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毒使いの紫、瞬撃の一族
第二十九話「闇の胎動」

「そちらから巡れ! オレはこっちを塞ぐ」

 放った声に、相棒の暗殺者は進路を変えた。徐々に道が狭まっていく中で、相手の手数を確実に潰さなければならない。

『にしても、何であいつ、こっちの暗殺者同盟に加わる事を反対したんだ?』

 耳に入れたインカムから疑問の声が聞こえてくる。

 暗殺者同盟。カントーはヤマブキシティで暗躍する暗殺者、青の死神を殺すべく、各都市の名だたる暗殺者がそれぞれ同盟関係を結び、確実に死神を仕留めるために結成されたものだ。

 元々、暗殺者は群れない。しかし、今回ばかりは相手が相手。個人の取り分は少なくなるものの早期にこの任務をこなせば暗殺者としては一目置かれる。それにヤマブキシティのナンバーツーの座は誰もが欲しいものだ。

「知らんが、なに、所詮ガキだ。殺す前にでも聞こう」

 片手を上げて自分の手持ちを制する。両手にスプーンを持った巨大な頭部を有するポケモン――フーディンが足を止めた。

「フーディン。相手の出方は?」

 フーディンは超能力で相手が物陰に隠れていても手に取るように様子が分かる。フーディンの念動力が自分の脳内へと書き起こされていき、それを基に彼は作戦を練った。

「あの物陰に隠れたか。ガキの考える事だな。一時的に身を隠そう、って魂胆か」

 視線の先には狭まったビルとビルの隙間にある小さな溝があった。そこに人一人分ならば隠れられる。

『通路の先は封じた。そっちからでオーケーだ』

 相棒の声に彼は身を乗り出す。相手がポケモンを出す前に思念の青い光で絡め取るつもりだった。

 しかし、意に反して、相手は溝から出るつもりがないらしい。彼はわざわざ声を発した。

「逃げられないぞ。暗殺同盟の事を知ったんだ。ガキでも秘密くらいは守れると思うが、今ならば間に合う」

 今回、相手が持ち出したのは暗殺同盟のメンバー表だ。それがハムエッグか、あるいは青の死神本人にでも割れれば作戦は大失敗だ。

「名簿を渡せば、まだ許してやる」

 嘘だった。最初から殺すつもりだ。元々、この街の盟主の娘だからと言って、暗殺者になれるとは限らない。何度か総会で会ったが随分とお気楽な少女だった。

「さぁ、こちらへ……」

 彼が手を差し出すとフーディンが咄嗟に前に出た。その行動に瞠目する前に先ほどまで自分が手を出していた空間を何かが引き裂いたのが視界の隅に映る。

 何だ、と探る前にインカムから相棒の絶叫が木霊した。何が起こっているのか。彼は声を吹き込む。

「もしもし? 何だ、どうした?」

『腕が……、腕が、持っていかれた……』

 その言葉に馬鹿な、と彼は考える。事前に教えられていた少女のポケモンでは腕どころか指の一本でも切り裂くのは不可能のはずだ。それに目視出来ないほど相棒は弱くない。

「相手のポケモンはあの弱小な虫ポケモンだぞ? 何をどうして腕を持っていかれた?」

『違う……、弱小なんかじゃない。奴は、わざと爪を隠していたんだ』

 相棒の声が再び絶叫に塗り潰される。ノイズ混じりの通信網に彼は決意せざる得なかった。フーディンと共にビルの谷間にある溝へと踏み込む。

 そこに佇んでいた少女に彼は声を投げた。

「もう逃げられんぞ。名簿を渡せ」

 最後通告の声に少女が振り返る。紫色の髪を頭頂部付近で縛っており、服装は時代錯誤もいいところの、忍者服だった。

 少女の傍には相棒の腕が転がっている。まさか、と彼は戦慄した。根元から断ち切られている。

「相棒に何をした? そんなパワーのあるポケモンじゃなかったはずだが」

 濁しつつ、彼は少女の手持ちを探そうとする。フーディンのサイコパワーなら一瞬で倒せる自信があった。しかし、予想に反してフーディンが戸惑っているのが分かる。

 フーディンでさえも予測出来ない動きで、相手の手持ちが動いている。そうとしか考えられなかった。

「野郎……。何か返事をしねぇか!」

 堪りかねて彼が声を発すると少女はフッと口元を緩めた。その意図をはかりかねていると、「見えない、というのは」と声が発せられる。凛とした声音だった。

「恐怖ですよね。不可視ってのは一番分かりやすい暗殺術であるのと同時に、何よりも忌避するものであると。機動力の足りないフーディンでは、あたいのこのポケモンを捉える事はまず不可能」

 彼は舌打ちを漏らし、「フーディン!」と命ずる。

「この空間にいるであろう、ガキのポケモンを念動力で叩き潰せ!」

 フーディンが念力で空間を歪める。物質空間を根こそぎ破壊する念力のパワーだ。それで決着がつくかに思われた。

 しかし直後、彼の肩口に電撃のような痛みが走る。ようやく目をやるとごとりと腕が落ちた。わなわなと見開く視界の中に切り裂かれた自分の片腕が映る。悲鳴を上げて蹲ると今度はフーディンの額へと攻撃が当てられた。仰け反ったフーディンへとさらに追い討ちがかけられ、後部から一撃、さらに鳩尾を突く一撃が放たれる。

 フーディンが膝を折った。それほど弱くは育てていないつもりだ。暗殺者のポケモンとして研鑽の日々を送っていた自分の手持ちがいとも容易く陥落させられた。その事実に目を見開いていると、「まだ見えない?」と少女が嘲る。

「き、貴様ァ! 父親である盟主の命令か? それともヤマブキのハムエッグにでも売るつもりか?」

「売る? そうですね。もっと面白い方法がありますよ」

 少女は名簿を手にしたまま口角を吊り上げる。

「暗殺対象である青の死神への、これは挑戦状としましょう」

「……狂ったか? 青の死神がそれを受けて、お前はどうする? その名簿に入っているんだぞ」

「だったら、彼を目の前で殺すまでです」

 度肝を抜く返答に言葉をなくした。名簿それそのものが漏れるだけでも動きにくくなる。だが少女はそれを挑戦状として相手に叩きつけようというのだ。

「何のためだ。暗殺は、相手に気取られないのが基本だろう」

「そうです。しかし、それは相手の寝首を掻く、という意味では決してない。相手の策略のさらに上を行く。それこそが真の暗殺」

 相棒の頭部を何かが貫き、仰け反って倒れる。フーディンが最後の念動力を駆使して相手の姿を捉えた。一瞬だけ浮かんだ相手の姿だが、すぐに掻き消える。常に移動しており、一定の場所にいないのだ。

「まさか……。これこそが……」

「そう、あたいの異名、瞬撃の二つ名の意味」

 その言葉を聞き終えた瞬間、彼は頭蓋を叩き割られ絶命した。


















 名簿の中の二名の名前を血の印で消す。彼女にはそれ以上の使命が課せられていた。暗殺同盟の本体と、その活動を青の死神に伝えなければならない。大都会ヤマブキに出なければならないのだ。しかし、その前に一つだけやる事があった。

 家に帰ると暗がりの中で身じろぎする気配があった。彼女の家はここセキチクシティでも抜きん出た盟主の家系だ。

「帰ってきたか。アンズ」

 重々しい声音に彼女――アンズは頭を垂れる。幼少期より染み付いた所作だ。

「御意に。父上。暗殺同盟の名簿を奪取いたしました」

 しかし父親は一切褒める事はない。アンズには出来て当然という自負があるため褒められたいわけでもない。

「その名簿、青の死神に渡せ。それこそがお前の使命」

「青の死神は、乗ってくるでしょうか?」

 アンズの疑問に暗がりの中の父親は静かに笑う。

「それも奴次第だが、ワタシのよく知る奴は乗ってくるさ。案外にあれで心は脆い。青の死神と煽てられてはいるが、所詮は井の中の蛙である事を知るにはいい機会だろう」

「父上は奴とは知り合いで?」

 そう口にしてから余計な事を口にしてしまった、とアンズは反省した。父親は、「師匠を知っている」と答える。

「奴の師は、最強の波導使いだ。ゆめゆめ忘れるなよ、アンズ。波導使いは強い。我ら忍術を用い、瞬撃の名を欲しいままにしてきた一族でも、恐れるほどに」

「……御意に」

 アンズに解せないのはこのセキチクシティで最強を極めている自分が恐れなければならない相手などいるのか、という疑問だけだ。暗殺一門において自分の家系を上回る人間がいるとは思えない。

「暗殺同盟。その名に連ねている事は決して、過言でも何でもない。真に暗殺者として認められた、という事だ。お前はまだ十四になったばかりだが、暗殺者としての資質。瞬撃の名は決して伊達ではないと思っている」

 瞬撃の二つ名を手にしてようやく一年目。まだ年若くなおかつ経験の浅いアンズは暗殺同盟の名簿を広げる。

 そこには十四名の暗殺者の名前と、それを束ねる長の名前が書かれていた。

 長の名には「ハットリ・アンズ」の名があった。自身の名だ。

 アンズは齢十四にして既に暗殺者を束ねる側の立場にあった。それを誇らしく思う事はあれど枷だと思った事はない。

 しかし父親は、「気をつけよ」と重ねて忠告する。

「ハットリの名、つまり暗殺者の直系であると知られれば青の死神は必ず警戒し、ともすれば一撃の下に殺される」

 父親の懸念にアンズは初めて自負を傷つけられた心地で返す。

「あたいは負けません」

「負けない、と思ってればいるほどにあの波導使いの前では無意味だ。波導の謎、如何にしてあの波導使いが今の座を築き上げたのか。波導使いの波導の使用方法を見定めなければお前は負ける」

 予言めいた声音にアンズは思わず及び腰になってしまう。父親がここまで言うのだから波導使いは相当な使い手だろう。

「……父上の心配も分かります。ですが、瞬撃の名を襲名した身。その強さを、信じてはもらえないでしょうか?」

 アンズの言葉に父親は暗闇の中で応ずる。

「お前は強い。だが、それは一般的な暗殺者と比して、だ。波導使いの前ではともすれば一撃、と言ったのはそれもある。熟練した殺し屋を仕向けても返り討ちに遭うだけだ。ならばこそ、ワタシはお前にこれを授けようと思う」

 差し出されたのは白湯のように見える液体が入った湯飲みであった。アンズは唾を飲み下す。

「あたいがこれを飲めば、ヤマブキ行きを認めてくださいますか?」

「無論だ。それを飲めば、すぐにヤマブキへと向かえ。逆に手遅れになる前に」

 アンズは湯飲みを手にし、一挙に飲み干した。ぬるい液体の感触が胃の腑へと落ちていった。


オンドゥル大使 ( 2016/03/17(木) 22:02 )