙出来る。
「……他人行儀を貫くのもある種の処世術だ。この街では感受性は必要ない。それを発揮したければ別の街に行くか、芸術家にでも転向しろ」
メイは涙を拭い去って食卓につくとオムライスをかけ込んだ。あまりの食いっぷりにアーロンのほうが呆然としてしまう。
「喉に詰まるぞ」
「知りませんよ! あたしは、どうせ馬鹿ですし、一般人ですから!」
意味の分からない抗弁を発してメイはオムライスを半分平らげた。その時顔面が真っ青になり胸元を叩く。シャクエンが背筋をさすってやっていた。
アーロンはほとほと呆れる。どうしてここまで強情なのだろう。この街のシステムを受け入れれば少しばかりは楽だというのに。
「分からないのならば、見ていられないのならば目を逸らせばいい。その場合、炎魔ともいられなくなるが」
メイはキッと面を上げてアーロンを睨む。
「あたしは、それでも間違っているって言い続けます!」
どこから出てくるのか分からない自信にアーロンは嘆息を漏らす。
「止める事は出来ない。誰もこのシステムからは」
「いつか、絶対に止められる日が来ますよ」
オムライスを食べ終えたメイは下階へと降りていった。
「ごちそうさまでした!」
扉が勢いよく閉められる。アーロンは置きっ放しの皿を片付け始めた。
「……何を躍起になっているのだか」
「私には、少しだけ分かる」
口を開いたシャクエンにアーロンは手を止めた。
「分かる、だと?」
「メイは、今まで平和な場所で生きてきた。聞いた話じゃプラズマ団って言う悪の組織を壊滅させたって。だから、きっと何よりもメイは正義を信じているんだと思う。この世には悪人ばかりじゃないって」
アーロンは鼻を鳴らす。
「それこそ幻想だ。この世には善人よりも悪人のほうが多いのは、俺もお前もよく知っているだろう」
炎魔ならば、とアーロンは感じる。この世の地獄の側面を知っているはずだ。シャクエンはしかし、「メイを信じたい」と言った。
「もし、メイの言うように全てを忘れて、新しい自分として生きられたら、それは多分素晴らしい事なんだと思うから」
「理想論だ。俺達暗殺者に平穏はない」
たとえ既にシャクエンが炎魔として戦う事を望まなくとも彼女の前には炎魔であった頃の因縁が訪れるであろう。自分もそうだ。ある日突然、殺し屋をやめても今まで払ってきた火の粉と因縁が、自分を雁字搦めにして離さない。
「そうかもしれない。でもメイは、そうでない事を知っている。……私、メイが対等に接してくれてよく分からない気持ちになっている。今まで感じた事のない気持ちに。メイは、どうして私の事を、殺人鬼炎魔をこうまで信じてくれるのか分からない」
「馬鹿なんだろう。それ以外にない」
アーロンは皿を片付ける。シャクエンは、「それでも」と声にする。それでも、何なのだろうか。それでもメイを信じたい? 明日を信じたいのだろうか。だが理想に生きて理想に死ぬのは表の側の人間だけだ。
裏の人間はまず理想なんて掲げない。欲に塗れて生きて、強欲の限りを尽くし、最後には闇に呑まれて死んでいく。安息の地はない。この争いと血の彼方には、それこそ待っているのは地獄だけだ。
「あいつの言う事をいちいち真面目に取り合っていれば、俺達は存在理由を失う。それだけは確かだ」
殺す事が存在理由である殺し屋にもう傷ついて欲しくないなど詭弁だ。最終的なその価値観は殺傷にのみ集約される。
「そうかもしれない。私もそうだった。炎魔の血は消しようがない。殺した事も全部。でも、他の道があるかもしれないとメイの言葉を聞いていると思う。この街に終点があるように地獄にも終点があるんじゃないかって」
アーロンはシャクエンの言葉を受けて呟く。
「終点、か。そんなものがあれば、誰もが殺し合わなくって済む。だが実際、人間は有史以来殺し合ってきた。それは終点がないからだろう」
皿を洗い始める。終わりのない輪廻に自分達は囚われているのだろう。