第百三十四話「DEATH Period」
「おう、アーロンか。何してやがった? 連絡が取れないからこっちも必死でよ。いい案件が入ってきたんだ。ホテルの幹部殺しだとよ。その依頼だ。ベンチャー企業の社長ってのは羽振りがいいねぇ。もう先行投資で一千万だぜ? 今、ケースに持っているんだけれどよ、この重みが心地いいのなんのって……」
『サガラ。俺はケリをつけたい』
いつになく真剣な声音のアーロンにサガラは疑問符を挟んだ。
「何だ? お前、何か変だぞ? クスリでもヤってんのか?」
『もう、あんたの下で殺し回るのはうんざりだ』
裏通りから風が運ばれてくる。
身体の芯を冷やすようなつむじ風に、サガラは視線を向けた。
青い衣を纏った少年の殺し屋が、静かに佇んでいた。片手にはポケナビがある。それを地面に叩きつけ、踏みしだいた。
「……何のつもりだ?」
「もう、終わりにしよう、サガラ。俺の望んでいた俺には、あんたの下ではなれない」
「おいおい、今さら何言ってんだよ。怖気づいたのか? それとも、変な野心でも出たか? お前は俺の下じゃないと生きられないんだよ。もうそういう契約だろうが。何人も殺してきたし、今さらカタギに戻ろうなんて」
「そんな気はない。俺は、裏でも構わない。ただ、自分が生きるのに、自分で遠慮しなくてはいけないのが間違いだと思っただけだ」
アーロンの口調には迷いがない。サガラは説得を諦めた。
「……そうかい。てめぇ、もうやる気も何もねぇ、野良だって事か」
アーロンがピカチュウを繰り出す。戦闘姿勢に入った眼前の敵にサガラは諦観の眼差しを注いだ。
「嫌になるぜ、アーロン。いつだって、ガキを仕込むってのはこういう危険性があるから、オレはな。手を打っておくんだよ。ガキの心変わりほど馬鹿馬鹿しい事はねぇ。だからな」
サガラが指を鳴らすと数人の黒服が現れた。先ほど話していたベンチャー企業のSP達であろう。
「いつもこういうオプションをつけてもらうのは金が要るんだぜ? だが、つけないといつ暴走するか分からないガラクタを使うリスクがある。アーロン。てめぇも相当、ガラクタだったって事だ。ここで死ね」
「死ぬのは、お前だ」
SP達がポケモンを繰り出す。ヘルガーが数体、呻り声を発してアーロンを睨んだ。
「飼い主に噛み付くってのはどれほど馬鹿な事なのか、教育してやってくれよ、お前ら」
「行くぞ」
アーロンが駆け抜ける。ヘルガーが咆哮し、一挙にアーロンへと飛びかかった。
絶望し切っていたわけでもない。
何もかもを諦めていたわけでもない。
サガラの下で、生きていくのも選択肢にはあった。だが、自分の心が許せなかった。
あの日、波導で人々を救えるのだと、本気で思っていた自分を裏切る事になる。
それだけが許せなかった。
ヘルガーが肩口に噛み付く。それさえも利用してアーロンは波導を切断する。食いかかっていたヘルガーから力が失せて痙攣した。
コートを引き裂かれ、ヘルガーの炎がちりちりと焼く。
ピカチュウに「エレキネット」を命じさせてアーロンは一体、また一体と葬っていく。
電気ワイヤーが主人である黒服に絡みつき、そのまま薙ぎ払って二人を殺した。ヘルガーの群れがアーロンへと襲い来る。
電撃を放って動きを鈍らせ、アーロンはしゃにむに前進した。
激痛に出血。
血が滴る中、垂れ込めた曇天から降り注ぐのは豪雨だ。目の前を灰色に染め上げるほどの雨粒の中、アーロンはヘルガーとSPを葬り去っていく。
青い光が明滅し、アーロンは咆哮した。
電流がのたうつ中で、一人だけ立っていた。
倒れ伏すSPを超えて、アーロンが向かったのはサガラの下である。
まさかSP全員が殺されるとは思ってもみなかったのだろう。サガラは逃げ遅れていた。今さらに敗走しようとするのをアーロンは地面を伝わせた電流で制する。足の波導を切られてサガラは無様に転がった。
「おい、これを解け! アーロン! てめぇ、何をしているのか分かっているのか? もう誰も頼れないんだぞ! 拾ってやった恩も忘れやがって。この街でたった一人っきりで生きていくのが、怖くねぇのかよ!」
「俺は、どうせお前の下にいたって、一人には違いない」
頭部を引っ掴む。サガラは命乞いをしなかった。その代わりに憎悪の眼差しが向けられる。
「死ぬぜ、アーロン。てめぇは、後悔しながら、たった一人で死んでいくんだぜ。その姿が目に浮かぶようだ。誰にも頼れず、どことも知れぬ場所で、朽ち果てていく。傑作だな、こりゃ。死んじまうってのはこういう事なのさ、アーロン。もう、人生の何回分、人殺しをしてきた? まともになんてなれるわけがねぇ。後悔しかない。お前は、後悔だけに沈んで、死んでいく」
「その時になっても、俺は自分で選んだ道だ。後悔が胸を締め付けたところで、俺はもう、この道を選んだ。その矜持と共に生きていく」
アーロンの言葉にサガラは鼻を鳴らす。
「矜持だと? んなもん、殺し屋にあるもんか。お前を利用する頭が挿げ変わっただけの話。オレなんて、ここで消したところでお前の人生を変える事になんてならないんだよ」
「……かもな」
ハムエッグの言ったほど、人生はうまく出来ていないだろう。それでも――今を変えたいと思うのは、願うのは、いけない事なのだろうか。
この波導がいつか人を救える時が来ると、そう祈るのは、馬鹿な事なのだろうか。
「さよならだ。そして死ね。サガラ」
「ああ、クソッ。さよなら、だと? ああ、本当にしょうもねぇ。しょうもねぇ、人生だった」
電撃がサガラの脳髄を焼き切り、絶命させるまで一秒とかからなかった。
たった一秒。
それでこれまでの関係が清算されてしまう。そのような容易い関係性の上に成り立っていたのだ。
いつでも殺せると思っていた。だが実際に殺してしまえばこれほどまでに呆気ないとは。アーロンは降りしきる雨の中、天に向かって叫んだ。
慟哭であった。
殺し殺されの世界に慣れていたはずの神経が今になって悲鳴を上げたように、全身から声を発していた。
身を翻す。雨の中、通りの先で傘を差していたのはハムエッグだった。
「風邪を引く」
「要らない」
「サガラを殺した君を、賢明だとも言うつもりはないし、愚かだと罵る気もない。ただ、君は心より願う事を遂行出来る強さがあった」
「俺は、どうすればいい? もう、何が正しいのか、何が間違っているのかも分からない」
「わたしの言える事は一つだよ」
傘が差し出される。青い傘だった。
「――死神になれ。それこそ、誰も寄せ付けず、誰にも心を許さない、鉄の死神に。そうなれば、君は人生を悔やまずに済む。死神になった時、君には真の証が生まれるだろう。殺し屋としての、真の名前が」
「……波導で人を救いたかった」
こんなポケモンに独白したところで仕方がないのかもしれない。だがアーロンは口にしていた。
「そうか」
「だが、俺の手は、人を殺すばかりだ。傷つけるばかりだ。波導で人を救う事など、二度と出来ないのかもしれない。師父のようには、成れないのかもしれない」
「誰も傷つけない人間はいないよ。ただ、君が全てを殺し、死神になった時、それでも手を差し伸べてくれる人がいるのならば、それは君が波導で救ったのも同じじゃないのかな?」
殺しの上で、人を救え。
無理難題だ。矛盾する命題でもある。
しかし、この街で生きていく以上は、それ以外に道はない。
何よりも、自分で選び取った。ここから先に、涙も後悔もない。
「俺は、戦う。戦い続ける」
傘を断り、アーロンは雨に打たれた。
灰色の景色を行くその背中にそっと声がかけられる。
「孤独を愛する死神、か。いつか、その背中に誰かが希望を見出すといい……というのはわたしのエゴか」