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波導の青、彼方の死神
第五話「イレギュラーワン」

「仕事が雑になっている、か」

 帰宅して呟くもアーロンには実感がない。昨晩の殺しも滞りなく行われたはずだ。どこにも異常はなかった。あるとすれば、と少女の目撃者を思い返す。

 懐に入れていたのは彼女の持っていたポケモン図鑑だ。赤い本型の情報端末。これ自体にも録音機能からモジュール機能までついている高性能端末。アーロンはその端末を開いてピカチュウのページを呼び出してみた。

「ピカチュウ。ねずみポケモン。弱った仲間のピカチュウに電気を流してショックを与えて元気を分ける事もある、か」

 アーロンは魚介類の缶詰を器用に開ける自分のピカチュウを見やった。

「お前が野生だったのなら、そういうところもあったのかもな」

 フッと自嘲するとポケモン図鑑に奇妙な波導が流れた。アーロンはそれを読み取ろうとする。今まで見た事のない波導だ。元々機械の発する波導は人間や生物のものと違い、波導使いが「在る」と認識しなければ目に出来ない。アーロンはそれを読んでいるうちにその波導がこの機械だけを流れているわけではない事に気付く。

「電波……。逆探知か」

 まずい、とすぐさまポケモン図鑑から手を離した直後、扉が開かれた。アーロンは即座に戦闘の神経を研ぎ澄ます。ピカチュウが四足をついて両頬から青い電流を跳ねさせた。

 どのような敵が来ても対応出来るつもりだった。

 しかし現れた意外な人影にアーロンとピカチュウは困惑する。

「昨日の、ポケモン図鑑の持ち主、か……?」

 何と昨日殺したはずの少女が肩を荒立たせて戸口に立っているのである。アーロンは一瞬、亡霊か、と感じた。だがその予感は次の一言で裏切られる。

「あーっ! やっぱりあなたがポケモン図鑑を盗っていったんですね!」

 この場に似つかわしくないような大声にアーロンは呆気に取られた。少女はずかずかと歩み寄るとポケモン図鑑を拾い上げホッと安堵する。

「よかった、壊れてない」

 アーロンは今だ、と感じていた。隙だらけの少女へとピカチュウが心得たように電流を流す。高電圧の網が張り巡らされ、少女を包囲した。

「動くな。動けば即座に電流で殺す」

 アーロンの警告の声音にも少女は臆する様子もない。

「何言ってるんですか。人のものを盗るのは泥棒! ですよ」

 言い含めるような声音にこちらが唖然とする。この少女は状況が分かって言っているのか。

「言っておくが、ピカチュウは迷わずお前を殺せる」

「ピカチュウ? わーっ、本当だ! ピカチュウだ!」

 何と少女は高電圧の網を越えてピカチュウへと抱きつこうとする。その行動にはさすがに瞠目した。

「馬鹿! やめろ!」

 ピカチュウが咄嗟に尻尾を振り上げて威嚇する。包囲していた網が収束し、少女の手の甲を叩いた。少女が痛みに涙目になる。

「痛っ、ピカチュウって誰にでも懐くんじゃないの?」

「俺のピカチュウは少なくともそんなポケモンじゃない」

 アーロンは歩み寄って少女の胸倉を掴んだ。波導を見ると脈動と血脈が残っている事に気付く。

「何故、生きている?」

「ちょっ、離してください!」

 引っ叩かれそうになってアーロンは身を引く。少女は指差した。

「あたしのポケモン図鑑、返してくださいよ!」

 自分の至らなさに舌打ちする。端末の一つならば現在地の電波くらい出ているものだ。

「質問に答えろ。何故、お前は生きている?」

「何故って、何か生きるのに理由がいるんですか?」

 まさか、とアーロンは思い至った。

「自分が死んだ事に、気付いていないのか?」

 その言葉に少女は首を傾げる。

「死んだって……、ここはあの世だって言うの?」

 あまりに会話が平行線なのでアーロンは額に手をやる。

「昨晩の事を覚えているか?」

「覚えているかって、あっ! あなた、昨日路地裏で見かけた!」

 ようやく思い出したらしい。しかしその前後の事は覚えていないようだ。

「オヤジ狩りなんてやるもんじゃないですよ!」

 どうやら殺しの現場をオヤジ狩りだと思ったらしい。アーロンは呆れ果てて声も出なかった。

「……質問の意図を変えよう。何で、お前はここの場所が分かった?」

「えっ、だってポケモン図鑑から電波が」

「電波遮断施設になっている。通常のGPSではこの場所を特定出来ない」

 そういう造りになっているのだ。少女が言葉をなくしているとアーロンはポケモン図鑑を懐に入れた。

「返してくださいよ!」

「まだ返せないな。何者なのかも分からない奴には」

「名乗ります、名乗りますよぉ。あたしの名前はメイ。ポケモントレーナーです」

「井出達を見れば分かる。どこをどう見ても裏稼業の人間には見えないからな」

 メイと名乗った少女はアーロンの言葉にむくれる。

「裏稼業って、そんな危ない事を」

 目の前にいるのが波導の暗殺者だなんてこの少女は思ってもみないのだろう。アーロンは、「ポケモン図鑑を返して欲しいんだな?」と尋ねた。

「そうですよ。返してください」

「これは返さない」

 その主張にメイが目を見開く。

「何でですか! ただのトレーナーの一アイテムですよ?」

「その一アイテムで、この場所を特定出来たのがおかしい。ポケモン図鑑には仕掛けがある。それを紐解いてから、でなければ俺はおちおちお前に反すわけにはいかない」

「分からず屋ですね」

 どのような言い方をされようと、逆探知システムを持つポケモン図鑑をまず解析しなければ。アーロンは夕刻を回った外を見やる。

「お前、今日はここに泊まれ」

 アーロンの言葉にメイはたちまち赤くなって後ずさった。

「は、はぁ? 何考えているんですか! いたいけな乙女に、何をする気で……」

「勘違いをするな。お前の行動を見張っている眼≠ェいるとすれば、ここからお前を立ち去らせる事さえも危険である事に違いない。相手がお前狙いではなく、俺狙いなのは明白だ」

 どういう意味なのか、メイは分かっていないのだろう。目を丸くしている。アーロンは分かりやすく噛み砕いた。

「つまり、お前が外に出ると俺が危険に晒される」

「そんな事ないと思いますけれど。あたし、ただのトレーナーですよ?」

「ただのトレーナーが持っているアイテムじゃない、と言っているんだ。こいつを解析にかける」

 その言葉にメイは必死に止めようとする。

「そんな! ポケモン図鑑がないと旅が出来ません! 返してください!」

「誰も壊すとは言っていないだろう。中身を検めさせてもらうだけだ。発信機か、そうでなければ違法性の高いGPSが組み込まれている」

「……そんなの、ポケモントレーナーが旅する上では必須じゃないですか。危ない場所にだってトレーナーは行くんですから」

「かもしれない。だが、ここは完全に電波を遮断するはずだ。俺の使う端末以外では絶対に逆探知出来ない。だというのに、素人同然のお前がここを見つけられた、その事そのものが間違っている」

 メイが普通のトレーナーを名乗れば名乗るほど、この事態にはそぐわないのだ。メイは頬を膨れさせて、「何でそう意固地なんですか」と返す。

「トレーナーだから、じゃ説明になりませんか?」

「ならないな。それと、お前」

 指差すとメイはきょとんとする。

「ピカチュウから離れたほうがいい。こいつはお前のような愚鈍なトレーナーでは及びもつかないほどデリケートだ」

 その言葉でようやくピカチュウから離れようとする。ピカチュウは知らないトレーナーを前にして完全に臨戦態勢に入っていた。ピカチュウの背中をさすり波導を読む。かなり動揺しているらしい。鎮めさせるために波導を操った。

「何しているんですか?」

「波導を……、いや、何でもない」

 言ったところで無駄だ。アーロンは立ち上がってピカチュウをモンスターボールに戻す。部屋の中を見渡してソファを指差した。

「そこにいろ。この一晩だけだ。絶対に動くな」

「……だから何をする気で」

 肩を抱くメイにアーロンは諭すように口にする。

「……俺は下で寝る。このトラックの部屋の中で動くな。それだけだ。もし動けば、今度こそ息の根を止める」

 部屋を出ようとする。その背中に声がかけられた。

「あの、あなた何者なんですか?」

 アーロンは肩越しに視線を投げ応じる。

「波導使い、アーロン、で名が通っている」

「ハドウ……って何です?」

 分からないだろう。アーロンはため息をつき、「分からなければそれでいい」と扉を閉めた。


オンドゥル大使 ( 2016/01/10(日) 22:12 )