第十一話「スノウドロップ」
ラピスは裏通りを知り尽くしているようだ。スキップを踏むような気楽さで表へと誘導していく。メイはいくつか聞いていた。
「その、主様、って言うのがあの……」
言葉を濁していると、「そうだよ」とラピスは答える。
「ベロベルトっていうポケモン」
「ラピスちゃんの、お父さんやお母さんが使っていたポケモンなの?」
その問いにラピスは首を横に振る。
「おとうさん、おかあさんってなぁに?」
足を止めた。それは本気で聞いているのだろうか。ラピスは穢れのない眼で問いかけてくる。メイは一呼吸置いてから、「何でもない」と微笑んだ。
何か、触れてはならない一線であったような気がするのだ。
「お姉ちゃんはどこから来たの?」
「イッシュだよ。カントーからは遠く離れているけれど」
「アメリカだ!」
メイは言いよどんだ。
「そう呼んでいる人もいるね」
カントーでは昔、仮想敵国として扱われ「アメリカ」と呼ばれていた。それはイッシュの人々にとってしてみれば蔑称でもある。だがこのような小さな子が使う分にはまだ許された。物事の分別もついていないのだろう。
「ラピス、いつかアメリカ行きたいなー」
「その時は主様も一緒?」
その問いかけに、「無理だよー」とラピスは笑った。
「何で? ラピスちゃんくらい可愛いと向こうじゃモテモテだよ」
「だって主様言ってたもん。かんぜい、に引っかかるから無理だって」
ベロベルトの輸入は関税に引っかかるのだろうか。確かにイッシュでは見た事がなかった。
「まぁ、そうなのかもね」
「それに、ラピスお仕事あるし」
「お仕事?」
聞き返してから、ああ、小学校にでも通っているのだな、と考えた。この年頃の少女は自分のやっている事をお仕事だと思いがちだ。殊にあのような場でベロベルトの誘導に使われたのではそれをお仕事だと思いかねない。
「主様のところに人を届ける事?」
「それもあるけれど、本当の仕事は、ラピスしか出来ないんだって! 主様が!」
嬉しそうにラピスがメイの手を引っ張る。メイは愛想笑いを返す。あのベロベルトならば彼女にきっちりとした教育を施す事も可能そうだった。
「通信教育とか?」
「言っちゃいけないんだって。初めて会う人には」
「えー。でもラピスちゃん、あたしを主様のところまで届けてくれたじゃない。あたしもラピスちゃんの事知りたいな」
その時、前から歩み寄ってくる人影があった。黒服二人組で若いほうがラピスに気付いて笑う。
「先輩、ガキがいますよ。こんなところに」
指差された事にも苛立ったが明らかに馬鹿にした口調なのにもメイは憤りを覚える。しかしラピスは気にも留めない。
「おじさん達、どこへ行くの? ラピスが案内してあげる」
それを止めに入る前に若いほうの黒服がラピスの手を引いた。
「いいねぇ。先輩、このガキ買ってくださいって言ってるんですよ」
メイは口を挟もうとしたが黒服二人組にさえも何も行動出来ない。恐怖が足を竦ませている。
「案内、要らないの?」
「そうだねぇ。おじさん達と一緒に来ようか」
さすがにその言葉にはメイも返そうとしたがその時、ラピスの手の甲を目にした黒服のもう一人が目を見開く。
「おい……、やめておけ」
「えっ、何でですか、先輩。こいつ買ったら変態共に喜ばれそうでしょ」
「馬鹿が……。その手を離せって言っているんだ」
思わぬ言葉にメイも若い黒服も閉口していたが彼は聞く耳を持たない。
「ガキですよ? 何を怖がっているんですか。こんなの」
思い切り手を引っ張った若い男の手がすっぽ抜けていた。いや、正確には、掴んでいた指が切断されていた。
切断された事に気がついていないのか若い黒服は何故手がすっぽ抜けたのかを気にしているようだった。もう一人が慌てて若い黒服を制しその喉から叫びが迸ったのを聞いた。
「お、オレの指が……」
「馬鹿野郎! だから言っただろうが。こいつはハムエッグの子飼いのスノウドロップだ」
スノウドロップ、という聞き慣れない言葉にメイが疑問を挟んでいる間にもラピスは歩み出る。
「ねぇ、案内要るならやるよ。ラピスの仕事だもん」
「いや、いいんだ。お嬢ちゃんは何も気にしなくっていい。頼むからハムエッグには言わないでくれよ。ほれ、駄賃だ」
メイは思わずぎょっと目を見開く。手渡された紙幣は駄賃というレベルではなかった。黒服が離れていくのを目にしながらメイはラピスへと尋ねる。
「何をしたの?」
ラピスは頭を振った。
「何にも。ちょっと痛かったから、この子が反応しちゃったのかな」
この子、とラピスがモンスターボールを撫でる。一体、この少女は何者なのだ。全くそれが読めない。
「表通りはすぐそこだからね」
ラピスは踊るようにメイを案内するが先ほどまでの幼い少女という印象は撤回しなければならなかった。
どうして情報屋の下についているのか。そもそも彼女は何なのか。
メイには分からぬ事が多過ぎた。