第二十五話「蒼い記憶」
「ポケモンの能力を信じるな」
ルカリオに弾き飛ばされ、アーロンは草原を転がる。師父のルカリオは情け容赦ない。アーロン相手に全力で格闘技を叩き込んでくる。何度か血反吐を吐きそうになった。肩を荒立たせてピチューに指示する。
「電磁波!」
何度か技の構成を変更した。師父は今のままでは波導使いとしての手持ちには足りないと技マシンを大量に使ってピチューの技を慎重に選定している。
放たれた電磁の網をルカリオは飛び越えて自分へと蹴りを放つ。ポケモンの一撃だ。当然、子供である自分には身が持たない。矢継ぎ早に放たれるルカリオの拳を受け止めるのにはピチューの素早さはとてもではないが足りなかった。
電撃を放って距離を取ろうにもなかなか引き剥がしてくれない。拳が鳩尾にめり込んでアーロンはまたしても吹き飛ばされる。無様に草原を転がり、暗転と激痛が身体を駆け巡った。
師父は木の根に腰かけて本を読んでいる。ルカリオにはほとんど指示をしない。それが異様であったが、ルカリオは自分で考えてアーロンを優先的に狙っているようだった。
「師父。ぼくが、……その強くなるというのなら、ピチューに経験値を振らないと、意味がないんじゃ……」
息も絶え絶えに口にすると師父は本を閉じて、「言ったろう」と目線を向ける。
「ポケモンの能力を信じるな。もっと言えば過信するな」
意味が分からない。ポケモントレーナーならばポケモンの能力を信じずして何を信じろというのだ。
「波導使いは、ポケモントレーナーじゃ、ないんですか……」
立っている事も儘ならずアーロンは座り込んだ。師父は厳しい目線を向けてルカリオを呼ぶ。ルカリオが駆け抜けてアーロンへと拳を放とうとする。咄嗟に転がって避けるが、今のは危うかった。
「い、今はちょっと休憩していて……」
「休め、と誰が言った? 戦闘中に気を抜くな。そんなのでは波導の継承は出来んな」
師父の声にアーロンは立ち上がる。ピチューが前に歩み出て電気袋から放電した。青い電流をルカリオは片手で弾く。
「真髄、というものがある」
師父の唐突な言葉にアーロンは戸惑う。
「何ですって?」
「そのポケモンの、適材適所と言い換えてもいい。わたしのルカリオは単独行動も可能なポケモンだ。常にトレーナーと共にある必要はないし、ともすればわたし自身を犠牲にして相手へと肉迫する事も出来る。だが、お前のピチューはそうではない。まだまだ電気技も弱過ぎる上に、トレーナーから離れての行動は難しいだろう」
「……だから、ぼくは向いてないと言うんですか」
「違うな。適材適所だと言っただろう。わたしはルカリオのスタンドプレーを信じるが、お前は違う。ピチューに、決してスタンドプレーを許すな。独断の行動を許さず、常に自分の傍に置け。もっと言えば、ピチューの電撃の技をトレーナー自身が使えるのが望ましい」
師父の言い方は無茶苦茶だ。ピチューをトレーナーの傍に常に置くなど、それでは攻撃出来ないではないか。
「それじゃ、ポケモンバトルなんて出来ない……」
「わたしがいつ、ポケモンバトルを優先して戦うように言った? お前が生き延びるための戦闘術を叩き込んでいるんだ。ポケモンバトルというままごとの競技は忘れろ。それをやっている人々の事も、全て、だ。波導使いに、ポケモンバトルという範疇は不要だ」
足に力を込めようとするがどうしても先ほどのルカリオの攻撃が効いてろくに動けない。
「体力不足だな。基礎体力をつけるんだ」
師父が鞄から取り出したのは鳥ポケモンの調理したものであった。アーロンへと手渡し、「食え」と言う。
「鳥ポケモンの肉は食っても脂肪にならず太りにくい。筋肉になってくれる」
アーロンは空腹からかぶりついた。味など意識の外であった。
「師父は、常に鍛錬を?」
「波導を読めるようになってくれば、無駄な筋力は必要なくなる。わたしの場合はルカリオが戦闘を担当してくれるからまだ楽だが、お前はそうではない。ルカリオに波導の位置関係を読ませるだけの戦術はお前向きではないんだ。お前は自分の眼で波導を読み、自分の判断で相手の波導の弱点を突くしかない」
師父よりも数段階上の事をやれと言われているのだ。その理不尽さよりもどうしてピチューではそれが出来ないのかを考えた。
「元々、ピチューはそういうポケモンじゃないです」
「そうだな。四足のポケモンはそうでなくとも自律攻撃には向かない。トレーナーの指示、命令、あるいは与えられた行動のプログラム、いずれにせよ、タイムラグが付き纏う。それを限りなくゼロにする方法は、トレーナー自身が強くなる事だ」
「強く……」
「たとえば、今の戦局。ルカリオはお前に限りなく接近し、攻撃を仕掛けた。ピチューでお前は距離を取ろうとしたが、それは間違いだ。逆に相手の懐に入り、効率的に電撃を浴びせる事を考えろ」
師父の言い草にアーロンは困惑の目を向けた。
「……でも、近づき過ぎれば、ぼくもピチューの電撃を受けてしまう」
「それだな。波導が使えれば、少しばかりはカバー出来るのだが、まだ足りんか」
一長一短だ、と師父は結んで本を読み始める。アーロンは拳を握り締めた。草原の草を引っ掴んで声にする。
「師父」
「何だ」と応じようとした師父の顔へとアーロンは根っこを引っこ抜いた草を投げつける。土くれが一瞬だけ師父の視界を奪った。
その一瞬にアーロンは接近する。ピチューを肩に乗せてその手を突き出した。
「ルカリオ!」
横合いからルカリオが掌底を打ち込み、アーロンを突き飛ばす。肺が潰れたかと思うほどの衝撃だった。アーロンは咳き込み、呼吸がほとんど出来なくなる。
「……上手くいくと思ったのに」
「不意打ち……、いいやわたしの集中不足か。今しがた教えた事を実践しようとする、その心持ちや、よし」
自分を殺そうとした事など全く責め立てる様子はなく、師父は淡々と状況を分析する。本に飛び散った土くれを払い、「奇襲向けだな」と口にした。
「奇襲……」
「お前の攻撃だ。今、ピチューの電撃を自分が受けるのも構わずわたしへと攻撃しようとした。そのやり方はほとんど奇襲だ。相手の不意をつき、相手よりも一歩先を行った攻撃で翻弄する。ルカリオの状況判断が遅れていれば死んでいたのかもしれないな」
どこまでも客観的な師父の声にアーロンは立ち上がろうとしたが、今のルカリオの防衛攻撃はほとんど咄嗟であったため力の加減が出来ていなかったのだろう。呼吸の感覚を取り戻すだけでやっとだ。
「そのやり方が向いているのかもしれない」
師父はピチューへと視線を向ける。ピチューは師父の眼差しにアーロンの背に隠れた。
「主の身も顧みない電撃。もし放てていれば百点をやってもよかったが、その場合、お前の身も持たなかっただろう。やはり波導の訓練を受けなければならない。せめて、自分の体表をカバー出来る波導の使い方を教えてやろう。ルカリオ」
ルカリオが構えを取る。師父が顎でしゃくった。
「波導の眼を使ってルカリオを見てみろ」
アーロンは波導の眼を用いる。師父との訓練で少しばかり波導の制御が効くようになったがまだまだだ。しかしルカリオの変化は分かった。
「自分の体表に、薄皮みたいに……」
波導を身に纏っている。防御膜として使うにしては薄過ぎるくらいだったが、咄嗟の防御にも攻撃にも転じられる波導の使い方だ。
「波導は体内だけではない、体外に使う事も出来る。ルカリオの場合、波導は放出型。だから簡単にこういう事が出来るわけだが、これでは防御に使うにしては薄過ぎるし、攻撃に使うにしては密度を全体に広げ過ぎている。ルカリオの波導の使い方としてみれば、少し下策なくらいだが、これを人間に当て嵌めれば意味が違ってくる」
師父の言葉の意味が分からない。体表を覆う波導の使い方がどうだというのか。
「ぼくが、それを使えって言うんですか」
しかし、防御にも適さないと言われたばかりだ。ならば何の意味で。
「ピチュー、いやもし進化してピカチュウになったとしても、この使い方が活きてくる」
「だから、どういう事なんですか」
師父は、「波導の基礎中の基礎だ」と口にする。
「攻撃のために波導を纏わせる。だがお前は放出型ではない。だからピチューの電撃に耐え得るために使い方を学べ。ポケモンの能力を過信するなとはそういう事だ。ポケモンに戦わせるんじゃない。お前自身がポケモンと対等か、それ以上の立ち回りが出来るように戦い方を考え直す必要がある」
師父の言葉の半分も理解出来なかったが分かったのは一つだけ、だ。
その戦い方でなければ自分は強くなれない。
しかも生半可な努力ではない。師父が言うにはそれは向いていない波導の使い方だ。しかし、実戦で使えなければ意味がないのだろう。アーロンは立ち上がり、「いいですよ」と声にする。
「ぼくに、その波導の使い方を教えてください」
師父は、「教えてください、というのは違う」と返して背を向ける。ルカリオの拳が間近まで迫ってきてアーロンは咄嗟に後ずさった。眼前にある拳には波導が纏いついている。
「戦って自分で体得しろ。わたしが言えるのはそれだけだ」