ACT4「虚影柱」
「指と指の間隔は二センチ程度で、そのまま広げたままじっとする」
彼女の言葉に今回インタビューを聞く私もそうしていた。
「ぷるぷると震え始めたらはい終了。それが君の集中力の度合いね」
すぐに震え出したのは普段の不養生のせいだと思ったがここでは言わないでおく。
彼女――ディズィーの指は全くと言っていいほど震えない。それどころか動きもしない。
「神経が死んでいるんじゃないですか?」
軽口を出すとディズィーはたちまち不機嫌になって、「やっぱいいやぁ」と言い始めてしまう。
「今回の取材、なかった事にしよう」
「それは困るんですよ、ディズィーさん」
取り成すが今回の記事に関しては別に取り立てて大きな記事でもない。上からもさほど注目もされておらず、自分に課される負荷も小さい。何故ならば彼女自身が主役なのではなく彼女の今まで弾いてきた楽器が主役であるからだ。今回、ディズィーに自身の相棒を持って来てもらったのは他でもない。今回の主役は「彼女」だ。
「ギーっちゃん、って言うんだ。女の子だよ」
ネーミングセンスはさておき、磨き上げられたギターだった。新品と言われても納得出来そうだったが、新品と違うのは纏っている空気である。
ディズィー本人と同じように、どこか近づきがたい。触れるのも躊躇われる。
「触っても?」
訊くとディズィーは唇をへの字にする。
「女の子を前にして、触っても? って? そいつはちょっとねぇ……。いただけないって言うか」
思わず赤面する。ギターとはいえ彼女が女の子というからにはそれなりに丁重にもてなさなければならない。
「どこで手に入れたんですか? やっぱり本場イッシュで?」
「いや、これはホウエンの、どことは言えないけれど、とても小さな、それでいていい仕事をしてくれる業者から買ったんだ。その時彼女はまだ三歳だった」
ギターに年齢があるかどうかは不明だが、一応納得の形にしておく。
「その業者、教えてくださいませんかねぇ」
するとディズィーはむくれて、「あのさ」と手を振った。
「たとえば大女優がいるとする。その大女優相手に、君はどこの生まれですか? ってそれを一番重要そうに聞くの? 失礼じゃない?」
ディズィーからしてみればこのギターもメンバーの一員なのだろう。ギルティギアを構築するのに「彼女」も入れなければならない。
「次からはわざわざメンバー表に載せようか? ギーっちゃんの事」
「いえ、それには及びませんよ。今回、この、ギーっちゃんを弾く時の感じとか、そういう昂揚感を教えてもらえればいいだけで」
するとディズィーは、「抱いた女の感じを人に言うの?」と尋ね返した。こちらも目を見開く。
「それってさ、女性に対しても失礼だし、抱いた側に関しても言いたくないだろうね」
ディズィーが扱いにくい、は業界の通説であったがここまでだとは。私は幾分か考えを改めなければならなそうだった。
「すいません。でも今回、そういう特集なんです」
ディズィーは鼻を鳴らした。
「特集、ね。そんなもので飾り立てられちゃこの子もかわいそうだよ。もしかして、この子、持って行くとか言わないよね?」
ぎくりとした。実はこの後、借りておいたスタジオでの撮影が待っている。ディズィーではなく今回は「彼女」が主役のピンナップだった。ディズィーは赤い髪をかき上げ、「呆れた!」と声にする。
「彼女を見世物に?」
「そういうつもりでは。しかし……、どうすればいいですかね?」
私も困り果てた。ディズィーを納得させる術はあるのか。するとディズィーは、「どこのスタジオ?」と訊いてきた。彼女同伴ならもしかしたら、とスタジオの名前を言う。
今度はディズィーの表情が翳った。一体何なのだろう。
「あのさ。そこのスタジオ周辺の駅で大切なものを持ったまま、出歩いちゃいけない場所があるんだ。知ってる?」
初耳だった。私は聞き返す。
「どういう事ですか」
「仮にN駅とでも名付けようか。その駅にある三番線ホームに行く前の柱って言うか、電柱があるんだ」
今時ほとんど地中化されているであろうに電柱か。私は思い返しながら、「ありましたかね」と答える。
「あるんだよ。で、そこの電柱ってさ。ほとんどの人は気付かないんだけれど、変なんだよね」
「変、とは?」
ディズィーは声を潜めて、「彼女の名誉のために言っておくけれど」と前置きされた。
「オイラはその電柱の前を、業者からもらってきた帰りに通ってしまった。その時の話だ」
ピカピカのギターってのはいつだって心躍るものさ。だからオイラ、スキップでも踏みたい気分だったけれどその店では静かに、って教えられてきたからね。静かに、ただ会釈して帰ろうとした。すると店主が言うんだ。
「ディズィーさん。N駅を経由して帰る道は絶対に通らないでくださいね」って。
ワケわかんないから聞き返しちゃった。
「何でですか?」
すると店主は少し困った風に頬杖をついたんだ。
「せっかく買われたそのギターが取られちゃいますよ」
ははんと、オイラは感じた。泥棒か何かの巣窟か、あるいは常習化しているのかな、って。オイラは正義の味方だから、取り返してみせるよ、って手を振ったら、「違う」って彼は言うんだ。
「そんな、正義だとか悪だとか言う話じゃない。あれはそういう事象なんです」って。
事象って言葉が引っかかったからオイラよく聞いてみた。するとその電柱は、地中化を免れた最後の一本で、でも他の電線や電柱と繋がっていない、全く意味のない一本だというんだ。
そんな意味のないものをどうして? とオイラが感じていると、「ディズィーさんは細かい事が気になるタイプですか?」と聞かれた。どちらかというとはいだから、頷いた。
「だとすると、あの電柱も気になりますよ。気にならない人は本当にその事象に引っかからずに帰れるんです。でも一度気にし出すと、それが意味不明で追及したくなる。そんな時にすっと取られちゃうんです。集中の合間を縫うような感じで」
奇妙だな、とは感じた。でも変な事には慣れっこだからオイラ電柱の場所を聞いておいてあえて挑む事にしたんだ。店主は、「クーリングオフは利きませんよ」と本気の眼で言ってくるからちょっと怖かったよ。
で、N駅についてみると、ああ、あるわけだ、その電柱が。別段変なところはないように思えた。ぐるーっと周回して見せても、何も変なところはない。ちょっと赤錆でくすんでいる以外は、本当にただの電柱。
なーんだ、つまらない。店主の被害妄想かな。
そう思って帰ろうとしたその時だ。
あっ、って気がついた。
気がついてからもう一回電柱の周りをぐるーって回った。
確信したね。
その電柱、影の向きが一定じゃないんだ。
普通、太陽があるから影の向きって一定じゃない。動かない物体ならなおさら。でもその電柱は違う。見る向きで影がどう伸びているのか違うんだ。
これはどういう事かな、とオイラは困惑した。はて、と照明を気にする。駅からの間接照明のせいではない。今度は太陽を疑った。あるいはそれを反射する何か、ガラスとかね。でも何にもないんだ。周囲には何もない。
電柱以外何もないんだ。
奇妙とはこの事か、とオイラは得心した。じゃあ気にせず帰るかって言うと、ならないよね。これ、気にし出すと追及しなきゃ終わらないタイプの謎だった。
オイラもう一回ぐるーっと回ってから、ちょっと考えてみた。もしかしたらこれ、オイラを中心にして影の向きが違うんじゃないかって。
オイラが東に行けば西に、西に行けば東に影が伸びている。
ちょっと人を呼んで、「この電柱の傍に立ってくださいよ」と言ってみた。「あっ、あなたギルティギアの」って言われたけれどサインを掴ませて黙ってもらったよ。
「何です?」
オイラにとってもまさしく何なのか分からない。影の伸び方はオイラの視点を一定だ。オイラにロックオンしている。試しに彼に、「影はどう伸びていますか?」と聞いてみると、「あなたから見てこちら側に」と反対方向を指差された。
どうやらこの事象、対象をロックオンして、そいつを中心に回るように出来ているらしい。信じがたいけれどね。オイラ、困った末にある手段に打って出た。
接近だ。
物凄く接近すれば、相手は照らすものが近過ぎて影を形成出来ないんじゃないかって。
近づくと、なるほど影が小さくなる。これは、と思って踏み込んだ、その瞬間だった。
電柱の反対側から何かが手を伸ばしてきた。オイラの手首を掴んで、引っ張ってくるんだ。
咄嗟に離れると、今の出来事が嘘だったみたいに何もなかった。ただ影だけが伸びている。
なるほど、盗みの主犯はこいつか、とオイラは感じた。
影の謎を解き明かそうとすると接近した相手から物を盗る。普通、逃げ出すところだがオイラは攻めてみた。
もう一度接近して、手を伸ばしたところを逆に引っ張るとどうなる?
試しにゆっくりと、しかし今度は種の割れたマジシャンを相手取るように警戒しつつ影を縮めた。
瞬間、やっぱり伸びてきたね。オイラは思い切ってそいつの手を掴んでやった。
盗っ人なんです、と引っ立ててもよかったが、その時、掴んでやったと思った手ははらりとかわされた。
影の手には実体の手は効かない。相手はオイラを掴めるがオイラには相手を掴めない。そしてまずい事にあまりにも近かった。
その手がオイラの肩にかけられているギターを引っ手繰ろうとする。力比べに持ち込もうとすると完全に相手の力が上だった。急に、男の力みたいに引っ張り込まれるものだから完全に虚をつかれたよ。
ギターを奪われる、かと思った。
かと思った、ってのはオイラの張っておいた罠が発動したからだ。
「ギターを引っ張ったな。大切なものを一つ奪う。だったら、大切なものが二つの場合はどうなる?」
ギターには引っ掛けておいたのはオイラのモンスターボールのホルスターだ。中にいるクチートは欠かせない相棒。この場合、どう天秤が下るか。
結果として相手の影の手は掴みあぐねてしまった。ギターを手離したんだ。その瞬間、オイラはギターをこちら側に引っ張りこんだ。
一瞬だけ、電柱の影に隠れている相手の姿が見えた。
影に多数の眼がついた、ポケモンとも化け物ともつかない生命体だった。いや、あれは生命体なのか正直判然としない。それこそ、店主の言う通り事象だったのだろう。
電柱から離れてオイラは息を整える。もし二つ奪えれば、こいつはオイラのクチートとギターを奪ってしまえる可能性があった。
電柱の影にはご用心、ってね。君がスタジオに行くって言うのなら、この子は別ルートで連れて行くし、君も興味があったら一つ、大切なものを持って行くといい。
でも店主に念を押されたのは「絶対に、何も大切なものを持たないで行くな」って事。
もう試す気にはなれないから、君がやればいいじゃないかな。
ディズィーの話は半分ホラ話程度に聞いておいた。
彼女も満足行ったようだし、スタジオにも同伴ならば、と許してくれた。
私は車で向かう途中、N駅に入ってその電柱を見つけた。
赤錆に覆われた古い電柱だ。まさか、と嘲っていたが影は彼女の言う通り、反対側に伸びている。ぐるっと周囲を一回転してみると、影は常に私を中心にして伸びていた。
「こいつはおかしいや」
私は彼女のやってみたと言う近づくと言う事を試す。
じりじりと影が縮んでいく。だから、突然電柱の見えない場所から飛び出してきた腕には気付けなかった。
何を奪うのか、などと考える前に、その手が胸をくり抜く。私には意味が分からなかった。何故、この手は私を害する。何の意思が働いているというのだ。
その時、私の脳内に閃くものがあった。
「あっ、そうか。大切なものを持っていなかったら、その人間の大切なものは――」
膝から崩れ落ちる。血が滴ったがとても微量だった。本当に、大切なもの――命、だけが奪われてしまった。
「あーあ、試したのかな。来ないし」
腕時計に目をやると、「本番でーす」と声がかけられた。ディズィーはギターを持って声にする。
「まぁ何が一番大切かなんて、人によって違うからね」
とても短い時間だった気がする。
私は死んだ、と思っていた。思い込んでいた。胸をくり抜かれたのだ。即死に違いない、と。
だが私は生きていた。きっと今際の際に脳裏を過ぎった出来事が影響したのだろう。
――この後の仕事でディズィーさんに迷惑をかけるな。という懸念。
それが命を勝り、私は結果的に数時間だけその電柱の前で倒れ伏しているだけだったらしい。複雑な心境で胸元に手をやる。
何が大切かは、人によって違う。
私は命よりも大切な「仕事」に結果的に命を救われたのだ。