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波導の青、彼方の死神
第六話「転がり込んできた少女」

「ああ、アーロン。何か、見た事のないお嬢さんが上に行ったけれど」

 店主がアーロンに声をかける。面倒事は断ってくれ、と予め言っておいたはずであるがいきなり上がられては止める言葉もなかったのだろうと考える。

「珍客だ。俺も知らない」

「そうか。まぁコーヒーでも飲むか?」

 今日も喫茶店は暇のようだ。アーロンは椅子に腰掛け、「頼みがある」と切り出した。

「何だ? 大体の事には応えてやれるつもりだが」

「今晩だけこっちで眠らせてくれ。もし場所がないのならば床でもいい」

 その申し出に店主は戸惑った。

「別に、いいと言えばいいが……。アーロン、どうしたんだ? 本当にあのお嬢さんは何か、お前と関係があるのか?」

「ない。ないと言ったらない」

 思いつくのはポケモン図鑑の関係者。だが本当にトレーナーならばどうしてもポケモン図鑑を取り返したいものだろうか。懐から取り出して机に置く。

「ポケモン図鑑じゃないか。珍しいものを拾ったんだな」

「型番や性能から持ち主や製造主を割り出す事は?」

「出来ないわけじゃないが専門じゃないんでね。そういうのは専門の奴に任せるもんさ」

 製造主を割り出す。そうしなければあのメイという少女がどこから来て、何の目的でここに赴いたのかが分からない。何よりも電波遮断施設である自分の家に割り込めるだけの性能を持っている端末が一個人のものとは考えづらかった。

「すまないがもう一つ、お願いしていいか?」

「何でもいいが」

「あの娘が降りてこないようにしてくれ。逃げ出さないように」

 アーロンの言葉に店主は声を潜めた。別に他に客がいるわけでもないのに。

「……アーロン。まさか、ヤバイ橋を渡っているわけじゃないだろうな」

「ヤバイ橋を渡っているのは俺じゃなくってあの娘のほうだ。あいつを逃がすわけにはいかない」

「まぁ上に続く階段の扉を閉めれば絶対に降りられないが」

 そう言いつつ店主は自宅に続く階段の扉を閉めた。鍵は二重になっており、あのトレーナーの少女がどれだけ優れていようとも開けるのには一苦労するはずだ。

「面倒事だけは勘弁してくれよ」

「安心してくれ。俺は家主に迷惑をかけるつもりはない」

「家賃はもらっているから、まぁ邪険にはしないが」

 アーロンは喫茶店を出た。夕食をどこかで取る必要があるだろう。

「専門家、か」

 ポケモン図鑑の解析。その専門家で知り合いとなれば限られていた。



















「何だ、アーロン。一日に二回も来るなんて珍しいじゃないか」

 カヤノの診療所に訪れるとちょうど真っ青な顔をした少女が出て行くところだった。黒服に両脇を抱えられて黒塗りの車で運ばれていく。

「またか」

「ああ、買った女の気分が悪いとか言って、うちの診療所の厄介にな。一時的な貧血だよ。まぁ、あれの後だっただろうな」

 詳しくは追及せずアーロンはポケモン図鑑を取り出す。

「おう? 何でお前がポケモン図鑑を?」

「解析を頼みたい。出来るか?」

 カヤノはポケモン図鑑を手にして型番を見やった。

「こいつぁ、カントーの図鑑じゃないな」

「カントーじゃない?」

「イッシュ製だ。最新のバージョンに近いが、造った人間のデータくらいは入っているだろう。本格的な解析に回そうと思えばそれこそハムエッグの世話にならなきゃいけないが」

「造れる技術者は?」

「記録上で言えば、イッシュのアララギ博士。何でこんなもんを持って来た?」

「強力な電波が出ている。逆探知の電波だ」

 その言葉にカヤノは思わず手離した。ポケモン図鑑が診療台に置かれる。

「……まずいもんを拾っちまったな、アーロン。どういう経緯で拾ったのかは問わないが、面倒なのには違いない」

「俺の根城が割れた可能性がある。だとすれば」

「分かってるよ。知っている連中を消すって言うんだろ。ワシだって馬鹿じゃない」

 カヤノはため息をつき、「また移転しなきゃならないかもな」とぼやいた。

「探知先の電波がどこに集約されているのか割り出すんだろ?」

「頼めるか?」

「ハムエッグに頼れよ。そのほうが早いと思うぞ」

「あいつには借りを作りたくない」

「そんな事を言っている場合かねぇ。どっちにせよ、厄介なおつかいを頼まれているんだろ?」

 アーロンはカヤノを睨んだ。

「耳聡いな。嫌われるぞ」

「勝手に入って来るんだよ、そういう情報はな。素人集団を殺すお鉢が回ってきたみたいじゃないか」

「出来れば二つも仕事を並行したくはない。どちらかが望ましい」

「贅沢な事を。ワシだって分かるのは型番と製造者くらいだ。この中に入っているであろう逆探知の回路がどういう仕組みで、誰に集積されるのか、までは探りようがない」

 アーロンは、「いくらで引き受けてくれる」と尋ねていた。

「おいおい、引き受ける受けないじゃなく、専門外だ、と言っているんだよ」

「だったら専門屋に斡旋して欲しい。明日までに、だ。その仲介料はこれだけ出す」

 小切手を切ってカヤノの前に置いた。カヤノは数字を数えてにやりと笑みを刻む。

「いいのか? 出し過ぎなくらいだぞ」

「厄介事は早々に片付けたいのが心情だ。この額で納得してくれるか?」

「納得も何も、これだけありゃ仲介料と依頼代でお釣りが来るくらいだ。気前がいいのは嬉しいが、アーロン。何か焦っていないか?」

 心の内を読まれたようでアーロンは苦い顔をする。

「……面倒事が転がり込んできた。明日また説明する」

「分かったよ。これで手打ちだ。しっかし、気苦労が絶えないな、お互いに。どうしてこう、この街はワシらを退屈させないだろうな」

「そういう風に出来ているのさ。きっとな」

















 店に戻ってくると、ちょうど店主が階段から降りてくるところだった。アーロンを見るなり眉根を寄せる。

「あのお嬢ちゃん、これじゃ監禁ですよ、とかうるさくってな。どうすればいいと思う?」

「無視しておけばいい」

「それが、今にも端末で警察を呼ぶって言っているんだ。困るだろ?」

 アーロンは足早に歩み出て階段の扉の鍵に手をかけた。開けると、メイが転がり落ちてくる。

「いたたた……」

「何で大人しく出来ない?」

 アーロンの問いかけにメイは、「当然でしょう!」と声を張り上げた。

「これ、監禁って言うんですよ!」

「誰も監禁した覚えはない」

「出られなきゃ監禁じゃないですか!」

「勝手に入ってきたのはお前だ。それとも、住居不法侵入でそちらに非がないとでも?」

 うっと声を詰まらせるメイにアーロンは続け様に放つ。

「大体、ポケモン図鑑の電波を辿ってきたようだが、それが違法性のあるアプリでないという証明は出来まい」

「あ、アララギ博士に聞いてもらえればすぐにでも!」

「そのアララギ博士だが、連絡手段に手間取っている明日までは様子見だ」

「そんな!」

 酷いとでも言うようにメイは声にする。アーロンは嘆息を漏らす。

「明日までも待てないのか? まさか人の家に勝手に入ってきて自分のものであるらしいポケモン図鑑を返してもらってはいさよなら、だとでも?」

 メイは何も言えなくなっている。アーロンは、「とにかく明日まで待て」と告げた。

「上で寝ればいい。俺は下で寝る。わざわざ邪魔をするつもりもない」

「……信用出来ませんよ」

「信用出来ないのならば今すぐ警察に駆け込むか?」

 挑発的なアーロンの声音に店主が口を挟む。

「おい、警察は……」

「警察に駆け込んだとして、逮捕状の請求をする前にどうしてこの家だと思ったのかを説明しなければならない。有り体に言えば泥棒された被害者がその泥棒の家を突き止める、みたいなものだ。その場合、どっちが怪しいのか」

 メイはぐっと息を詰まらせて身を翻す。

「一晩だけですからね!」

 そう言って駆け上がっていく背中に鼻を鳴らした。

「アーロン。お前も意地が悪いな」

「意地が悪い? 随分とこれでも譲歩したほうだ」

「しかし、あのお嬢ちゃん、何でまたアーロンの家なんて突き止められたんだろうな。電波を探ったって言ってもそれなりの信頼度のあるアプリじゃない限りここまで特定出来んだろ」

 アーロンもそれは気になっていたところだ。何をもって、メイはポケモン図鑑の正確な場所を知ったのか。それも問い詰める必要がある。

「分からない事が多過ぎるな」

「一つずつ紐解くしかないだろう。コーヒー要るかい?」

 アーロンはコーヒーを注文する。一つずつ解き明かせるかどうかは分からないがまずは明日だ、と感じた。


オンドゥル大使 ( 2016/01/17(日) 23:36 )