第十五話「戦闘形態」
「惨い事をする」
ヴィオと呼ばれている男は余裕を浮かべながらアーロンと対峙した。アーロンは最後の一人になった団員を盾にしつつ声を発した。
「プラズマ団が何故、このカントーを掻き乱す?」
「聞きたいのはこちらも同じ。何故、カントーのこの場所、ヤマブキシティはこうも排他的なのです?」
「そういう風に仕上がったのでね。今さら苦情は受け付けられない」
アーロンの口調にヴィオは笑みを浮かべる。
「先ほどの奇襲、よくかわしましたね」
四足のポケモンが毛を逆立たせて威嚇する。見た目から考えてスピード重視のポケモン。恐らく一撃で相手を狩る事に特化している。
だが一撃目を防がれては脆い、というのも読み取れた。波導がそれを証明している。
「脈拍、血流、共に異常値だ。焦っているぞ、その手持ち」
波導を読み取ったアーロンにヴィオは種が割れたマジシャンのような仕草をする。
「分かりますか。さすがは波導使い、とでも言うべきでしょうかね」
波導の事を知っている。いや、かまをかけているだけか。どちらにせよ、短期決戦が望まれた。
「何故あの小娘を擁している? 何が目的だ」
単刀直入なアーロンの物言いにヴィオは指を立てる。
「いけませんねぇ。そういう風に入り込んで考えちゃ。殺し屋でしょう? もっと合理的に判断するといい」
「入り込みたいわけじゃない。お前らが邪魔なだけだ」
アーロンの口調にヴィオはいささかの焦りも浮かべない。波導を読むが手持ちの焦燥に対してトレーナーは余裕に満ち溢れている。こういう手合いは自分の感情を隠すのが得意だ。
「分からないですねぇ。どこまであなたは知りたがっているのか」
「全てだ。厄介ごとも含めて教えてもらわなければつり銭も返ってこないのでね」
ヴィオは含み笑いを浮かべて、「では」と口にする。下階から一人の団員が上がってきた。その団員が拘束している人影に瞠目する。
メイが両手を縛り上げられて掴まっていた。猿ぐつわを噛まされている。
「どうしてここにいる、と言いたげな顔だ」
ヴィオの挑発に、これかとアーロンは歯噛みした。ここまで手薄なアジトの警備。弱小な団員達は全てアーロンの目をこちらに誘導するため。まさかメイを誘拐してくるとは思わせないためだ。
「そいつを盾にするか」
「盾? おかしな事を。彼女は自分からあなたの後を追ってここまで来たんですよ。そしてまぁ、わたしが捕まえたわけですが」
メイは思わず視線を逸らす。アーロンは舌打ちを漏らした。
「間抜けめ……」
「言ったところで無駄ですよ。さて」
ヴィオが顎をしゃくると団員が拳銃を取り出してメイの後頭部に当てた。メイが目の端に涙を浮かべる。叫ぼうとするが猿ぐつわのせいで叫べない。
「彼女の命、どうなさいますか? あなた次第ですよ」
「俺はその娘の命に頓着していない」
「ですが、プラズマ団を逃がしてはならない、でしょう? この人質があれば逃げ延びる事など造作もない」
アーロンの依頼の面倒なところを突いてくる。オウミから依頼されたのは一人も逃がすな、という事だ。
ハムエッグに頼った以上、失態は波導使いアーロンの信頼を地に落とす事になる。今も下階のプラズマ団は足を麻痺させているだけ。殺しているわけじゃない。波導の値を操れば殺せるがヴィオの前で迂闊に波導を使って逃げられればそれこそ面倒に面倒を重ねるようなものだ。まさしく失態。プラズマ団が素人組織でも二回目となれば対策を練ってくる。
「どうなさいます? 彼女の命がここで散るのを目にするか。それとも、静観せずにわたし達を殺すか。簡単でしょう? 青の死神となれば」
ヴィオは少なくとも自分の情報を掴んでいる。生かして帰すわけにはいかない。だがメイの秘密を全く知らないまま、殺すのも惜しい。どうする? とアーロンは自分に問いかける。メイの秘密を優先するのならばここで連中は殺せない。だが殺さなければ今度は自分の身が危うい。ヤマブキでの居場所もなくなる。
手詰まりか、とアーロンは歯噛みする。
メイが身をよじる。ヴィオが団員に目線で命じた。団員がメイの顔を殴りつける。
「大人しくしてもらいましょうか」
「……意外だな。お前らはそいつを全く、傷一つつけずに確保したいのだと思ったが」
「傷つけないに越した事はないですが、最終目的が違いますからね」
それを知らなければならない。メイは殴られても身をよじった。何かを示すように腰をひねっている。もう一度、顔面へと張り手が見舞われる。猿ぐつわが取れ、メイの唇の端から血が滴った。
「これだから女は面倒だ」
団員の声にアーロンは選択を迫られる。どう出るか。
メイの視線がこちらへと向けられる。メイは何かを決意したようにアーロンへと視線を投げていた。
――何だ? 何がしたい?
先ほどからの動作。身をよじる意味は……。
そこでハッと閃いた。アーロンは一か八かの賭けに出る。
「……確かに、面倒だな。だがそれ以上に面倒なのは、度し難いお前らのような悪党だ」
アーロンは咄嗟に地面に手をつける。ピカチュウの電流が地を奔り、メイのホルスターからモンスターボールを焼き切った。転がったモンスターボールを無理やり起動させる。
「行け」
アーロンの声に飛び出してくる影があった。細い手足を持ち、音符があしらわれた緑の長髪をなびかせて出現したポケモンにヴィオが戸惑う。
「メロエッタ……! まさか知っていて!」
「知っていてかどうかまでは言わないが、何か策があるんだろう! やれ!」
しかしメロエッタは相手のポケモンを前に戸惑うばかりであった。攻撃する気配もない。
まさか、失策であったか。
アーロンの首筋を嫌な汗が伝う。
ヴィオは調子を取り戻して笑い声を上げた。
「使い方も分からず出したのか! 馬鹿者め! レパルダス! メロエッタを始末なさい!」
レバルダス、と呼ばれたポケモンが疾駆する。その瞬間、耳朶を打ったのは、涼やかな歌声だった。
何だ、とアーロンは歌声の行方を探す。ヴィオを含め、プラズマ団員が固まった。レパルダスの放とうとした一撃をメロエッタが跳躍して回避する。
飛び上がったその姿が徐々に変わっていく。
歌声に導かれるように緑の髪を巻き上げてオレンジ色に染め上げる。女性型であったその体躯がさらに絞られ、戦闘の気配を帯びた。
「何が……」
起こっているのか。アーロンは歌声の主を目にする。
メイだった。メイが異国の歌を歌っている。その歌声がこの場にいる全員に緊張を走らせているのだ。その最中でレパルダスの攻撃を回避したメロエッタの姿が変身した。
即座に身を翻しメロエッタが飛び蹴りの姿勢を取ってレパルダスの背筋を蹴りつける。
レパルダスでも視認出来ていないのかその一撃を前に壁に激突した。
「メロエッタを、古の歌で……」
ヴィオが言葉をなくしている。アーロンは好機だと悟った。
「ピカチュウ! 電流を流せ! 相手の波導を!」
ピカチュウの放った青い電撃がメイを拘束していた団員を内側から焼く。倒れ伏した団員に呆気に取られていたヴィオへと電撃が飛ぼうとしたがレパルダスが瞬時に飛び上がって受け止めた。
「何て、何て事を……」
アーロンはその機を逃さない。メイを抱え上げてこちらへと引っ張る。メイは歌い終えて気を失っていた。メロエッタの姿が解け、変身前の緑色の髪へと変わった。
「一瞬の変身……フォルムチェンジか」
ヴィオがうろたえる。アーロンは駆け出してヴィオを捉えようとした。しかしレパルダスが飛び上がってその道を阻む。
「邪魔だ」
ピカチュウの放った電流がレパルダスの体内を駆け巡り瞬時に戦闘不能にした。
「何て、何て失態……」
ヴィオが階段を駆け降りる。アーロンが追おうとしたが木造の階段がヴィオの体重に耐え切れず崩壊した。粉塵が舞い上がり、その一瞬のうちにヴィオはビルを出て行った。
ようやく麻痺から脱したプラズマ団員達が跳躍して降り立ったアーロンを囲い込む。ポケモンを出している団員もいたがアーロンは一切動じなかった。
「ヴィオはどこへ行った」
「答える義務はあるか、馬鹿め! お前は包囲されているんだよ!」
アーロンは肩に留まっているピカチュウへと命じる。その電流が発せられ、周囲の家電製品やインテリアを叩き潰していく。しかし、団員には一撃として当たらなかった。一人が嘲笑する。
「もう騙し討ちは通用しないぜ。ポケモンも出している。ピカチュウの電撃くらい――」
アーロンは床を指し示した。団員達が地面を見やる。
ネオラントの入っていた水槽が倒れて水が零れていた。全員の足に水がかかっている。
「まさか――!」
アーロンは手を地面につけてピカチュウから伝わせた電撃を瞬時に放った。
プラズマ団員全員が口から泡を吐いて倒れ伏す。体内から焼いたせいでプスプスと黒煙が上がっていた。
「さて、残りはお前だけか」
振り返るとメイを抱えた団員が降りようとした矢先だった。アーロンの視線に団員はばつが悪そうに応じる。
「ヴィオ様は、きっとヤマブキの中央と取引して逃げようという考えだと思う」
「何故、俺にそれを教える?」
その問いかけに団員はメイを見やった。
「……堕ちるところまで堕ちたおれでも、こんな女の子を殴ったり監視するのが正しいとは思っていない。それだけだ」
アーロンは笑わなかった。ただ淡々と言葉を返す。
「任せる。俺の根城へ来い。そこで落ち合おう」
「信じるってのか……。一人でもプラズマ団は残さないんじゃ……」
「だったら、その服装を捨てて、逃げておけ。どうせ今に手を回した警察がやってくる。行動は早いほうがいい」
アーロンは駆け出そうとする。団員が声にした。
「その! おれの名前は、リオ! リオ・リッターだ」
団員である事を捨てるのならば名乗るべきだと感じたのだろう。アーロンは短く応じた。
「波導使い、アーロンだ」
逃げ延びなければ。
ヴィオの考えはそれだけだった。賢人会の他の人々への伝手は咄嗟には出来ない。下手な連絡は、この情報網の発達したヤマブキでは逆に死を招く。ヴィオは降り出した雨のせいでぬかるんだ地面に足を取られた。
高架下を通って取引場所へと向かおうとする。
「どうして。どうしてわたしのような人間が、こんな目に!」
本当ならばプラズマ団を率いてカントーでも幅を利かせるつもりだった。しかしこのカントーの動きにくさと、監視対象の思わぬ動きのせいでどうしようもなくなった。
ここで逃げ延びなければ死が待っている。ヴィオは紫色の装束を脱ぎ捨てて軽装で浅い川瀬を渡ろうとしていた。
その時、背後に気配を感じる。
振り返ると青い装束を纏った死神が佇んでいた。音もなく、静かに。まさしく死の足音のように。
ヴィオはつんのめって浅い川瀬に突っ込む。無様に泳いで渡ろうとする。
波導使いアーロンは慌てるでもない。
ただ、足を川瀬につけた。それだけだった。
その瞬間、闇がヴィオの意識を閉ざした。
「警部、こっちもお願いしますよ」
イシカワの声にオウミは後頭部を掻く。ビルに所属していた暴力団の抗争による集団の死。警察ではその見方で一致しているらしい。しかし殺し方が一切分かっていない。そのせいで現場は混乱していた。
「高架下に浮いているホトケさんも同じか?」
「ええ。青の死神、ここまで派手に動くなんて……」
オウミも驚いている。自分で依頼して何だが、今回波導使いは動き過ぎた。街の秩序を壊しかねないレベルの動きだ。
「まったく、奴さんは仕事が終わって万々歳かもしれんが、こっちは仕事が増えてるっての」
愚痴をこぼしつつ煙草に火をつけようとすると時化っている事に気がついた。
「イシカワ。代わりの煙草」
「吸いませんから持ってませんよ」
オウミは舌打ちを漏らして煙草屋へと歩みを進める。その間に到着した鑑識が、「またあんたか」と小言を漏らした。
「灰落とすなって!」
「わぁってるよ」
返答してオウミは通りのビルに背中を預けて呟いた。
「ちょっとばかし、まずいんじゃねぇか。アーロン」