第十話「盟主と暗殺者」
「あの子みたいな、か。なかなかに肝の据わった事を言うもんだ」
ハムエッグが頬杖をついて微笑む。アーロンはこの場において二人きりになった事を確認する。
「いいのか? 手持ちを手離して」
「もしもの時はあの子だって分かっているさ。スノウドロップの二つ名は伊達じゃないよ。君が波導を使ってわたしを殺そうとすれば、瞬時にあの子はお嬢ちゃんを殺す。それでもいいのなら」
アーロンは少しばかりの逡巡の後に口にする。
「……今殺されるのは都合が悪い」
「都合のいい時に掃除を頼んでくれればいつでも殺そう。わたしと君の仲だ」
ハムエッグの提案にアーロンは憎悪の目線を向けた。
「やはりお前は、下衆だな」
「紳士であれ、とレディの前では教えられているんでね。君のようにいつでも不遜な態度を取っているタイプじゃない。小さくともレディはレディだ」
「よく言う」
ハムエッグは場合によればいつでも人殺しに躊躇いがない。メイが少しでも間違った事を言えば即座に首をはねるだろう。
「それで。ポケモン図鑑の仕掛けだが」
「ああ、こいつを見るといい」
示されたのは先ほどのポケモン図鑑の解析結果だ。やはり、とアーロンは確信する。
「逆探知電波が出ている」
「常に位置情報を送り続ける電波か。これで君のアジトでも割れたのかな?」
どうせその情報も仕入れ済みだろうに。分かりきった事を言う。
「……誰がこの電波を傍受している?」
「波導で確認済みか。そうだな、この電波を傍受している人物、いいや団体はヤマブキにいる。ちょっと調べれば出てきたよ。彼らだ」
ディスプレイが切り替わり、今度は青い僧侶のような服装を身に纏った人々が出てきた。
「新手の宗教団体か?」
「カヤノ医師から聞いているだろう? あるいはこう言ったほうがいいか。オウミ警部から消すように命じられている」
ハムエッグはこちらの手の内などお見通しだ。アーロンは苦々しい顔をしながら問いかける。
「何者だ?」
「イッシュではそこそこ名の知れた団体だ。一時期政権を麻痺させた事もあるという。あまりに危険なため、その思想ごとなかった事にされた組織。名をプラズマ団」
「プラズマ団……。それがどうしてカントーにいる?」
「渡ってきたんだろうね」
ハムエッグは高級そうな煙管を取り出して紫煙を棚引かせる。自分の周りには喫煙者しかいないのか。
「渡ってきた? 渡航規制もかからずにこいつらがカントーに渡ってこれたと?」
「半数を切って、半数だけ渡ってきた、という見方が大筋だ。これでも半数、というのは驚異的ではあるが何分、組織としての熟練度は低い。言ってしまえば素人集団だ」
オウミの見解と同じである。アーロンは詳細を聞いていた。
「何でこいつらがあの小娘のポケモン図鑑を傍受する必要がある?」
「さてね。そこまではわたしには。だが興味深い情報が渡ってきた。波導使いアーロンが打ち漏らしをした、と」
アーロンは眉間に皺を寄せる。まさか、一昨日の件か。ハムエッグに上がっていてもおかしくはない情報だが、大っぴらには出回っていないだろう。恐らくハムエッグは権限で握り潰している。
これは交渉だった。
「格調高い殺し屋、青の死神が打ち漏らし、となれば経営に響いてくるんじゃないかな?」
この男は、いいやこのポケモンは節操を知らない。どんなネタでも、ゆすれるのならばそれに使ってくる。どうせ食い扶持に困ってもポケモンだ。人間とは思考形態が違う。いざとなればただの野生としてトレーナーに捕まえられる、という手段でも平気で取りそうだった。
「……五万」
「十二万は要るね」
とんだ出費だとアーロンは財布から指定された紙幣を取り出して手渡す。ハムエッグは、「不確定情報だが」と前置きする。
「一昨日、中小企業の社長とそれの雇った殺し屋、そして運転手と三人が殺された。だが殺し屋は当然、大っぴらにされない。外面上は二名の事故死。だが、この記述には誤りがある。青の死神は恐らく目撃された。殺しの現場を。だからもう一人、報道されていない死者がいる」
「確証のない」
「わたしがそんな情報をここまで留めておくと思うか? 君との交渉のレートに上げられると思ったからわたしの手で置いておいた」
どこまでも卑怯な奴め。アーロンは、「仮に打ち漏らしたとして」と声にする。
「まさか、青の死神が死んだかどうかの判断もつけられないなまくらだと思っているのか?」
「いいや、それはないだろう。確実に殺した。青の死神はそう思ったはずだ。だが、生きている。それだろう? 君が解せないのは」
煙管でハムエッグはアーロンを指し示す。アーロンは忌々しげに口を開いた。
「どこまで知っている?」
「分からないのは彼女が何で生きているのか、だろう? わたしだってそれ以上は分からんよ。だから、ラピスに彼女を案内させた。薬漬けにしてキズモノにしてもよかった」
ダンスホールの黒服の一挙手一投足をこの男は任せられている。必要とあればメイを拉致する事も出来た。
「……畜生の分際で」
「その畜生に論破される気分はどうかな? 波導使い。今の会話で確信したよ。君は間違いなく、打ち漏らしをした。だがどうして打ち漏らしたのか分かっていないな」
隠し立てしたところで仕方がない。アーロンは話せるだけ話そうと考える。
「波導を読まなかった。怠っていた」
「足りないな。それだけでは打ち漏らしの確定要因ではない。もうこの稼業を何年続けている? 素人が死んだかそうでないかくらい、波導を読むまでもないだろう?」
あの時の自分の不手際まで露見するようで気分が悪いがアーロンは首肯する。
「殺した、と思っていた」
「だが生きている。生ける死者とは。なるほど、そう考えれば辻褄は合う」
「何のだ?」
「プラズマ団が彼女を追う理由だ。追跡しているのは彼女が死なない人間だから」
「飛躍だな」
「そうでもない。彼女の出身はイッシュ。どうしてカントーに渡ってきた? 渡航記録を調べようとするとこれだ」
抜かりのないハムエッグの行動でもそれは予想外だったのだろう。メイのパスポートには何重にもロックとセキュリティがかけられていた。
「国や旅行会社レベルじゃない。これは、裏組織のかけ方だ」
「あいつ自身がプラズマ団の構成員。これならばどうだ?」
「論拠に欠ける。ならば何故、彼女は構成員として報告しない? まさかポケモン図鑑だけが通話端末だと? そんな馬鹿な話はないだろう。端末を持っていて、それをろくに使っていないというのはおかしい」
確かに昨晩自分は彼女を監禁した。だというのにそのプラズマ団とやらから何の接触もない。
「普通、寝込みを襲うものだ。昨晩よく眠れたのが、何よりもおかしいのだと気付いたかな?」
アーロンは推測を並べる。ハムエッグほどの人物ならば推論はすぐさま確証に変わるはずだ。
「構成員じゃないが、特一級の監視対象」
「あり得る。だが、そうだとすればプラズマ団の連中は間抜けだ。このヤマブキの構造を一切知らず踏み込んできた事になる」
「裏組織にしてはやり方がずさんだな」
「それが引っかかる。どうしても、ね。イッシュで幅を利かせたのならばやり方くらいは熟知しているはずだ。だというのに、路地番の使い方さえも知らない、というのは」
素人組織、だとオウミは断じていた。カヤノの見方もそうだ。裏組織、と呼ぶにはどこか間抜けで、裏の集団レベルだという。
「ヤマブキの様式を知らない」
「イッシュにはヤマブキよりも裏路地の多いヒウンシティがある。そこでやってきた連中が、ヤマブキのような簡素な街の扱い方も知らないのはおかしいだろう」
アーロンは額に手をやる。ハムエッグがキセルをくわえてコーヒーを注いだ。そろそろ考えが行き詰ってくるのに勘付かれているのだ。癪だが喉も渇いていた。
「ではプラズマ団は何なのか。どうしてメイ、というあのお嬢ちゃんを、言うなれば狙うでもなく、監視している? それが分からない」
「何か、監視する目的がある」
「それが見えないと話にならない、と言っているんだ。ここら辺りで誰か、命知らずが一人飛び込んでくれると助かるんだが」
ハムエッグの思惑は最初から分かり切っている。自分にプラズマ団へと仕掛けろ、と言っているのだ。
「……勘、というものがある」
「ほう、勘、ね」
「長年の勘から、次の行動を決める。あんたならば分かり切っている事実だろう」
「裏でやっていくのならば当然の動き方だ」
「俺の勘が、いい方向には転がらないと告げている」
ハムエッグはフッと笑う。
「それは波導使いとして、かな?」
コーヒーを呷り言い放つ。
「暗殺者として、だ。このやり方は賢くない。もっと監視を厳にしてから、相手の出方を見るべきだ」
「警察のような事を言う」
ハムエッグの皮肉にアーロンは被せた。
「そちらこそ、俺を使うようになるとは、まるで公安のようだ」
譲るつもりはなかった。ここで譲歩すれば一つ、また一つと厄介ごとが増えるのは目に見えている。
「……いいだろう。君の気持ちはよく分かった。他の暗殺者に仕事を頼むにしても、しかし、一から説明する手順がある。その手間賃とお嬢ちゃんの保護、それと警察や各局メディアへの圧力。また、新聞記事やゴシップを抑制する。その暗殺者への報酬と斡旋料。加えてもう波導使いアーロンには名声は渡ってこないと思ったほうがいい。素人集団相手に尻尾を巻いて逃げ出した、と――」
ピカチュウがモンスターボールを割って飛び出していた。その尻尾がまるで切っ先のようにハムエッグの喉元へと突きつけられる。
「いつでも波導を切れる」
「やればスノウドロップに命を狙われるぞ」
ハムエッグは臆する事もない。この男の経歴を知っていれば当然と言えば当然だ。
「いいか? 波導使いアーロンが尻尾を巻いて逃げ出すなど――あり得ない」
「それはいつまでの話かな? このままだとわたしの言った通りになりそうだが」
睨み据える。ピカチュウも本気の殺気をハムエッグに向けた。青い電流が小さな身体を跳ねる。だがハムエッグは視線さえも逸らさない。冷や汗一つ掻いたらお終いだ。
「……分かった。あの小娘については俺が引き継ごう」
「賢明な選択だよ、波導使い」
ピカチュウを肩に乗せ、アーロンは言い放つ。
「だが、俺を都合よく利用出来ると思うな。次は殺す」
「その次は殺すって警句、二十七回目だよ」
ハムエッグの皮肉にわざわざ応ずる必要はない。アーロンはその場を後にした。