第百三十一話「食い場荒らし」
枕元のポケナビが鳴ったのでアーロンは眠りから叩き起こされた。
カプセルホテルの内観は簡素で、眠れるスペース以外は何もない。ポケモンの回復は無料だったが、今時有料の場所のほうが少なかった。
「何だ?」
『何だ、じゃないぞ、アーロン。お前、昨日殺しをやったな?』
行商人からの声だった。アーロンは額に手をやって応じる。
「だから? 証拠は残していない」
『証拠だとか、んな問題じゃねぇんだよ! お前が動くとこっちの商売に差し障るんだ! いい加減分かれ! 勝手に殺しをやっていいのが、殺し屋のラベルの意味じゃねぇんだぞ! 殺しは……』
「必要以上にするな、動くな、自分の言う以外の殺しは請け負うな」
何度もそらんじた言葉だ。アーロンの声音に行商人は心底参ったように応じる。
『……分かっているなら頼むぜ、アーロン。渡りをつけるのだけでも必死なんだからよ。そういや、昨日の黒服の路地番、ホテルの奴らだったらしい。一応報告しておこうと思ってな』
「ホテル……」
『ホテルミーシャ。ここいら一帯を仕切っている、まぁマフィアみたいなもんだ。物好きなマフィア、ってだけなら脅威に挙がらないんだが、こいつらには黒い噂が絶えなくてな』
「どういう噂だ」
『何でも、叩き上げの軍人だとか、ジョウトやそこいらの派閥競争で勝ち進んだ連中で、元は退役軍人の集まりだって言う、噂だがおっかねぇな』
「殺せばいいのか」
『馬鹿。そう簡単にやらせてくれるかよ。お前はちょっと待機していろ。オレが話をつけてくる』
「じゃあどうすればいい? 俺は、何もせずにこの街を彷徨っていろとでも?」
『何もしない、のも殺し屋のスタンスの一つだよ。こっちのやり口に文句があるんなら、そっちだって気ぃ遣え。それくらい出来なきゃ殺し屋なんて名乗るな』
一方的に通話が切られ、アーロンは嘆息をついて出かけの準備をしようとした。
するとまたしてもコール音が響く。
「何だ。まだ何か?」
『お前、最近頭痛がするとか言っていたろ? 闇医者雇っておいた。そいつのところに今日は行け。予約は取ってあるから、オレの名前を出せばいい』
このところ続いている偏頭痛と波導の眼の衰え。それが仕事に差し支えるとの判断だろう。アーロンも、気にはなっていたが普通の人間に波導は相談出来ない。
「そいつは……波導に関しての知識はあるのか?」
『あるから雇ったんだよ。光栄に思えよ? 波導なんて、そんなマユツバを通したんだから』
「恩に着る」
言葉だけの謝辞を述べてアーロンは通話を切った。メールで位置情報が送られてくる。
カプセルホテルを出るとビジネスマン達が表通りを埋め尽くさんばかりに歩いていた。ヤマブキシティは表向き首都だ。それなりに経済が活発である。
――自分がかつていた草原とは、正反対だ。
青い闇を払いたくって何もない場所に赴いた。そこで自分を変える出会いがあった。
人の波。波導の集合体。一種の群体のように映る。
人間という集団が波打ち際のように一定のパターンを持って存在する事がアーロンからしてみれば驚きだった。
彼ら彼女らは、人が死のうが生きようが会社に行き、業務をこなし、その日一日を労って晩酌する。多くがそういう風に出来ている。
だが、自分は違った。
裏に生き、裏に死ぬ。
それしか出来ない。その生き方しか知らない。
「どうやったところで、俺は、これ以上マトモにはなれない」
呟いて指示されたビルを仰いだ。廃ビルのような場所で一階層はテナント募集が出ている。
入るなり埃っぽい空気に咳き込んだ。
どうやら掃除もまともにされていないらしい。二階に上がるとようやく人の気配を感じた。感知したのは四人分の波導だ。
扉を開けると診察用のベッドの上で男女が絡み合っていた。
カーテンが引かれていてまともには見えないが、明らかに男と女の情事であった。
喘ぎ声が漏れ聞こえる中、一人の老人が診察台で待ち構えていた。老人はアーロンを認めるなり、眉を上げる。
「若いな」
それが第一声であった。殺し屋に若いも何もあるものか、とアーロンは感じる。
「予約は、サガラ、で入っているはずだ」
「ああ。窺っているよ。それで、お前さん、波導の眼を持っているんだって?」
いつまでも椅子に腰かけないアーロンに老人は悟ったように笑みを浮かべる。
「何だ? 気になるのか。初心な暗殺者だな」
「別に。ただ、こんな場所でまともな神経を持っていないことくらいは分かった」
同時に波導の患者を請け負った意味もある程度理解出来た。腰かけると、老人は自嘲気味に口にする。
「ワシが、イカレているとでも思ったのだろう?」
「そうでないのか?」
「逆だよ、間抜け。イカレちゃ、この商売お終いだ」
こちらも意に介さず老人は煙草を吸い始めた。アーロンは胡乱そうにする。
本当に、この老人は医者なのか。窺う視線を感じ取ったのか、老人は眉根を寄せていた。
「人の事ジロジロ見てんじゃないぞ、若い殺し屋。ワシが医者ではないとでも思ったか? 医師免許はきっちり持っておる」
「持っていても、モグリじゃ意味がない」
返した声に老人は喉の奥で笑った。
「違いないな。名乗ろう。カヤノだ。お前の担当医に雇われた」
女が達する声が甲高く響いた。アーロンは短く名乗る。
「波導使い、アーロンだ」
「アーロン、ね。それ、本名じゃないだろ」
喋ったのか、と勘繰ったがカヤノはすぐさま否定する。
「ああ、雇い主が喋ったわけじゃない。ただ、この界隈では有名だ。波導使いの一門、アーロン。代々、その名を襲名するのは波導の素養を認められた人間だけ。殺し屋だった、って情報はないが、波導使いっていう奴らがいるのは知っている」
「それほど、表立った動きはしていないが」
「静かに動いたところで、この街じゃ筒抜けなんだよ。死因不明のホトケが数体、出来上がっている。あれ、お前のなんだろ?」
何が目的なのか。アーロンは警戒する。
「脅しか?」
「殺し屋相手に脅しなんて通用するかよ。事実関係の確認だ。波導で人が殺せるのか?」
どこまで話すべきか、とアーロンは迷った。全てを話せば、この老人は自分を見限る可能性もある。
「疑っているのか?」
「滅相もない。言ったろ? 事実関係の確認だと。殺しをするのには、ちと若い。それだけ気になっただけだよ」
「波導で人は死ぬ。それだけだ」
こちらも淡白に返してやるとカヤノは口角を吊り上げた。
「病状は聞いている。偏頭痛に、眩暈だったか? それに、正体不明の苛立ち、情緒不安定。まずはこれだ」
取り出されたのは水であった。怪訝そうに聞き返す。
「これは?」
「内部の層が違う水だ。波導の眼で見てみろ。色を上から順に当てたら合格だ」
嘗めているのか、とアーロンは波導の眼を使う。
「上から、オレンジ、緑、黄色、赤、だ」
波導の眼を使わなければただの水にしか見えない。そういう仕掛けがあるという事に、まず驚いた。
カヤノは目を見開き得心する。
「なるほどな。嘘じゃないのは分かった」
「俺が波導使いじゃないとでも?」
「まぁ雇い主が雇い主だ。ちょっとテストしたかったのもある」
「……それほどに、俺の雇い主は有名か」
「一部では、な。強欲商人サガラ。ガキを買い取って殺し屋に仕立て上げるって言う、そういう方面では名のある奴だ」
間違っていないのでアーロンは訂正を促す事もない。ただ、あまり名が売れれば面倒だと言っていたのはサガラのほうだ。これでは意味がないと感じる。
「俺はガキじゃない」
代わりのように発した言葉にカヤノはフッと笑った。
「一端の殺し屋のつもりか? だが、ちょっと迂闊だな」
何が、と判じる前にカーテンの向こうに殺気を感知する。咄嗟に飛び退りその一撃を避けた。
銃弾が先ほどまでいた場所を貫いている。アーロンは即座にピカチュウを繰り出し、電気ワイヤーで絡め取った。裸体の女の首筋をひねり上げる。男も立ち上がり、アーロンへと照準していた。
「……末端構成員か」
「お前が波導使い、アーロンだな。確認は取ったぞ」
「何のだ? 殺す確認か? そんなものを取っている暇に、お前らは死ぬ」
殺気立ったアーロンが女をくびり殺そうとする。その時、手が叩かれた。
奥まった部屋から一人の少女と、がっしりとした体躯の男が現れる。
アンバランスな取り揃えにアーロンは睨み据えた。
「何者だ」
「何者、とは心外ね。わたくし達の縄張りを知りもしない、殺人狂が」
声を発した少女はまだ五歳にも満たないだろう。だというのにこの場を支配している実行力が窺えた。
「殺人狂、だと……? 貴様らも、俺を張っていたのか」
「勘違いも甚だしい事ね。自分を中心に世界が回っているとでも思っているのかしら?」
アーロンは電気ワイヤーに力を込める。その段になってカヤノが立ち上がった。
「ヤメだ、ヤメ。お前ら、医者で死人を出すつもりか?」
カヤノの声に男が拳銃を下げ、少女が片手を上げた。それだけで了承が取れたように殺気が凪いでいく。
「これは失礼したわ。カヤノ医師。何分、礼節も知らない獣が迷い込んだもので。わたくし達ホテルとしてはしつけを施したいから」
「ホテル? ホテルミーシャか」
サガラの言っていたこの街を実効支配する勢力だ。それが目の前にいるというのか。
「あら、知っていてこの縄張りに手を出したんだとしたらとんだグズね。あなた、本当に、ゴミクズの資格があるわ」
少女はまるで超越者のように言葉を発する。それが気に食わず、アーロンはもう一本の電気ワイヤーを繰った。
「死にたいのか、ガキ」
「同じようなガキに言われるのは、どこか間が抜けているわね」
ワイヤーを向けようとして締め上げられていた女が拳銃を自分のこめかみに当てる。
「わたくしが死ねと言えば、彼女は死ぬわ」
「だから、何だ?」
「鈍いのね。それくらいの力がある、と言っているのよ、わたくしの一言には。他者の縄張りで喰い合いをするのは殺し屋として三流とは教わっていないのかしら?」
アーロンは暫時、本気かどうかを窺った。波導を読めば本気かどうかが分かる。女は絶対の忠誠を少女に誓っているようだった。その行動に迷いがない。
アーロンは電気ワイヤーを解く。カヤノが頭を振った。
「約束では、この殺し屋が本物かどうかの見極めのはずだよな? ホテルのボス。死人を出さない、っていう取り決めだった」
「わたくしだって、死人を出すような取引はしていないわ。ただこっちも、見極めには本気を出さざるを得なかった」
カヤノがため息をつき、困ったように後頭部を掻いた。
「まぁ、何だ。お前がここ最近頻発する、食い場荒らしかどうかの確認が欲しかったんだよ。それでホテルが動いた」
「食い場荒らし……」
「あなた、縄張りも何も関係なく、人を殺して回っているでしょう? それだとヤマブキシティでは下の下、ルールも分からない素人だって言っているのよ」
それの何が悪いのか。自分はサガラに命じられて殺しを遂行しているだけだ。アーロンは顎をしゃくる。
「貴様らと違うまい」
「いいえ、あなたのやっている事はね、クズ、というのよ。死体漁り、骸転がし、色々と言われているわよ、裏では。ヒステリックとでも」
アーロンは眉根を寄せる。そのような下賎な事をしているつもりはなかった。
「俺は殺すべき奴だけを、殺しているつもりだ」
「だったら、カヤノ医師には罹らないでしょう? イライラしているんですってね、波導使いアーロン」
「それがどうした?」
ラブリはフッと微笑み、撫でるような声で口にする。
「解放してあげるわ。あなたの、その苦しみから」
この地獄のような連鎖を終わらせるだと? 不可能だ。
「俺は、誰に命じられているわけでもない」
「それが厄介だって言っているのよ。強欲商人サガラを潰せば、あなたも共倒れってわけじゃないのがね。正直、強欲商人を殺すだけの案件ならば、我がホテルが動いていないわけがない。サガラはわたくしと、もう一人のこの街の支配者に楯突こうとしている。それにあなたは利用されているだけ。いいように転がされて、あなた、もしもの時に切り捨てられるわよ? サガラはそれも計算済みで、あなたみたいなのを使っている。元々、子供をにわか仕込みで殺し屋に仕立て上げるような奴。まともな神経のはずがない」
「五歳児に言われるとはな」
アーロンがラブリを見下すと彼女は威厳たっぷりに声にする。
「軍曹。わたくしが、ただの五歳児に見えるそうよ。この子」
「それは、見る目がない、と判断しますね」
軍曹と呼ばれた厳つい男は少女に寄り添っている。まるで美女と野獣だ。
「貴様ら、何だ? 俺に何の用がある」
「あなた、このまま切られるのは惜しい、ってわたくしは判断したのよ。カヤノ医師から話を聞いて、面白い、とも思った。今までの、使い捨てじゃない感じがしてね」
使い捨て、という言葉にアーロンは眉を上げる。サガラがこれまで自分のような人間を使ってきた事があるのか。問い質そうとして、駒には不必要な感情だ、と切り離す。
「俺を買っている、と言いたいのか」
「直訳では。ただ、今のままじゃあなた、下の下よ。最悪。ゴミの中のゴミクズ。最底辺の殺し屋」
「おい、ホテルのボス。あんまり挑発すんな。ここは医者だ。殺しの戦場じゃねぇ」
カヤノがいさめるとラブリは肩を竦めた。
「失礼。あまりにも、ケダモノだったから。これくらい言ってあげないと分からないのと思って」
「馬鹿にしているのか」
「馬鹿にされるような顔と仕事振りをしているからよ。この街では、一流の殺し屋には一流の賛美がついて回る。でもあなた、イライラして人を殺して、それで飼い主である人間のご機嫌を窺って、悔しくないの?」
悔しい? アーロンは問いかける。
自分は、悔しいのか? サガラに、文句でもあるのか。
――否。
アーロンは断じる。今の境遇に不都合もない。サガラの支配から逃れたいとも思っていない。ただ、あの男が下衆だと、思う時はある。だが、下衆だから噛み付きたいと思っているわけではないのだ。
「俺は、狩れと言われれば従う。まかり間違っても奴の子飼いだ。噛み付きはしない」
「変なところで律儀なのね。義を通すのならばもっと上等な相手がいるものだと思うけれど」
「殺し屋使いに、上等も下賎もあるものか」
その言葉にカヤノがぷっと吹き出す。ラブリも口元に手をやって笑った。その様子が我慢ならず、アーロンは睨み据える。ピカチュウが青白い電流を弾けさせた。
「……失礼。だってあまりにも……求めるものの少ないのね、あなた」
「殺し屋に、求めるものが多い奴は嫌われる」
「プライドもない。どこで、見落としてきたのかしら? あなたほどの使い手ならば、それは当然、師範に当たる人間がいるはずよね? その人間は教育しなかったのかしら? あなたが一端の殺し屋になれるように。これじゃ、言ってもよくて殺人鬼よ」
殺人鬼。自分がそのように呼ばれているなど思いもしなかった。
「俺は、殺人鬼じゃない」
「いいえ、そうなのよ、実際。あなたの存在そのものが、災厄のようなもの。ヤマブキと言う街にそぐわない、三流の殺し屋」
「喧嘩を売っているのか?」
「まさか。あなたの価値を問い質している。こう言えば分かりやすい? あなたに相応しいステージがある。そこに上らなければ、あなた、このまま底辺を這いずっていくだけ。わたくしはチャンスを与えている」
五歳児が何を言うのだろう。アーロンは正気を問いかけたが、付き従う軍曹も、カヤノも本気のようだった。
本気で、この少女にそれだけの力があるのだと思っている。
おめでたい、と罵るよりも、この街の歪さが形状を伴って出現しているように思えた。
この少女のような、まだ遊びにうつつを抜かすような年齢の子供が、この街の運命を担っている。それだけでも冗談の類だが、殊更冗談とも思えないのは、彼女の放つ気迫であった。
ラブリから放たれるそれは、王者の気品だ。
超越者のみが持つ事を許される特権。上り詰めた人間だけが口にする事を許可される言葉遣い。
彼女は頂上の景色を知っている人間であった。それは自分のような殺し屋でも分かる。
自分のような、度し難く弱い存在でも、頂点の人間は理解出来る。
「……会えば変わると言うのか」
「あら、興味が湧いてきたの?」
「少しばかりは、意味があるのかと」
「賢明、とまではいかないけれど、ようやく一般のラインに立てたじゃない。その存在に会えば、あなたにだって少しは分かる。この世界で、極めるという事がどういう事なのか。何を捨ててでも、頂上に立つ事が出来るのか」
「お前らは、俺を何にしたい? ただの殺し屋だ」
「今のままでは、ただの、というのも怪しいけれど。でも、波導使いという逸材を、このまま朽ちさせるのは惜しいと感じているだけよ。わたくしも、そいつもね」
ようやくその段になって殺気を仕舞えた。もうラブリには敵対する感情はない。
「勘弁願うぞ。医者で人死になんて出すなよ」
「失敬したわね、カヤノ医師。ここまで粗暴だとは、思いもしなかった」
くすくすと笑うラブリにアーロンは問い詰める。
「で? どこにいる?」
「あなたは餌をあげると言ったら数秒の間にあげないと忘れてしまう癖でもあるの? そう急く事はないわ。この街で戦うのならば、彼と一戦交えない事には話は始まらない」
「彼?」
男なのか、と勘繰ったところラブリは意味深な笑みを浮かべるばかりだ。
「こればっかりは、会ってみないと分からないかもね」
ラブリが通信機器を取り出す。未だカントーでは普及率の低い外国産の通信端末だ。確かホロキャスターと言ったか。
立体映像が投射され、声が漏れ聞こえた。
『面白いやり取りを拝聴させてもらったよ』
男の声だ。その声音にアーロンは歯噛みする。
「聞かれていたのか」
「これも交渉の一つでね。あなたが戦闘時、どういう風なのか知りたいって」
『悪くは思わないでくれ、若き波導使い。わたしも、君がどういう人柄なのか、てらいのない部分で知りたくってね』
「最初に名乗ったほうがいいんじゃない?」
ラブリの提言にようやく、と言った様子で通話口の相手が笑った。
『これは失敬。わたしの名前はハムエッグ。盟主、という座を取らせてもらっている。ハムエッグだ』