第百三十九話「落涙閃」
「何故、波導を捨てた? どうして、そこまで諦められる?」
ゼロの声にアーロンは頭を振る。
「俺は、諦めてこの場所に立っているんじゃない。これからのために、戦っている。覚悟したんだ、ゼロ。お前を倒す」
ゼロは鼻を鳴らし、手を薙ぎ払った。
「口ではどうとでも言える! 波導の護りのない貴様など、我が最大の波導の前に破壊し尽くす! もう隠れるのはなしだ。終わりにするぞ、破滅のポケモンよ」
ゼロの体内に潜り込んでいた翼が波導を得て膨れ上がり、半透明であったその身体に血脈が宿る。
赤と黒で彩られた、巨大な翼を持つポケモンであった。
猛禽の如く鋭い眼と口先を持っている。
「――イベルタル、破壊を司るポケモンだ」
ようやく明らかとなったゼロのポケモンが咆哮する。それだけで地脈から残りカスのような波導が吸い取られた。このポケモンは生命を吸って生き永らえるのだ。
「そう、か。今の今まで、そのポケモンには生命波導がなかった。ほぼ死んでいたんだ。だから、そのポケモンの波導が見抜けなかった。ポケモンの初歩の初歩だ。衰弱したポケモンは縮小し、目には映らないサイズにまでなる」
モンスターボールの初期原理を説明するのに使われるこの法則をゼロは逆利用した。
イベルタルの波導を自らで吸い上げ、最小のレベルまで縮まらせた。それによってイベルタルを狙われないように仕組んだのだ。
「我が波導と繋がっていたポケモンを切り離す、という事は、どういう事か分かるな?」
この場所に留まらない。イベルタルは、ヤマブキシティ全域から波導を吸い尽くすつもりだろう。ゼロのコントロールを離れたイベルタルの破壊行為は止まらない。恐らく生命波導を全て吸収しなくては死にもしない。
「だが、俺は。これ以上、この街の人間を傷つけさせるつもりはない。ピカチュウ、最後の波導だ」
心得たピカチュウが一声鳴き、雷雲を呼び寄せた。放たれた雷撃がアーロンへと宿る。
全身を薄く覆ったのは青い波導であった。焔のように妖しく燃え盛り、アーロンの内奥から生じている。
「そのような小手先で! イベルタル、全てを吸い尽くし、この街を死に染めろ! デスウイング!」
イベルタルが両翼を広げて石化の波導でこの街全域を押し包もうとする。アーロンは右腕を掲げて、波導を集中させた。
蒼い焔のように宿った波導がアーロンの身体を染め上げていく。
コートの色が反転した。
白だ。
何もかもを消し去った末の、純白が、アーロンを包み込む。
アーロンがその手を地面へとつけて、最後の波導の名前を紡ぎ出した。
「――落涙閃」
直後、天地を縫い止める黒白の雷がイベルタルを貫いた。
黒と白の向こう側へとアーロンは追いやられていた。
何も見えない。何も聞こえない。
そんな中、ぼんやりと温もりを感じる。
師父の波導だった。ルカリオも共にいる。彼らだけではない。
かつて「アーロン」の名を継いできた者達が、自分を包み込んでくれていた。
暖かい炎。胸に宿る、青い闇を払う光。
――ああ、これが。
アーロンは感じ取る。
愛と悲しみを背負った者達は光の向こうへと消え行く。行かなくてはいけないのだ。その向こう側へといずれ自分も誘われる。
師父とルカリオがこちらを振り向いたのが分かった。
眼が見えなくとも波導で分かる。
彼らは微笑み、光の向こう側――遥かなる累乗の先へ。
師父はコートを翻して声にしていた。
「さらばだ、アーロン。また会おう」
アーロンは唇だけで答える。
――ええ、いずれ、また。
きっとまた会えるはずだから。