第百三十二話「殺人鬼」
カヤノの診療所で聞いたのはハムエッグなる人物が自分に会いたがっている事だった。
これを外部に漏らすな、という言伝もない。アーロンは自分の飼い主にどう説明するべきか決めあぐねていた。もし、ハムエッグが強欲商人サガラと敵対するのならば、これは自分の胸の内だけで留めておくのが順当だろう。
「どうした? しかめっ面して。お前、相変わらず可愛くねぇな、アーロン」
「可愛がられたくって、やっている商売じゃないんでね」
「違いない。なぁ、そっちはどう思うよ?」
サガラが顎をしゃくった先には自分によって制圧された一組織の構成員達がいた。全員が無様に地面に寝転がっており、その表情は苦悶に歪んでいた。
「て、てめぇ! サガラ! 商談じゃねぇのかよ!」
「ああ、商談さ。ただ、オレのほうが強いってだけの話」
サガラは組織の中でも頭目に近い相手へと歩み寄る。スキンヘッドの男はサガラを睨み上げた。
「てめぇ! 交渉じゃねぇだろ! こんなもん、無理やりだ!」
「そうだよ、オレは元々、そういう性質でね。お前らヤクザものと、張り合う気はないんだ」
「ガキを仕込むのだけは、てめぇ上々だと思って放っておけばつけ上がりやがって……! 殺し屋を飼育しているだけでいいんだよ、お前みたいなのはよォ!」
「生憎と飼育係って暇でね。暇だと色々考えちまう。こいつの下で、いつまでも生き物係をしているのは果たして得策かどうかって」
指示されてアーロンが頭目の頭を掴み上げる。うろたえた頭目が声を発した。
「待て、待て待て、お前。本気なのか? こっちの頭潰したところで、てめぇ、追われるだけだぜ? 何せ、ホテルにもう喧嘩売っちまっているんだから」
ホテル、という言葉にアーロンが僅かに眉を跳ねさせる。しかしサガラは気にも留めない。
「ホテルも、いずれ潰す対象だよ。あんなもん、にわか仕込みのガキでも行けるさ」
「……過信だな、サガラよォ。ホテルを侮るな。それに、この街にゃもう一匹居やがるんだぜ。怪物がよォ……」
怪物。その言葉に自然とハムエッグと名乗った超越者が思い起こされる。
――君の価値を問い質したい。
言葉が蘇った。ハムエッグはただ一つだけ言った。
自分に会いに来れば変わる、と。
簡潔でありながら力のある声であったな、と今さら感じる。
「怪物恐れているんじゃ、怪物は育てられないっての。こいつは怪物になるぜぇ……。それこそ、ホテルも、何もかもを潰しかねない、怪物によ」
サガラが唇を舐める。頭目が声を張り上げた。
「分も弁えねぇ、三下が、のし上がれるほど甘くねぇって言ってんだよ! こいつ一匹育て上げたところで、てめぇ破滅だぞ! ホテルとハムエッグを敵に回したんならなぁ! お前の行く先は――」
「うるさいな、こいつ。殺していいか?」
「ああ、やっちまえ」
頭目の喉から断末魔が迸る。アーロンは頭目から手を離した。焼け焦げた粘膜から黒煙が棚引いている。
「次は誰だ?」
アーロンの声音に突っ伏した人々がめいめいに許しを乞うた。しかし、サガラは冷徹に命じる。
「一人一人、分を弁えさせて殺せ。なぶるようにな」
首肯し、アーロンは次の獲物へと向かった。
ものの数十分ほどで死体の山が出来上がった。
サガラは何者かに電話している。節々に聞こえる文句からそれが警察関係者であるのが分かった。
「ああ、てめぇに仕事やるって言ってんだよ」
『ざけんな、強欲商人サガラさんよぉ……。てめぇの子飼い、ちっとばかし勝手が過ぎるんじゃねぇか? 身元不明のホトケ何人も挙げてっと、不自然だと思われるんだって分かれ。この間も組に押し入ったんだぞ、そいつぁ……。不可侵条約なんてまるで無視だ! 手綱握ってんだろうな?』
「無論だって。旧知の仲だろう、オウミ。お前がそこにいるのも、オレの弾んだ賄賂のお陰なんだぜ」
金をちらつかせる。この男の常套句だった。
通話口のオウミなる人物は舌打ちする。
『何人やった?』
「ざっと十五人、ってところだ。どこまで内々に処理出来る?」
『まっ、五人くらいだな。後は事故死に偽装しろよ。こっちだってな、暇じゃねぇんだ』
「仕事与えてやってんだろうが」
『余計な仕事はサビ残も出ねぇんだよ、馬鹿野郎が。いいか? 事故死に見えるようにやれ。車や業者の伝手はてめぇで揃えろ。それくらい出来なくて何が強欲商人だ』
一方的に通話が切られ、サガラは悪態をついた。
「あの悪徳警官が。組織でのし上がりたいのはお互い様だろうに……」
ぼやくサガラにアーロンは問いかけた。
「どうするんだ?」
「バラバラにして捨てようにも、奴さん、そういう面倒なのは後々の処理が大変なんだとよ。仕方ねぇからバンに押し込んで、業者に頼んで流してもらうしかねぇな」
業者と流し、という言葉はこの業界に入ってから覚えた。
業者は死体遺棄を専門にする連中の事だ。流し、とは自然な形で死体が見つかるように偽装する事をいう。元々、水死体専門でやっていたからその名が通ったらしい。
「おい、アーロン。ずらかるぞ。いつまでもいたら、怖い刑事にこれだ」
手錠を下げる真似をするサガラにアーロンは尋ねていた。
「なぁ、自分が操られるっていう、感覚はないのか? 例えば……」
アーロンは思い返す。ラブリの超然とした佇まいを。彼女の前では、強欲商人サガラなど羽虫なのではないかと思わせられる。
その言葉尻を感じ取ったのか、サガラは高圧的に振り返った。
「……何が言いたい?」
「自分より高次の存在がいて、そいつの掌の上で踊っているんじゃないかって、危惧は」
続けようとした言葉は張り手に遮られた。頬を張られるのは一回や二回ではないのでアーロンは慣れていたが、この度に思う。
――師父は本当に大切な時以外、自分を殴らなかったな。
「道具が文句言ってんじゃねぇよ。てめぇなんて、オレがいなけりゃ路傍の石だ。いんや、それ以下だ。野垂れ死にたくなきゃ頭使え、頭」
アーロンは考える。
この男を今、殺せばホテルの連中やハムエッグに褒めそやされるのだろうか。よくやったと言われるのだろうか。
――否、と感じる。
この男を殺したところで、自分の価値は変わらない。まずは決断する事だ。
ハムエッグに会うか、会わないか。
それだけでも自分の意思で決めるべきだった。
サガラが煙草を吹かそうとすると、曇天から雨が滴ってきた。
「しけって来やがった。てめぇみたいに、陰険な雲だぜ、アーロン。ったく、使う側の神経も考えろっての」
この男の下で、いつまでも働いていていいのだろうか。アーロンの逡巡を感じ取ったのか、ピカチュウが頬袋から電流を放出する。
いつでも、殺そうと思えば殺せる。
だというのに、自分は何故、この男に逆らわない?
自分でも分からない感情だった。
サガラに従い、その場を後にする。きっと業者が来れば、この場所で殺しがあった事など、まるで分からないほど掃除される事だろう。
「この世で速いものの順位を教えてやるよ。宅配ピザと新聞と週刊誌だ。こいつらが三位までを独占している。四位に殺人業者が来る。オレ達はせめて、一位の宅配ピザにでもあやかろうじゃねぇの」
その日の昼食は言葉通りピザだったが、アーロンは味を感じなかった。
この仕事についてから味を感じた事など一度もなかった。
サガラと別れてからアーロンの中に溜まっていくのは砂粒のような細やかなものであったが、それが時折、目詰まりを起こす。
その結果、偏頭痛と苛立ちが起こるのだ。
薬をもらってはいたが、カヤノがそれ以上に言付けたのはラブリの言葉の補強だった。
――まぁ、ワシに言えた義理じゃないがな。自分の立ち位置は自分で決めろよ、波導使い。
「……どうやって決めろって言うんだよ」
頭痛薬をミネラルウォーターで無理やり流し込み、アーロンは繰り返す。
殺さなくては。
殺して、胸の内をすっきりさせるのだ。一種の儀式でもあった。
行き会った人間は不幸にも死ぬ。それだけだ。
――災厄に近い。
ラブリに評されたのを思い出す。殺人鬼だと。
頭痛と一緒こたになって、ラブリの言葉とカヤノの言葉が連鎖した。頭蓋で喧しく声を張り上げる。
「……自分で考えろだって? だったら、お前ら、この怒りが分かるって言うのか?」
目に付いたのは歳若いアベックだった。アーロンは覚えずその二人の後を追っていた。
裏路地なんかに入って、まともな人間が何をするというのだろう。自分達のような人でなしの領域だ。踏み入れば死を意味する。それも分からずして、この二人は十数年、生きていたというのだろうか。
唇を交し合う二人にアーロンが歩み寄る。
背後に至ってようやく、男のほうが気づいた。
「何だ、お前……」
放たれる前に、頭部を引っ掴んで電撃を流す。悲鳴も一瞬、男は沈黙した。
次は女だ、とアーロンが殺しの矛先を向けようとする。一歩も動けなくなっている女の顔に浮かんでいたのは驚愕であった。この世の悪に行き会った不幸を、まだ認識出来ていない、呆然とした顔。
厚塗りの化粧を引き剥がしたい衝動に駆られる。
アーロンはまず、髪を引っ掴んだ。すぐに殺しはしない。引きずって髪を散り散りになるまで焼いてから、次いで顔面の表層をじっくりと焼こうと思った。
そうしなければ、自分の中の膿が取れない。膿は溜まっていく。砂粒のように細かいのに、目詰まりするせいだ。この男女は自分の、ほんのささやかな目詰まりによって殺される哀れな子羊。
泣き喚く女の喉笛を掻っ切ってやればきっと赤い赤い鮮血が流れる事だろう。電気メスを使用して、その喉を掻っ捌こうとした。その時である。
「やれやれ。見ていられないな」
誰かが裏路地の入り口に佇んでいた。いつから見られていたのだろう。アーロンは攻撃姿勢に移る。
「お前、見ていたのか」
「見ていたも何も、君は軽率だ。スナック感覚で殺し過ぎだよ、波導使いアーロン」
アーロンは舌打ちする。また殺す対象物が増えた。
「……ああ、イライラする。お前らみたいなのを見ていると、殺したくって仕方がない」
「幸福の渇望かい? まぁ、君の心理状態が危ういのはカヤノ医師から説明を聞いていたからある程度は察するが……。ここまでやるともう病気だね。イライラするんだろう? 来るといい。この世が簡単に出来ていないのがよく分かる」
歩み出たのは小さな人影だった。またしても、五歳児にも満たないほどの、少女。
――嘗められているのか。
アーロンの思考にあったのはそれだけだった。自分を侮っているとしか思えない。
女を捨て、アーロンは飛びかかろうとした。電気ワイヤーを両手に保持し、殺しの姿勢を取る。
「イライラするんだよ……。何もかもが」
「ちょっとの間だけでも忘れさせてあげよう。ラピス、いいね? 殺すんじゃないよ」
「うん。でも、難しいかな。腕の一本は」
「不可抗力だね」
アーロンは跳躍した。獣のように吼えて、ワイヤーを投げる。いつものように標的を仕留めようとする。
その瞬間、視界が白に染まった。