ACT8
ACT8「背徳記念日」

「話があるのならディズィーさんに直接聞けばいいんじゃ……。何で私みたいなのに聞くんですか?」
 そう尋ねたのは茶髪ボブの少女であった。
 丸目がちで、どこかおどおどしている。傍目から見てもどんくさそうだった。そこに目をつけたのはディズィーの追跡調査をしている編集部だ。
「この子にディズィーは個人的に会っている。アポ取って裏話聞いて来い」
 編集長の気紛れには困ったものである。わたしは、目の前の少女もどこかその被害者のように思えていた。
 ホウエンを始めとした、今や世界に名だたるロックバンド、ギルティギア。そのボーカル、ディズィーの裏話となれば三流編集部でも喉から手が出るほど欲しい代物である。
 一面記事を仕上げれば、それだけで発行部数はうなぎ上り。わたしは出来るだけ、紳士的に応じていた。
「でも、あなたにディズィーさんが個人的に会っているのは、間違いないんですよね? ヒグチ・マコさん」
 問われてマコという少女は困惑するばかりであった。笑顔が印象的ではあるが、困った時も微笑んでいるのでどこか読みづらい人格だな、と感じる。
 この少女には、恐らくさしたる情報源などあるまい。叩いて出る埃なら他の出版社が放っておくはずがないのだ。
 今さら三流の出版社にお鉢が回ってきた、という事実だけで、この少女の価値は推し量るべきである。
「その、ディズィーさんとお出かけしているのは本当ですけれど、私、皆さんが欲しい情報なんて持っていないと思いますよ?」
 その通りだろうな、とわたしも感じる。だが、ここ引き下がる事の出来ないのもまた、職務なのだ。
「何でもいいんです。お忍び旅だとか、そういう他愛のない話で」
 半ば諦めている。本当に大層な話なら、レコーダーを点けておくべきなのだが、それもしていないのは、この会話が本当にオフレコであるのを示していた。
「あっ、そういえば……」
 何か思い至ったらしい。わたしはすかさず切り込む。
「何かありましたか?」
「いえ、他愛ない、その、ディズィーさんとイッシュに出かけた時の話なんですけれど」
 女子大生の話など、本当につまらない代物だろう。むざむざ手ぶらで帰るわけにもいかないから、ここで粘っているだけだ。
「何でもいいんです。何がありましたか?」
 わたしは営業スマイルを崩さずに質問する。マコは声を潜めた。
「あんまり言い触らすなって、ディズィーさんは言っていたんですけれど……、これくらいしかなくって。これは、本当にあった話です」

 私はディズィーさん、ルチアさんと共にイッシュの空港に辿り着きました。
 ホウエンと違い、少しだけ涼しい風が異国情緒を漂わせていました。
「来たぜ! イッシュ!」
 ディズィーさんは久しぶりのオフとあってか、遊ぶ気満々でした。ルチアさんもなかなか解放される機会がないのかうーんと羽根を伸ばすつもりだったみたいです。
 私、イッシュなんて初めてでしたから、まずはどこへ行けば? と二人に尋ねました。
 ディズィーさんとルチアさんはギルティギアのメンバー。当然の事ながら色んな場所に行き慣れています。
 まずは、と案内されたのは何とイッシュでも指折りのパンクロックバンド、ホミカさんのプロダクションでした。
 私みたいなのが居ていいの? とずっと緊張しっ放しで……。
 あ、でもここはカットでいいです。だって、そこでは何も起こらなかったんですから。出来事は二日目、ディズィーさんとイッシュの首都。ヒウンシティに出かけた時です。
 ヒウンシティはまるで迷路でした。
 天を突く摩天楼。それに見合うかのように四方八方はエメラルドの海で囲まれていて……。月並みかもしれませんが、とてもいい場所だと思いました。
 綺麗、と私はずっと感嘆するばかりで……。ホウエンの出身ですけれど、カナズミからほとんど出た事もなかったので、海って特別な場所な気がするんです。
 ……あっ、話が逸れましたね。すいません……。私、ついついこういう風に話が逸れちゃうタイプで。
 潮風に当たりながらウィンドウショッピング、という事になったんです。
 イッシュのお店はとてもオシャレでした。私なんて、一生かかっても入れないような場所にすいすいディズィーさんは入って行って。ちょっと困ったけれど、楽しかったんです。
 あれを目にするまでは。
 ヒウンシティに名物ってありますよね?
 そうです、ヒウンアイスです。
 夏しか売っていないアイスの季節に、私達は運よく行けて。
 で、ヒウンアイスを買おうって話になったんですけれど、行列が凄くってとてもじゃないけれど買えない。私はすぐ諦めたんですけれど、ディズィーさん、こう言うんです。
「こりゃ、裏道から行かないと駄目かな」
 裏道なんて私が知っているはずもないですから、ディズィーさんに連れられてヒウンシティの裏通りを歩いていくと、妙なスポットに出くわしたんです。
 表のヒウンアイス直売所と外観が全く同じなのに、誰も並んでいないお店が。
 はて、と誰でも思うじゃないですか。
 ここはヒウンアイスを売っている場所なんですか? って聞きましたし。
 ディズィーさん、こう言うんですよ。
「うん。でもこっちのは、人間しか食べちゃいけないほうだよ」って。
 意味が分からなかったんですけれど、私、ヒウンアイスが食べられるのなら別にいいや、って。深く考えるの苦手なんで。
 お店にはヒウンアイスが並んでいて、私はオーソドックスを選んで、ディズィーさんはダブルヒウンアイスっていう特別メニューを選んだんです。
 当然、買ったら食べなきゃ、って思いますよね。季節は夏でしたし、溶けちゃうって。
 ディズィーさんに表のテラスで食べましょうって提案したんです。でも、その時、ディズィーさんは真面目な顔をしてこう言いました。
「マコっち。これは表じゃ食べちゃいけないんだよ」
 よく分からないんですが、きっと裏って言うくらいだから有名人御用達なんだ、って納得してスプーンを突き刺しました。
 その時、ヒウンアイスが動いたんです。
 見間違いか、ってもう一度見返すと、くるりと回転して。
 アイスだと思っていたのは氷タイプの……ポケモンでした。あれは多分、ポケモンだったと思います。
 私、熱中症にでもかかったのかな、って疑ったんですけれどディズィーさんが当たり前のような顔をして食べているので私も、スプーンで取り分けて口に運ぼうとしました。
 すると、声がしたんです。
 ミィ、だとか、チィ、だとか、そういう耳をそばだてないと聞こえないほどの、か細い声が。
 ハッとしてスプーンの上のアイスを見ると、落ち窪んだ眼窩から何かがこっちを見つめているんです。
 じぃっと。そのポケモンらしき何かが、私を。食べるの? っていう眼で。
 ディズィーさんは何も気にしていないのか、と思ったんですが、私の心配を他所にディズィーさんはもう食べ切っていて……。私も奢ってもらったから、食べないわけにもいかなくって。
 食べたのかって?
 ……はい、食べました。
 何だかずっと喉の奥のほうに残る奇妙な味で。おいしいって言えばおいしいんですけれど、何ていうのかな。背徳感がずっと付き纏っているみたいな。
 このおいしさは何かの犠牲の上に成り立っているんだな、って思うと、今でも私、それが食べてよかったのか疑問なんです。
 表に繰り出すと、ヒウンアイスは盛況で。ずっと行列が続いていて。
 でも私は食べたんです。
 ヒウンアイス「らしき」ものを。
 でも、こんなの誰にも言えなかった。
 ディズィーさんは別に、口止めしろだとかは言わなかったですけれど、あのお店を勝手に紹介しちゃ駄目だよ、とは言っていました。
 何で、私がそれを言うのかって?
 我慢ならなくってその夜に、勝手に出てそのお店に行ったんです。もちろん、一人で。
 裏通りで、結構くねっていて見つけるのは難しかったですけれど、ヒウンアイスのお店はそこしかないので、私、じっと息を殺して店の裏手に回りました。
 従業員の人の声だったのかな。ぼそぼそ中から声がするんですよ。
「ひうんあいす、とてもおいしい」
「ひうんあいす、とってもおいしい」
「おいしくなぁれ」
「おいしくなぁれ」
 事務の声とかじゃなくって、そういう、呪文みたいなのをずっと繰り返しているんです。
 しかも私でも分かるほど、カタコトのイッシュ語で……。
 私、そこから動けなくなっちゃって。どうすればいいのかも分からなかったですし……。
 告発すべきなのかなとも思いましたけれど、これを説明しようと思うと、私が食べた事も言わなきゃいけないし、何よりもディズィーさんの名誉に傷がつきかねないから、私、今日まで黙っていたんです。
 イッシュから帰国してもずっと。ヒウンアイスどうだった? って聞かれるとあれを思い出すんです。
 あの背徳の味を。人間しか食べてはいけない、と言われた、禁断の果実を。
 結局、私が食べたのって、ヒウンアイスだったんでしょうか?

 女子大生にありがちな体験談、あるいは妄想だと考えた。
 レコーダーもオフにして、わたしはその話だけを持ち帰る事にしたが、やはり気になった。
 これはもしかすると、大変なネタを仕入れてしまったのではないか、という危惧。
 ちょうど二連休だったので、マイレージを使ってわたしはイッシュへ飛んだ。ヒウンシティ、その中でも一等地にあるヒウンアイス直売所。その裏手、と聞いていたので歩き回ったが、見つけるのに半日もかかった。
 彼女の言う通り、誰も並んでいない、ヒウンアイスの店だ。
 表と大差ないのに、どうしてだか誰も並んでいない。店員も顔を沈めて、声を張り上げもしない。
 客を呼んでいないのか、と勘繰ったが、開店中の札は出ている。
 私は立ち寄って注文した。
 彼女が注文したのと同じサイズを。
 表に比べれば全く、努力もせずに買えてしまった。業界ではヒウンアイスは一時間待ちなど当たり前の名物だというのに。
 表に出ようとして、はたと立ち止まる。
 マコの言っていた、違和感。わたしはスプーンを突き刺した。
 その途端、ミィ、だとか、チィ、だとか形容すればいいのだろうか。
 細やかな声と共に何かが回転して、こちらを見据えた。
 わたしは硬直してしまった。
 崩れた氷だが、これは生き物だ。
 ポケモンかどうか判断しろと言われれば困るが、何かの生き物の――欠片であった。
 チィ、だとか、ミィだとかその存在はか細く鳴く。
 真夏の日差しが降り注ぐ。
 急かされるように肌からじわりと汗ばんでいった。これを表では食べられない。直感か、あるいは何か別の本能が働いて、わたしは一息にそれを食した。
 今も、わたしは能無し編集者としてこの編集部にいる。ヒグチ・マコの話は結局、載せなかった。
 イッシュの謎のヒウンアイスの話も同じくだ。
 一般の人々は何時間も待ってヒウンアイスを食べる。
 合法の、だ。
 わたしが食べたのは明らかに非合法であった。
 しかし、それを問い質す勇気もない。
 わたしは今日も、クーラーのろくに効かない編集部で、アイスを頬張ろうとして、あの日食べたヒウンアイスの、背徳の味を思い出すのである。


オンドゥル大使 ( 2016/05/29(日) 19:18 )