第十九話「暗殺商売」
歌え、と最初に言われて何の事だかさっぱりだったが、聞き返しても返ってくるのは同じだった。
「歌え。ちょっとばかし」
「は、はぁ? アーロンさん、どうかしたんですか?」
ソファに座ってテレビを観ていたアーロンが不意に口火を切ったかと思うとそれである。アーロンはしかし真面目な顔だった。
「メロエッタを出して歌え。それだけでいい」
意味が分からないが歌えといわれている以上、歌うしかないのだろう。メイはメロエッタを繰り出して、「えっと……」と言葉を彷徨わせる。
「何を歌えば」
「何を、って、あの時の……。覚えていないのか?」
首を傾げる。一体何の事を言っているのだろう。アーロンは額に手をやって、「まぁいい」と結論付けた。
「歌詞に意味がないのかもしれない。とりあえず歌え。以上だ」
「だから何を歌えば……」
「めざせ、ポケモンマスターでも歌ってみろ」
言われるがままにメイは歌い始めた。最初の台詞のところから入ったのだがその途端、アーロンが顔をしかめた。メロエッタが気絶する。
まだ歌い出しだがアーロンがストップをかける。
「待て、待つんだ! 何だ今のは。一体、何をした」
何をしたと言われても歌えと言われて歌ったとしか言えない。メイは言葉に詰まる。
「何をって、めざせ、ポケモンマスターですよ?」
「今の酷い音程がか? 子供が歌うように出来ている歌だぞ?」
信じられないとでも言うようにアーロンは首を振った後、「もういい」と立ち上がる。
「もういいって……。アーロンさん、勝手過ぎますよ。あたしだって下で働いた後なんですから」
ウェイトレスとして働き始めてもう三日目だ。だが懸念が付き纏っていた。
「まさか、今日も皿を割ったのではないだろうな?」
ぎくっとして立ち止まる。メイはブリキの人形のようにぎこちなく応じた。
「そんな事、ありませんって!」
「またか……」
呆れ気味にアーロンが口にしてキッチンに立つ。メイは手伝おうとした。
「あ、あたしやります!」
「いらん。お前がキッチンに立つと余計な散財をするはめになる」
アーロンは慣れた手つきで今日の夕食を作り始めた。メイはソファに座り込んでしゅんとする。さすがに働いている途中で呆れ返られ、上でもこれでは堪える。
「あたし、向いてないんですかね……」
「歌手には少なくとも向いていないな」
冷徹な声にメイはむっとする。
「アーロンさんって他人の気持ち考えた事あります?」
「考えていたら何も出来ん。その前に行動するのが吉だ」
一理あるがメイはため息をついた。アーロンがさっさと餃子を作って皿に盛りつける。
「何をため息なんてつく事がある」
「……アーロンさんもあたしを頼ってくれないんですね」
「お前に求めるものはない。ただプラズマ団の活動が沈静化するまではここにいろ。そのほうがいいし、ハムエッグのところに行くよりかはマシだ」
「何でですか。ラピスちゃんのほうが素直で可愛いですよ」
むくれて抗弁を垂れると、「やらんぞ」と皿を取って返そうとする。メイは必死に抵抗した。
「晩御飯くらいくださいよー」
「だったら文句を言うな。黙って食え」
「……いただきます」
すっかり勢いを削がれてメイは餃子をぱくつく。相変わらず料理の腕だけは達者だ。アーロンは何か前職があるのだろうか。
「料理屋で働いていたとか?」
首を傾げていると、「馬鹿面提げて飯を食うな」と注意された。
「飯がまずくなる」
「何ですか、その言い方!」
「箸で人を指すな。マナーもなっていないのか、お前は」
アーロンは黙々と食べている。こんな料理人がいればその店は廃業だろう。恐らく料理屋の下働きで解雇された後、暗殺者なんて始めたに違いない、とメイは結論付ける。
このアーロンという男は暗殺者だ。その現場を目にしているがやはり信じられない。暗殺業なんてそんな時代錯誤な職業成り立つのか。
「百年前とかなら、まだ信じますけれど、やっぱり信じられないですよ」
「何がだ。主語の抜けた言葉を話すな」
「暗殺者です。波導って何なんですか。何一つハッキリしてないですよ」
「ハッキリさせる意味があるのか? お前は俺の雇い主ではあるまい」
それはその通りなのでメイは言葉を仕舞ってしまう。アーロンを言い負かす事は出来そうにない。
「でも、ほら、下で働いているし」
「俺の紹介で、だろう。何ならカヤノやハムエッグに回してもよかった」
それだけは御免であった。メイは頷くしかない。
「……アーロンさんみたいな人に拾われて正解だったなー」
棒読みで言ってやるが全く効いた様子もなく、「何を当たり前の事を」と返される始末だ。
メイは怒り心頭で飯を食らった。ご飯を何杯もおかわりしてせめて経済的打撃を与えてやる、と強く感じた。
「何だ? アーロン。ぶすっとした顔しやがって」
アポなしで来たせいだろう。カヤノ医師の第一声は厳しかった。
「用があって来た」
「用もなしに来るような奴じゃねぇのは知ってるよ」
「今日は調剤を頼みたい。胃薬と馬鹿につける薬だ」
「後者はないな。前者なら用意出来るが、何だ? 腹でも壊したか」
「その馬鹿が、な」
たらふく食った上に腹が痛くて動けないと言い放ったあの図太さにはさすがに面食らった。一部始終を説明する気にもなれなくてアーロンは急かす。
「お嬢ちゃんか。今日は連れて来ないのか?」
「連れて来れない事情があってな。あんたに聞きたい。記憶のないうちに自分の全く感知しない歌を歌う事は出来るのか?」
その言葉に看護婦に調剤を依頼したカヤノが鋭い眼差しを向けてくる。この医者ならば興味を示すはずだ。
「歌ぁ? 何で歌なんだ?」
「歌によって何かが変化する。あるいは能力値の変動するポケモンがいるのか?」
「随分と急を要するみたいな話だが、それはトレーナーが歌って、って事か?」
アーロンが首肯するとカヤノは煙草の箱を叩いて、「難しいんじゃないかな」と応じる。
「難しい?」
「ポケモンの歌で何かが発生するならまだ考えに足るが、人の歌でポケモンをどうこうするってのは。考え辛い」
「例えば、フォルムチェンジにその歌が必要だって事は」
「ワシの経験上、ない、な」
煙草に火を点けたカヤノは紫煙をくゆらせる。アーロンは、「本当にないのか」と再三尋ねた。
「くどいぞ。ない、って言ったほうが正しい。トレーナーの指示でフォルムチェンジがあったとしても、それがトレーナーの声によるもの、あるいは歌によるもの、ってのは妙に……現実味がない」
「だがある一定の周波数をぶつけてやれば、もしかしたら誘発されるかもしれないんじゃないか?」
アーロンの声にカヤノは眉をひそめた。
「どの可能性の話をしているんだ? お嬢ちゃんの手持ち、メロエッタだったか? それがフォルムチェンジしたとでも?」
アーロンは無言を了承とする。カヤノは興味深そうに、「ほう」と返した。
「そいつは随分と、な個体だな。ハムエッグ辺りに言ってやれば高く買い取ってくれそうだ」
「信用していないのか」
「メロエッタっていうポケモン、あれからワシなりに調べたが該当するデータがない。実際のところ口からでまかせを疑っているところだったんだが、それにフォルムチェンジとなれば、もっと疑わしい。進化するポケモンはナナカマド博士の報告書で九割とあったが、フォルムチェンジはその一割にも満たないんだろ? その一例を保持しているっていうのもあれだが、あのお嬢ちゃんが自分でフォルムチェンジを促したって言うのも分からん話だ」
「あいつは自分がプラズマ団を壊滅させたんだと言っている。それを信じるのならばフォルムチェンジするポケモンくらい持っていてもおかしくはない」
「どれほど強力なポケモンなんだそりゃ。たった一体だろ? いくらなんでも無茶苦茶過ぎるな。それに、プラズマ団はまだ壊滅してはいなかった。結局のところ、お嬢ちゃんの勘違いだったんだから」
アーロンは口を開こうとして、どの可能性も所詮、可能性の上での話に過ぎないのだと感じた。
「仮定に過ぎない話ではやはり不服か」
「不服というよりも、それはまだ可能性のレートにすら上がってないな。どうあっても認めさせたいのならば目の前でフォルムチェンジさせてみろよ」
「俺が見た、では駄目なのか」
「天下の波導使いでも見間違いはあり得るし、お前だってポケモンの専門家ってわけじゃない」
看護婦が胃薬を処方してくる。袋に入れてカヤノは手渡した。
「まぁせいぜい可能性の話をするんだな。今は、そんな場合ではないと思うが」
含んだ声にアーロンは問い質す。
「どういう意味だ? 危機は去った。プラズマ団は退いたんだろう?」
「素人集団が退いたかどうかはさておき、お前にはまずい案件が舞い込んできている。プラズマ団の幹部が政界に顔が利いたみたいだな。そのお陰で青の死神、お前を抹殺しようっていう動きがある。ってのは釈迦に説法か?」
オウミから聞かされていた通りか。となれば一両日中に動きがあってもいいはずなのだが、襲撃者はない。
「ちょっと下がっておきな」
カヤノは看護婦を別室に行かせてから口火を切った。
「……何で襲撃がないのか、って不思議に思っているだろう。どうもな、襲撃自体はあったらしいんだが、ある人物が邪魔をした。そのせいでそいつも含めてこの街じゃ抹殺対象だ」
自分の代わりに抹殺対象に上がる酔狂な人間がいるとは思えない。アーロンは言葉を重ねる。
「誰なんだ? あんたなら知っているだろう」
カヤノは顎をさすってから口にする。
「オウミだ。そいつの子飼いが重役連の雇っていた殺し屋を根こそぎやっちまった」
全くの意外であったわけでもない。オウミは自分へと宣戦布告をした。あり得ないわけではないが、あまりに早い。そこまで事態は急を要するという事なのか。
「オウミの子飼いは何だ?」
「そいつは教えられないな。公平に行こうぜ、アーロン」
どうやらオウミは自分がカヤノに世話になっているのを知っていて金を握らせているらしい。この老人は金さえあればどちらにでもなびく。
「何者かも分からない殺し屋を相手取るのは辛い。俺だけ顔も名前も割れている」
「根城は割れてないだろ。まぁ何だ。せいぜい生き残れるように頑張るんだな」
カヤノの冷たいスタンスには理由がある。殺し屋同士の喰らい合いなんて裏稼業の人間でも関わりたくないものだ。カヤノはその点で線引きがうまい。
「……なるほど。つまり自分で警戒し、自分で探せ、と」
「まぁな。だがワシとお前の仲だ。バランスくらいは考えさせてもらう」
カヤノの差し出したのは一枚のメモ用紙だ。それを手に取りアーロンは口にする。
「情報屋、か。ジュジュベ……。聞かない名だな」
ジュジュベという名前らしい情報屋の位置と時間帯が指示されている。カヤノは、「ワシに出来る精一杯だよ」と口にして煙い息を吐く。
「そいつなら、まだマシな類の情報屋だ」
「あんたがオウミに金を掴まされて俺をここに誘導しようとしているのならば」
「おいおい、そこまで疑うのか? ……仕方がないっちゃそうだが、もうちょっと人間、捨てたもんじゃないって思えよ」
アーロンはメモを懐に仕舞って胃薬を手に取る。
「手間をかけるな」
「いいさ。生きていればまた会える」
アーロンは情報屋、ジュジュベとやらを頼るほかなさそうだった。