第十二話「爛れた街」
表通りの分かりやすいガーディの銅像の近くでメイは座り込んでいた。周囲に人影はまばらでラピスの気配はない。アーロンは歩み寄って声にする。
「何だ。その不服そうな顔は」
メイはどこか不貞腐れたように顔を背けていた。何か気に食わない事でもあったのだろか。
「膨れっ面を見せている暇があれば少しでもこの街に慣れるんだな」
アーロンが歩き出すとメイは立ち上がって、「何で!」と声を張り上げた。アーロンを含め、周囲の人々が視線を向ける。
「何で! この街はこんなのなんですか!」
「落ち着け。こんなの、とは何だ」
メイは顔を伏せて、「ラピスちゃん」と呟く。
「あの子だって普通じゃなかった。何者なんですか」
どうやらラピスの事も含め一悶着あったらしい。アーロンは、「今さらにそれか」とこぼした。
「今さらって……。あたしが鈍いんですか? どこからどう見ても、普通の女の子じゃ」
「ラピス・ラズリを普通の子供だと思うな。この街で一番の情報屋、ハムエッグの子飼いだぞ。あれはこの街では敵なしの暗殺者だ」
その言葉にメイは息を呑む。まさか暗殺者と共に歩いていたとは思わなかったのだろう。
「暗殺者って……。そんなの本当にいるわけ」
どうやら自分が波導の暗殺者である事もこの娘には分かってないようだ。アーロンは、「ついて来い」と促す。歩きながら話すのがちょうどいい。
「ラピス・ラズリはハムエッグが育て上げた最強の殺し屋だ。スノウドロップという二つ名を持っている」
「その、スノウドロップって何なんですか。ラピスちゃんの手の甲を見て、黒服が判断したっぽいですけれど」
「その黒服は物を知っていたようだな。ラピス・ラズリは手の甲に花の刺青がある。それがスノウドロップの一つのいわれだ」
「どういう意味なんです?」
「これ以上は知らないほうがいい。どうせ、お前はラピス・ラズリが暗殺者で今まで数多の人間を殺してきたと言っても信じまい」
「そりゃ……、信じられないですけれど」
甘い、というよりも見た目で人を判断するほどこの街で愚かな事はなかった。
「安心しろ。ラピス・ラズリはお前に懐いている。殺される心配はないだろう」
殺される、という部分でメイが息を呑んだのが伝わった。暗殺者であるという部分よりもラピスを信じたい気持ちが強いのだろう。
「あたしは……暗殺者だからと言って差別したりしない」
「立派な心がけだな。ではこの街に潜む闇を暴くのにも一役買ってもらおうか」
その言葉にメイが、「どういう事です?」と聞き返す。アーロンは周囲に視線をやった。
「ここから先は、家で話す」
「またアーロンさんの家に行けって事ですかぁ?」
メイからしてみれば監禁された場所なので行きたくないのだろう。アーロンは嘆息を漏らす。
「だったら、その辺で喋るか? 喫茶店でも手軽に見つけて。なるほど、喋りやすいかもしれないな。だがその場合、確実に邪魔をしてくる輩が現れる。そういうリスクを考えなければ」
「ああ、もう! 分かりましたよ。あたしはついて行けばいいんでしょ」
「分かればいい」
アーロンは考えを浮かべる。預かったポケモン図鑑は今もプラズマ団の連中に情報を送り続けているのだろうか。その場合、根城を知らせるようなものだが歩き回るよりかはまだマシだ。
一階の喫茶店は相変わらず客は少なく、店主はアーロンの帰宅を喜んだ。
「アーロンに、お嬢ちゃんも結局ついて来たんだ」
「好きでついて来ているんじゃないですよ」
「今晩出かける。留守を頼むぞ」
店主に言いやると、「ああ、定例会議ね」と心得たようだった。
「忙しいんだねぇ、衛生局勤務っての」
アーロンは階段を上がり、メイが入ったのを確認してから鍵を閉めた。
「衛生局勤務って……、何て嘘つくの」
「一番勘繰られない部署だ。そういう嘘の一つや二つを持っておくのがこの街での鉄則というものだと分かれ」
メイは不服そうにむくれながらソファに座り込む。アーロンは場所を決めあぐねていたがやがてソファの前にあるテーブルへとポケモン図鑑を放り投げた。
「あたしの図鑑!」
「本当に、これはお前の図鑑か?」
図勘を手に取ろうとしたメイの手首をひねり上げる。
「痛い! 痛いですって!」
「答えろ。プラズマ団とは何だ? どういう関係がある?」
「プラズマ団? それってあたしが壊滅させた組織じゃないですか」
壊滅。その言葉にアーロンはぴくりと眉を跳ねさせる。
「適当な嘘をつくな。一トレーナーが組織の壊滅など」
「出来たんですから、仕方がないでしょう」
嘘をついている様子はない。だがそれが逆に疑わしかった。
「素人集団とはいえ、お前のようなトレーナーが壊滅させられるほど裏組織は甘くない」
「色んな人の助力はありましたよ。ジムリーダーの人達や、チャンピオンも。そういう側面もあって、あたしはカントーに渡ってきたんです」
「どういう意味だ」
「名誉トレーナーの地位をもらって。それで渡航可能になったから、あたし、前から来たかったカントーにやって来たんですよ」
メイは鞄の中からジムバッジの入ったケースを取り出す。確かに八つのバッジが確認出来た。
「名誉トレーナー制度? 聞いた事がないぞ」
「イッシュで新しく出来た制度で。あたしはその第一号。カントーに来たのも語学留学っていう名目です! 離してください!」
手首を掴んだままだった。しかしまだ聞き出す事がある。
「壊滅した、と言ったな?」
「言いましたよ。何か問題が?」
「プラズマ団はまだ存在している」
アーロンの言葉に今度はメイが呆然とする。
「嘘」
「嘘じゃない。この図鑑から出る電波を傍受しているのはプラズマ団だ。俺はお前がプラズマ団の尖兵である可能性も考慮に入れていた」
「嘘、嘘ですよ! あたし、確かにプラズマ団を倒しましたもん!」
「本当に、か? それが何者かによって操作された可能性は?」
「操作って、誰がです?」
聞き返されればアーロンも押し黙る他ない。誰にこの娘は操られている? プラズマ団だとして何を根拠に普通のトレーナーを追う?
「……それが分からない」
「分からないなら、あたしに罪をなすりつけないでください」
「だが、異常な事はまだある」
どうしてあの夜、殺したはずなのに死ななかったのか。直接聞き出そうとしたが、波導を読んだほうが速いと切り替えた。メイの体内に流れる波導は余人と変わったところは一切ない。死者が動いている、と評したハムエッグの読みは外れだ。死人に近い部分はなかった。
「……何見ているんです?」
「何でもない。だが、そうだとしても奇妙な事はある。プラズマ団がイッシュで倒れたのならば、どうしてカントーに渡ってくる余力がある」
「分かりませんよ。あたしだって」
「潰した本人だろう?」
「あたし一人の力じゃないですって! もう、分からず屋だなぁ」
ようやくメイの手首から手を離す。だがポケモン図鑑をまだ返すわけにはいかない。
「返してください」
「返せば、この事件が収束するとは思えない」
「迷惑なんです! 振り回されて、あたし」
「では言い方を変えよう。もしこれを返しても、お前は一生わけの分からない潰したはずの組織に付け狙われる。それを容認していいのか?」
それは、とメイが口ごもる。アーロンは畳み掛けた。
「確たる証拠もある。このポケモン図鑑を使って、俺の位置情報を調べたな。誰の協力だ?」
メイは逡巡の後にホロキャスターを取り出す。
「アプリの中の、落し物自動追跡アプリで探したんです。どこかで落としたのなら、それを追尾するように出来ています」
アーロンはホロキャスターを受け取り波導の眼で精査する。どうやらホロキャスターには仕掛けはないらしい。
「このアプリを使って、ポケモン図鑑の電波を辿った、と?」
「だからそうだって言っているじゃないですか」
「しかし、ここは電波を完全遮断する場所だ。だというのにポケモン図鑑が追跡出来た事がおかしい」
メイは困惑の表情を浮かべていた。アーロンもどうしてメイがここを特定出来たのかを知りたい。
「……あたしには詳しい事は何も。ホロキャスターをもらった時から、ついていたアプリですし」
「誰からもらった」
メイはその時、一瞬ハッとしたがすぐに隠そうとする。しかしアーロンは見逃さない。
「何か、やましい事があるんだな?」
「ない! ないです!」
「なければ教えろ。誰からもらった」
メイは再び視線を逸らす。アーロンはホロキャスターを操作した。
「何してるんですか!」
「製造番号やユーザー情報で元の持ち主を探る。そうすれば、お前がいくら隠し立てしようが」
ユーザー情報で出てきた名前はメイではない。たった一文字の英数字だった。
「N、とは何者だ?」
「ファ、ファミリーネームで……」
「分かり切っている嘘をつくな。ユーザー情報にNとある。この人物がお前にホロキャスターを渡した張本人だな」
「……違います」
「嘘はいい方向には転がらないぞ」
「だから! 違うんですって! 確かに、それはNって人のものですけれど、その、あたしもよく知らなくって……」
意図が分からずアーロンは問い質す。
「これがお前のでなければそのNという人物のものという事になる。だが、お前はNを知らないのだというのか?」
メイは気後れ気味に頷く。アーロンは額に手をやっていた。
「あのな、俺にも信じるものと信じられないものがある。他人のホロキャスターを使って、自分のポケモン図鑑を見つけ出したって言うのは、現実的じゃない」
「でも、その、最初からアプリは入っていたんです。同期設定をしただけで」
アーロンは目を細めて睨む。
「どこで拾った?」
「……二年前にプラズマ団が活動していたっていう場所で。今はもう廃墟ですけれど。四天王に挑む前に見ておくといい、って言われたんです。二年前に酷い事が起こったって」
「プラズマ団が関連している事か」
「知らないんですか? プラズマ団が政府中枢に反旗を翻したんですよ」
大きなニュースになっていたのはオウミの発言からしても納得は出来る。しかし、どうしてこの小娘が関わっていると言うのだ。
「確か、政にも影響したと聞くが」
メイはため息を漏らし、「知らないんだ……」と呟いた。アーロンは、「興味がないからな」と応じる。
「でも、国際社会では有名な事件で」
「俺に関わりのなければ、それは興味がないと言うんだ」
徹底したアーロンの声音にメイはむくれた。
「……そういうの、よくないと思いますよ」
「よかろうがよくなかろうがお前の判断するところじゃないな。で、その廃墟で見つけ出したホロキャスターを勝手に持ち出して自分のものとした、と」
「……随分と言い方が悪いです」
「事実だ。何も間違っていまい」
メイは、「でもそれだけで」と口にした。
「それ以外はプラズマ団を色んな人の助力で壊滅させたくらいしか」
「心当たりと言えば、それか。壊滅させた組織の残党が復讐の機会を狙っている。あり得ない話ではない」
「怖い事言わないでくださいよ」
メイが震えるがアーロンは事実を突きつける。
「一番あり得るのがそれだ。そうでなければ、どうしてこのポケモン図鑑にはそこまでの探知機能がついている」
あるいは、とアーロンは考える。メイでさえも知らされていない図鑑の拡張機能のうちの一つ。しかしそうだとすれば図鑑の製造責任者とプラズマ団がグルという事になる。それは現実味がない。
「今宵、俺は仕掛けるつもりだ」
「仕掛けるって、何をです?」
この期に及んで理解の乏しいメイに肩透かしを食らった気分でアーロンは告げた。
「俺は素人集団を壊滅させなければならない任務を帯びている。お前の言うプラズマ団がそれだ。ヤマブキの秩序を乱そうとしている。それがこの街には好ましくない」
アーロンの声音にメイは息を呑む。
「潰す、って言うんですか」
「他に何がある」
「……無理ですよ。たった一人でなんて」
メイは立ち上がっていた。
「あたしも一緒に行っていいですか?」
その言葉にはアーロンも目を瞠った。
「何故、お前が? 役にも立たないだろう?」
「そうでもありませんよ」
ふふん、とメイはモンスターボールを取り出して緊急射出ボタンを押す。
「行け!」
放たれた光と共に出現したのは細長い手足を持つポケモンであった。緑色の髪を流したような女性型のポケモンであり、音符のような意匠がある。
「メロエッタ。あたしのポケモンです」
メイは誇らしげにするがアーロンは眉をひそめた。
「おい、まさかこれで俺の助力になると」
「なりますよ。バッジ八つ手に入れたエースポケモンです」
アーロンは呆れ気味に立ち上がって夕食の準備を始めた。メイが声を差し挟む。
「ちょっ、ちょっと! 何で無視するんですか!」
「手足が細い。女性型、見るに波導も弱い。どう考えても戦闘向きではない」
アーロンの断ずる声にメイは、「バッジ八つですよ!」と抗弁を発する。
「これからやるのはルールに則ったポケモンバトルじゃない。殺し合いだ。その最中に非力なポケモンを持ち込まれては困る」
「非力って、ピカチュウだって非力でしょう!」
メイの声にアーロンはつくづく、とでも言うように嘆息を漏らす。
「ピカチュウが非力に見えるのならば、お前はトレーナーとしてはまだまだだ。俺のピカチュウはポケモンバトルをするために育てたんじゃない。命のやり取りをするために育て上げている。それを評して非力だとするのは、トレーナーとしての力量を疑うな」
うっ、とメイが声を詰まらせる。アーロンは黒胡椒をまぶして唐揚げを作ろうとしていた。
「その、あたしが役に立てる事って……」
「ない。ここにいろ」
断じた声音にメイは項垂れる。何を残念がる事があるというのだ。自分に被害が及ばないのならばそれに越した事はないだろうに。
「危ないところに行きたいのか?」
「いや、あたし、一応はプラズマ団を倒したって言う自負があったわけで。その、そこまで無力だって言われるとへこむ、って言うか……」
「へこむならへこんでおけ。ヤマブキに連中が入った以上、もう殺すしかない」
アーロンの言葉にメイは言い返す。
「何でもっと平和的な解決方法がないんですか? カントーって文明国だって聞いてましたけれど」
「文明国で治安もよく、秩序も整っている」
「だから、だって言うのに何で」
「それは、裏でたゆまぬ努力をしている人間のお陰だ。裏で消費される命の数だけ保障される安全がある。それも分からぬようでは、文明国に生きる意味がない」
唐揚げが上がり、白米と合わせて夕食にする。メイは差し出された夕食に戸惑っていた。
「食わないのか? 俺は出るから食うが」
「……プラズマ団はあたしが潰したんです」
「何度も言うな。分かり切っている事を」
「アーロンさんは信じてないんですよね」
「信じる信じないじゃない。潰れていないから追ってきている。ヤマブキでは素人の動きは目立つ。さっさと潰して日常に帰りたい。それだけだ」
「アーロンさんの、日常って何ですか」
箸を止める。自分の日常は一つしかない。
「殺すか殺されるか、だ。そこに疑う余地はない」
「やっぱり、文明国じゃない……」
そうこぼしてメイは唐揚げを頬張った。