MEMORIA











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Extra Episode 鬼哭の黒、追憶の涙
第百十九話「家族の形、人のカタチ」

「アーロンさーん。朝御飯、まだですかぁ」

 上がってくるなりそう尋ねられて、アーロンは憂鬱が二割増しになったのを感じた。

 シャクエンがキッチンに立とうとしている。アンズは食器の片づけだ。その一方で、メイは、といえばテレビを観ていた。

「お前は、この二人を見習う、という事さえも出来ないのか?」

 シャクエンから料理の途中経過を聞く。

「今、味噌汁を作ったところ」

「その先は預かろう。アンズも、食器の片づけは俺がやる」

「でも、お兄ちゃん。あたいだって役に立ちたいし」

「立派な心がけだが、一人の馬鹿を調子づかせないために、お前らはそいつの口を塞いでくれ」

「また馬鹿って言ったー」

 ばたつくメイをシャクエンが撫でて、アンズがいさめる。

「これではどちらが年下か分からないな」

 アーロンは嘆息をついて朝食の仕上げにかかった。

 メイは、というと朝から有名人のゴシップに躍起になっている。

「大変ですねー、芸能界」

 ちょっと前まで自分の身分が大変だった事などすっかり忘れてしまったのか。メイの言葉はどこまでも呑気であった。

 シャクエンがメイの横にちょこんと座り、アンズもメイを挟んで座っている。

「……何か、監視されている気分なんですけれど」

「そうでなくとも、監視している。お前が妙な事をしないようにな」

「何でですか。あたし、すっごいいい子ちゃんですよ?」

「いい子ちゃんは後から来た奴らに朝飯を任せたりはしない」

 そう言うとさすがにメイでも言い返せないのか、むすっとむくれた。

「仕方ないじゃないですか。あたしがキッチンに立つと、アーロンさん、怒るし」

「片づけまで含めて料理は料理と言う。お前のは遊ぶだけ遊んで後片づけも出来ない、出来損ないだと言うんだ」

「ひっどいですよ、あたしだって真面目にやっているのにー」

 ばたつくメイへとシャクエンが声にする。

「メイ、波導使いの言う事にも一理ある。もうちょっと真面目になったほうがいいと思う」

「あたいも。お兄ちゃんのほうがまだ理由としてはきっちりしていると思うなぁ」

 二人ともこちらの味方についたのでメイは膨れっ面のまま、アーロンの背中を睨んだ。

「……情報操作しましたね、アーロンさん」

「していない。馬鹿のやる事があまりにも常識外れだから、常識人が仲間についただけだ」

 そもそも情報操作の必要性がない。

 アーロンは焼き上がったたまご焼きを皿に盛り付け、季節の野菜を添えた。

「朝食を仕上げるのも、お兄ちゃん、様になってるよね」

「波導使いはずっと自分の分だけやってきたから」

 アンズとシャクエンの言葉にメイは不服そうだ。

「あ、あたしがいるから、アーロンさんは他人の料理をするのも覚えたんだよ?」

「それはメイ、全然誇りに思うところじゃない」

「メイお姉ちゃん、太くなったよね」

 二人してメイを責め立てるのでさすがに黙りこくった。

 大人しくテレビのチャンネルを回している。

「さて、出来たぞ」

 全員分の皿に盛り付けを完了させ、アーロンは卓上へと運んでくる。

 芳しい朝の香りの代表格である味噌汁に、メイは目を輝かせた。

「やっぱり主夫ですよ、これからは! アーロンさん、さっすがー!」

「おだててでも何も出ない」

 ひらりとかわしてアーロンは食事に手をつけ始めた。シャクエンとアンズも同様である。

 メイだけはどこか引っかかったように小言を漏らし続けている。

「……何か、あたしに対する風当たり強くありません?」

「変わらないだろう。アンズ、よく噛んで食え」

「うん、分かってる」

「……なーんでアンズちゃんだけ」

「シャクエン、今日はシフトだったな。焦らずに食っていけ。朝飯を食うのと食わないのとでは、仕事に違いがあるだろう」

「分かっている」

「平等って言葉を取り違えているんじゃないかなー……。ホラ、最後にあたし! あたしですよ、アーロンさん!」

 メイの言葉を無視してアーロンは味噌汁をすすった。アンズとシャクエンも同様である。

「ぜ、全員無視ですかぁ?」

「うるさいぞ。テレビの天気予報が聞こえない」

 アナウンサーが夕立に見舞われるところがあるでしょうと言っている。早目に洗濯物は取り込んだほうがよさそうだ。

「あ、あたしよりアナウンサーですか?」

「少なくとも有益という点では、アナウンサーだ」

「い、いいいですよーっと、あたしにはピカチュウのご飯あげる役割がありますからっ!」

 魚介の缶詰を冷蔵庫から取り出し、メイは手招きする。

 ピカチュウはやはりと言うべきか、メイには近寄らない。

「な、何で? あたし、大分慣れましたよね?」

 理不尽だと言いたいらしい。アーロンはピカチュウの背中を撫でてやってから、魚介の缶詰を近づかせた。

「これなら食えるだろう」

 ピカチュウは電気メスを使って缶詰を器用に開ける。

「……まだ、他の誰かからのご飯は口にしないんですね、ピカチュウ」

 それでもマシにはなったほうだ。以前までは本当に徹頭徹尾、アーロンがやらなければ警戒して動きもしなかった。しかしメイをつけ上がらせるだけなのでアーロンは黙っておく。

 ホロキャスターが鳴り響く。アーロンはすぐさま通話モードにした。

「何だ?」

『今日の仕事です。六十七の路地で暗殺をお願いします』

 三日前に入っていた殺しの案件であった。アーロンは了承の声を吹き込み、すぐに朝食を片づける。

「仕事が入った。俺はすぐに出る。片づけは」

「あたいとシャクエンお姉ちゃんがやるよ」

 引き受けたシャクエンとアンズを目配せし、アーロンは立ち上がった。

「ちょっと! あたしにもちょっとくらいは任せてくださいよー」

 メイの懇願を無視してアーロンは下階へと降りる。コーヒーを抽出していた店主と顔を合わせた。

「おっ、アーロン、仕事かい?」

 もう、以前までのように衛生局だと騙す事はない。アーロンは短く答えた。

「野暮用でね」

「気ぃつけるんだぞ。メイちゃんもみんなも、帰りを待っているんだから」

 偽ってまで行動しなくてはならなかったのはつい一ヵ月前までだ。それが様変わりした。変化をただいいものとして受け入れるのにも時間がかかったが、少なくとも害悪ではあるまい。

「ああ、行ってくる」

 アーロンは雑多な人混みに身を任せて路地裏へと歩み出た。

 張っていたのはヴィーツーだ。連絡用のインカムを耳に当てて黒服に袖を通している。

 路地番の格好であった。ヴィーツーは路地番に身を落としてようやく一ヵ月。

 仕事に慣れ始めた頃合であった。

「首尾は?」

「上々だ……じゃない、上々ですよ。……まったく、何で私が波導使い相手に敬語など」

「路地番は、きっちり報酬をもらいたければそれなりの言動をするべきだ。そんな基礎も習わなかったとは言わせないぞ」

 アーロンの忠言に、ヴィーツーは額に手をやって首を振った。

「分かっていますよ。今回のターゲットはこの街に潜り込んできた、ジョウト出身のマフィアの頭目。言ってしまえばおのぼりさんです。こいつが一人になるのは先にも言った通り、六十七の路地に入った瞬間。こっちで全ての情報網と部下の動きを制し、孤立させます。そこからは」

「俺の仕事、だろうな」

 了承したアーロンが電気ワイヤーを使ってビルの縁へと取っ掛かりをつける。ヴィーツーは嘆くように口にした。

「……そういくつも仕事なんてあるはずがないと思っていましたが、ここまで連日、殺しがあると色々と疑いますよ」

「この街はそういう街だ。いい加減受け入れろ」

「敵も味方も関係なし、ですか。郷に入らば郷に従え。私達プラズマ団が一ヶ月前に反旗を翻したのだって、もうニュースじゃ報道さえもされない。あれに、意味なんてなかったって言われているようで」

「釈然としない、か」

 引き継いだ語尾にヴィーツーは納得のいっていない顔を振り向ける。アーロンは指を一つ立てた。

「言っておこう。騒ぎ立てられないという事は、平和の証だ」

「偽りの平和でしょう。どこまで糊塗すれば気が済むんだか」

「それでも、平和がなければやっていけないのさ。この街も、住んでいる人間達も」

 電気ワイヤーを巻き取らせてアーロンはビルの屋上へと着地する。俯瞰する六十七の路地に入ってきたのは黒色のバンであった。そのバンから三人組が降りてくる。

 路地番との手はずでは、このまま二人を制し、頭目だけを殺す予定であった。

 後ろなどまるで気にしていない、刈り上げた髪型の頭目が煙草を吹かした瞬間、路地が封鎖される。

 守りの任を帯びていた二人が路地の外に取り残されたその一瞬。

 アーロンは飛び、頭目の眼前に降り立った。

 頭目は呆然としている。

「てめぇ……、どこの組のもんだ?」

「どこの組でもない。ただ、その命は少しばかりこの街では目立つのでね。刈り取らせてもらう」

「殺し屋か。だがな、こっちだって手ぶらじゃねぇんだよ」

 頭目がモンスターボールを手にし、中からポケモンを繰り出した。

「いけ! ドータクン!」

 出てきたのは銅鐸そのもののポケモンであった。両端に赤い目があり、薄い光沢が表皮を輝かせている。

「鋼か。見た目からして、ヒットマン相手への牽制、及び護身用と言ったところか」

「ドータクン! サイコキネシス!」

 放たれた紫色の思念の渦がアーロンを押し潰そうとする。アーロンは肩に留まったピカチュウに短く命じる。

「エレキネットを使って相殺」

 展開された「エレキネット」が思念の渦を包み込んだ。頭部を叩き折るかに思われた力量が全て、電気の網にすくい取られる。その現実に頭目は目を見開いた。

「なんだ、それ……。ただのピカチュウのエレキネット程度で、ドータクンの攻撃を」

「捉えるのは容易い。直情的な攻撃は、俺には無意味だ」

 頭目は歯噛みし、手を薙ぎ払う。

「だったら、てめぇの足場ごと粉砕してやるよ! ドータクン、サイコウェーブ!」

 思念の波が払われ、地面が捲り上がる。コンクリートを破砕し、粉みじんにするほどの激しい思念であったが、アーロンは動じる事もない。

「ピカチュウ、軽く電撃でいなせ。三十度右方向の思念を切って突き破る」

 その指示に、ピカチュウが的確に電流を放った。アーロンはそれに併せる形で波導回路を読み取る。

 思念の中にも波導は宿る。網のようにこちらを絡め取ろうとした「サイコウェーブ」であったが、その波導回路の弱点へとアーロンは的確に切断電流を撃った。

 相殺された思念の波が一部だけ剥離する。その隙を見逃さず、アーロンは身体ごと突進した。

「サイコウェーブ」に生じた一点の隙間を潜り抜け、アーロンの姿が眼前に迫った時になって、頭目が焦りを見せた。

「なっ、何をしやがった! てめぇ!」

「波導を軽く切って、サイコウェーブに隙間を生じさせた。その隙間を通るのに、さほど苦労はしない」

 信じられないのだろう。頭目が目を慄かせて震え出す。

「……んな事、信じられるかよ! ドータクン、もう容赦なしだ! サイコキネシスを乱れ打ちして、この殺し屋をやっちまえ!」

「おや? それは妙だな。いつから、手加減などしていた?」

 照射された「サイコキネシス」がアーロンを押し潰そうとする。即座に回避し、壁を蹴りつけて撃ち込まれるであろう第二波を破った。ドータクンの思念の動きは一撃目で既に見切っている。

 その癖も、生じる隙も全て、アーロンにはお見通しだった。「サイコキネシス」の乱れ打ち。通常ならば、どの波かが捉えるであろう。しかし、アーロンの波導の眼には、それら全てがつぶさに映っていた。

 一つ一つの生じさせる隙も、完全に。

 突き出した右手で波導を切り、生じた合間を縫ってアーロンが肉迫する。ドータクンがおっとり刀で迎撃しようとする。

「首をひねり潰せ! サイコウェーブ!」

「残念ながら、その生じさせる波も、その波の位相も全て、この眼には視えている」

 電撃を纏い付かせた右手が思念の波を掻き分け、ドータクンの堅牢そうな身体へとそのまま触れた。接触の瞬間、ドータクンの波導回路がアーロンの脳裏に刻み込まれる。

 ドータクンは一見すると隙のない、防御タイプのポケモンに見えるがいくつかの脆いポイントがあった。アーロンの眼はそれらを感知し、電撃が確実にその点を突く。

 突かれた箇所からドータクンの表皮が磨耗し、くすんだ灰色になっていった。その思念の衰えにドータクン本体も驚いているに違いない。

「何をしてやがる……。ドータクンの防御が突き崩されるはずが」

「ない、と思っているのならば、それはおめでたい、と言うんだ。この世に、絶対防御の盾などありはしない」

 崩れたドータクンの表層をアーロンは右手で引っ掴み、そのまま叩き落した。頭目とてドータクンほどの防御性能を誇るポケモンがただの人間の、ちょっとした力加減で落とされるとは思っても見なかったのだろう。

 目を見開いたまま、絶句している。

「何者だ……。ドータクンを、ただの人間が倒せるはずがねぇ」

「そうだな。ただの人間ならば、ポケモンに手傷を負わせるなど不可能だろう」

 朽ちていくドータクンの鋼の表層に一瞬だけ、光が宿った。その攻撃の矛先にアーロンは勘付く。

「やれ! 破壊光線!」

 太陽光を吸収し、表層を輝かせたドータクンから放たれたエネルギーの瀑布。頭目は焼き尽くしたと確信したのだろう。

 口角を吊り上げた頭目の背後へと、アーロンは回っていた。その背中をとんと突いてやる。

 それだけで頭目は恐れを成した。腰を砕けさせ、目を戦慄かせる。

「ば、馬鹿な……。いつ、後ろに回った?」

「破壊光線……、ほぼゼロ距離だ。だが、今のドータクンには正確無比な射撃は不可能にしてある。波導を操り、その視覚に潜り込んだ。今のドータクンに、俺は見えていない」

 こめかみを突いて言ってやると頭目は慌ててドータクンを盾にする。アーロンの右手による波導切断を防いだドータクンが中央から亀裂を生じさせた。

「ぱ、パンチでドータクンの表皮を破った……?」

「正確には拳ではないんだがな。そういう存在がいる事くらい、裏稼業ならば学んでおけ。まぁ、その機会は永遠に失われるわけだが」

 頭目が突然に痙攣し、喉の奥から叫びを発した。先ほど突いた背筋から波導を操ったのだ。

 頭目がその意思とは無関係に立ち上がり、アーロンへと歩み寄っていく。足を押さえようと手を伸ばすが、その指先が無情にも逆向きに折れ曲がった。

「ああ、何故だ……。死ぬのか……」

「死ぬ、じゃない。俺が殺すんだ」 

 アーロンの右手が頭目の頬を引っ掴む。そのまま波導の眼を使い、内部の波導回路へと電撃を流し込んだ。

「――終わりだ」

 内部からの電流にのたうった頭目が事切れるのに、三秒とかからなかった。

 アーロンは殺しを遂行し、電気ワイヤーで近場のビルの屋上へと躍り上がる。

 ようやく路地番の封鎖を抜けてやって来た取り巻きが頭目の死を確認していた。

「これで一つの組織が潰れた、か。まぁその辺りのチンピラ風情ならば、何の障害にもなるまい」

 アーロンは跳躍し、ビルの谷間を抜けていった。


オンドゥル大使 ( 2016/08/28(日) 19:27 )