第二十話「欠落」
少し経つと空腹を感じたのでメイは外に出ていた。ウェイトレスの仕事は今日は休みなのでウィンドウショッピングでもしようと思ったのだ。
午前中は胃痛でまともに動けなかったが、今は快調である。アーロンが帰ってくるまで待とうかと思っていたがどうせアーロンは自分を外に出そうとしないに決まっていた。
「プラズマ団は壊滅したって言っているのに……」
ぼやいてみてブランド物の靴がウィンドウに飾られているのを目にする。しかし値段が桁違いだ。イッシュではそれほど高くなかったものがここでは高騰している。
「カントーのほうが安いって聞いていたのになぁ。安いのはご飯とかだけで、物価自体は高いのかな」
メイは歩きながらヤマブキシティが改めて大都会である事を窺い知る。高層ビルが建ち並び、その中央には巨大な塔があった。四十年ほど前にシルフカンパニーとやらが建っていた場所で今は記念碑とタワーが代わりに建っている。タワーに昇ってみようかと所持金と相談していると芳しい匂いが鼻をついた。どうやら屋台を催しているらしい。焼きそばやコイキング焼き、それに肉まんがあった。
「いいなぁ。でもタワーも昇りたいし……」
考えていると声が飛んできた。
「あのねぇ、買うの? 買わないの?」
困惑の声は肉まんの屋台の前からだ。目線を振り向けると一人の少女が佇んでいた。じっと肉まんの蒸し器を見つめておりそこから視線を全く外さない。さすがに営業妨害だと屋台の主は思っているらしい。
「買わないのなら行った行った。冷やかしかい? にしても趣味が悪いというか」
艶のある黒い髪を後頭部で縛り、制服を身に纏っている。見た事のない制服だがヤマブキの学校指定だろうか。
「いつまでいるんだい! 早く行かないと……」
屋台の主が業を煮やして飛び出そうとする。メイは覚えず駆け寄って、「すいません」と声を投げていた。
「あたしの友達で。肉まん、二つください」
その言葉に主は蒸し器から肉まんを取り出して袋に詰める。メイが金を払い、少女に握らせた。手を引いて屋台から離れさせる。
「何やっていたの? あたしから見てもあれは失礼だよ」
メイの言葉に少女は言葉少なである。
「……見てた」
「いや、そりゃ分かるけれど。見てた、じゃないんだって、ああいうのは誤解を生むからやめたほうがいいよ」
「熱しているものを見るのが、好き、なの。熱いものが特に」
「じゃあ肉まんが特別に大好物ってわけでもないんだ?」
少女は頭を振る。
「分からない。食べた事ないし」
食べた事ないものをじっと見つめていたのか。メイはこの大都会ヤマブキでも分からない人間はいるものだと感じた。
「食べてみなよ。おいしいから」
メイの勧めに少女は肉まんを口に含む。すると驚愕の眼差しを向けてきた。
「おいしい……」
「でしょ? もう、何でずっと見ていたの? 食べたいなら自分で買えばいいじゃない」
「お金の使い方、分からない」
少女は今時珍しいがま口財布を持っていた。開くと中には紙幣が十枚近く入っており、小銭もそこそこあった。肉まんを買えないほどの貧乏ではない。
「買えるよ、これだけあれば」
「そうなの」
改めて少女を見やる。日光を浴びていないかのような白い陶器じみた肌。黒曜石のような瞳は大きめだが感情に乏しかった。口元が小さく、整っている顔立ちなのだが何かが決定的に足りないような気がする。
「その制服、学校の?」
メイが尋ねると少女は首を横に振る。
「学校、行っていないから」
またしても驚きの事実である。学校に行っていない。だが肉まんを買えるだけの金があってなおかつ買い方が分からない。混乱してきたメイの頭に切り込むように少女は尋ねる。
「おいしいね、これ。何て言うの?」
「肉まんだよ。他にもカレーまんとかあんまんとかあるけれど」
「私、これが好き」
少女が肉まんを手に首をひねる。そうだ、とメイは感じ取った。この少女に決定的に足りないものは表情である。しかも喜怒哀楽の喜びが全くと言っていいほど感じられない。
「そ、そうなんだ。好きな時は笑ってもいいんだよ?」
「笑う? やり方分からない」
もしかするとこのたどたどしい喋り方は少女が異邦人である証ではなかろうか。メイは切り込んでみた。
「どこに住んでいるの?」
「言えない。でも、ずっとカントーに」
言えないというのは眉をひそめるしかないがカントーにずっとにしては常識がないような気がした。
「カントーにずっと? あたし、イッシュから来たんだけれど」
「イッシュ? どこ?」
本当に分からない、と言いたげな声音だった。まさか外国の存在を知らないのか。
「えっと、カントーから遠く離れた地方で、色んな人種の人がいるからイッシュって名前だった気がする。カントーよりも国土面積は広かったっけ? 同じくらいだっけ?」
自分の生まれ故郷を説明するのに困っていると少女がタワーに目をやった。
「高いね」
「うん、高い。昇ろうと思っていたんだけれどなぁ」
今しがた肉まんを買ったせいで余裕がなくなってしまった。それを悟ったのか分からないが少女が手を引いた。
「行こう」
「行こうって、どこに」
「タワーに。昇ろう?」
小首を傾げる少女にこちらが可笑しくなる。少し笑うと少女はより分からないとでもいうようにきょとんとする。
「何か、面白かった?」
「いやだって、昇ろうって言うもんだから。ちょっと変わっているのね。名前は? あたしはメイ」
少女は少し考えた後、こう答えた。
「私は、シャクエン」