ACT27
ACT27「帽子屋が繁盛する町」

「あれ? ディズィーさん、日焼け対策ですか?」
 そう尋ねてきたスタイリストに、オイラは、ああこれ、と鍔つきの帽子をピンと弾く。
「悪くないでしょ?」
「オニドリルみたいな形状ですよぉー。傍目に見ればトップファッションに見えるかもですけれど」
 笑いを交えたスタイリストに、オイラも微笑む。
「ちょっとね。陽射しが強い地域にライヴに行ったもんだから」
「あれ? でもディズィーさん、この間行ったのは確か、シンオウだって」
 スタイリストは早速、自分の仕事に取りかかっていた。こういう時の彼女は素早い。すぐさまオイラの髪型を整えようと帽子をとりかけて、すっとその手を制していた。
「帽子は、取らないで欲しい」
「あれれー、ディズィーさん、もしかして白髪とか……。染色出来ますけれど?」
「そういうんじゃないんだ」
 目深に被り、首を横に振る。
「ただ、ちょっと……帽子は取りたくない気分って言うか……。そう、あれがあったからだ。あんな事があったから、帽子を取りたくないなんて言う、気紛れに襲われている」
「……まぁ、お帽子は取らなくっても仕事は出来ますけれどぉー」
 スタイリストは帽子からはみ出たオイラの髪を三つ編みに加工する。嘆息をついて、ふと尋ねていた。
「……ねぇ、帽子を被るってのはさ。境目の意味があると思っているんだよね」
「境目ぇー?」
 彼女は三つ編みを組みつつ、ふんふんと鼻歌を混じらせる。
「たとえば、気の置けない相手に対して、帽子は失礼だろ? でも、相手の事を警戒しているのなら、帽子は必要になってくる。そういう、境目の話だ。帽子屋って言う、そういう職業がくいっぱぐれないのにはだから意味があって……。そう、帽子。みんなが被っていた、帽子なんだ。だからオイラもそれに倣おうとした」
「ディズィーさぁん。それ、長くなっちゃいますぅー? もうすぐ会場入りですしぃ。出来るだけの事はしておきますんで、帽子をお取りになられてはぁ?」
「……話、聞いてた? 帽子には境目の意味がある。それは自分と他人と、だけじゃない。ここと、ここではない場所と、という意味でもある。シンオウにはそうでなくとも、空間の神話がある。それが、多分根付いていたんだと、そう思うんだ。無意識だってね」

 シンオウの晴天は憎々しいとか、そういうのが一切なしに、完全なる晴天で、ライヴ日和って言うのはこういうのを言うんだって思ったよ。
 でもまぁ、ライヴ前って言うのも暇を持て余す。オイラは会場近くの町へと入っていた。
 ちょうど、飲み物を切らしていたから、買いに行こうって。そう、何でもない、それだけのはずだった。
 町に入った途端、空気が変わった、と言えばいいのかな。
 すれ違う人、すれ違う人、みんなだ。
 みんな、大なり小なり帽子を被っている。
 でもまぁ、陽射しは強いほうだったし、UV対策とかかな、って最初は軽く考えていたんだ。
 ポケモンセンターの隣に帽子屋が横付けされた形で建築されているところで、おや? とは感じたけれどそこまで違和感でもなかった。
 入るなり、オイラは目的のものを買い付けて、それで出ようとすると、やっぱりなんだ。
 やっぱり、みんな 帽子を被っている。
 改めて陽射しを覗き込んだけれど、それほどの陽射しの強さじゃない。ホウエンなんかじゃこれでも日焼け対策の天気予報は出ないくらいだ。
 うぅーんと考えていると、もし、と声がかけられた。
 初老の男性だった。
 人懐っこい笑みを浮かべた男はやっぱりと言うべきか、帽子を被っていた。
 でもまぁ、男の人の帽子ってハゲ対策だとか、そういうのもあるからそこまで変だとは思わなかったけれど。
「この町は初めてですか?」
 問われてオイラはどう返答すべきか一瞬迷ったが、わざわざ有名人だって言ってやるまでもないって思ったんだ。
 だから、うん。普通に返した。
「そうだけれど……。この町に何か決まりでも?」
「いえ、決まりなんてものは。ここはシンオウでも、それなりに最近出来たばかりの町で……歴史は浅いんです。だから、決まりだとかルールだとかいうのは薄い認識でして」
 だとすれば余計に奇妙だったが、オイラはあえて触れなかった。
 男性はこめかみを突き、ご存知ですか、と口にする。
「人間の脳が記憶出来る容量というものは。約十テラと言われています。しかし、世の中には、それを使い尽くすまでもなく、人間と言うのは天寿を迎えてしまう」
 何が言いたいのだろう。自分の脳を使い尽くせてもいない人間なんてクズだってでも言いたいんだろうか。
「あの……そういう……よく分かんないけれど宗教みたいな話ってのなら、お断りで……」
「いえ、これはどちらかと言うと助言なんです。この町……ちょっと特殊でしてね。この町の人間は、その十テラの情報を持つ脳を、資産の一部だと考えているのです。あるいは、人生というものを豊かにする、ある種の恩恵をわざわざ神から与っている。それを無駄にする事はないと」
「えっと……シンオウ神話? 神様って言うと、ディアルガとかだっけ? よく知らないんだけれど、空間と時間の神様でしょ? 何の関係が……」
「そういう、認識でいる人間もいるでしょうが、これは差し迫った問題なのです。どうか、お聞きください。――帽子を被ったほうがいい。それだけの、シンプルな助言なのです」
 本当にそれだけだったとでも言うように、男性は会釈して立ち去って行った。ああ、でも会釈したって言っても帽子は取らなかったな。
 だから、結局そういう宗教が蠢いていて、それをわざわざ言いに来た……悪く言えば変人? よく言えばお節介? どっちにしろ悪口だよね。
 まぁ、オイラは長居する気もなかったから、そのまま買い物だけ済ませて立ち去ろうとした、その時だった。
 不意に、って言うのかな。立ち眩みがしちゃってさ。何かされたかってまず疑ったよ。さっきの男、って具合にね。
 でも、何でもない。さっきの男性はもう見えなくなっているし、それに、もっと変なのは――視界がどんどん白くなっていって、何も見えなくなっているっていう事だった。
「……助け……」
 その段になって気づいた。
 声も出ないんだ。
 救援を呼ぶ事も出来ず、喘ぐように空を手で掻くしかない。急に何で? と言うよりも、何かの攻撃だって咄嗟に直感した。
 ――攻撃。なら、クチートで防御を……。
 しかし、そこまで考えてオイラははた、と考えを止める。
 何から防御するって言うんだ? そもそも何が攻撃しているって言うんだってね。
 それも分からずに往来の真ん中で戦闘姿勢を取っても、相手の術中にはまるだけだって。
 ここは慎重に、と思ったけれど、やっぱり声も出ないんだ。だから命令も出来ない。
 オイラはそこでふと、先ほどまでの町の風景を思い返していた。
 みんながみんな、帽子を被っている。
 理由は分からない。不明のままだ。でも、もしかしたら、って言う感覚。そう、予感があった。
 姿勢を沈ませて、オイラは自分の纏っていた服を、帽子代わりに被っていた。
 その瞬間、白んでいた視界に色が戻り、少しずつ、喉の痺れも消えて行った。
 その時に、確かに視たんだ。
 ――視界を行き過ぎる、小さな小さな虫ポケモンを。
 後からアローラの人に聞いたんだけれど、アブリーっていう種族らしい。
 花の蜜や、鱗粉を好む、ただの虫・フェアリーのポケモン。害はないって。
 でも、オイラはそのアブリーの論文の中に興味深いものを見つけた。
 それがシンオウでのあの町の異様な光景を作り出していたんだと。
 ――未確認情報ではあるが、アブリーは餌である花の蜜が枯渇すると、人間の脳から吸引する、と。
 もちろん、ガセ情報かもしれない。
 アブリーは危険なんかじゃない、ただの虫ポケモンだって、思ったほうが精神衛生上いいのかもね。
 でももし……仮説中の仮説だけれど、アローラと全く気候の違う、シンオウに移ったアブリーが突然変異して、花の蜜の代わりの人間の脳を吸うようになったとすれば? そして、オイラは確かに視たんだ。そのアブリーはとても小さくって……とてもじゃないが普段から振り払えるような余裕は、その町にいる限りなかった。
 だから、防衛策として、町の人々は帽子を被っていた。
 ……どうりで帽子屋が繁盛するわけだ。
 帽子を被らない限り、脳を少しずつ、少しずつ、吸引される、恐ろしい町。だけれど、それは未確認だし、もしかしたら別の要因でオイラは立ち眩みを起こしただけかもしれない。
 でも、マジな話なのは、オイラはそこでこんな……オニドリルみたいなダッサイ帽子を買うほどに、ちょっと困窮していたって事かな。
 その町の名前? 言えないよ。言ったらそれこそ風評被害じゃん。でもま、分かるよ、行けば。
 帽子屋が繁盛する町ってのはね。

 話し終えてから、スタイリストは冗談交じりに声にする。
「でもディズィーさぁん、ここはもうホウエンですよ?」
「だから、これは単に紫外線対策なんだって」
「でも取りたくないんですかぁ?」
 頷いて、オイラはスタイリストの決めてくれた髪型を確認し、立ち上がっていた。
「ライヴ中も、帽子は被ったままで?」
「まぁね。ダサいだとか、ついにディズィーのファッションセンスが壊れただとか言われるかもしれないけれどでも、ま。知らない間に脳みそを吸われちゃうよりかはマシでしょ」
 歩み去ろうとしたオイラの背中にスタイリストが声を投げていた。
「でもその帽子……思ったよりイケてますよ」
 ありがと、とオイラは手を振った。


オンドゥル大使 ( 2019/12/06(金) 20:40 )