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Extra Episode 鬼哭の黒、追憶の涙
第百二十一話「悪徒U」
「わたしとしても戦力が欲しくてね」

 ハムエッグ一人では到達出来る場所はたかが知れている。だがこちらの情報戦力と戦闘力を併せ持てば、ハムエッグの戦力は大幅に拡がる事になる。やられた、というのはその点だった。

 ハムエッグ相手にこちらは戦力をくれてやらない、という選択肢があったのはつい数秒前まで。

 裏切り者の存在は組織に疑念という名の亀裂を走らせるのには充分であった。

 このまま内々の裏切りを勘繰るよりも有益なのは、ハムエッグにある程度の戦力をくれてやり、勝手にやらせる事。

 そうすれば、こちらは勘繰られずに済む。その間にあわよくば、ハムエッグを潰す手段を講じる。

 最良のやり方を模索したが、やはりこのレストランで出来るのは最低限であった。

「……どの程度?」

 頬杖をついて尋ねるとハムエッグは卓上に手を置いた。

「アイアント部隊をこちらへ。それだけで随分と違う」

 熾天使の時に戦力を見せびらかし過ぎた。こちらの手の内はある程度割れているのだ。

「……いいわ。アイアント部隊、ね」

「但し書きが欲しい。口約束ではいくらでも破れるからね」

 軍曹を呼びつけ、書面にアイアント部隊をハムエッグの指揮下に加える事をサインする。ハムエッグは控えを受け取り薄く笑った。

「さて、これで少しばかりこの街も見渡しやすくなったわけだが、存外ね、たった一人を炙り出すのは難しいんだ」

 まだこちらから搾り取ろうというのか。ラブリは眉根を寄せる。

「……何を要求すると?」

「最初の一撃はこちらに任せて欲しい。石化の波導使いを見つけ出したあかつきには、こちらが先に手を打とう」

 パワーバランスを考えれば、ホテル側に先んじて撃ってもらう、と言われると思っていた。そうしたほうが後出しでどれだけでも戦力を奪える。しかし、ハムエッグはその逆を言ってのけた。

「……何故?」

「戦において、最初の一撃は肝心だろう? それを任されたほうが、戦いを制御出来る」

 嘘もいいところだ。最初に仕掛ける側は捨て駒のほうがいい。アイアント部隊をそれに使うつもりか、と問い質したいが、最悪な事に先ほどの書面でアイアント部隊の実効命令権は委譲してしまっている。

 つまりハムエッグがどう使おうとも文句の一つも言えない。

「分かったわ。最初にどうするのかはわたくし達側では一切、口を挟まない」

「理解があって助かるよ、ホテルミーシャ。では、話の続きと行こうか」

 まだ石化の波導使いをダシにして戦力の分散をはかっているに過ぎない。当の波導使いをどうするのかは協議の最中であった。

 ハムエッグがシャンパンに口をつけ、喉を潤してから話題を変えようとする。

 ラブリも前菜を頬張り、話を転換させたかった。

 何も知らないのか、知っていても口を挟まないのか、ラピスは大人しく前菜を食べている。

「石化の波導使い。風の噂でもいい。その能力は?」

「波導使いにおける最大の欠点を、わたしは知っている」

「結晶化、ね」

 それに関してはこちらも既知だった。アーロンと仕事をする際に一度や二度、耳にした事がある。

「知っていたか。その結晶化の応用、だと考えているが定かではない」

 それに何よりも、とハムエッグは指を立てる。

「先ほどの情報を知った上での発言ならば、結晶化の応用だという線も危うい」

 言葉尻を引き継いだラブリにハムエッグは満足そうに頷いた。

「その通り。攻撃方法は不明だが、このポケモンに関して言えば情報はある。カロスの情報源だがね」

「わたくしも、調べたわ。そのポケモンの特性を。聞くに、一体でどうこう出来るタイプじゃなさそうだけれど」

「奇遇だね。わたしもそう思っている。だが、波導使いは単騎だ。これは間違いない」

 アーロンのピカチュウしかこちらの知っている前例はないがハムエッグがここで嘘をつく意味はない。

「じゃあこのポケモン一体だと?」

「だが攻撃方法が一切分からない。所詮は、データ上の試算だ。机上の空論だと言われてもおかしくはない」

 ラブリは考えを巡らせる。ハムエッグでさえも知らない、石化の波導使いの手持ちの情報。それを得られればこの立場を逆転出来るかもしれない。

 だが、そんな虚しい考えに益を浮かべる前に、ハムエッグはホロキャスターを差し出す。

 そこには今回の争点となっている石化の波導使いの目撃情報が羅列されていた。

 思わず瞠目する。そこまで手札を持っていながら、今に至るまで明かさなかったというのか。

「この情報、いくらで買うかな?」

 いつの間にか立場が逆転していた。組織が勝つという大局から外れ、個人でしかないハムエッグの独壇場になっている。

「これは、眼≠フ情報なのかしら?」

「それは買ってから確かめるといい」

 ヤマブキを見張っている眼≠フ情報だとすれば浮かび上がってくる疑問が二つほどある。

 ――石化の波導使いは、身を隠すつもりがない?

 そうでなければ眼≠フ情報源などに上がってくるはずがないのだ。あるいはもう一つの可能性。

 ――これら全てが、石化の波導使いに関するものだとしても、無価値の可能性。

 つまり完全なダミーをちらつかせてこちらから金をふんだくろうとしている、という考えである。

 ラブリは後者の可能性を視野に入れつつ、これを買うべきか否かを思案する。

 もし、ハムエッグが一切、この情報に関しての手綱を握っていないのだとすればこれは買ったほうが優位だ。しかし、全て作り物、つまり相手側の情報の振りをしたただの張りぼてだとすれば、これは買ってしまえば大きな遅れとなる。

 どちらだ、とラブリは額に汗を掻いていた。

 ここでの自分の判断が、ホテル全体の遅れとなってしまいかねない。頭目として、判断する局面には慣れてきたつもりだったが、それはこちらが優位であった場合の話。

 ここまで愚弄されて、平気なはずもなかった。

 ハムエッグより一歩前に出たい、という思いが先行し過ぎれば、地雷を踏み抜きかねない。もう、この情報は手垢がついている。地雷原なのだ。

「……買う、買わない以前に、一つ聞いておきましょうか」

「何かな? 答えられる範囲ならば何でも答えよう」

「あなたにとって、石化の波導使いは脅威なのかどうか」

「先にも言ったはずだ。わたしはこのために、スノウドロップを鍛えてきた」

 それは詭弁ではないのか、と言い返したいのを抑えて、ラブリは言葉を選ぶ。

「では質問の意図を変えるわ。あのクズ――波導使いアーロンでは勝てないのか」

 その質問にハムエッグは僅かに表情を強張らせた。この質問は当たりだ。ハムエッグが何よりも恐れているのは波導使いアーロンの動き。

 その動きが迅速であればあるほどに、この交渉は意味を成さなくなる。つまり、アーロンの動きだけは制せなければならないのだ。

 ここでどう出るかが運命の分かれ目。ラブリは息を詰める。ハムエッグも言葉を慎重に繰ろうとして来る。アーロンに関して、どのような見解を示すのか。

 緊張が高まった瞬間、お互いの端末が鳴り響いた。同時に通話する。

「もしもし?」

「わたしだ。どうした?」

 放たれた言葉にラブリは震撼する。ハムエッグもここに来て初めて、驚愕を露にした。

「何ですって? 石化の波導使いが動いた?」

「どこで、だ?」

 向こうも同じように張っていたらしい。同じ内容を二人は別人から聞き及んでいた。

『西の四十地区です! 石化した死体が出まして……、今警察が現場検証を』

「警察を動かすな。わたしの指示に従ってこれから言う番号にかけろ」

 オウミを失った以上、警察勢力への根回しはハムエッグが直に行わなければならない。その隙があった。

 ラブリは声を潜めて吹き込む。

「石化の波導使いが近くにいる可能性がある。追いなさい。出来るだけ速く」

 隙をつき、少しでもハムエッグを出し抜こうとする。しかしハムエッグも対応は手慣れたものだった。

「路地番を使え。四十地区近辺を全て封鎖。わたしの権限でどうにでもなる」

 石化の波導使いの尻尾を掴みたいのは同じ心境であった。

 通話を切ってハムエッグはフッと口元を緩める。

「どうやらお互いに、行き会ったみたいだ」

「そのようね。でも、この場合、見つけたほうが対処する、というやり方でいいわよね?」

 こちらの手の者が先に見つければそれだけ先制を取れる。そう判じての声だったが、ハムエッグは薄く笑った。

「それでも構わないが、君らはちょっとばかし軽視している。波導使いを侮るな」

「それはあなたの子飼いに半ばなっているあのクズを鑑みての台詞、かしら?」

「どうとも。ただね、波導使いって言うのは厄介だ。わたしがこれまで接してきたどの殺し屋よりも強く、それ以上に謀が出来ない輩だよ。そういう風に仕上がっているんだ。だから、こっちの意のままにだとか、そういう事は出来ないと思ったほうがいい」

「忠告、感謝するけれどわたくし達はホテルミーシャ。当然、最終判断はわたくしがつける。ホテルを預かるものとして、頭目、ラブリとしての判断を」

 それは重々に承知している、とハムエッグは返す。

「ただ、生き急ぐものじゃないって言っているんだ。ほら、まだメインディッシュも運ばれていない」

 ハムエッグの目的が分かってきた。

 最初から、石化の波導使いが出没した際、こちらの動きを牽制するためにこの場所での会合を承諾したのだ。

 ――自分の動きを監視する、という名目も兼ねて、か。

 やはり食えない相手だ、と感じつつ、ラブリは端末に表示されているカウンターを目にしていた。

 石化の波導使いを追い詰めるためのカウントダウンだ。

 自分達ホテルが動けば、十分以内にはかたをつける。それが流儀であり、この街に慣れていない新参者への対処に他ならない。

「せいぜい、味わって食べるわよ。そう何度も遭遇出来ない会食ですもの」

 ラブリの声音にハムエッグも同調する。

「そうだね。わたしだって、ホテルの頭とこう面と向かって話す事は少ない。せいぜい、喋り込もうじゃないか。これからの事も含めて」

 石化の波導使いに関しての動きは制した、とハムエッグは思っているに違いない。

 ここから先は、相手を軽侮したほうが敗北する。

 一手先さえも危うい綱渡りに、ラブリはシャンパンを飲み干した。


オンドゥル大使 ( 2016/08/28(日) 19:27 )