第百二十七話「合わせ鏡」
「お前が、波導使いか。もう一人、とはハムエッグから聞いたが。そちらから来るとは思っても見なかった。石化の波導使い」
向こうも既知らしい。ならば話が早い。
「何のために訪れたのか、分からないほど無知でもあるまい」
「さぁな。俺は、波導使いとしての名誉が欲しいわけでも、この街の守り手を自称するわけでもない」
降り立ったアーロンの肩口にはピカチュウが留まっている。頬袋から青い電流を跳ね上げさせるその姿は戦闘用に研ぎ澄まされていた。
「そうか。では何故、我の前に立つ?」
「知れた事。お前が気に食わないからだ」
直後にアーロンの姿が掻き消えた。否、その姿は既に射程内にあった。アーロンの右腕がゼロの頭部を掴もうとする。
紙一重で避けてコートから赤い光を照射した。アーロンは回避し様に横腹を蹴りつける。
――波導切断。
そう感じたのは両者同時であったらしい。
弾かれるようにお互い強制的に距離を取る。
波導が干渉し、磁石のような斥力を発生させたのだ。
「波導切断が通用しない……?」
「そちらも。生半可な波導の鍛え方ではないようだ。こちらの波導吸収能力を発揮する前に切断に打って出た」
「……珍妙な波導の使い方をするのだな」
「お互い様だと、言っている!」
瞬いた赤い光条をアーロンは跳躍する。宙に踊り上がったアーロンへと「デスウイング」を狙い澄ました。
アーロンが電気ワイヤーを投げる。ゼロは手を払って電気ワイヤーを石化させた。当然のように断ち切られるが、その上を行くのはもう一本のワイヤーである。下段から攻め込んだ電気ワイヤーがゼロの足元を絡め取った。
「我に触れれば無意味!」
石化に晒したのと、アーロンが射程に踏み込むのは同時だった。自分の背後に降り立ったアーロンが右手を突き出す。それに対比する形で、左手を突き出した。
青い波導と紫色の波導が干渉し合い、またしても弾き返される。
両者共に波導を使った戦術は通用しない、と悟った。
「あまりに熟練の域に達していると、こういう風になかなか終わらない事がある。将棋やチェスと同じだ」
「俺以外の波導使いは、存在しないはずだ」
「それはお前の先代のアーロンが教えなかっただけだ。現にツヴァイというイレギュラーはあっただろうに」
その名前にアーロンが震撼したのが伝わった。
「……お前が、ツヴァイをけしかけたのか」
「我は、波導の一部領域の強化を行ってやったのみ。元々、素養はあった。ただ、アーロンの教え方では十年かかるのを我は半年でやった」
「どうりで、あいつは調子付いていたはずだ。波導の行く末も分からない、半端者を仕向けたのは、お前だったか」
「赤い波導との戦いはためになっただろう? 波導の継承者、アーロンとしては」
「自分の末路を見ているようで、気分は悪かったさ!」
飛び上がったアーロンの姿をゼロは常に真正面に捉える。赤い閃光が瞬き、アーロンに攻撃を加えようとするが、動き続ける相手に苦戦を強いられた。
「我が吸収の波導が最も苦手とするのは、同じく波導使い相手だ。何せ、相手も波導を熟知しているのだから」
「お喋りが過ぎると、死ぬぞ」
ピカチュウの電気メスがゼロの喉笛を掻っ切ろうとして来る。ゼロは電流を石化させた。その事実にはさしものアーロンでもさえも息を呑んだようだ。
「電流を石化させた?」
「万物に波導は宿る。凍結でも、電流でも。物に形がある限り、有限の命である限り、波導はそれらを網羅する」
「釈迦に説法とは、この事だな。俺に波導を説くか」
電流の網がゼロを囲い込む。赤い閃光を発し、網を突破した。その先に待っていたのは死神の腕だ。突き出された腕には必殺の気配が漂っている。
「だが、こっちも必殺だ」
左手に紫色の波導が宿り、アーロンの波導切断と相殺し合う。お互いに何度交わしたのかも分からないほどに相手の波導を読み合っている。だが、波導使い同士では絶対に、相手の体内波導は読み切れない。それこそ相手に隙がない限りは。
「いたちごっこだぞ、これでは」
「そのようだ。だが、アーロン。お前には弱点がある」
片羽根を石化されたエアームドが甲高い鳴き声を上げる。どうやら布石は打たれたらしい。
「……何をした」
「大切なものがあるとどれほど冷酷な人間であっても弱くなるものだ。アーロン。窺っているよ。とても可愛いお嬢さんと暮らしているそうじゃないか。波導の暗殺者の本分を、忘れてしまうほどに」
エアームドに撃っておいた波導はその思考回路を埋め尽くし、アーロンから奪回したはずだ。一体のエアームドが踊り上がり、その後ろ足に捕らえた獲物を誇示する。青の死神が驚愕に顔を塗り固めた。
「メイ……。どうして」
「信じられないか? 実のところ、我も驚いているのだ。プラズマ団の仕立て上げたカリスマ。Miシリーズの唯一の生き残り。そのデータはツヴァイが持ち帰っていた。彼からもたらされたデータを基にして、彼女を割り出すのは不可能ではなかった。だが、死んでいるはずだった。プラズマ団蜂起の際に、Mi0と同期し、全てが収束するはずだった。それを阻んだのは、お前だよ、アーロン」
エアームドが高空へと飛翔していく。アーロンが電気ワイヤーを放り投げたが、それを石化で阻止する。
「お前……!」
「外道だと、言ってもらっても構わないが、それにしたところで、随分とぬるくなったのだな、波導使いの一門、その継承者は」
「黙れ!」
アーロンの突き出した右手がゼロの頭部を引っ掴もうとする。しかしゼロは応戦もしなかった。
このアーロンの攻撃では自分は死なない事を理解していたのだ。
「どうした? やらないのか?」
獣のように息を荒立たせたアーロンであるが分を弁えている。自分が死ねば、あのエアームドは墜落するだろう。そうなればメイも道連れだ。
「人殺しも出来なくなったか?」
挑発にアーロンはゼロへと蹴りを見舞う。それを受け止め、ゼロは逆にアーロンの腕を掴んで見せた。
「これで、一死、だ」
石化の光の照射をアーロンは飛び退って避ける。だがそれは石化だけだ。アーロンの右腕がだらんと垂れ下がっていた。
持ち上げようとするがそれさえも叶わないらしい。
「右腕の波導を緩めてやった。それで、ちょっとばかし戦闘不能になってもらう」
「何のつもりだ……! 俺は、お前を殺す!」
「口だけ達者になったところで出来ない事を言うものじゃない。分かっているのだろう? もう詰んだんだよ。これ以上、戦いを続けても、今のお前では我には勝てないし、どうせ勝負になどなるまい」
「どうかな」
アーロンが右腕に電流を通す。すると、右腕がすっと持ち上がった。
「電気的刺激を波導回路に注ぎ込み、一時的に波導の麻痺を改善させた」
「石化の波導使い、ここで死ね」
駆け出すアーロンが右腕を突き出す。今度こそ、殺すつもりで発してくるだろう。
だが、もう勝負は決している。
「踏み入ったな」
自分の領域に入ったアーロンがハッとして立ち止まる。惜しかった。あと一歩入っていれば石化の虜であったのに。
「これは……波導を自分の周囲に罠のように張って……」
「そういう使い方を、アーロンには出来ないだろう。我だからこそ、出来る芸当だ」
ゼロはそのまま中天に手を伸ばす。一体のエアームドが操られてその手を受け止めた。
飛び去っていくゼロにアーロンは歯噛みする。
「逃げるのか」
「馬鹿な挑発のし合いは意味がない事が分かっているはずだ。アーロン。賭けをしようじゃないか」
「賭け……だと」
「我はこのヤマブキを屈服させた。もう恐れるものなど何もない。ホテルも、ハムエッグも、等しく無力だ。我は支配を始める。強き者が弱き存在を使役するのは世の常だ」
「支配など、馬鹿げた事を。この街はそう容易く出来ていない」
「かもしれないな。だが、ホテルとハムエッグの敗北は思ったよりも色濃いはず。我に投資する企業や実業家はいくらでもいる」
確信があった。自分がホテルとハムエッグに勝ったといえば、この街では絶対だ。
「敵を増やす真似だ」
「だから、賭けだよ、アーロン。我がこの街を完全な支配下に置き、全てを新しく始める前に、止めて見せろ。それが出来れば、Mi3には手を出さないでおいてやる。期限は三日だ。それだけあればこの街の真の屈服には充分なはず。三日目の夜に、この娘を石化させて殺す。そうすればお前にはもう、生きる希望はない」
アーロンが拳をぎゅっと握り締める。その瞳には殺意が宿っていた。
「殺す! 貴様だけは、絶対に!」
「吼えるのは、もっと強くなってからだ」
ゼロは飛び立っていく。アーロンの波導が怒りに塗り固められていくのを背筋に感じていた。
「いいぞ、もっとだ。もっと怒れ、アーロン。その時こそ、お前を」