MEMORIA











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Extra Episode 鬼哭の黒、追憶の涙
第百二十九話「追憶の波導」

 草原での戦いは、もう手慣れたものだった。

 ルカリオの拳をいなし、その隙に電撃を見舞う。ルカリオが怯めばさらに麻痺の効果のある電流を流し込んで波導を切断しようとする。しかしその一線になって、ルカリオは阻んでくるのが常だった。

「今日はここまでだ」

「……師父。例の話ですが」

 切り出したアーロンに師父はうんざりしたように頭を振る。

「駄目だ。今のお前を波導使いとして、野に放つ事は出来ない」

「何故ですか。もう、波導の何たるかは覚えました。基本だって出来ているつもりです」

 何度も問いかけた事だ。自分は波導使いを継承した。だから、もうこのような草原での戦いではなく、真の戦いの場で波導を使いたい。そうする事で初めて、自分の居場所が出来る。

「何度も言わせるな。未熟な奴を波導使いとして放てば、わたしの責任になる。今のお前では、何も出来まい」

 切り捨てる師父にアーロンは飛びかかった。電撃を見舞おうとして、その攻撃を波導防御でいなされる。

「……これでもまだ、ぼくの力は不足ですか」

「お前は、強ければ人のためになると? その波導が、誰かを救えると思っているのか?」

「こんな草原で、いつまでも隠居していたって何にも見えない! ぼくは師父のしてくれたように、誰かを波導で救いたいんです」

 その言葉を聞いた瞬間、師父がアーロンの手をひねり上げた。全く抵抗も出来ない。

「忘れるな。お前の波導の真髄は切断。その行く末は他人にいいように操られ、人殺しをしてしまう境遇だ。波導切断で他人は救えない」

 断ずる声にアーロンは言い返す。

「使い方次第、でしょう。ぼくは間違えない」

 暫時睨み合っていたが、師父はぱっと手を離した。

 ルカリオをボールに戻し、師父は背を向ける。

「退院の時期が決まったんだったな。一週間後か」

「ええ。だからぼくは」

「行きたければ行け。もう止めまい」

 意外な言葉だった。今まで、何度も止めてきたのに急に突き放されたような感覚であった。

「師父……認めて――」

「勘違いをするな。波導の継承者としては、なるほど、充分だろう。だが、それは真に波導を極めたわけでもない半端者。お前がどれだけ祈ろうと、願おうとも、その波導は破滅をもたらす。お前は、絶望し、人を救うどころかその手にかけるだろう。波導使いが人を救う、などというのはまやかしだ。そのような幻影にすがっている暇があれば、次に会った時、わたしを殺せるように鍛えておけ」

「……ぼくは、師父を殺したくありません」

「次に会えば分かる。波導を教えた、という事がどういう呪縛なのかが」

 アーロンは師父の背に頭を下げて草原を後にした。

 その日を境にして師父は草原に現れなくなった。

 別れの言葉を交わす事もなく、師父とはもう会えないのだと、アーロンは感じ取った。

 曇天の広がる中、アーロンは決意する。

「強く……強くなって見せます。そして、波導で人を救う」

 それがどれほどに愚かなのか、まだ知る由もなかった。















「おい、ヤマブキのネットを売ってくれないか?」

 その言葉に黒服は振り返る。一人の行商人がアタッシュケースを片手にニヤニヤと笑みを浮かべている。

「ヤマブキのネットワークを? どうしてお前なんかに」

「あんたら、路地番だろ? ちょっとした提案だよ。オレに売れば、いい買い物になる」

 黒服二人組はお互いに視線を交わし合い、こめかみの当たりを突いた。

「頭がイカレているのか? それともこのヤマブキのルールも知らない、半端者か? ネットワークを売れと言われても、そっちに見合うだけの対価がないと何も売れないんだよ」

「金ならば、あるが」

「金の問題じゃない。信用の問題だ。取り入りたければもうちょっと上手く立ち回れ、三下。我々が情報を売る、という事はそれだけで信頼も売る、という事だ。そこいらのおのぼりさんが容易くヤマブキの中枢に潜り込めるとでも思うな」

「やっぱり、駄目か」

 行商人は肩を落とす。黒服は軽くあしらった。

「本当に情報が欲しければ、実力を示すんだな。そうしないと何にも売れない」

「じゃあ、ちょっとばかし見せてやれよ」

 行商人が指輪を多数つけた手を振り上げる。その時、暗闇が蠢動した。

 今まで気配などなかった場所に、突如として現れたのは青い装束を纏う少年である。

 不格好な旅人帽に、コートを羽織っていた。

 突然の第三者に黒服はうろたえた。

「何者だ?」

「実力示せ、とのお達しだ。やれるな? アーロン」

「殺しても」

「構わない。どうせ路地番の命だ」

 その瞬間、青い衣の少年が掻き消える。黒服が習い性で拳銃を出した時、その姿が眼前にあった。

 慌てて安全装置を外そうとして手首を捩じ上げられる。銃声が一発、木霊した。

「ピカチュウ、腕の波導を切れ」

 少年の肩口に留まったピカチュウが青い電流を跳ねさせて、黒服の両腕の間を明滅させる。その直後、黒服は脱力したように両腕を下ろした。

 驚愕に見開かれた眼差しへと、少年の掌が入る。

 迸ったのは断末魔だ。黒服が痙攣したかと思うと、すぐさま見開かれた目から血飛沫が零れた。

「な、何だって言うんだ!」

 もう一人がおっとり刀で銃撃する。しかし少年を捉える前に、影さえも居残さない移動方法で回避された。

 ピカチュウの放つ青い電流の残滓だけが彼の存在を物語っている。

 それほどまでに素早く、人間の感知領域を超えていた。

「当たらねぇ!」

 照準してもその姿はすぐに掻き消えてしまう。首筋にワイヤーがかけられた。そのまま仰向けにねじ伏せられ、黒服は背後の少年の気配を感じる。

「てめぇ!」

「――死ね」

 黒服の全身を突き抜けたのは電撃による激痛であったが、一瞬の痙攣の後に事切れていた。

 乾いた拍手が送られる。

「やるな。さすがはオレの買った手だれだ。それ、毎回思うんだが、どうやって殺しているんだ? 警察には感電死だって分からないんだろ?」

 行商人の興味に少年は淡白に答える。

「教える義務、あるのか」

「いやぁ、ないさ。だってお互い様、企業秘密って奴だからな。ただ、これからやって行くんだ。おっかないのは無しにいこうぜ」

 少年は背中に担いだ死体を突き飛ばし、行商人へと転がしてやる。行商人は早速持ち物を検分し始めた。

「これこれ……ポケナビだ。連絡先が入っているはず。こいつらの上役にアクセスするのに、一つ得たわけだ」

 上機嫌の行商人に比して少年はどこまでも無口であった。

「なぁ、つまんなさそうな顔してんじゃねぇよ、アーロン」

「そんな顔をしていたか」

 呼ばれた少年――アーロンは旅人帽の鍔を下げる。

「お前さ、これからこの街でのし上がろうって言うんだから、もっと機嫌よくしろって。組んだ仲じゃないか」

 行商人の声音にアーロンは承服出来なかった。

「知らない。俺に、殺す以外に価値があるのか?」

「当たり前だろ? トップになったら、利益は半々、そう言ったじゃないか。やる気はどこに行ったんだよ」

「勝手に進めてくれ。俺は、先に宿に戻る」

 アーロンが身を翻す。行商人は後頭部を掻いてぽつりとこぼした。

「悪い奴じゃねぇんだがなぁ。ちょっとセンチになり過ぎだろ」

 行商人は死体から戦利品を漁るのに必死のようだった。


オンドゥル大使 ( 2016/09/10(土) 21:50 )