MEMORIA











小説トップ
Extra Episode 鬼哭の黒、追憶の涙
第百二十話「悪徒T」

 会合、と言うからにはそれなりの場所を、と用意したのはホテルの側である。

 豪奢なレストランを予約したホテルミーシャは数人の手だれを連れて来ていた。その中には当然、直属の部下である軍曹も含まれている。

「お嬢。ハムエッグは来ますかね」

「来なければ、協定を結ぶ意味がないわね」

 このような時でもラブリは冷静だった。そもそも石化の殺し屋に関して知っている事を交換し合うのが今回の会合の目的である。

 こちらのカードは既に準備されている。後は、ハムエッグ次第であった。

 ハムエッグは約束より五分遅れてやってきた。侍らせているのは一人の少女のみ。

 だがそのたった一人が、この場にいる全員を殺し尽くせるほどの戦力であるのは窺い知れている。

 ――スノウドロップ、ラピス・ラズリ。

「初めて見るわね。現物は」

 ラブリの評に服飾を纏ったハムエッグは読めない笑みを浮かべた。

「そういえば、ホテルのボスと会うのは初めてだったか」

「うん。主様、ここではラピスは」

「ああ、じっとしているんだよ。おいしいご飯を食べさせてあげよう」

 ラピスが目を輝かせる。傍目から見れば、ただの子供。しかし、その戦力は単騎でヤマブキという街を半壊せしめる。前回のプラズマ団の時における戦闘がホテル側の解析に寄れば「リハビリ」であった事にラブリは驚いていたが、直接目にすればさもありなん。

 ハムエッグは決して切り札の実力を見誤ったりしない。底を見せないのがこの街で渡り歩いていく流儀だ。

「座りましょうか」

 ラブリが席につく。ハムエッグとラピスも席についた。

 ホテル側の護衛は席につかずずっと立ちつくしている。

「座ればいいんじゃないかな? 立っているのはしんどいだろう」

「いえ、我々はお嬢のための盾ですから」

 答えた軍曹の声にハムエッグは笑う。

「生真面目だね、君の部下は」

「あなたの手持ちほどではないわ」

 ラブリは言い返しつつ、前菜が運ばれてくるまでに話をある程度進めておくべきだと感じていた。

「石化の殺し屋、と言ったわね」

「ああ、その通りだ」

「その殺し屋のやり方が、あのクズに似ている、とも」

 あのクズ、で了承は取れたのだろう。ハムエッグは首肯する。

「ああ、アーロンと同じ、波導使いだろう」

 あまりにもあっさりと答えられる反面、その石化の波導使いがどれほどの脅威なのかはまだ明かされていない。ここからが手札の切り合いであった。

「石化の波導使いがこの街で表立って動き出したのは二日前。ホームレス殺しは」

「聞いているよ。ボロボロの白い灰になっていたんだって?」

 殺しの手口を聞き出さなくっては。ラブリは鎌をかけた。

「あのクズみたいに、波導を操って殺したのでしょうね」

「わたしにも、波導に関しては分からない事のほうが実は多くてね。専門家は、と言えば彼しかいない」

 波導使いアーロンは、ハムエッグにさえも手の内を明かしていないという事か。それだけ波導という存在が脅威なのだと分かる。

「あのクズは、その時間、何をしていたのかは分かっているの?」

「おいおい、まさかアーロンを疑っているのかい?」

 冗談にしようとするハムエッグにラブリは本気の眼差しを注いだ。

「それはそうでしょう。波導使いがその専門家だと言うのならば、他人がやったように偽装する事だって可能でしょうに」

「ないよ。アーロンは利にならない殺しはやらない。どれだけ追い詰められても、利にならなければ人殺しはしないんだ。それはわたしが長年、彼と付き添ってきて分かった事の一つだよ」

「じゃあ、話を変えて。もし、波導使い同士がぶつかり合ったらどうなるのか」

 石化の波導使いとアーロンが別人である、という前提の話であったが、ハムエッグは頭を振った。

「分からない、というのが正直だ」

「分からない? 長年の友でしょう?」

「彼は自分の殺し方に関してはとても口が堅くてね。何が苦手とするだとか、どういう局面が得意だ、とかは言わないんだ。殺し屋なんてみんなそうだろう?」

 確かに殺し屋は手が割れればお終いだ。そういう職業だから、と言えば理由にはなる。

 しかし、ラブリは追及した。本当に、アーロンではないのか、と。

「じゃあ、波導使いがやったのではない、という確証もないわけね?」

「あまり勘繰ってあげないで欲しいな。アーロンはそこまで人でなしではないよ」

 自分の与り知らぬところで波導使いアーロンをどうするべきかという審議が行われている。それだけでも充分にこの街の将来を左右するものであった。何よりもこの場において協議されるべきは、波導使いアーロンの実力と、石化の波導使いの実力が拮抗するものなのかどうか。

「では言葉を変えるわ。あのクズならば、どう殺すのか?」

「分からないと言っているじゃないか」

「何一つ、ではないでしょう? だってスノウドロップは波導使いと事を構えた。つまり、それなりに情報はあるはず」

 ハムエッグは肩を竦めた。ラピスは自分が話題に上がったのを感知していないかのように天井のシャンデリアをじっと眺めている。

「参ったね、どうも。こちらの知り得るアーロンの情報を売れと。そう言っているのか」

「それだけじゃない。あなた、前回のプラズマ団の蜂起だって、どこかしら分かっていたんでしょう? そうでありながら、あの段に至るまで放置した」

「お互い様だろう、ホテルだって。どうしてヤマブキの危機に、ホテルは一切介入しなかったのか。それはあのプラズマ団の蜂起に介入しても旨味がないと知っているから。つまり、ある程度予備情報は仕入れていたわけだ」

 お互いに腹の探り合いだ。ホテルとしてはハムエッグの情報網がどこまで行き届いていたのかを知りたいが、それは無傷では済まないだろう。こちらがどこまで情報網を敷いていたのかを知らしめる事になる。

 食えない奴だ、とラブリは胸中に毒づく。

 情報の交換、という名目があるとはいえ、どちらかが損をする形となるのは明白である。両者共に、削り合いをしつつ、それを最小限に留めたいのが人情。

「プラズマ団は、確かに面白くなかった。だから何もしなかった。それでは不満?」

「面白くないというのならば、余計に何もしないのは不自然だろうに。炎魔の一件をお忘れか? あの時、末端構成員が殺されただけで、躍起になって犯人探しをした」

「あれはわたくしの部下を殺した。という事は、わたくしへの侮辱と同義」

「しかしね、あれは炎魔の仕業ではなかった。熾天使なる、炎魔と同質の殺し屋の仕業であった。マインドセットを極限まで減らした上位互換。ここで気になるのは、その熾天使。どこへ行ったのか?」

 心臓を鷲掴みにされた気分だった。まさか、知っているのか、と言いたくなるのをぐっと堪える。

「そうね。どこへ行ったのかしら」

「しらばっくれても無駄だよ、ホテルの諸君。宿主、という制度を使っていたらしいじゃないか、炎魔は。それを極限まで細分化し、親指一本程度でも宿主を切り替えられる理想の殺し屋、熾天使。そんなものを、野放しにするほど、ホテルは愚鈍ではあるまい?」

「熾天使に関してはわたくしの関知するところじゃないわね」

「まぁ、これはいいんだ。わたしは、別に熾天使が今、どうしているかだとかはどうでもいいんでね。例えば、スノウドロップへの牽制用に再教育されていようとも、どうでもいい」

 どこまで知っていて、このポケモンは人を愚弄するのだ。やはりこの街随一の情報屋は伊達ではない。熾天使の処遇はホテル内部でも上層の領域であった。

「そんな話をしに来たんじゃないでしょう?」

 ラブリは務めて平静を装って口にする。今議論すべきは、熾天使という戦力を保有しているか否かではない。ハムエッグも退き時を心得ているようですぐに話題を仕舞った。

「そうだね。熾天使云々はこの際、どうでもいい。問題なのは、石化の波導使い。あれをどうするか」

 前菜が運ばれてくる。ラブリは聞き出すタイミングを何度か失っている事に気がついていた。このポケモンは思いのほか、口が堅い。情報の値段次第では誰にでも口を割るわけではないらしい。

「石化の波導使いを、どう対処するか」

「わたしとしても命題だよ。スノウドロップでも敵うかどうかは五分五分だ」

 そこまでハムエッグは弱気でありながら、情報戦においては負ける気がしていないのも事実。ホテル側に情報面での上を行かれたくないのだろう。

「最終段階になれば、スノウドロップのカードを切る、と思ってもいいのかしら?」

「本当の最後の段階になれば、ね。それこそ、どんな殺し屋でも敵わなかった場合、わたしはスノウドロップを出そう」

 しかしそれまでは静観を貫く構えだ。ハムエッグはあくまでの傍観者を気取りたいらしい。ラブリはここで交渉のカードを切る事にした。

「石化の波導使いの手持ちに関して、わたくし達は情報を持っている」

 ぴくり、と僅かな反応であったがハムエッグが眉を跳ねさせる。知らないのか、とラブリは一気につけ込んだ。

「この手持ちの情報は大きい。これ次第で、ヤマブキのパワーバランスは変わるでしょう」

「それを買え、と?」

「値段はこちらで提示させてもらうわ。その代わり、確定情報を売る」

「確定情報、ね。そうでなければ、わたしとしても困る。仕留め損なう結果になりかねないからだ」

 その情報をアーロンに売るつもりだろうか。ハムエッグの真意は不明だが、この情報に食いついているのだけは確かだ。

「軍曹。石化の波導使いの目撃情報を」

 軍曹が歩み出て書類を手渡す。受け取ったラブリは書類の隅を指で弾く。ここからが商談だ、という合図だった。

「二十、でどうかな?」

「この街の命運がかかっているのよ。百、これ以下はない」

 提示した額にハムエッグは辟易したようだ。

「恐ろしいね。手持ちの情報だけだろう? そのポケモンの技構成、特性、使い方、それらを包括した内容である、という保障はない。それこそ、名前一行の可能性だってあるんだ。だというのに、百、はおかしいね。その大仰な書類だってダミーではないという確証もない。君達は張子の虎で商売をしようとしている」

 盟主の名前はやはり伊達ではない。こちらにあるのはたった一行のポケモンの名前だけだ。それを読み取られたとはいえ、顔に出すほどこちらも初心ではなかった。

「でも、わたくし達の持っている情報は新しい。あなたの持っている風の噂程度の情報とは鮮度が違う」

 古い情報と新しい情報ならば確定で新しい情報の勝利だ。それは情報屋ならば誰しも分かっている。情報は何よりも鮮度が命。一秒でも新しければそちらに軍配が上がる。

「情報屋を相手取るのならばその商売の仕方が悪いとは思わない。むしろ、正しい。だが、わたしは今日、君達を相手にするに当たって情報屋、ハムエッグとしてではない。ヤマブキの盟主であり、スノウドロップの飼い主としてここにいる。情報屋の手段でわたしを篭絡出来るとは思わない事だ。今のわたしの双肩にかかっているのはね、この街の未来だよ。だというのに、舌先三寸でわたしがそのたった一行の情報を買い取ると? 馬鹿にはしないでもらおうか。わたしにだって情報の見極めを行う審美眼くらいはある」

「ではこの情報は必要ない、と?」

 ラブリの試す物言いにハムエッグは鼻を鳴らした。

「生憎だが、君達の行う情報のやり取りは少しばかり、ずさんだ。そうだな、素人臭いと言ってやってもいい。本当の情報のやり取りとは、こうやって目と目を合わせてやるものだけではないのだよ」

 ハムエッグの言葉は繰り言だ、と断じる事も出来た。しかしあまりにも物怖じしないこの気迫は何だ? じっとその眼を見据えているとラブリはハッとした。

 情報は鮮度が命。

 このポケモンはもしや――。

 即座に軍曹に命じる。

「軍曹。我が方に、裏切り者がいる」

 その言葉に護衛の者達がざわめいた。軍曹は歩み出て進言する。

「お嬢、そんな人間がいるとは思えません。何故、そう思われたのですか?」

「情報は一秒でも新しく。わたくしが持っているのがどの段階までの情報なのか、リアルタイムでハムエッグに売れば、それこそ莫大な利益を得るでしょう。最終的な勝利者を確約されたのならば、離反する人間がいてもおかしくはない」

「ですが、こんな矢面に……」

 その時、一人の護衛の者が震え出したのを、ラブリは見逃さなかった。全員の眼がその一人に注がれる。

 逃げ出そうとしたその人物を三人ほどが取り押さえた。

 その手にはホロキャスターがあり、ハムエッグへとメールを送っていた。

「この、裏切り者が!」

 殴りかかろうとした構成員に、ラブリは声を張り上げる。

「おやめなさい! 御前である!」

 鶴の一声に構成員達が硬直する。ラブリは顎をしゃくった。

「処遇は後にするわ。そいつを取り押さえておきなさい。まぁ、こういう頭同士の取り決めともなれば、離反者が出るのは想定内よ」

「ですが、ボス。背信行為ですよ」

「だからと言って、ここは一流レストラン。血に染める場所ではない」

 ラブリはようやくシャンパンに手を伸ばした。ここに来て初めて喉が渇いた。

「一手、という事か」

「遅れたかそれとも逸ったかは置いておきましょう。どちらにしても、お互いに用心の要る事だというのはよぉく分かった」

 こちら側に離反者がいるという事は、向こう側にも、と考えてラブリは相手がラピスしか連れていない意味をようやく察した。居たとしてもここには連れてこられなかったわけだ。ハムエッグは自分の周辺しか信じていない。ここに来て、組織の弱点が露呈した形となった。

「さて、話を戻そうか。そのたった一行の新情報、いくらだったかな?」

 もう議論の余地はなかった。こちらに非がある以上、交渉は同レートのはずがない。

「……二十で手打ちよ」

「それならば納得が出来る」

 ラブリは大仰に纏めた書類を卓上に出す。ハムエッグはそれを受け取って中身を検めた。

「本当に一行だけとは、恐れ入った。さすが、ホテルの頭。肝が据わっている」

 書類の大部分は空行と黒塗りであり、分かっている情報はたった一行だけだった。

「こちらにも、百人前後の戦力を統率する義務がある。交渉において下手に出るわけにはいかない」

「立派な心がけだよ」

 言葉の表層にも思っていないような言い草だった。

 ハムエッグはその一行を目にして、書類を破り捨てる。もうその価値は失われたように。

「さて、わたしと君だけが、この情報を握っている事になるわけだが」

 謀られた、とラブリは感じた。この盟主は最初からアーロンに協力を仰ぐつもりではない。自分達で対処するつもりなのだ。今日の交渉は波導使いアーロンを議論するのではなく、ハムエッグの軍門にホテルがどの程度下るのか、という審議であった。

 石化の波導使いの話題はそのためのブラフでしかない。

「……わたくし達を使う、というの?」


オンドゥル大使 ( 2016/08/28(日) 19:27 )