MEMORIA











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波導の青、彼方の死神
第九話「盟主ハムエッグ」

「あの、ハムエッグさんってのはどこにいるんですか?」

 自分の顔を覗き込んでくるメイにアーロンは煙たそうにする。

「どうして聞きたがる?」

「だって、アーロンさん、何だか因縁がありそうだなって感じでしたし。あたしが役に立てるのなら、それでも」

 足を止める。アーロンは顎に手を添えて考え込む。

「……その手があったか。だがこいつであの場所まで耐えられるか。いや、試してみる価値はあるか」

 アーロンはくしゃくしゃに丸めた紙片をメイの手に握らせた。メイはそれに視線を落として首を傾げる。

「あの、これは……」

「ハムエッグの位置までの地図だ。経路図もきっちり入っている。そこまでお前が行け」

「は、はぁ? 何であたしが」

「役に立てるのならば、と言っただろう? 役に立て。それだけの話だ」

 ぐっと言葉を呑み込む。どうせ出来まい、と考えていたがメイは決心していた。

「やります。この経路図通りでいいんですよね」
















 大体、アーロンは自分を嘗め過ぎなのだ。

 自分とてトレーナー。旅する人間だ。経路図くらいは読めるし、何よりも戦闘になってもポケモンが出せる。少なくともアーロンのような物々しい空気を持っていない分、話し合いになる可能性もあった。

「えっと、この通路を曲がって。それで……」

 地図に視線を落としながら次々と複雑な迷路を辿っていく。ヤマブキシティがここまでの密集区だとは思わなかった。せいぜい大きなビルを目印にすれば辿り着けると思っていたのだが甘かったようだ。徐々に街の裏側へと入っていくのが分かる。手招きするのは売春婦やそれに似た業種の人々だった。黒服に何度か呼び止められたがメイは適当な言い訳を作ってここまでやってきた。

「本当に、ここまでさせて、何のつもりなのよ。あのダサ帽子」

 自分を下に見た事を後悔させてやる。メイは通路を折れる。すると雑居ビルが目に入った。他のビルと違うのは屋上に巨大なパラポラアンテナがある事だ。ラジオ局だろうか、とメイは考える。

「でも、こんな深層のラジオ局なんて」

 あるわけがない。だが地図はそこを示していた。行くしかない、とメイは折り合いをつける。そこにハムエッグなる人物がいるかどうかは知らないが。

 一階から入るとすぐさま雑音が耳に入った。暴力のようにがなる音量にメイは耳を塞ぐ。

 降りたところがダンスホールになっており、そこでは半裸の女性達がポールダンスをしていた。紫色のけばけばしいネオンサインが網膜の裏まで刺激する。メイが入り口のところで呆気に取られて立ち尽くしていると、「新しい子?」と勧誘の黒服が入ってくるところだった。メイは慌てて後ずさる。

「いえ、その、あたしは……」

「カワイイじゃん。どう? 踊っていかない?」

 ダンスホールをちらりと見やりメイは青ざめた。

「あ、あたし! まだ誰にも裸とか見せてませんから!」

 逃げ出すようにメイは違う通路を辿ろうとするがダンスホールの人だかりのせいでうまく進めない。勧誘の黒服がすぐに追いついてくる。

「待てって。悪いようにはしないから」

 短い悲鳴を上げてメイは手を振り解いた。

「あのっ! あたしは人探しをしていて!」

「だったら手伝うよ。今ヒマ?」

「だから、ヒマなんてなくって!」

「三十分で五万。どう?」

 駄目だ。まるで話にならない。困惑するメイへと黒服の手が伸びる。

「ほら、来なって。裏で衣装用意してあるからさ」

 このままでは流されてしまう。メイは思い切って声にしていた。

「は、ハムエッグさんに会いたくって来たんです! 会わせてください!」

 その言葉に先ほどまで音響が鳴り止まなかったダンスホールが水を打ったような静寂に包まれた。

 視線を上げると全員が静けさの中で顔を見合わせている。

「おい、あの子、ハムエッグって言ったか?」

「やべぇな。って事はあれで裏稼業かよ」

「おい、お前。触らないほうがいいぞ。キズモノだとか思われたら後でハムエッグさんに……」

 黒服の片割れの声にメイに手を伸ばしていた黒服が手を引く。

「ああ、そうだな。あの人の逆鱗に触れるのは御免だ」

 黒服達が離れていく。それと同時にメイの周辺の人々も波が引くように去っていった。

「えっ、あの……! 連れて行ってくれないんですか?」

「誰が、ハムエッグのところになんか」

「危うく丸呑みされるところだったぜ」

 全員がメイを避けているようだった。またしても音楽が鳴り響き、メイの事などまるで無視したように狂乱が続く。メイは誰彼構わず声をかけようとしたが誰もが無言を決め込む。泣き出しそうになった。どうして自分はこんな場所で、たった一人なのだろう。強がらずにアーロンと共に来ればよかったのに。ぎゅっと拳を握り締めるとその手へとすっと触れてくる気配があった。思わず手を払う。

 そこにいた人影にメイはまず言葉を失った。

 西洋人形を思わせる顔立ち。薄緑色の髪をぼさぼさに伸ばしており、星を内包したような輝きを誇る藍色の瞳は、籠の中の姫、という言葉が似合った。服飾は血のように赤いドレスである。

 この異常とも言える場所であっても確実に浮いていた。棒のついたキャンディを舐めており、幼さに拍車がかかっている。

「お姉ちゃん、ハムエッグさんのところに行きたいの?」

 透き通るハイトーンボイス。メイは魅せられたように頷いた。

「うん……。あなたは?」

「ラピス。ラピス・ラズリ」

 ラピスと名乗った少女がメイの手を引く。どういうつもりなのだろう、と勘繰る以上に、メイは彼女の身を心配した。

「あなたみたいな子が、こんなところにいては」

「大丈夫。みんな、いい人、だから」

 ラピスが視線を振り向けると先ほどまで無愛想だった男でも女でも微笑んで手を振った。しかしメイを見やると笑みが霧散する。

「ラピスちゃん。何でそんな子を」

 ここの常連からすればメイのほうが異常な人物なのだろう。ラピスは、「変わった人、だから、かな」と言葉にする。

「変わった人は放っておけないって、ラピス思うから」

 変わった人、という部分では赤面せざる得ないがここではそうなのだから仕方がない。メイはラピスの手助けを得てダンスホールから抜け出し上階を目指す階段に至っていた。

「こんな端っこのほうに階段があるなんて」

 ダンスホールがメインで階段はまさしく裏側である。ラピスが、「あの人に用がある、って、珍しいし」と返す。

「ラピスちゃん、ハムエッグさんの事を知っているの?」

 するとラピスは読めない笑みを浮かべて唇の前に指を立てた。

「しーっ、だから」

 意味が分からずメイは首を傾げる。ラピスは踊るように階段を上がっていく。メイは一歩進むたびに不安が募った。一体、ハムエッグなる人物はどのような人間なのだろうか。もし、黒服達や他の大人達のように怖い人物だったらどうしよう。今さらに恐れが這い登ってくる。するとラピスが振り返って声にした。

「お姉ちゃん、トレーナーなんだ」

 メイのホルスターのボールを見たのだろう。微笑みながら、「一応、ね」と声にする。

「あんまり実力は自信ないけれど」

「ラピスもだよ」

 驚くべき事にラピスもモンスターボールを持っていた。しかしただの赤と白のカラーリングではない。底のほうにナンバリングと特別な意匠がある。メイは、まさか、と息を呑んだ。

「最新鋭のボール?」

「ジョウトのガンテツ一門さんで作ってもらったの。世界に一つだけのモンスターボールだよ」

 ラピスは一体何者なのか。今さらにこの少女の底知れなさに震える。

「ガンテツ一門って、本当に気に入った相手にしかモンスターボールを作らないって有名だけれど」

「気に入ってもらったんだ。ラピスの力じゃなくって主様の力だけれど」

「主様?」

 聞き返す。あまりにも浮いた言葉だった。ラピスは階段を上がり切って振り返る。

「そう、主様。ラピスを育ててくれた人だよ」

 育ての親か。しかし主、とは悪趣味な育て方だな、とメイが思っていると、視界に飛び込んできたのはバーカウンターだった。様々な酒が並んでおり、液晶ディスプレイが外国のドラマを流している。漂っている空気は軽薄なダンスホールから、落ち着いたジャズの音色になっていた。

「主様、連れてきました」

 ラピスの声にカウンターの奥から巨体が出てくる。

 メイはぎょっと目を瞠った。同時に一歩退く。

「何で? だって、これは……」

「主様だよ?」

 メイは被りを振る。目の前にいるのは育ての親、という想定していた人間像とはかけ離れていた。いや、正しく言えば人間ではない。

「ポケモン……」

 呟いた声に相手のポケモンはピンク色の巨体を揺らした。どうやら笑っているらしい。

「この街で、わたしの事をポケモンと呼ぶのは随分と礼儀知らずなお嬢さんだ」

 何と目の前のポケモンは流暢に人間の言葉を使ったのである。それだけでも驚愕に値した。

「ぽ、ポケモンが、何で?」

「人間の言葉を使っちゃいけないルールでもあるかい? それとも、ここまで滑らかなのが信じられない? あるいはこの子を育てたのがわたしだと伝えても」

 育ての親。ラピスの口から語られたのは育てられた事のみ。親だとは一言も言っていない。

「ポケモンが人間を育てるなんて」

「いけないか? だが、この街では何が起こっても不思議ではない。覚えておくといい」

 メイはこんな時にポケモン図鑑のない事を歯噛みした。相手のポケモンの分類くらい分かれば対処のしようはあるのに。

 そんなメイの様子を目ざとく悟ったのかラピスが声にする。

「主様はベロベルトっていうポケモンなんだ」

 ベロベルト。聞いた事のない種類だ。

「ベロリンガってポケモンがいるだろう? あれの進化した種族さ」

 まさかポケモンの概要をポケモンの口から聞く日が来るとは思っていなかった。メイはすっかり気圧されている。

「何か飲むかい? ここまで来るのは若いお嬢さんなら大変だっただろう」

「あの、あたし、その……」

「安心するといい。無理やり酒は勧めないよ」

 そう言ってベロベルトは巨大な舌を出した。その特徴からベロリンガの進化系というのは間違いではなさそうだ。

「喋るポケモンなんて初めてで……」

「おや、お嬢さんはペラップというポケモンを知らないのかな? あれも喋るぞ」

「でもあれは、主人の教えた言葉をおうむ返しにするだけで厳密に喋るとは」

 たとえばこのように会話の形式が成り立つ事などあり得ないのだ。ベロベルトの主人は、「まぁ驚くかな」と笑う。

「わたしとてこの地位を得るまでが大変だったからね。下のホールで馬鹿騒ぎしている連中の後片付けもわたしの仕事さ」

「あの、ベロベルトさんは……」

「わたしにも名があってね」

 そう言われて自分の言葉が軽率であった事をメイは恥じた。顔を伏せて、「ごめんなさい」と謝る。

「いやいや。名前の有無なんて普通は気にしないものさ。スプライトでも飲むかな?」

 スプライトの瓶を取り出してきたベロベルトはグラスに注ぎながら口にした。

「ここの経営者を勤めさせてもらっている、ハムエッグだ。よろしく」

 ハムエッグ、という名前にメイは心臓が跳ね上がった。それはアーロンの言っていた依頼主ではないのか。

「ハムエッグ、さん……」

「おや、わたしの事を既に知っているようだ。それもこれも、君の思惑通りかな。アーロン」

 放たれた声に暗闇から現れたのは青い装束を身に纏ったアーロンの姿だった。どうして、とメイは声を詰まらせる。

「普段はダンスホールから入らない。この後ろに直通のエレベーターがある」

 アーロンのやけに落ち着き払った声音にメイは思わず声を荒らげた。

「あ、あなた! あたしをわざとあんなところに!」

「あんなところとは、ご挨拶だな」

 ハムエッグが笑う。失礼をしてしまった事を今さら恥じて、メイは再三謝った。

「すいません……。あたし」

「いいんだよ。よくある間違いさ。ヤマブキは長いのかな?」

「あ、いえ、まだ来て日も浅くって」

 スプライトの入ったグラスを受け取る。アーロンはメイと話すハムエッグを睨み据えていた。その眼差しは殺意とも取れる。どうして張り詰めた空気が流れているのだろう。ハムエッグはここまでユーモラスなのに。

「どうかしたかい?」

「あっいえ。やっぱりあたしみたいな日の浅い旅行者は、その、引っかかりやすいんですかね」

「引っかかる? 何にだね?」

「その、悪い人達に」

 その言葉にハムエッグは大笑いした。メイはどうしてだか恥ずかしくなる。

「悪い人達、とは。では私も悪いほうの奴らかな?」

「いえ、ハムエッグさんは、別に」

「偽るものじゃないよ。まだ安心も出来ていないんだ。悪い連中と思われても仕方がない」

 この喋るポケモンは普通の人間よりも人格者なのではないか、とメイは思い始めていた。その巨体に似合わない短い手足のせいで悪戦苦闘するかに思いきや、以外にもあっさりと業務をこなすハムエッグにメイは目を奪われていた。

「慣れているんですね」

「客をもてなすのに、もたついていちゃ悪いだろう?」

 それもそうだ。メイはどうしてこのような場所がダンスホールの上にあるのか聞いていた。

「何で、こんな場所に? ダンスホールの上なんかに」

「元々、ダンスホールはわたしの本業のために必要な、言うなれば自由な場所でね。あそこで纏った商談や、あるいは流れ込んできたものこそ、わたしの資金源になる」

 首を傾げていると、「情報屋だ」とアーロンが口を差し挟んだ。

「この街で一番に権力のある情報屋が、ハムエッグだ」

 メイが呆気に取られる。当のハムエッグは、「照れるね」とアーロンに目を向けていた。

「波導使いアーロンからのお褒めの言葉となれば」

「誰も褒めてはいない」

 アーロンとハムエッグはどうやら険悪な空気だ。メイは話題を変えた。

「その、ラピスちゃんは何か飲む?」

 メイの言葉にラピスが手を上げる。

「カルピスがいい」

「はいよ。今入れるからね」

 ハムエッグがたとえポケモンであってもこの二人がよい親子関係なのには間違いなさそうだ。そう思って微笑んでいると、「何をニヤついている」とアーロンが指摘した。

「ニヤついてなんか」

「締まりのない顔をするな。特に、この場所では、な」

 意味が分からずメイが戸惑っていると、「ヤマブキの情報が集う最前線だ」とハムエッグがラピスにカルピスのグラスを渡した。

「何か、情報が欲しくってここに来たんだろう?」

「これを解析してくれ」

 アーロンの取り出したのは何と自分のポケモン図鑑であった。思わぬ光景にメイは割って入る。

「ちょっ! ちょっと待って! あたしのじゃない!」

「そうだが? 何か問題でもあったか?」

「大ありですよ! あたしの私物をなんで!」

「私物、か。ハムエッグ、簡易検査でいい。こいつの私物かどうかを判断してくれ」

「簡単に言ってくれるね」

 受け取ったハムエッグは器用に表裏を見やり、次いでコンピュータに繋いだ。

「製造責任者はアララギ博士。イッシュの技術一家だな。そこからポケモン図鑑をもらった、なるほど筋は通っている」

 自分の経歴が丸裸にされるようでいい気分ではない。アーロンはさらに追及した。

「まだあるはずだ」

「簡易的に波導で見たな。なるほど、この仕掛けは面白い」

 何が面白いのか。ハムエッグのその巨体のせいでモニターは一切見えない。

「纏った書類と情報は、彼女のいないところのほうがいいかな?」

 再びポケモン図鑑を手渡したハムエッグにアーロンは紙幣を掴ませた。

「手間賃込みだ。ここまでこいつを案内するのにも時間がかかっただろう」

「なに、ラピスのいい遊び相手になってくれた。この子も気に入ってくれている」

 ラピスはストローでカルピスをすすって、「ラピスはお姉ちゃんは好きだよ」と答えた。その好意は素直に嬉しいのだが、アーロンはどうしてだか射るような瞳で見つめてくる。

「お姉ちゃんは、か。相も変わらず俺は嫌われているようだな」

「一度やってしまえば、ね。仕事柄仕方がないだろう」

 アーロンはハムエッグから受け取ったポケモン図鑑を目にしてからメイに言いやった。

「おい、俺の入ってきたエレベーターからこの建物を出ろ」

「は、はぁ? なんであたしがあなたの命令なんかに」

「出ろ。早くしないとまた黒服に囲まれるぞ」

 押し殺したようなアーロンの声に、「ラピスが送る」と幼いラピスが手を挙げた。

「いいだろう。ラピス、送ってあげなさい。ここいらだけでは不安だから表通りまで、ね」

 頷いたラピスがメイの手を引く。

「行こ。お姉ちゃん」

 メイはうろたえ気味に頷く。

「あの、あたしだけ行っても」

「いい。もう用済みだ」

 何て言い草。やはりこの男を信用すべきではない。メイは鼻を鳴らした。

「そうでございましたか! あーあ! ラピスちゃんみたいな素直な子だったらいいのに!」

 メイはわざと大声で足音を立てながらその場を後にした。


オンドゥル大使 ( 2016/01/17(日) 23:37 )