第百二十五話「亡者共」
「分からないな。何故、死んでいく?」
膨れ上がった爆発の形状のまま、固形化されたのは警備車両だ。それなりに装甲で固められており、中の人間が死んだのかどうかまでは分からない。
それでも波導使いは念には念を、と指で弾いた。直後、警備車両が崩れ落ちて砂と化す。
「砂粒だ、お前らは」
ナパーム弾は弾頭が爆発する前に全て石化しており、無力化されていた。
転がったナパーム弾を波導使いは足蹴にし、その波導を読んで信管を抜く。
無用の長物となったナパーム弾十数個。それに中の人間の生死も分からぬまま石化させた装甲車。
何かを叫びながら死んでいったならず者達。
波導使いは僅かに眉根を寄せた。
「どうせ、石になって死んでいく。その運命には抗えないのに、こいつらは、全くもって面倒なだけだ」
一報が入ったのはメインディッシュの後であった。
デザートが運ばれてくるまでの僅かな時間に軍曹はラブリの耳元に囁く。それを受けてラブリはこの場での対応を諦めざる得なかった。
「急用が入ったわ」
「全部隊の壊滅かな?」
ハムエッグの声にラブリは冷笑を浴びせる。
「人でなしね、あなた」
「そりゃどうも。人ではないからね」
ラブリからしてみればこれは急務だ。ガンマ部隊の壊滅。それとエアームドの空挺部隊から捉えた映像では、まだ波導使いは生きている、との情報。
自分が指揮を執っていれば、という後悔さえも浮かばない。胸の内にぽっかりと穴が開いてしまったようだった。
自慢の兵士達が、命をかけたのに、散っていった。さぞ無念だっただろう。
「わたくしには、やる事がある」
立ち上がりかけたラブリをハムエッグが制する。
「まだ、負けてはいないのだろう?」
「何を今さら。エアームドだけでは勝てない」
「こちらに、戦力の譲渡が行われたはずだが?」
ラブリは瞠目する。まさかこの時点でハムエッグが使うとは思ってもみなかったのだ。
「……意外ね。我々ホテルの慌てようが、面白くって仕方がないんじゃなくって?」
「ああ、その辺りに関してはわたしは存分に人でなしだが、これだけ精鋭揃いのホテルが壊滅、なんて言う憂き目にあったと知れば、少しばかりは力添えをしたくなる」
「どうするつもり? 言っておくけれど、波導使いの戦力が一個小隊を上回ったと判断した以上、部下をむざむざ死なせる作戦なんて建てさせない」
「承知している。何のためのアイアント部隊か? わたしは、まずアイアントを使って足を潰す。動けなくするんだ。アイアントの群れは陸上での戦闘展開を無力化する。戦いの舞台が空へと移るか、と言えば、否だろう。飛べるのならば何故、今までやっていない? 恐らく、この波導使いは飛べない」
「ビルの上を行ったり来たりは出来ない、と言うの?」
「あれはアーロンの特権さ。こいつは地を這う羽虫だ。ならば、その羽根をもぐ。エアームドに警戒飛行をさせたまま、空域を見張らせればいい。その間に、陸路を制する」
アイアントを使っての陸路の封鎖は可能だ。だがそれも時間稼ぎにしかならないかもしれない。
「どうすると言うの? こんな事をしたとて、勝機はない」
「あるさ。ラピス、仕事だよ」
その声にラピスは僅かに顔を上げた。
「デザートは?」
「また今度さ。最上級のスイーツをあげよう」
ラピスは飛びっきりの笑顔で席を立ち、踊るように舞った。
「で? 誰をころすの?」
スノウドロップの準備は万端、という事か。ラブリは苦々しくハムエッグの顔を窺う。
「どうやってスノウドロップを届けるか」
「エアームドを一体寄越してくれ。彼女くらいの軽さなら届けられる。現着次第、メガシンカさせる。メガユキノオーの凍結範囲に入った瞬間、相手を殺す」
「こちらの攻撃展開を待つとは思えない」
「待たせなければいい。ラピス。空からダイビングだ。なかなか出来ない経験だよ」
ハムエッグは何とラピスを空中で投げ放つというのだ。さすがにそこまでの行動力はないかに思われたが、ラピスは諸手を挙げて喜ぶばかりである。
「お空にダイブだね」
「そうだよ。きっちり着地しなさい」
どこまでも――人間の価値観など無視した作戦。だが、これはハムエッグにしか出来ない。ハムエッグだからこそ、ここまで出来る。
軍曹を呼びつけラブリは命じた。
「彼女をエスコートなさい。くれぐれも粗相のないように」
「お嬢、エアームドの空挺部隊から新たな連絡がありました。敵の向かっている方角が分かったそうです」
「どこへ? この波導使いは何のためにこの街に来て、何人も殺してきたの?」
軍曹が耳打ちする。その事実にラブリは戦慄いた。
「たった、それだけ? それだけのために、わたくし達は……」
「何かな?」
こちらを窺うハムエッグに、ラブリは咳払いする。
「……何でもないわ。ではスノウドロップを現地へと運び、殲滅戦を行うにして、勝てる算段は?」
「最強の暗殺者に確率論を持ち出すのは無粋じゃないかな?」
確定で殺せる、と踏んでいるのだろう。だが、ハムエッグが知るはずもない。こちらとて最強の札は切った。熾天使モカの死はまだ知られていないはずだ。
「確実に確実を踏んでこその作戦。わたくしはまだ不充分に感じる」
「ではエアームドを使っての追撃プランを推奨する。波導使いとて、波状攻撃には慣れていないはずだ。たとえ凍結結界の中だとしても、鋼ならば数秒は持つ。札を与えて爆導索で波導使いを滅する」
「札?」
ハムエッグは路地番に予め伝えていたであろう情報を開示する。そこには脱出ボタンの保管されている倉庫への暗証番号があった。
「脱出ボタンを使い、凍結結界の中に侵入したエアームドを安全に帰す。その間、数秒だが爆導索を相手に張るのには充分だ。氷の中での爆発。二つの属性はさすがに防げまい」
念には念を、という事か。脱出ボタンの倉庫という新たな情報に、やはり食えない、と感じ取る。
「ではエアームド部隊にはそう進言を。でも、まだ不充分よ。この石化の波導使いが、どれほどの脅威なのか」
「問題ない。切り札は、既に提示しているからね」
切り札。
ハムエッグの言うそれは紛れもなく――。
「連絡済というわけ」
「彼から言ってきた。だが、これは本当に最後の最後だ。ラピスが命をかけて防衛する。その間、数分か、数時間かは分からないが、必ず消耗する。その状態ならば勝てる。現に、前回だって勝てた」
「素人集団とは違うわ。あれは宝の持ち腐れだったのよ。ゼクロムなんて使ったところで、所詮は素人。勝てる見込みがあった。だけれど、今回、スノウドロップとてリハビリなんて気楽さじゃないはず」
軍曹に連れられてラピスは既に屋上に向かったはずだった。
ハムエッグは肩を竦める。
「勝負は時の運だ。さすがに読み切れない部分だってあるさ」
「嘘よ。あなた、全ての現象を掌握しているつもりでしょう?」
ハムエッグは何一つ確定の言葉を吐かず、ただ黙々とメインディッシュの肉を切り分けた。
「わたしには、この街はもう切り分けられている。住み分けが出来ている、と言ってもいい。ホテルと、わたしの間にきっちりとプライベートスペースが出来ている。今回の波導使いは無粋にもわたしとホテルの間に降り立っている無言の了承に土足で踏み入った。どちらにとっても、理解し難い敵さ。滅ぼす事に、何の疑いもない」
ナイフで器用に肉を切る。きっと、今までの事も、これからの事もハムエッグからしてみればステーキを切るように単純な事なのだろう。
「……わたくしの部下が死んだのよ」
だからか、こぼした声には焦燥と弱音が染み込んでいた。自分はハムエッグほど切り分けられない。割り切れない人間の弱さだ。
「心中、お察しするよ。わたしだってラピスが死ねば悲しい。あの子はわたしの半身だ。あの子が死んだとするのならば、わたしも後を追うだろう。この街は空白の玉座に晒されるが、それでもいい。わたしには、あの子は眩しいんだ。薬を使わず、今まで自由意志だけの戦いをさせてきたのは何も細く長く、だけを目的としたわけじゃない。わたしにとって、あの子が世界であり、あの子にとっての世界はわたしだ。だから、死に際はあの子と一緒がいいんだよ。君が、ホテルの構成員一人一人を肉親以上だと思っているように」
ハムエッグの思わぬ本音のように思われた。だが、これもこちらを煙に巻くための虚偽かもしれない。偽りと偽りを塗り重ねて、最早、真実など誰にも見えなくなっている。
その中でももがき続けるのがホテルであり、自分なのだ。
最後の一人になるまでホテルは兵力を惜しまない。
「わたくしは、たとえわたくし一人になっても、戦うわ。それがこの街のためならね」
「安住のために争いを求む、か。わたしも君も、歪の塊だ。だが、それがいい。それこそが、この爛れた街には相応しい」
自分も目の前のポケモンも、争いの中に活路を見出す。人生を賭けた大博打の中に、生きる意味を見出す戦闘狂だ。その中でしか、生きている感覚を味わえない不適格者だ。
「では、待ちましょうか。わたくし達は。せめて、この街を背負って立つ者として」
「王者は、余計な事を言わず、ただ玉座に座していればいい。それこそが、存在理由であり、何よりも人々は安心する」
デザートが運ばれてくる。この長い夜を終わらせるのはまだ早いと思いつつ、両者共に黙ってデザートを口に運んだ。