MEMORIA











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Extra Episode 鬼哭の黒、追憶の涙
第百三十六話「AtoZ」

 目を覚ますと知らない場所にいた。

 いつものような木目の天井ではない。冷たいアスファルトの感触にメイは顔を上げる。手足が縛りつけられていた。コンクリートの十字架と手足が一緒こたになっている。石化した部分には自分の体温の一片さえも感じられない。

「起きたか」

 そう声にしたのは漆黒の衣を纏う存在だった。振り向けた視線のあまりの冷たさにメイはぞっとする。人間とはとても思えない眼差しだった。

「あなた、アーロンさんと戦っていた……」

「波導使い、ゼロだ。急に起き上がられると面倒なのでね。両手両足を既に石化させておいた」

 その言葉の持つおぞましさよりもメイは言うべき事があった。強気にゼロを睨みつけ吐き捨てる。

「アーロンさんを誘き出す餌にしたつもりだろうけれど、アーロンさんは来ない」

「何故、そう思う? あれの弱点は調べ済みだ」

「アーロンさんは、あたしみたいなのに頓着しない。きっと、三人ともそれが正しいと思っているはず」

「薄情な連中だな。いや、これは信じているのか。そうだな、これは希望≠セ。お前は、あの連中が冷たくありながらも何よりも信頼の置ける奴らだと信じ込んでいる。だから、強気を決め込める。だが、奴は来る。必ず。しかもアーロン一人で、だろうな」

「あなた、アーロンさんを誘い込んで何がしたいの。この街の秩序を乱すのなら、ハムエッグさんやホテルが黙っていない」

「そのハムエッグとホテルは我が下した。もう、残された希望は波導使いアーロンだけだ」

 ハムエッグでさえも負けたというのか。その事実よりもメイはこの男がどうしてそこまでアーロンにこだわるのか、聞く必要があった。

「何で……。どうして波導使いは争い合うの? お互いの力が拮抗しているから? それとも、何か許せない事でも」

「許せない事? 我にはないが向こうにはあるだろうな。何せ、我は災厄の導き手。秩序と調律を主とする波導使い、アーロンの一門とは対極にある。かねてよりアーロンの名を継ぐものはゼロの名前を継ぐ者達と争わなければならなかった。それがお互いの血の宿命。見せてやろう。これが、波導使いゼロと、アーロンの歴史だ」

 ゼロの手がメイの頭部に伸びる。必死に頭を振ったが、引っ掴まれた瞬間、強烈なビジョンが脳内を駆け巡った。

 炎の中、対峙する二つの波導使い。

 青と紫。

 お互いの波導の全てを賭けて二つの勢力がぶつかり合い、命を散らし、何もかもを忘却の果てへと追いやる。

 波導切断、波導放出、波導吸収――。あらゆる波導の流派が生まれ、消滅し、潰え、また生じてきた。

 全ての波導使いの血の因縁はアーロンとゼロという二者に分類された。

 AとZ。

 始まりと終わり。

 その名前を冠する者達は惹かれ合うように出会い、殺し合い、お互いの名前を継がせた後継者にまたも殺し合いを課した。

 それが当たり前のように。幾度も血が流され、波導が研鑽されていった。

 これは必要悪であったのだ。

 波導の極みへと至るための。殺す度に、波導が一つ上の段階へとシフトする。

 波導はいつしかそうやってしか進化出来なくなっていった。波導の進化にお互いの血の運命が刻み込まれる。

 どちらかが死ななければ波導は極みへと至らない。

 しかし潰えればそれは波導の終焉だ。後継者を作ったのは全てそのため。いつか辿り着く波導の根源を見るためであった。

 そのようなエゴに何人の「アーロン」と何人の「ゼロ」が犠牲になっただろう。

 波導の極地などまやかしだ。人は人の見たいものしか見ない。彼らの行き着きたい極地とは、相手の血筋を滅ぼす事。それさえも是とする人間の業の向こう側。全てを操り、全てを掌握する存在へと昇華する事。

 それが波導の源泉であり、その真の体現であった――。

 あまりの情報量にメイは眩暈を覚える。これほどまでに波導使いは戦ってきたというのか。戦って、己を犠牲にしてまで波導を極めたかったというのか。

「何で、こんな……」

「こんなものを見せるのか、か。誰かが血で贖わなければならない。アーロンの名もゼロの名も、全て、波導の極地。……根源と呼ばれる波導の真の姿に至るためなのだ。我は波導の真髄を極めたつもりだったが、まだだ。この無敵を誇る石化の波導でさえも、まだ足りない。それには、対極である波導使いのアーロン。それを取り込まなければならないのだ。我は我の代で終わらせる。この波導使いの運命を。それには奴の波導が必要だ。青の波導の極地。それこそが、波導の完成には必要不可欠なのだ」

「そんなもののために……あなた達はどれほど犠牲にしてきた」

 何百人、いいや、何千人かそれ以上。人の屍の果てに波導の極みがあるというのか。

「波導が最終段階に至るのには必要なのだ。犠牲は全て波導の彼方にある。命を取り込み、我が糧とする。我はある種、波導を極めた。だが亜流が存在するのならば、それはまだ完全とは呼ばないのだ。完全なる波導の取り込み。それこそが進化の果て」

 このゼロという波導使いも波導を極めるという事しか考えていない。何人殺そうが、どれだけの犠牲があろうが知った事ではないのだ。メイは怒りがふつふつと湧いてくるのを感じた。

 波導使いに。その血の宿命とやらに。

「……下らない」

 放った言葉にゼロが眉根を寄せる。

「今、何と?」

「下らない、って言ったのよ。波導の進化? 真の極地? そんなもの、必要ない。この世にはいらない!」

 ゼロの指先がすっと首筋に掲げられる。刃を突きつけられている迫力があった。

「口を慎めよ、小娘。石化して殺すくらい造作もない」

「あなたこそ! そんな波導の修行なら、誰にも迷惑のかからない辺境でやりなさい! どうして人を簡単に殺せるの。あなたとアーロンさんは違う!」

「違う? 何がだ。奴も人は簡単に殺すぞ」

「アーロンさんは、いつだって……、いつだってそうだった! 泣きそうな顔で人殺しをする。あの人はそう。涙したほうが楽なのに、ぐっと堪えている。どこかで泣いている自分を切り離している。そうする事しか出来ない人だから。不器用な人だから……。でも、あなたは違う! 身勝手な都合で他人を殺す事に喜びを感じている。波導の極みなんて、どれも大層なお題目だけれど、そんなの関係ないくせに! ただ、殺したいだけでしょう! あなたは!」

 ぴくりとゼロが眉を跳ね上げる。

 次の瞬間、弾かれたように笑い始めた。狂気の笑い声がビルの天井に反響する。

「――そうだ。我を理解出来る人間がいるとは思わなかった。我に、感情はないが一つだけ分かる。これは愉快≠セ。ようやく、我自身も感情を見つけ出した。殺したいんだよ、何もかもを。破壊の向こう側に追いやりたい。そのために波導を研鑽した。破壊の波導を。何もかもを壊してしまいかねない虚無の向こう側を。実際、波導を学んでいると分かったのは、波導の果てにあるのは虚無だ。何もない。先人達が行き着こうとしていた場所に、何もなかった。ただ、殺して殺し尽くした屍の群れと、足元を覆い尽くす骨ばかり。それが分かった時、我は決心した。全てを破壊し、全てを吸収する。この世に、他に波導使いがいるのなら、そいつと一戦交えて、及びもつかない実力の差を見せ付けてやるのも一興だと感じた。だが何より、それ以上に、我はこの世界を壊したい。人間がゴミの数ほど存在し、ポケモンがそれと同量か、あるいはそれ以上存在する、命の総量が溢れ返ったこの世界を、一度、無に帰したいのだ。そうする事で我は満たされる。命を奪い尽くし、果てを手に入れれば、少しばかりは感情も、何もかもを得られるかもしれない」

「傲慢よ。あなたは、傲慢の果てにただ何もないと決め付けただけ。世界は、そんなに容易くない。あなたが思っているよりも、世界は満たされている」

「かもしれない。だが、満たされた世界で満たされない我がいるのならば、それはもう虚栄なのだ。我が満たされた時にこそ、世界は意味がある」

「アーロンさんとは、正反対。あの人は世界に何もなくっても、守るべきものを一つだけでも見つけられればいいと思っている。たった一つだけでも信じられれば、それは価値があるのだと、思っている」

「波導使いアーロンがどれほど無欲かは知らないが、我は奴を壊す。その時こそ、我は感じ取れる。快楽≠」

 首筋に触れた箇所から石化が始まっていく。痛みもない。ただ冷たいだけだ。人間の持つ体温とはまるで対極の、何も信じていない存在だけが持つ冷酷さ。

「アーロンさんが、きっと許さない」

「許されようとも思っていない。お前を石化した時、アーロンは何と言うのだろうな? それが少しだけ、そう、これは楽しみ≠セ。アーロンの絶望こそが我の糧。彼奴が絶望し、力でも何もかも我に敵わないと知った時、その絶望の味こそが我に、生きている事を教えてくれる」

「どこまでも……歪な」

「歪んでいるのは分かっているさ。だが、命の積み重ねでしか、人間は生を甘受できない。そういう風に出来ているんだ。誰かが地球の裏側で死ぬ。誰かが、隣人が殺人鬼となる。そんな事でさえも、ただの現象として受け止められるのが人間の冷酷さ、薄情さだ。だが、我はそれにこそ、人間の真価があるのだと思っている。他人など所詮は踏み台だ。誰かを踏みつけて、その命を蹴り飛ばした時こそ、生は輝く。命は、その瞬間だけ刹那の輝きを帯びるのだ」

 この男は奈落の淵のような眼をしている。それがどこで見たものなのか、メイは思い出した。

 ――最初に会った時の、アーロンさんに。

 似ているのだ。

 何もかもを信じず、何もかもを諦観と傍観に置いていたアーロンに。彼も殺しの世界だけで生きていればこのような眼差しの持ち主になったのかもしれない。

 波導使いアーロンとゼロは表裏一体だ。

 どちらかが、どちらかに転がってもおかしくないのだ。

 正義と悪よりもなお、分け難いカードの裏表。

 どちらが正義とも、どちらが悪とも言えない。

 アーロンがゼロの立場になっていてもおかしくなかった。同時にゼロもアーロンになっていてもおかしくないのだ。

「……悲しい」

「何がだ? 死ぬ事がか?」

「あなた達の在り方よ。どうして……あなただって、アーロンさんのようには成れた」

 今さらの事かもしれない。だが、その事実がただ悲劇でしかない。

 出会いと別れの積み重ね次第で、同じような人間でもこうも違ってしまう。

 破壊を望むゼロと、再生を望むアーロン。

 どちらかをこの世の悪とも言い切れない。ゼロの在り方もまた、自然と在ってもおかしくはないのだ。

「……本当に、お前は理解したのだな。波導使いの真の運命を。ならば解るはずだ。我もアーロンも決して、特別な事を望んでいるわけではない事を」

「でも、あたしは……。あたしが選び取りたいのは、アーロンさんのほう。あなたじゃない」

 冷酷な宣言だったのかもしれない。だが、ゼロには突きつけたかった。自分は破壊を望まないと。

 ゼロは僅かに目を伏せてからすっと手を掲げた。

「ならば仕方あるまい。ここで朽ち果てろ。理解者よ。これ以上の繰り言は意味がない。三日の刻限を守らない事になってしまうが、お前がそう言ったのならばもう期限など意味がないという事は悟っただろう。お前が言ったのは波導使いの真理だ。この世に波導使いがいる事の意味のなさを、お前は語ったのだ」

 ゼロの石化の侵食が頬へと至る。少しずつ筋肉が硬直していくのが分かった。血管が止められ、波導が塗り固められる。後に残るのはただの朽ちた肉体だけ。

「死ね。理解者よ」

 それがメイの感じ取った最後の言葉であった。


オンドゥル大使 ( 2016/09/20(火) 20:14 )