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波導の青、彼方の死神
第一話「青の死神」

 街を俯瞰するような摩天楼の上で一体の人獣が疾駆した。

 四本の腕を持つ超絶的な膂力を誇るポケモンが駆け抜けて拳を見舞おうとする。もう一つの影はステップを踏んでその攻撃を紙一重で避ける。

「ちょこざい真似を……」

 そう口にしたのは四本腕のポケモンを操る男だった。手を払い命令を寄越す。

「カイリキー! 終わりにしてやれ、インファイト!」

 カイリキーと呼ばれたポケモンが影へと肉迫する。その威容に普通ならば怯むだろう。しかし人影は焦る様子すら微塵にも見せない。

 ほとんど後退もせずにカイリキーの振るう暴力の連続攻撃を避けている。まるでその拳の軌跡が読めているかのように。

「その程度か? それとも、所詮は子飼いのチンピラでは、一撃すらも与えられないか?」

 挑発した人影の姿が光に照らされる。

 青い鍔つき帽子を被っており、同じ色の装束を身に纏っている男だった。カイリキーを操るトレーナーは歯噛みする。

「何故、何故当たらん。ポケモンの攻撃を、しかも格闘タイプの至近戦をほとんど何もせずにいなすなど……」

「人間業ではない、か」

 読み取ったような男の声にトレーナーは青ざめる。しかしカイリキーを操っている分有利だと判じたのだろう。

「お前は利用されたんだよ。前金はしっかりもらっただろう? だって言うのに、飼い主に噛み付くのがそんなにしたいのか? 波導使い、アーロン」

 名指しで呼ばれた男は嘆息を漏らし、「噛み付く、か」と呟いた。

「俺はな、確かに金さえもらえれば何でもやる人間だ。だが仕事に関してルールを明言したはずだ。一つ、俺の情報をばら撒けばそいつは殺す。二つ、俺を袖にしようとすればそれもまた無駄だ、殺す。そして三つ、仕事のクーリングオフは受け付けていない。今回、三つ目に抵触するお前らのボスは賢くない」

 アーロンの声音にトレーナーはうろたえたが自分のほうが優位だと判じて無理やり笑った。

「波導使いが何だか知らないが、お前、ボスの方針に文句があったんだろう。だから切り捨てられる。このような形で一生を終える」

「そいつは奇遇だな。まさか自分の境遇をわざわざ述べる酔狂な奴がいるとは思わなかったよ」

 カイリキーを操るトレーナーは青筋を立てて手を薙ぎ払う。

「カイリキー、その減らず口、利けないようにしてやれ! メガトンパンチ!」

 カイリキーの拳が空気の壁を突っ切ってアーロンを捉えようと迫る。アーロンは動く気配すらなかった。

「諦めたか! 波導使い!」

 勝利の哄笑にアーロンはため息をつく。

「……居るんだよな、こういう勘違い。お前が出てやれ」

 アーロンは軽く踏み込んで「メガトンパンチ」を回避し様に球体を放っていた。赤と白に彩られた球体がカイリキーの伸び切った腕に触れて割れる。

「――ピカチュウ」

 現れたのは両方の頬に電気袋を持つ黄色いねずみポケモンであった。黄色と黒の警戒色を持っているがカイリキーに比してあまりに小さいその姿は愛玩動物のそれに近い。

 ピカチュウは四足でカイリキーに対峙する。トレーナーが笑い声を上げた。

「ピカチュウだと? 天下の波導使いが、まさかピカチュウなんて愛玩用のポケモンを使っているのか?」

 馬鹿にした声音にもアーロンは動じない。口にするのは最低限の言葉だけだ。

「つべこべ言ってないでかかって来いよ。俺に当たらないからってピカチュウならば当てられる、と思っているんだろう? だったら、さっさと来い」

 その言葉はトレーナーの神経を逆撫でするのには充分だった。ぴくりと眉を跳ねさせたトレーナーは声を荒らげる。

「後悔させてやる! カイリキー、その非力なピカチュウを押し潰せ!」

 カイリキーの身体が跳ね上がりピカチュウへと中空からの攻撃が放たれようとする。四つの腕を使った逃げようのない拳の連続攻撃。しかしアーロンも、その手持ちであるピカチュウも全く焦らずに言ってのける。

「ピカチュウ、カイリキーの右肩口、やれ」

 その言葉が放たれた瞬間、ピカチュウの姿が掻き消えた。どこへ、とカイリキーが首を巡らせる前に、ピカチュウは青い電流を体表に跳ねさせながらカイリキーの肩口へとギザギザの尻尾で一撃を与えていた。

 瞬時の攻撃。まさしくすれ違い様の攻撃だったがトレーナーは、「そんな軽い攻撃で!」と次の一撃をカイリキーに命じようとする。

 しかし、そこで異常が発生した。カイリキーは突然膝をつき、動きを止めたのだ。どうしてなのかトレーナーにも分からないらしい。

「何だ……? カイリキー?」

 先ほどまでほとんど無敵の強さを誇っていたカイリキーがたった一撃で致命傷を受けたように蹲る。困惑するトレーナーを他所にアーロンは、「来い」と声にする。ピカチュウがアーロンの肩に乗った。

「何をした!」

 鋭い声にアーロンは唇の前に指を立てる。

「企業秘密、だな」

「ふざけるなよ、このカイリキーが! そんな弱々しいピカチュウなんかに負けるわけがない! 毒か、何か仕掛けをしたな!」

「仕掛けをしてはいけないと、誰がルールを明言化した? これは乱闘だぞ?」

 トレーナーは息を呑む。アーロンとピカチュウはカイリキーの横を何事もなく通り過ぎた。カイリキーはもがけばもがくほどに身体の自由を奪われているようだった。トレーナーはうろたえて逃げ出そうとするが、ここはビルの屋上。逃げ場などポケモンなしでは不可能だった。

「そ、そんな。許してくれ……」

「許す。馬鹿を言っちゃいけない。殺しにきたのはお前だろう。だというのに、許す、とは。気の利いたジョークだが笑えないぞ」

 トレーナーが膝を折る。本気で命乞いをするつもりらしい。しかしアーロンは最初から許す、どころか生かしておくつもりもなかった。

「ピカチュウ。あいつの顔面の、鼻の三十度上にちょっと電流を放ってやれ」

 ピカチュウの放ったのはほんの小さな、可視化さえも出来ないレベルの電流だった。それがトレーナーの顔面に突き刺さった瞬間、呻き声が発せられトレーナーが突っ伏した。

 見れば彼の顔の穴という穴から血を噴き出している。血の涙を流しつつトレーナーは、「何を……」と口にした。

「何をしたんだ? お前は、一体何者なんだ」

 俯くトレーナーにアーロンは首根っこを押さえつける。ピカチュウがアーロンの腕を伝い、トレーナーの首筋に手を当てた。

「やめろ……、やめてくれ……」

「殺し屋に殺し屋、か。お前らを見ていると、反吐が出そうだ」

 青い光が一瞬だけ明滅し、トレーナーがその場に倒れた。アーロンはトレーナーの懐から端末を取り出し、「観ているんだろう?」と声を吹き込んだ。

「俺を切った代償は高くつく。首を洗って待っていろ」














 まさか自分の放った殺し屋がやられるとは思っていなかった。

 執務机についていた肥え太った男は息を荒らげる。

「すぐに、だ。すぐにこの街を、ヤマブキを去る用意をする」

 部下に命じて男はヘリを手配した。それと並行して車での逃走経路を予め張っておく。

「あの男め……。わしは前金を払ったぞ。ターゲットの抹殺も、滞りなく行われた。しかしあの波導使いを一度使ってしまえばそれだけでも裏社会では高い代償を捧げなければならない。あの男を殺してしまえれば、それに越した事はないと思っていたのだが……」

 自分の認識が甘かったのか。それともアーロンという男を甘く見ていたのか。

「車の準備が出来ました」と部下の声が弾ける。男はすぐさまビルを後にする。

 ヘリは囮だ。屋上に待機させておいてその間に車での逃走を画策する。波導使い、アーロンがどのような攻撃手段を取ってくるのかは知らないが、空で狙い撃ちにされるよりも、いくつかのダミーを紛らせて地面を走ったほうが速くこの街を出られるはずだ。

「あの男のせいでとんだ出費だ。ヘリの代金に、ダミーの車。それに殺し屋も雇った。……競合相手を殺すだけの仕事にしては、高過ぎる」

 元々、敵対会社の幹部を殺してくれ、という依頼だった。しかし隠密が望ましいとの考えでこのヤマブキシティで一番に隠密に動ける殺し屋を探した結果、あの男に辿り着いたのだ。

 波導使い、アーロン。

 噂は数多い。一撃で重量級ポケモンを倒せるだけの実力を持っているだの、空を舞っている姿を目にした人間がいるだの、あるいはその実態は存在せず、複数の暗殺者の集団であるだの、そのような眉唾な噂の絶えない暗殺者を雇い、今回の仕事をこなしてもらった。しかし最後の詰めになって、どこか惜しくなった。

 全く姿を見せず、電話連絡も変声器を使ったもので男なのか女なのかも実は分かっていない。その殺し方、仕事のスマートさに信頼を置いているアーロンだが奴自身の経歴はまるで不明。ただ、ヤマブキで随一の殺し屋、という話だけが吹聴されている。

「どうせ噂には尾ひれがつくものだ。殺し屋としての実力など、その程度の連中と変わらんだろう。おい、車を出せ! ダミーもだぞ! 早くだ」

 ダミーの車両が地下から数台飛び出してから、本丸の車の後部座席に乗り込む。息をついて顔を拭った。先ほどの秘匿回線を振るわせた声。あの声の主こそ、アーロンそのものなのだろうか。声の調子から、一戦交えた後だとは思えない。しかし予め登録しておいた殺し屋の生態認証端末を目にすると「バイタルゼロ」の表示が点滅していた。

 つまり殺すつもりで放った殺し屋は既に殺されている。しかもそれが数分以内の出来事だという。まるで信じられなかったが男はある程度は現実として受け止める事にした。

「ヤマブキを出る。その後は、イッシュにでも高飛びするか。そうでなくてはあの男の呪縛から逃れる事など叶うまい」

 車が動き出し、男は安堵する。さしもの波導使いとはいえ、走っている車に追いつけるという冗談はあるまい。

「逃げ切った」

 そう口にして笑みを浮かべようとした、その時である。

 突然に車が横滑りした。男は窓に顔を打ちつける。

「何をやっている! 運転手、貴様――」

 運転席を見やって男は顔から血の気が引いていくのを感じた。

 運転席の部下は既に絶命していた。いつ? という考えさえも浮かばない。そのまま制御を失った車がテナント募集の雑居ビルへと突っ込んだ。

 男は後部座席から息を切らして逃げようとする。額を切っており視界が血で滲んだ。

「逃げるんだ……、わしは、まだ……」

 裏路地に入ったところで目にしたのは青い服を纏った男だった。

 直感で、男はその人間こそが波導使いアーロンであると確信する。肩にはピカチュウを乗せておりあまりにアンバランスな見栄えに笑いすら漏れてきた。

「あ、アーロンか……?」

 答えずにアーロンは歩み寄ってくる。男は必死に表通りに向かおうとしたがその行く手を遮るように足元の水溜りから強烈な痛みが迸った。

 水溜りに膝が触れただけだ。だというのに、それだけで足腰が萎えてしまった。動く事も儘ならず男はアーロンへと向き直る。必死に懐から財布を取り出し、「金ならやる!」と声にした。

「いくら欲しい? 何千万か、何億でもいい! わしの全財産を賭けよう! だから命だけは」

「間違えるな。俺はルール違反をしたお前の命を摘みに来たんだ。金の交渉をしに来たんじゃない」

 男は必死にもがいたがアーロンの黒い手袋をはめた手が後頭部を引っ掴んだ。

「やめろ、やめてくれ……」

「消えろ」

 青い電流が放たれ、男は瞬時に倒れ伏した。















「今回の仕事もハズレか」

 アーロンはそう呟いて男の死体を見やる。自分に繋がる証拠品は残すわけにはいかない。財布、手帳、端末。それらを手早く精査し、アーロンは毛髪一つ残さずその場を立ち去ろうとした。

 その時に、裏路地に立ち竦んでいる少女が目に入った。

 いつからいたのだろう。茶色っぽい髪の毛を頭の両端でお団子のように結んでおり、顔は驚愕に塗り固められている。

「……何をしたの?」

 少女が逃げ出そうとする。アーロンは迷わず命じていた。

「ピカチュウ。足を止めろ」

 ピカチュウの放った電流が少女の足を止める。つんのめった少女へとアーロンは続け様に声を放った。

「頚動脈を切れ」

 電流のメスが瞬時に少女へととどめを刺した。目撃者は消さなければならない。暗殺者ならば鉄の掟だ。

「波導を見るまでもないな。死んでいる」

 倒れ伏した少女を一瞥し、アーロンは帽子を深く被る。関係のない人間を殺すのに頓着するほど精神は弱くない。自分の正体に一歩でも近づいた人間は迷いなく処理する。それが殺し屋であり、アーロンはこの街に属する以上、一人でも殺すのに手間取っては生きていけない。

 ふと、目の端に留まったものがあった。赤い本型の端末である。

 恐らくは冒険者に配布されているポケモン図鑑とやらだろう。録画機能でも備えていれば厄介だ。破壊しようと思ったが、手にして懐に入れる。

「今回の収穫は少ない、か」

 だが殺しなんてそんなものだ。アーロンはすぐにその場から立ち去った。














 テナント募集の雑居ビルに突っ込んだ車両がある、という事故の報告が届いたのは一時間前。その時には既に事は終わっていたらしく車を運転していた人間は死んでいたし、その上司と思しき男が裏通りで倒れているのも目にした。

「やり切れませんねぇ。また殺し、ですか」

 部下のイシカワの声にオウミは片耳を指差す。

「今入ってきた情報だと、近場のビルの屋上で死んでいる男がいたらしい。そいつもこの関係者と見て間違いないな」

 倒れている男の懐を探って免許証を見やる。端末からも明らかになった通り、大企業の社長であった。そのような人物が護衛も引き連れないで運転手と共に死亡。正直、出来過ぎている感はある。

「殺し方が見えませんね。やっぱり、奴でしょうか」

 オウミは煙草に火を点けて煙い吐息と共に口にする。

「ああ。要注意対象B37、この街に巣食う殺し屋だな」

「殺し方が一切見えない謎の殺し屋……。青の死神」

 警察内部で使われている通称を用いたイシカワをオウミは制する。

「おいおい、奴さんは何も姿の見えない幽霊じゃないんだ。死神、ってのは追うのを諦めているみたいでよくねぇな」

 注意するとイシカワはすぐさま謝った。

「すいません。でも、ここまで殺し方の分からないホトケが出来上がるとなると」

「警察も本腰入れるかぁ?」

 オウミは茶化してみせる。自分も警察という組織の一部だが、相手に関しては手がかりがこれ以上得られる気がしない。

「……ふざけないでくださいよ。警察が本腰を入れてない時なんてないでしょう」

「まぁな。でも腰の入れ方で可能か不可能かってのは実は結構変わってくるんだ。ただでさえ厄介事の多いこの街で、たった一人の殺し屋を挙げられるかって言えばそうでもない」

「力不足ですね」

 自分の責任だとでも言うようにイシカワは顔を伏せる。この生真面目な部下にオウミは、「せいぜい悩んじゃってよ」と口にした。

「オレはデスクワークに関しちゃ苦手でね」

「だったら、実地で捕まえましょうよ」

「それが出来りゃ苦労はせんのよ。ヤマブキは広いからな」

 鑑識が入ってきてオウミに声を飛ばした。

「オウミ刑事! また現場で灰落として! 荒らすなって何度も言っているでしょう!」

「へいへい。悪うございましたよ」

 携帯灰皿を取り出して煙草を揉み消す。鑑識がブルーシートを張って現場を区切っていく。

「まったく。成っていない現場の刑事がいると捕まる犯人も掴まらないんじゃないですかね」

 鑑識の嫌味を聞き流し、オウミは鼻を鳴らす。

「向こうで吸ってくるわ」

「肺がんのリスクは常人の何倍なのかって言う……」

 まだ嫌味を口にする鑑識を無視してオウミは封鎖線を越えてビルに背中を預ける。中空に視線をやってオウミは呟いた。

「……ま、実際のところ狭過ぎるくらいだぜ。この街に暗殺者は二人も要らねぇ、ってな」

 紫煙をくゆらせながらオウミは考える。今回、青の死神、もとい「波導使いアーロン」は一夜の間に三人も殺した。動き過ぎなくらいだがそれでも足取りが掴めない。

 上層部も躍起になっている。それまでの殺し屋のやり方と決定的に違うのは殺し方が一切不明な事。それもそのはずだ。警察の概念はまだまだ古い。だから「波導」を信じていない人間もいる。

「波導の報告書なんて挙げた日にゃ、頭がおかしくなったんだと思われるからな」

 しかしアーロンは全くミスを犯さない。その点で完成された暗殺者と言えた。

「毛髪一つ、もっと言えばポケモンの技の痕跡一つ残さない。こいつゃ常人離れなんてレベルじゃねぇな。今回もきっちり、三人殺した。オッサン方には同情するぜ」

 ぼやいてオウミは口角を吊り上げた。




オンドゥル大使 ( 2015/12/24(木) 16:25 )