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炎魔の赤、灼熱の少女
第二十八話「ともし火」

 ステーションで他の客が次々とリニアの改札を通るのに自分だけが通れなかった。改札の不具合と定期券の発行日時がデタラメだとして足止めを食らっているのだ。詰所でオウミは警察手帳を見せたがそれだけでは信用に足りなかった。

「すいませんが、お客さんの個人データが閲覧出来ません。この状態ではリニアどころかこの街から出る権限すらも……」

「んなわけあるか! オレは警察官だぞ!」

 入念に高飛びする計画を練っていたのに、これでは台無しだ。オウミの焦りに比して受付の人々は冷静だった。

「しかしこれではリニア定期券を有効だと示す証拠になりません。すいませんが日を改めて……」

「今夜じゃなきゃ駄目なんだよ!」

 急かすがどうしてだか自分のデータは全て拒否される。オウミは察し始めていた。これはハムエッグが裏で手を回している。

 しかしハムエッグには充分に金を積んだ。裏切る事はないはずだ。裏切るとすれば、それは炎魔シャクエンの負けた時か、あるいは波導使いアーロンが採算など関係なく自分を止めようとした時。だが後者は考えられない。アーロンはよしんば勝てても、あの男は自分以外に興味はないはずだ。だからシャクエンに肩入れする事もなければ、過度に同情もしない。そういう風に出来ているはずなのだ。

「わぁったよ! 再申請にはどこ行けば?」

「そこの角を曲がって、申請カウンターでデータが最新であるかどうかのご確認を。そうでなければゲートですら通行許可は出せません」

 車で脱出するのも無理か。オウミは仕方なく、申請カウンターの室内に入る。

 すると部屋の照明が一気に暗転した。困惑していると背後から後頭部を掴まれる。冷や汗が出るよりも先に出たのは自嘲だった。

「来たのかよ」

 刑事としての習い性で慌てふためくよりも最初に嘲りたくなる。不手際をした自分を。

「喚けば」

「殺すって言うんだろ。いいぜ。殺せよ」

 どうせ今夜逃げ切らなければシャクエンや、他のお歴々に消される恐れだってある。それならば顔見知りに殺されたほうがまだマシだ。

 しかしアーロンは殺そうとしなかった。普段ならば電撃で思案する間もなく殺すというのに。

「どうしたよ? 青の死神でも電池切れか?」

「どうして、炎魔を使った? お前は傍観者を気取れたはずだ」

 何だそんな事か、とオウミはやけに落ち着き払った脳内で考える。この男にしては野暮だった。

「波導使いさんよぉ、オレに関心があるってのかい?」

 アーロンは挑発にも乗らず後頭部をがっしりと掴んだまま離さない。どうやらこちらから口火を切るしかないようだ。

「……いいぜ、話すよ。煙草吸ってもいいか?」

 無言にオウミは懐から煙草を取り出して紫煙をくゆらせる。

「同期にも馬鹿だって言われたよ。この街に喧嘩売ってどうするんだってな。どうせオレみたいな三流の悪徳警官は、お歴々のご機嫌を窺いながら生きていくしかねぇ。それこそ三下だ。それが似合っているのは自分でもよく分かっているし、これまでもそうしてきた。これからもそうする事は出来る」

 安い煙草の味を噛み締めてオウミは自嘲する。

「でもよ、飽きちまった。何でオレは力を持っているのに、こんな奴らに媚売らなきゃならねぇんだってな。よくあるだろ? 抑圧された鬱憤がある日爆発するって言う、あれだよ」

「お前のような用意周到な人間がそのような一時の感情に身を任せるとは思えない」

 自分よりも自分を客観視した言葉にオウミは、「分かっているじゃねぇか」と答える。

「そうだよ。一時の感情で動いたっていい事ねぇし。何よりもそういうので馬鹿を見てきた連中をたくさん知っているんでね。自分だけはその二の足を踏まないって思っていた。思い込んでいたんだ。……でもよ、実際にはオレは無計画で、無秩序に生きるのが好みだったアウトローだよ」

「それが形骸化した警察官への当て付けや、そういう人々への鬱憤でない事は分かっている。もう、演じるのはやめにしろ。何が本当に得たかった?」

「……波導使いさんはカウンセラーにでもなるといい。よくよくオレの事を知っているじゃねぇか」

「知りたくもなかったがな」

「そうだよ。得たかったのは、お歴々の前で言った通り、刺激だ。この街を揺さぶる何かをしたかった。主役になりたかったのさ。でもよ、オレって結局脇役ポジションが似合っているんだよな。てめぇの手がいつでもオレを殺せる事がそれを証明している」

 アーロンは、「それだけで炎魔を制御出来るとは思えない」と懐疑的だ。

「何をした? あのシャクエンとか言う小娘に」

 どうやら事の次第を話さなければならないようだ。オウミは目線を下にやってから、「灰皿いいかい?」と尋ねる。

「長くなるからよ」

 懐から携帯灰皿を取り出し、煙草を揉み消す。

「二年前かな。赤人街でオレは炎魔一族を見つけ出した。あいつらはそれまでどうやって生きているのか、どうやって生計を立てているのか全部不明で、オマケに最近と来たら暗殺一族なのに暗殺しないっていう腑抜けだった。まずは男共を殺した。炎魔の血族ってのは女にしかその血の力は遺伝しない。だから男は邪魔だし要らないと思ってな。簡単だったぜ? 一般人殺すよか弱ぇえんだもん」

 アーロンはこの言葉で試み出されると思ったが意外にも冷静だ。自分を突き飛ばしもしない。

「……んで、女子供だが、どいつが炎魔の総元締めか分からねぇからよ。若い夫婦だけ残して後は銃で殺した。後で分かったんだが、炎魔の総元締め以外は血族を残す事を許されていないらしい。結果オーライで、オレはあいつと出会った。まだ十二歳になったばかりとか言うガキだったさ」

「両親は?」

「殺した。夫はすぐにやって、妻のほうは犯してから殺した。それを見ていたんだと、シャクエンは。だから一時期声も出せなかったそうだが、何とか仕込み直した」

「……ハムエッグが関わっているな」

「そう易々と奴さんの悪口言えるかよ。ただまぁ、世話になったと言えばそうだ。殺し屋の仕込み直しってのはあいつはプロだからな。炎魔シャクエンにあいつが噛んでいないと言えば嘘になる」

 ここまで喋れば、アーロンはそれ以上を要求しないかに思われたが、そこから先を彼は促した。

「どうして炎魔は、あれほどの力を持ちながらお前に隷属した?」

「依存相手、ってのが必要らしい。マインドセットだな。暗殺者の家系には必ず必要だったっていうぜ。だから女だけの炎魔が存続出来たのは男という依存相手があったからだ。その相手を見出せば絶対にそいつには逆らえないらしい。炎魔は、生憎な事に十二歳前後でそれが決まるという。その時偶然居合わせた他の男がオレだった。だからシャクエンはオレにだけは逆らえねぇ。これが答えだ。満足したか?」

 肩を竦めてみせると、「なるほどな」とアーロンは口にした。

「おい、オウミ」

 呼ばれて振り返ろうとすると頬を拳が見舞った。力を込めて放たれた拳にオウミは無様に転がる。痛みが広がって唇の端が切れた。

「痛ってぇ……。話す事は話しただろうが。んで? お前が殺すんじゃねぇのかよ」

「俺はお前を殺さない」

 オウミは口角を吊り上げる。

「お優しいねぇ、天下の波導使いさんは、よっ!」

 拳銃を取り出すのとアーロンの手から電流が迸ったのは同時だった。青い電流がオウミの拳銃を掴んでいるほうの肩口に激痛を走らせた。思わず拳銃を手離してしまう。だがもう一丁、と手を動かそうとしたがどうしてだか肩から先が全く動かない。

「波導を切った。もうお前の右肩から先は一生動かない」

 瞬時にやってのけた事にオウミは確信を新たにする。

「……やっぱりな。てめぇの波導の使い方ってのは、やっぱり――」

「それ以上を語れば、お前の生命波導を完全に遮断する」

 アーロンの有無を言わせぬ口調にオウミは、「どうしろって言うんだよ」と口にする。

「ここでオレを殺すのが賢いと思うぜ?」

「いや、お前は生かす。お前は恥を上塗りしたまま、何事もなかったかのようにヤマブキで暮らし続けるしかない」

 なるほど。それがこの街の、無秩序な世界の決定というわけか。

「波導使いさんよぉ、てめぇが殺してくれないのかよ」

「俺は手を下さない。そう判断された。お前を殺すのは、最も惨たらしい方法でと、この街のオーダーだ」

「波導使いは惨たらしく殺せないのかい?」

「俺がやるんじゃない。お前の最期は、きっと俺ではないのだからな」

 アーロンは身を翻す。その背中へと声を投げてやった。

「右腕から先を動かせないまま、明日まで命が持つかね」

「お歴々はハムエッグが仲裁に入った。お前の最期はお前自身、全く覚悟出来まい。覚悟も出来ないうちに死ね。それがこの街の決定だ」

 自分にまだ警官を続けろと言うのか。汚職警官でありながら、この街を裏切った身でありながらまだ、この街のために尽くし、尽くし切った末に死ねと。

「……そりゃあまた、随分と大胆な裁量だな。オレが裏切りをもう一度重ねないって保障はねぇのに」

「それでも、俺が手を汚すまでもない。お前は死ぬ。もう決定された事だ」

「誰だって最後は死ぬさ。それが遅いか早いか、だが、なるほどね。この街は、煙草を吸うために必要な手くらいは許してくれたってわけか」

 片手で煙草の箱の底を叩き、口にくわえるが火が点けられない。

「波導使いさんよ。火をくれ」

「自分で点けろ。これから先、火をくれるような奴はいないと思え」

 アーロンはその言葉を潮に立ち去った。暗い屋内でオウミは椅子に腰掛け、舌打ちと共にライターを取り出す。

「もう誰も、オレに火をくれないってか。冷たいねぇ」

 独りで吸う煙草は思いのほか不味かった。












 ハムエッグから後日送られてきた資料には、炎魔シャクエンには情状酌量の余地がある、と記されていた。その下に続く文言へとアーロンは視線を向ける。

「だが炎魔が出過ぎた真似をしてこれ以降、街の秩序を乱せば、波導使いアーロンが抹殺せよ。それは炎魔を引き取ったお前に課せられた使命だ」と。

「使命、ねぇ」

 アーロンはコーヒーをすすりながら目線を振り向ける。自分のテーブルのすぐ傍でシャクエンがウェイトレス姿で佇んでいた。

「ああっ、シャクエンちゃん、そんなにお客さん睨んじゃ駄目だって。うちのウェイトレスはこんなのばっかりか?」

 店主が厨房から顔を覗かせてシャクエンを注意する。シャクエンは振り返って小さく声にした。

「すみません、ボス」

「ボスってのやめてね。ね? そういう店じゃないから。今はアーロンだけがいるからいいけれど、他のお客さんに怖がられちゃ余計に閑古鳥が鳴くってもんだよ」

 店主が頭を抱える。それに対して明るい笑顔を振りまくのはメイだった。

「まぁまぁ。結果的にウェイトレスが二人に増えたって事は躍進ですよ」

「人件費がかさむだけだ。使えないウェイトレス二人など」

 アーロンがそうこぼすとメイがいきり立って反発した。

「何を! アーロンさんだってそんなに言うならコーヒー注ぎませんよ!」

「やめなって。アーロンが飲まないと本当に売れないんだから……」

 二人の従業員を囲うようになったこの店は大変だろうな、とアーロンは他人事のように感じる。

 メイとシャクエンはこの店で働き続ける事を決めた。二人してとある約束をしたらしいがアーロンには伝えられていない。どうせ、女同士のつまらない約束だろう。

 シャクエンは相変わらず表情に乏しく、メイがカバーする始末であるが、アーロンはこれも一つの可能性か、と感じる。

 宿主を必要としない殺人鬼、炎魔。それがどのような未来を生じさせるのか。誰もまだ知らない。

「アーロンさん。コーヒー、おいしかったですか?」

 出かけようとするアーロンにメイが尋ねる。

「まぁまぁだ」とアーロンは答えて外に出た。メイはシャクエンに寄り添って笑顔を向けている。

「笑える、っていうだけで幸福か」

 いつか、炎魔も笑うのだろうか。

 今まで散々人を殺してきた人間が、殺す事以外で生きられるほどこの街は甘く出来ちゃいない。

 だが、たまには許しを得たい。微笑み程度の安息を。

 そう感じられる晴天だった。


 第二章 了


オンドゥル大使 ( 2016/03/05(土) 19:16 )