第八話「外法者」
朝の波導だ。
アーロンは瞼を上げて起き上がる。既に店主は起きているようだった。寝床から出るなり、「おはよう」と声がかけられる。
「今、何時だ?」
「九時過ぎだ。相変わらず起きるのが遅いな、アーロン」
アーロンはぼさぼさの髪を掻いて、「何かあったか?」と尋ねる。
「何にも。大人しいもんさ。昨日のお前の言葉が効いたのかもな」
階段を顎でしゃくる店主にアーロンは、「準備をする」と取って返す。
寝床にあったコートと帽子、それにピカチュウの入ったモンスターボールをホルスターに留め、アーロンは二階に続く階段を上がっていった。
部屋の扉を開けると異臭が鼻をつく。視線を投げるとキッチンが無茶苦茶になっていた。フライパンが適当に放り投げられ、玉子焼きとも何ともつかない黒い物体がゴミ箱へと無造作に捨てられている。
部屋の奥のソファでメイは静かに寝息を立てていた。アーロンはソファを蹴り飛ばしてメイを起こす。突然の事に、「ひやぁっ!」とメイの悲鳴が聞こえた。
「何をしている。あれは何だ?」
キッチンのほうを指差すとメイはばつが悪そうに答えた。
「その、何か食べ物ないかな、って思って。んで、物色していたら、その……」
「勝手な真似をするな」
火事でも起こされては堪ったものではない。アーロンが身を翻すと腹の虫が鳴いた。自分のではない。メイが赤面して腹を押さえていた。
「何も食っていないのか?」
アーロンの質問にメイは首肯する。額に手をやって、「仕方がない」とキッチンに向かった。メイの作ったものを全て捨てて、冷蔵庫にあった材料だけで手早く調理する。出来たのは焼きそばだった。テーブルに出すとメイが尋ねる。
「その、食べていいんですか?」
「そのために作ったんだ。安心しろ、毒は入っていない」
少しの逡巡の後、メイは口に含む。すると目を輝かせて次々と食べていった。
「おいしい……」
「トレーナーだろう? 普段はどうしている」
「出来合いの食べ物を買って、それで過ごしていました」
「褒められた旅人のやり方ではないな」
アーロンの声にメイがしゅんとする。アーロンはテレビをつけて、「さっさと食え」と急かした。
「急かさないでくださいよぅ……。こんなおいしいもの、久しぶりに食べるんですから」
「ただの焼きそばだ。誰でも作れる」
今朝のニュースでは別段、珍しい事はやっていない。どうやら逆探知が働いてカヤノの居所が掴まれたわけではなさそうだ。当然の事ながらこの場所も割れていないらしい。いや、割れていたとしても動きがないだけか。
「何でチャンネルをそんな速度で替えているんですか?」
メイには、常人にはアーロンが凄まじい速度でチャンネルを替えているように映るだろう。しかしこれは波導の訓練だ。チャンネルを替えるたびに出てくる人間の波導を読み取り、瞬時の判断をしやすくする。それと同時に情報を選択するという意味も兼ねている。
しかしそれらを説明してもメイには分かるまい。アーロンは、「習慣だ」と片付けた。
「習慣で、そんな事をする人っているんですね……。初めて見ました」
アーロンはメイを見やり、「出かけの準備くらいは出来ているな?」と声をかける。
「準備って。あたしはトレーナーですよ。いつでも」
どうしてだかふんぞり返るメイを横目にアーロンはテレビの電源を切った。
「ならば今すぐでもいい。行かなければならない場所がある」
メイは警戒して身構えた。
「ま、まさか、そういういかがわしい組織に……」
「そういう組織の末端員ならばもっと賢くお前を篭絡する。その気はないから気にするな」
「……何だか引っかかる物言いですね」
アーロンは身支度を整えて転がっているモンスターボールを手にする。
「あっ、それあたしの」
「自分の手持ちくらい、自分で管理しろ」
その声音にメイが言い返す。
「いいじゃないですか。別に。あたしの勝手でしょう」
「勝手、か。ならばもし、この場に殺し屋が転がり込んできたとして、俺は対応出来るが、お前は対応出来ずに死ぬな」
非情な宣告にメイはモンスターボールを握り締めて口にする。
「イジワルですね」
「そのつもりはない」
アーロンは帽子を目深に被り、「まずはカヤノ、か」と呟く。
「昨日の今日だが収穫を聞かなければならないな」
カヤノの下を訪れると一番に唖然とされた。
すぐさま潜めた声になってアーロンに近づく。
「おい、アーロン。何色気づきやがった? お前が女を連れてくるなんて異常な事態しか思い浮かばないんだが」
「だから言っただろう。異常事態だ、と。ポケモン図鑑の型番を調べて欲しいという依頼、どうにかなったのか」
カヤノはまだアーロンとメイの関係を勘繰りたい様子だったが昨日の依頼料の気前のよさの手前、それを憚ったらしい。
「……型番と製造元に関してはワシは何も分からん。だから専門家に斡旋するにしても奴の協力は不可欠だった」
アーロンは眉根を寄せる。
「ハムエッグか」
「朝ごはんですか?」
見当違いのメイの言葉を無視してアーロンは問いかける。
「本当に、それ以外の手はなかったのか?」
「この街で一番の情報通が奴であるという事実は曲げられん。ワシとお前の依頼だと言えば、奴も悪い顔をしなかった」
「それは、俺に借りが作れるからだ」
忌々しげに口にするとカヤノは渋い顔になる。
「確かに、お前としちゃ面倒な相手でもあるだろう。あっちも必死だ。出来れば会いたくないが、このヤマブキっていう狭い街で顔を合わせないほうが不思議ってもんさ。お互いに今回限りで手を打ちたいのが人情か」
カヤノの声にアーロンは諦めて頷く。
「感謝する」
「よせよ。これから先、何回あっても足りんぞ」
カヤノが煙草を吹かし始める。やはりハムエッグに会うほかないのだろうか。アーロンの懸念を他所にメイは尋ねる。
「お医者さんなんですか?」
「ああ、医者だよ。だが、風邪や病気を治すんじゃない。ワシがやるのは外法だ」
きょとんとするメイにアーロンは言ってやる。
「闇医者だ。法外な値段で裏稼業の人々の治療や売春の斡旋、あるいは専門外の事までやってのける」
売春、という言葉にメイの顔が赤くなる。
「おや、初心なお嬢ちゃんだな」
「そ、そんな事が許されるとでも……」
「許す、許さないではなく、この街ではまかり通ってしまう。そういうシステムの一部に、組み込まれてしまっているのさ。まぁお嬢ちゃんもじきに分かる。この街が、いかに混沌を極めているのかを」
「もう行くぞ」
身を翻すアーロンの背中にカヤノは忠告する。
「言っておく。これからのためにもな。ハムエッグを殺そうなんて思うな」
「今回の標的じゃないんでね。余計な殺しはしない主義だ」
二人の間に降り立った無言の了承をメイが読み取る前にカヤノの診療所を出て行った。