第二十一話「地獄の片隅」
路地番が既に買い取っているらしい通路を行きながらアーロンは考えを巡らせる。
ここまで誘導させておいて何もありませんでした、ではないだろう。相手は有効な情報を持っている事は分かる。ただ、害があるかないかを判断するのは難しかった。
「あっ、アーロンさん」
顔を出してきた影にアーロンは目を見開く。
「リオか」
プラズマ団を抜けてハムエッグに仕事を斡旋してもらっているはずだ。どうしてこのような場所にいるのだろう。路地番が仕切っているはずの裏路地である。
「実は自分、路地番をするように言われて。まだ下働きですけれど」
恥ずかしそうにリオが後頭部を掻く。黒いスーツに身を包んでおり、路地番の仕事が思いのほか合っているのかもしれないと感じた。
「そうか。ではここいらの路地番は」
「研修期間って事で、自分が担当しています。それで、あの……」
「謙遜する事はない。これが路地番の仕事だ」
アーロンは金を握らせる。リオはまだ慣れていないようだ。
「通路を見張っているだけでお金もらうって、何だか信じられませんよ」
「そうか。イッシュには似たような職業はなかったのか?」
「ヒウンとかはプラズマ団の息はかかっていなかったんで。もしかしたらあったかもしれないですけれどおれは知りません」
アーロンはどんどんと街の深みに入っているのを周囲の光景から推測する。古路地のほうに入っており、ヤマブキでも一部の人間しか知らない。軒を連ねる建物は皆背が低く、高層ビル群に比べれば威圧されているかのようだ。
「この界隈が何と呼ばれているのか、知っているか?」
アーロンの言葉にリオは首を横に振る。
「四十年前からある老舗ばかりだ。赤人街と呼ばれている」
「シャクジン……?」
「ここを縄張りにしていた殺し屋組織の名称だ。赤人、赤い人と書く。今でもこの辺りにはその子孫が住んでいるという逸話がある」
「噂でしょう?」
リオの声音にアーロンは、「噂だけならな」と意味ありげに呟いた。リオは唾を飲み下す。
「アーロンさんみたいなのを見たら、もう殺し屋がいてもおかしくはないと思えてきましたよ」
「隣人が夜になれば殺しを厭わない人間でもおかしくはない。それがヤマブキという街だ」
その中に渾然一体となって存在する自分もまた、街の一部。アーロンは赤人街を歩いていく。すると、小さな路地があった。ポストで隠れてしまっているが、人一人分くらいなら入れる。
「ここだな」
「ポストの裏ですよ? どうやって他人と会話するので?」
「そこから先は介入しないほうがいい。俺が生きて帰れるかどうか見ていていろ」
アーロンは捩じ込むようにポストの裏に続く道へと入った。本当に人一人はいればやっとの場所だった。奥まった突き当たりに地蔵がある。道祖神であったがほとんど誰も来ないせいで苔むしていた。アーロンがその地蔵に触れる。すると伝わってきた波導があった。
「ここまでよく来た」
女の声だ。波導のように感じられたのはこの道祖神の仕掛けだろう。アーロンは波導の眼を使う。道祖神の中にはスピーカーが入っており、対面の通路から声を吹き込んでいるのが分かる。しかし柵の高さの関係上、こちらから向こうの顔は見えない。無論、向こうも同じだ。だが取引相手は分かっているだろう。
「ジュジュベか」
「ご明察。青の死神」
やはり割れているか。アーロンは落ち着いた声で地蔵に触れたまま話す。
「この話し方で合っているのか?」
「ええ、それで構わないわ。青の死神が傅いていると思うと私も興奮してきちゃう」
声音から年齢を推測する。恐らく二十代半ば。波導を読み取ればもっと正確な事も分かるが波導の感知力を伸ばそうとすると阻害する何かがあった。アーロンはそれを読む。思念のようだが壁のように屹立してジュジュベを保護している。この街で超能力使いと言えば相場が決まっていた。
「あんたほどの実力者が、俺に用があるというのか」
瞬時に相手の正体を掴む。相手は声音に喜色を混ぜた。
「さすが、と言ったところね」
「ヤマブキシティジムリーダー、その名は――」
「それ以上は、詮索しない事をお勧めするわ」
その段になってジュジュベの通り名の意味が分かってくる。あの女ならばその名を使っても何も不思議ではない。
「しかし、分からないのは何故、俺についた。今回、俺以外にも情報を必要としている奴がいるだろう」
「そいつらは、昨日で見限ったわ。全員、前金をそのまま返して情報は聞かなかった事にする、と」
そこで疑問が湧き起こる。何故、その殺し屋達は撤回したのか。
「何か、並々ならぬ事情がありそうだな」
「ハムエッグを通してデータベースを送っておくけれど、あなたを狙う殺し屋は一人じゃない。それこそ無数にいたけれど、今は一人だけと思っても構わないわ」
「矛盾した言い回しだな。一人ではないのか、一人なのか」
「その首を狙いたがる奴は多数いたけれど、昨晩で一変した、と言ってもいい。とある男が本気であなたを殺すために最強の暗殺者を送り込んできた」
「最強? 生まれてこの方、最強、というのは縁遠いのでね。手短に話してもらおう」
もっとも、このヤマブキに限って言えば最強の暗殺者はスノウドロップのラピス・ラズリを示すのだが。ハムエッグが下賎な殺し屋対殺し屋の戦いにラピスを送り込むとは思えない。現状ではまだハムエッグは動かない、というのが自分の見立てだ。もしハムエッグがラピスを本気で導入する時にはこの街のルールが破綻する時だ。
「赤人街にいるんでしょう? そこならばよく分かるはずよ。ハムエッグが来る前、この街を統治する裏の人間が必要だった。その一族は常に最強の名を纏い、炎のポケモンと共にあった」
情報を統合してアーロンは判断する。
「まさか、炎魔か」
あり得ない、という気持ち半分だったが、最強の暗殺者と言えばヤマブキでは古くから炎魔という殺し屋の名が挙がる。
「炎魔が、誰についたと言うんだ? 炎魔は決して一人にはつかない。流動的に雇い主を選ぶはずだ。炎魔がついた時点でフェアではない」
「そう、ヤマブキの慣習に則るのなら、ね。でも今回は例外。あなたというイレギュラーを殺すための暗殺者の儀礼みたいなものだもの。炎魔レベルの殺し屋が出てきても何ら不思議ではない」
その段になって昨晩多くの殺し屋が撤退した理由が分かった。炎魔参戦を耳にすれば頭が悪くない殺し屋は尻尾を巻いて逃げ出す。命が惜しいからだ。殺し屋になってまで命が惜しいとは片腹痛いが、殺し屋集団にも「死に方」のポリシーを持つ者達がいる。そういう輩からすれば炎魔は天敵だ。
「灼熱の殺し屋、炎魔……。炎のポケモンは骨の一片も残さず焼き尽くすという」
「その噂を知っていれば大抵の殺し屋は逃げ出すわね。そうでなくともハムエッグが情報を流したか、あるいはもっと上の、お歴々が実際に目にしたか」
だとすればあまりに挑発的だ。炎魔の名を騙るだけでもこの街では重罪。その姿を借りる事さえも許されない。上層の人間が認めたとなればそれは本物の炎魔である可能性が高い。
「しかし、ここ数年、炎魔は表立った殺しは一切行っていない。こんなカーニバルのような殺し屋大集合に、炎魔のような古株が加わるとは」
「思えない、という意見ならば私も同じよ。炎魔は時と場所を選ぶ。誰にも束縛されない最強の殺し屋を一時でも御するなんて、そのほうが驚きよ」
「雇い主は誰だ?」
「言うと思う? もう上ではその名で大騒ぎだけれど」
ある程度には知れ渡っている名の人間という事か。だが狙われている、暗殺対象の自分に教えるほど情報屋も馬鹿ではない。警告するほど入れ込んでいない証拠だ。
「確かに。言えばお前の身柄も危うくなる」
「こうしてジュジュベとして話しているのも正直限界が来そうなのよね。私が出来るのはハムエッグのところに通した殺し屋一覧くらい。それ以上は介入出来ないわ」
「そのほうが正解だろう。お前ほどの人間ならば、な」
お互いに正体が分かっていながら決定的な言葉を排していた。ジュジュベは、「もう行かないと」と口にする。
「もっとお話したかったわ。青の死神」
「こちらとしてもそうだが、俺と話す時はお前の命がなくなる時だ。そうなればもう」
「この街はお終い、だけれどね」
波導が消え、気配も失せた。アーロンは地蔵についた苔を払い、ピカチュウの放った電撃で表面の湿った部分を剥がす。一礼してから踵を返した。
ずっと待っていたのだろう。リオがアーロンを目にするなり、「長いから」と声にした。
「何かあったのかと思いましたよ」
「何があっても、路地番に命のやり取りまで干渉する必要はない。もし、今度俺がお前を使っても、俺以外がお前を使っても過度に入れ込まない事だ。路地番の仕事は路地を一定時間封鎖しておくだけなのだからな」
アーロンは警告のつもりだった。この青年は客に入れ込みかねない。リオは顔を伏せて、「実はこの後、女の呼び込みもしろって言われているんです」と言いづらそうに口火を切った。
「そうか。路地番ならば副業だな」
「でも、おれ、そんな事が出来るとは……」
「出来る出来ないではなく、やらなければ生き残れないのならばやったほうがいい。もっと酷い地獄を見る前に、地獄はある程度散歩しておく事だ」
そのほうが堕ちた時の衝撃は軽くて済む。そう言い置いてアーロンは立ち去った。