MEMORIA











小説トップ
波導の青、彼方の死神
第三話「依頼」

 陽射しが差し込んでくるのを感知してアーロンは目を覚ます。

 文字通り陽射しを感知するのだ。太陽の波導はもう数え切れないほど読んでいる。その独特の青さを視界ではなく全感覚器が感じ取り朝である事を実感する。

「朝か……。ピカチュウ、ついて来い」

 駆けてきたピカチュウを肩に止まらせてアーロンは下階に降りる。すると開店準備を始めていた店主と目が合った。

「おう、アーロン。今日も不機嫌そうな顔してんな」

 眼鏡で太っちょな店主は破顔一笑する。彼はアーロンの本当の仕事を知らないが、屋上のトラックに住まわせてもらうに当たって許可が必要であった人間の一人だ。この雑居ビルのオーナーと言える。一階部分は丸ごとカフェになっており、午前と午後にまばらな客が集まってくるだけの静かな場所だ。

「まぁな。コーヒーを一杯もらえるか?」

「家賃は払ってもらっているからそれくらいはご馳走するよ。ピカチュウは? ホットミルクならばあるが」

 ピカチュウは決して自分以外に心を開かない。今も自分以上の不機嫌さをかもし出し、電気袋から青い電流を跳ねさせている。

「俺の手から渡す。ピカチュウは俺の手から渡ったもの以外は食わない」

「そうだったな。全く、厄介な育て方してんぜ」

 店主がコーヒーを抽出している間、アーロンは朝刊に目を落としていた。昨日のニュースは大々的には報じられなかったようだ。基本的には毎回、事故扱い。その結果こそが成功の証だった。事故、としか警察は発表のしようがないのだ。あるいは心臓麻痺、としか言えない。今回の場合、前後に車両が事故を起こしたので事故として片付けるのが適切であった、という事だろう。

「はい、お待ちどう」

 コーヒーが置かれ、その横には皿に注がれたホットミルクがある。アーロンはコーヒーの波導を読んだ。毒は入っていない。同様にホットミルクも見る。毒の形跡はなかった。

「ピカチュウ、飲めるぞ」

 その言葉でピカチュウは理解したらしい。肩から降りて、ギザギザの尻尾をまず表面につけ、電気を軽く流してから解毒する。毒が入っていないとアーロンが言ってもこうやって自分の判断をつけさせるように教育してある。

「おいおい、毒なんか一回だって入った事あったかよ」

 その様子を見て店主は怪訝そうだ。自分の出したものをいちいち毒見されたのでは気分はよくないだろう。

「衛生面にうるさいんだよ」

「さすが、衛生局に勤めているエリートは違うねぇ」

 この店主には自分はヤマブキの衛生局に勤めていると嘘の経歴を流している。来歴も全くのデタラメだったが書類を全て完備し、疑う人間は一人もいない。

「にしたって重役出勤だな。もう九時だぞ」

 店主が頬杖をついて時計を見やる。アーロンは、「そんな時間だったか」とコーヒーを飲んで立ち上がった。

「味わっていけよ」

「重役出勤だと言ったのはあんたのほうだ」

「もったいねぇなぁ。美味いと思うんだが」

 自分の分のコーヒーカップを傾け店主が首を傾げる。アーロンは、「それなりだと思う」と感想にしていたが本心ではない。

 飲み物や食べ物を美味しいと感じた事など、ここ数年はなかった。



















 寂れたビルに入るなり一人の黒服が歩み出てきた。アーロンは波導を読むまでもなく、相手が武装しているのを感じる。

「カヤノ医師を」と声にすると黒服が片耳に入れた通信機で話した。すると、「ついて来い」と誘導してくる。

 奥まった部屋に案内されるとリノリウムの床に切れかけの電灯の光が反射していた。その一画だけ医療施設として整備されており逆に奇妙だ。

 黒服が下がっていく。カーテンの向こう側にいたのは痩せぎすの老人だった。目だけが炯々としており、カタギの人間でないのは明らかである。

「いつも面倒な手続きを取らせるな」

 アーロンの言葉に老人は肩を揺らす。

「悪いな。こっちもこのビルの警備を頼んだところなんだよ。やけにイライラしていただろう?」

 黒服の事を言っているのだ。アーロンはため息をついた。

「毎度の事だが、厄介になる相手は決めておけ。そうしないと毎回入る度に殺気を向けられるのでは堪ったものではない」

「天下の波導使いでも、ヤクザもんは苦手か?」

 ひっひっと笑ってみせる老人にアーロンは本題を切り出した。

「いつもの問診に来た。分かっているな」

「分かっているとも。このヤマブキで、ワシ以上の逸材はおらんよ」

 ネームプレートが揺れそこには「カヤノ」と書かれていた。

「よく言う」

 一笑もせずにアーロンは椅子に座る。ピカチュウはモンスターボールに入れて看護婦に手渡すのだが以前の看護婦ではなかった。

「預かりますね」

 そう言ってモンスターボールに手を伸ばそうとした看護婦の手首を引っ掴む。

 瞬時に波導を読んで相手に害意がない事を判断した。突然の奇行に看護婦が瞠目している。アーロンは手を離した。

「何でもない」

 看護婦はどこか怪訝そうに去っていく。カヤノが頬を引きつらせて痙攣気味に笑う。

「前と違う看護婦だったから警戒しているのか。まだまだ青いな」

「一体、何人取り替えれば気が済むんだ? 前の看護婦よりも若い」

 アーロンが気に留めたのはこのカヤノ――つまり裏稼業専門の闇医者についてくる看護婦が毎回若い事だ。回を経るごとに若くなっている。それも医師免許なんてまるでないような軽々しい格好をした少女ばかりだ。

「好きなんだよ。若い子がな」

「老人の道楽にしては趣味が悪いと言っている。大体、若い女に闇医者の助手が務まるのか?」

「それが意外とな。このビルに間借りしてもらっている団体からはよく斡旋してもらっておるよ。使い物にならん、とか聞いて」

 ヤクザものの「使い物にならない」の帰結する先は見えている。それが分かっていてこの老人は使っているのだ。だから趣味が悪いのだと言う。

「さて、アーロン。恒例のこの検査をしようか」

 カヤノが持ち出したのは液体の入った容器である。一見するとただの透明な液体に見える。しかしこれは自分の波導の目が衰えていないかのテストでもあるのだ。

 アーロンは波導の眼を用いる。容器の中には浸透圧の違う溶剤が混じっており、液体の層が出来ている。その層の色を見極めるテストだ。

「上から、赤と、緑と、オレンジと、黒」

 アーロンの即座の言葉にカヤノは手を叩く。

「素晴らしいな。やはり衰えないか」

「この眼が衰える時は暗殺稼業を辞める時だ」

 アーロンの声にカヤノは鼻を鳴らす。

「ピカチュウは回復をした後、電圧を測って返す。なに、今時何も知らん若者でもポケモンセンターと同じ機械くらいは使えるわい。それだけ便利になった、という事だな」

 カヤノは自分がいるのもお構いなしに煙草に火をつけて喫煙を始める。アーロンは今さら嫌悪を浮かべる事もない。

「毎度思うんだが、やはり固定化したほうがいい」

「場所を、か? それとも助手を?」

「両方だ。ヤクザものに頼っている斡旋もやめろ。いざという時に足元をすくわれるぞ」

 忠告にカヤノは煙い息を吐き出して、「よく言うわ」と返す。

「こっちの稼業はお前さんが母親の腹の中にいる時からやっとるんだ。ベテランはこっちだよ、間抜け。退き際くらい心得ておるし、何よりも深追いしないのがこの仕事の鉄則だっていう事くらいは分かっとる」

 カヤノという老人は自分が思っている以上に狡猾だ。ここでもし自分が騒ぎ立てても逃げ出す算段くらいはつけている。

 アーロンはふと、ベッドに目を留めた。まだ真新しい皺がある。

「誰か、先客がいたのか?」

「まぁな」

「女だな」

 アーロンの言葉にカヤノは渋い顔をした。

「目ざとい奴だ」

「俺より前の時間の問診か。それともビデオの撮影か?」

 ビデオ、と言っても表に出回る類ではない。カヤノは、「患者だよ」と応じる。

「それ以上は言えるか。お前の事だって、ワシは金を積まれても言わんぞ。信頼関係というものがある」

「信頼、ね。脆く崩れ落ちそうな言葉だ」

 アーロンはベッドに居残る波導を読み取る。女、と言ってもまだ少女の気配だ。正確に読み取ろうとすると、「下衆の勘繰り」とカヤノが口にした。その言葉で思わず気配を探るのをやめてしまう。当のカヤノは紫煙をくゆらせている。

「お前だって、他の裏稼業の奴らに嗅ぎ回られるのは面白くないだろ?」

「ああ、そうだな」

 アーロンは話題を逸らす。

「ビデオの依頼件数は減ったのか?」

 この手の医療施設にはビデオの依頼、というものが月に何度か舞い込む。一時期カヤノはそれで食い繋いでいた。

「辞めたよ。あれのせいで特定されるんだよ、場所が」

 報酬は弾むらしいが、それでもカヤノのような闇医者からしてみればデメリットのほうが大きいのだろう。アーロンは、「そのほうがいい」と口にした。

「一年に何度も転居されたのでは、こちらも困る」

 このビルでももう五度目だ。今年中はせめて転居してもらわない事を祈るしかない。

「耳聡い連中はもう聞き及んでいる事かもしれないが、ハムエッグのところに新しい情報が舞い込んだらしい。何でも特ダネだとか言うそうだが、お前はどうする?」

「興味はない。派手に動けばそれだけ勘付かれる恐れがある」

 アーロンが立ち上がり始めるとちょうど看護婦がピカチュウの入ったモンスターボールを返しに来た。

「回復しましたよ」

 皮肉な事にポケモンセンターで言われるのと大差ない台詞だ。アーロンは受け取ってから紙幣をしわくちゃにして手渡す。

「今回の報酬だ」とカヤノには札束を用意した。一枚ずつ数えながら、「ご贔屓に」とカヤノが笑みを浮かべる。

「ハムエッグのほうに行かないのは正解だな。こっちで儲かっている」

「ハムエッグのほうに行くのは本当に情報が欲しい時だけだ。それ以外は老人でも務まる」

「言ってくれるねぇ」とカヤノが札束の位置を揃えた。

「確かに。……アーロン。ちょっと耳寄りな情報を聞いていかないか?」

 呼び止めた声音にアーロンは肩越しに視線を向ける。カヤノは煙草をくわえたまま独り言のように呟く。

「派手に動いている団体がこの街に入ってきたらしい。組織ってほど訓練されていないが、まぁちょっとした抗争の種になりそうな連中だ。街に張っている奴らからは新参、と言われて嘗められているが、ワシは連中がちょっときな臭いと思ってな」

「きな臭い?」

「素人さんにしちゃ、動きが迅速過ぎる。バックに大きな金づるがいると見た」

「……何故それを俺に教える?」

「近々揉めるとすれば、お前かな、と思っただけだよ。なに、老人の要らんお節介だと思ってくれ」

 アーロンはそれを聞き流してビルを去った。立ち去る際に黒服がぼやく。

「これでは老人介護だ」

 それはお互い様だ、とアーロンは感じた。


オンドゥル大使 ( 2016/01/10(日) 22:11 )