第四話「冷徹」
雑多な街並みの中央には巨大なスクリーンがあり、短編映画や企業の広告が映し出されている。スクランブル交差点を抜けたところで呼び込みをしている軽薄そうな男とすれ違った。男はそれまで若い女中心に笑顔とビラを振り撒いていたがアーロンとすれ違い間際だけ真顔になった。
「……波導使いの旦那じゃないですか。何です? あっし、客引きに忙しいんですけれど」
「待ち合わせをしている。六九七の路地を一時的に封鎖してくれ」
彼は路地番と呼ばれている仕事についている。路地番、とはその名の通り路地の一角を丸ごと管理する仕事で読んで字の如く路地の番人である。たとえば彼の権限で一本の裏路地が丸ごと人通りをキャンセルし、仕事をやりやすく出来るメリットがある。普段は客引きをしているが彼の本業を知っていればこの裏稼業では便利に扱える事を知っている。
「六九七の路地ですね。了解しました。にしても、旦那も人が悪い」
「何がだ?」
「昨日、七三二の路地を封鎖したばかりでがしょう? ほら、それなりのものがあるじゃないですか」
アーロンは舌打ちして男の掌に紙幣を丸め込ませて渡す。今日は要らぬ出費がかさむ。
「毎度あり。しかし、お人が悪い、ってのはまぁもう一つの意味もあるんですが」
「何だ、もう一つってのは」
「いや、ここから先はこれから会う方に聞いたほうがいいんじゃないですかねぇ。あっ、そこのお嬢さん方! こういう仕事に興味ない?」
客引きに戻っていった路地番を視界に入れながらアーロンは路地番から買った路地へと入る。その時間帯、全ての裏稼業の人間も表の何も知らない人間もそこに立ち入る事は一切許されない。ゆえに、この場所には自分ともう一人だけのはずだ。相手は看板に身体を隠している。姿を現す気はないらしい。
アーロンも座り込み「スナックムーディア」と書かれた看板越しに会話する。
「この路地を封鎖したって事は、オレに用があるって事で間違いないんだな?」
「ああ、しかし何故俺の前に姿を現さない?」
「馬鹿、波導が見えるなんていう奴の目の前に立つなんて酔狂なのがいるかよ。それはつまりよ、丸裸って事と同じだ」
自分の波導の特性を知っている。変声器を使っているが相手の正体がアーロンには分かった。そもそも波導さえ読めば相手が看板に隠れていようが関係がない。呼吸、脈拍、脳波、いくらでも読める要素はある。
「で、俺に会って何が言いたい」
「波導使いさんよ。ちょっと最近、仕事がずさんなんじゃないかねぇ」
ずさんなつもりはない。アーロンは言い返した。
「手を抜いているつもりはないが」
「じゃあ世間の目が厳しくなったってこった。お前、昨晩七三二の路地を封鎖したよな?」
アーロンは最初からターゲットが七三二の路地に逃げ込むのを予想していたがそれ以外ももちろん頭に入れていた。なのであの周辺区域の路地を十本ほど買い込んでいたのだ。
「それがどうかしたか? 結果的に七三二に相手が逃げ込んだ。不都合でも?」
「いんや、何も。いつも通りのスマートな手際だった。鑑識でも、お前の殺し方は未だに分かっていないそうだからな。おっと、口が滑ったぜ」
そのような分かりやすい演技など必要なかった。アーロンは問い詰める。
「何か、あったのだな?」
「……言うべきか悩んだが、七三二の路地にあの時間、侵入者があったらしい。路地番の小間使いをしている眼≠ェ見ていたそうだ」
「眼」と呼称されるのは買い取った路地やビルを監視する事を目的とした業種だ。大抵、路地番やそれより上の権限を持った人間の小間使いにされる。
「それで?」
まさか、とアーロンは感じていた。昨晩、抹殺した目撃者。それを見られていたのか。
「一人、侵入者。だが眼≠フ連中、それ以上は明かさないとか言い出しやがった」
その意想外の言葉にアーロンは狼狽する。買い取った路地に舞い込んだ人間はたとえ浮浪者の類でも報告するのが義務だ。
「何故? ポケモンでも報告するって言うのに」
「分からんが、高次の奴らに証言を握り潰された、ってのがオレの見解。その高次の連中ってのがな、この街に最近進出してきたばかりの素人さんらしい」
カヤノから教えられたこの街に入ってきた集団を思い出す。
「素人だからと言って、冒してはならないルールがある。知らずに眼≠買い込んだと?」
「そう見るのが妥当かねぇ。眼≠フ情報握り潰しなんざ、公安でもやらねぇよ。そんな事をしたらこの街の秩序が乱れるのは誰の目にも明らかだ」
つまりヤマブキシティの常識を知らない新参者の仕業。だがそれにしては手慣れている、というのが言いたい趣旨なのだろう。
「裏組織ではあるが、このヤマブキに則した人間達ではない、という事か」
「理解がよくて助かる。秩序を乱す連中にはきっついお仕置きが待っているぞ、って知らしめなきゃならん」
その仕置き人に自分を抜擢したい、というのか。アーロンは交渉に入った。
「昨日今日で情報が集まるわけがない。まずは握り潰された眼≠ゥら洗っていくしかなさそうだ」
「地道な作業になるが許してくれよ」
「持ちつ持たれつだろう。三十で手を打つ」
「ぼったくるじゃねぇの。足元見てんのか?」
「波導使いである俺が頻繁に動けばそれだけ察知されやすい。他の裏稼業の連中を刺激する結果になる」
「……確かに青の死神が躍起になって稼いでいる、なんていい冗談にもなりゃしねぇ」
自分の俗称を聞いてアーロンは苦い顔をする。死神など。自分はただ与えられた仕事をこなしているだけだ。その途中にいるだけの、ただ単に不幸な人間がヘタを掴んで死んでいく。それだけの事。
「分かったよ。三十だな。ただし、追加は出さん」
「充分だ。眼≠ノ写らなかった人間を炙り出すだけなら、な」
アーロンの言葉に相手は、「チクショウめ」と声にする。
「素人集団を殺せとは、確かにオレは言っていなかった。でもよ、それは揚げ足を取るって言うんじゃ――」
「素人集団の殺しも入れるのならば、足りないくらいだな」
ぐうの音も出ないのか相手は諦めた様子だった。
「分かったよ。三十と五十、それで手打ちだ」
「いつも通りの口座に入れてくれ」
アーロンは立ち上がり、身を翻す。その背中へと声が投げられた。
「でもよ、本当に、雑になっているってのはマジだぜ。波導使いさんよ。本当のところどうなんだよ?」
「どう、というのは」
立ち止まって問い返す。
「最近、仕事をするのが嫌になってきた、とかじゃねぇよな」
アーロンは暫時沈黙を浮かべてから応じる。
「まさか。この街では、そうやって生きていくしかない」
百点満点の答えに相手は笑う。
「安心したぜ。まだ、死神の冷酷さが残っている」
アーロンは路地を去って帰り際に路地番に金を掴ませた。