第百三十話「過去の傷」
客引きをする黄色い声の女達。
けばけばしいネオンと据えたにおい。男と女のにおい。
それらが渾然一体となった裏通りの景色が滲んで見える。アーロンは偏頭痛に襲われて壁に寄り添った。
呼吸を整えて波導の眼を確認する。ネオンの波導、店の中で事を済ませている人々の波導。
余計なものばかり見えてくる。
「大丈夫だ……。十秒数えれば……」
深呼吸して十秒数える。すると、余計なものが入ってきた視界が幾分かクリアになった。
この街は情報量が多い。波導の眼は要らぬ物さえも捉えてしまう。
手招きする女達を無視してアーロンは一つの雑居ビルに入った。よろけた足取りでビルの二階に辿り着き、ドアを開ける。
開け放たれた屋内ではヤクザもの達が寄り集まり、一人の女をいたぶっていた。
女は全身に痣を作っており、半裸で寝転がっている。
「何だ、てめぇ――」
近づいてきた下っ端をアーロンは波導切断でいなす。両脚の波導を切られた下っ端は無様に転がった。
「な、てめぇ! どこの組のもんだ!」
「……なぁ、イライラするんだよ。助けてくれないか」
アーロンの声にヤクザ達が怪訝そうにする。
「クスリでもヤってんのか?」
「ガキの来る場所じゃねぇんだよ!」
一人のヤクザが刀を手に取る。アーロンはピカチュウを繰り出した。それを見てヤクザ達が嘲る。
「ピカチュウだってよ! こいつぁ傑作だ! 殴り込みにピカチュウ使うヒットマンなんて居んのか?」
嘲笑を浮かべるヤクザへと、アーロンは音もなく接近し、その首筋を掴んだ。
直後、迸る悲鳴と叫び。
ヤクザは膝から崩れ落ちる。それを目にしていた全員が固まっていた。
「な、何しやがったんだ!」
「殺した。それも分からないのか?」
アーロンの態度に刀を持ったヤクザが斬りかかる。それをステップで回避して拳を顔面に叩き込んだ。跳ねた電流が男の神経を切断する。
刀が宙を舞い、執務机に突き刺さった。
男達が慌てて銃器を取り出す。アーロンは取り乱さず、一人、また一人と始末していった。
男達は隙だらけだ。ワイヤーで首を吊ってやり、もう一人の銃撃の盾にする。首を吊った男をそのまま電撃でなぶり殺し、他の男達におっ被せた。
血が滴り、床を濡らす。
アーロンは血溜まりに手をついた。その瞬間、床を伝って全員の波導を読んで感電死させる。一気に静まり返った屋内でアーロンは血のにおいを肺に取り込んだ。
死者の香り。朽ちていく人の感触。
踵を返し、アーロンは事務所を出ようとした。
その背中へと声がかけられる。
「あの! あなた、何者……」
女であった。着崩したドレスを整えてこちらを見据えている。アーロンは短く答えた。
「波導使いだ」
「ホトケが、ひぃ、ふぅ、みぃ……。こいつはカチコミか?」
検分する警官の声に部下がメモを取っていた。
「小さな暴力団です。誰かが狙っていたとも思えない」
「じゃあ衝動的なもんだと?」
「にしては、全員、というのが気にかかりますね。オウミ警部。やはり、何かしら、事件が起こっているのでは?」
オウミは煙草を取り出して火を点けた。
「んなもん、この街じゃ常習的だろうが。殺し屋か? だが、暴走した殺し屋なんて使う奴はいねぇ。こいつは、明らかに手綱を握られていない。手口も粗いし、素人だな」
「快楽犯でしょうか」
「快楽犯がわざわざ事務所に殴り込み? そいつは随分とキマってんな」
笑い話にすると鑑識がやって来て早速見咎めた。
「オウミ警部! 現場で灰を落とすなと言ってるでしょう!」
毎度の恨み言を聞き流し、オウミは現場から離れた。
「何か分かったんで?」
「いんや、何にも。ちょっと退屈してっから、何かあったら情報くれや」
「そういえば、子飼いの女が一人、生き残っていたそうですが、保護されました。話を聞きますか?」
「女の話なんていつだって湿っぽい。どうするべかなぁ……」
オウミは紫煙をくゆらせながら考えを巡らせる。生き残りの女に話を聞いたところで、このような事務所の子飼いならばもう使い物にならない可能性もある。
「近くの駐在の警官が一応、話を聞いたそうです。今のところ、マトモ、との判断ですが」
「早目に話を聞いたほうがいい、ってわけかい。物騒だよな、おい」
「警官が手を出さないとも限りません」
「法治国家だろうが。どこまで爛れてやがんのかねぇ」
オウミは仕方なく部下の示す番号に電話をかけた。
「ああ、もしもし? こっちは本庁の。うん、そう。そっちで預かっている女、こっちに護送してくれ。安全運転でな」
アポを取り付け、オウミはため息をつく。
「女一人に話を聞くだけで安全運転か。アホみたいだな」