ACT21「ISLAND‐U」
「マボロシ島、という言い伝えがホウエンにはある。何でも、霧の中に突如として出現する謎の多き島であるとか、そこでしか採れない貴重な木の実を有する場所であるとか、……まぁ、噂はそれぞれ色んな形で散らばっている。問題なのは、これらの確証めいた話ぶりにもかかわらず、衛星写真も発達して、それで世界中どこでもホロキャスターで繋がっているこの、近未来もびっくりの最先端技術の粋を使っても、それでもこの島の事はよく分からないし、誰も公にして発表しようだとか、そういう事を考えないのだ、と思う。それが問題をより複雑化させているのだ、とも」
その語り口に対面に座っていたマネージャーは、へぇ、と好奇の眼差しを注いだ。
「いいですねぇ、そのアプローチ。次の曲はそういう感じにしますか。サイケデリックと言うか、ちょっとアングラな感じの。バンドの初期に戻った、とか原点回帰とか言われそうですけれど」
マネージャーはこの話に関して、さほど興味を持ち合わせていないらしい。ため息一つで、そういう話ではないと空気を変えようとした。
「あのさ……、オイラってそんなにずっと……ふざけているように見えるの? それとも、こういう打ち合わせの場で、変な事を言うと何? 創作性のある人間が閃いたんだー、とかそういう風に捉えられちゃうの?」
「違うんですか? ディズィーさん」
参ったな、と後頭部を掻く。ここまで信頼されていないとなると、それはそれで問題だ。
「確かに……、急にこういう話を振ると、ほら、宗教にかぶれた? とか、あれ、もしかして昨日、ずっとポケチューブで動画観てたでしょ、とか勘ぐられるもんなのは分かる。すっごく分かる。だって、そういう風にオイラも思っていた。思わされていた、みたいな感じだけれど」
「マボロシ島ですか。ホウエンなら誰でも知っている都市伝説じゃないですか。えっと……南方のほうの町の……」
「130番水道の辺りだよ。あの辺に出るって言われている」
「出るって……、幽霊みたいな言いぐさですね」
「いや……、これは幽霊と言ったほうがまだ生易しいのかもしれない。そういう……、超常現象よりももっと……性質の悪いあれは、――悪意だ」
その言葉に彼は興味を示したらしい。
「悪意、ですか。ディズィーさんの口からはなかなか出ない言葉ですね」
「茶化さないでよ。でも、あんまり他人に言うものでもないからさ。……これは、本当の話なんだけれど……」
マボロシ島を見つけませんか? というキャッチセールスなんて、誰も相手にしない。
普通はそうだろうね。でもその時、どうしてだか人のいい笑みを浮かべるその女性が持つビラを、何だか知らないけれど受け取っちゃったんだ。そこにはこう書かれていた。
「マボロシ島は実在する! 我々は上陸のための準備を進めており、一週間後に出港予定だ! 同志求む!」ってね。
……あっ、今馬鹿にしたでしょ? ……ま、分からないでもないけれどね。キャッチなんかに何引っかかってんの? とか、そもそもそれ、信じたの、とかさ。
うん。信じたわけじゃなかった。でも、結構なライモンシティの往来で、そういうヘンテコな事をしている人達を、ちょっとばかし観察したくなったんだ。ほら、いい曲ってやっぱり閃きじゃん? 刺激になると思ったんだよね。
ちょっとここ最近、バンドも似た曲が多いってネットで批判されていたから。いい頭の体操になるかなー、って。
……だからさ。あんな事になるなんて思いもしなかったんだ。
当日に集合予定だった港にはちっこいクルーザーがあってさ。まぁ、個人所有なんだろうけれど、そこにもう五人くらいいるわけ。見れば見るほど奇妙、ってほどでもない。ちょっと専業主婦っぽい人、冒険好きの若者、それに何故だかオジサン。それと……、ああ、どんな人がいたかはまぁ、どうでもいいや。
出発しますよー、って言われて、オイラは乗ったの。
身分? もちろん隠したかったけれどすぐに見抜かれちゃった。でもまぁ、音楽に興味がなかった人達だったお陰かな。サイン程度で満足してくれたよ。
で、マボロシ島に関しての事を、その団体のリーダー、――驚くべき事にその専業主婦みたいな人がリーダーだったんだけれど、その人は人のよさそうな笑みでこう言ってくれたんだ。
「マボロシ島に行った事がある」って。
嘘か本当かはこの場合、問題じゃない。どういう場所だったのか。それを聞き出したかった。相手は全然、警戒もせずに答えてくれたよ。
桃源郷って知っていますか? って。
知らないって返すと、何でも手に入る理想郷なんですよ、とか懇切丁寧に教えてくれて。
で、マボロシ島にはそういうのに近いのがあるみたいで、じゃあ理想郷なんですか? って聞くとすごく嬉しそうに彼女は言ってくれたんだ。
「人生観が変わりますよ」
マボロシ島発見ってすぐにはならなかった。まぁ、このクルーザーのツアーは一泊二日の予定だから、最初は見つからないのもある種「おいしい」と思っていたんだよね。ほら、伝説のポケモンなんて絶対番組の企画で最終日に奇跡的に見られるじゃん。あれと一緒だよ。
あー、やっぱり無理ですかねーとか、その人と言葉を交わし合っていたその時だよ。
「マボロシ島発見!」
思わぬ、って感じだったね。周りは霧が濃い海域だし、それに今、どこにいるのかのGPSも何もかも駄目。方位とか現在地とか全く分からないんだ。
昼間のはずなのに薄暗がりで、ちょっと気味が悪くってさ。それで、鼻腔に入る霧の匂いも甘ったるくって何だか、喉の奥がこそばゆい感じで……。
でも、マボロシ島は在った。それがマボロシ島かどうかを確定的に判断する術はないけれど、彼らの中の共通認識として、それがマボロシ島だった。
上陸には……、あまり手こずらなかったね。
若い男の人がやたら写真撮っていて、んでオジサンは何だかよく分からないけれど雑草をずっとむしっていた。
で、残りの面子は明らかにその二人とは趣が違った。
専業主婦みたいな人も含めて……、どこか物々しかったんだ。みんな、専用のポケモンを持っていたし、それもかなりの激戦仕様だった。
オノノクスとか、マリルリとか、メガシンカを想定したリザードンとか。
何だかマボロシ島っていうロマンを探しに来た人達にしては、おかしいなー、とは思ったけれど、まさかこの後に起こるあれに比べれば、それでも足りないくらいだったんだ。
マボロシ島自体は、草原があり、背の高い木の実が成っていて、それでちょっとばかしの湿り気がある、いたって普通の島に見えたよ。
でも、リーダーの女性が言うんだ。
「本当の目的は島の中心地です、って」
よく分かんないな、と思いながらついて行くと、島のど真ん中にアリ地獄があっただ。すり鉢状の奴で、それで砂をずっと飲み込んでいる。
これは何なの? って聞いたら、彼らはすかさずポケモンを繰り出した。
「……これは、このマボロシ島に巣食う悪魔。我々はアイランドUと呼んでいます」
Uは、アンノウンのUだったんだと、今にしてみれば思う。でも、その時のオイラにはそこまで頭を回す余裕もなくって。
それで――、発生した状況をどうにかするほどの心構えもなかった。
突如として、地面が裂けたんだ。アリ地獄を基点として、真っ二つに。
……思わぬ、なんてもんじゃないよ。死を覚悟したね。でも、リーダーのオノノクスが守ってくれたんだ。
彼女は真剣そのものの顔で命令を飛ばした。
「アイランドUはこちらを敵性対象と判断した模様。マリルリで一気に肉を剥ぎ、オノノクスの膂力で吹き飛ばす。そこでメガリザードンXの能力で完全に内側から燃焼させる」
その命令の澱みなさは、オカルト趣味の連中とはまるで違って見えた。
最初から、このマボロシ島の命を奪うために、参加者を募っていたんだ。いや、語弊があるな……。
自分達に注意が来ないような「生け贄」を選ぶために、この計画はあったんだろうね。
で、まんまと生け贄として狙われた若者は不意に尻餅をついたかと思うとそのまま地面に飲み込まれてしまったんだ。
たとえ話じゃない。本当に、呑み込まれた。その残りカスもなく、ね。
オジサンのほうはあまり逃げ足が達者じゃなかったせいか、すぐ捕まった。でも、それが彼らの狙いだったらしい。
オジサンを捕まえたアイランドUへとマリルリがその草原を抉り取る。
不可思議な事に大地から血潮が舞い上がった。その部分へとすかさずオノノクスが入り、牙を振り翳す。
「ドラゴンクロー!」
打ち下ろした一閃がアイランドUを激震させる。足元がぐらついてオイラは咄嗟にクチートを出そうとしたけれど、手遅れだった。
地面が引き裂けてそこに、無辺の闇が広がっていたんだ。その闇に吸い込まれる――って思った瞬間かな。
飛翔したメガリザードンXが放った火炎放射がアイランドUを焼き払った。
その時、ようやくアイランドUの正体……、いや、あれが正体だったのかはまだ分からないんだけれど、露わになったのは黒い表皮だった。
アイランドUの……、自然物じゃない、生き物としか思えない脈打つ肉体を、マリルリが怪力で引き千切っていく。
その弱った個所をオノノクスが攻め立てるんだけれど、オイラってば必死でさ。
これは何? ってちょっとパニクっちゃって。
そうしたら、オノノクスの彼女はこう言うんだ。
「この世には、見えぬ理と言うものがあります、これも然り。こういったものは間引きしなければいけません。たとえこの……アイランドUこそ世界が始まる以前より存在した、特別な存在だとしても」
その瞳にあるのは……間違いなく使命感だった。
こうしなければならないっていう、絶対。そういうものが彼女を支配していたんだ。彼らは迷いなく、それこそ明確な殺意を持ってアイランドUを攻撃した。
その時、突然だった。そう、天地が割れたと思ったほどの……咆哮。あれは鳴き声だったんだ。
何の、だって? 問うまでもない。あれは世界が吼えたんだ。
世界の雄叫びを前に、オイラ達人間なんて言うのは……、まるで意味のない有り様だった。
黒い島が浮かび上がった。
オイラ達を乗せたまま、世界が浮上したんだ。
たたらを踏んだのはみんなさ。みんな、この世界の異変に信じ難いものを見る目を注いでいた。
――そう、天空だ。天空に亀裂が入っていた。
紫色の空の天蓋が割れて、何もかもが溢れ出していたんだ。
どろどろとした何かがこの世界を侵食した。何もかもを覆そうとしていた。
「……UB05……!」
それが何だったのか、結局答えは得られないままだった。
名前だったのか、叫びだったのか。ともかくそれは分からなかったけれど、島がこちらを睨んで、そして大口を開けて吼え立てた。
威嚇された三人はそのまま……、うん、吸い込まれたんだ。そのマボロシ島に。
天地を縫い止める稲光が轟く中で、悲鳴さえも封じ込められた静謐で、ただそこに響き割ったのは、ヒトの傲慢を砕く動乱の声だった。
……それでどうなったかって? マボロシ島に停めていたクルーザーにオイラは救助されていた。
海に浮かんでいたんだって。信じられないよね……そりゃ。でもこれは事実だ。
その後、あの集団は解散。彼らはそれぞれの地に散らばった。マボロシ島はけっきょくどうなったかって? あの黒いのは何だったか?
それ、聞くのは野暮ってものじゃないかなぁ……。多分、生きていただけでも御の字だったんだと思うよ。そう……あれは多分、本当にマボロシ……。
ディズィーは時折、夢見がちだ。だからこの物語も誇張されたものだろう。あるいは彼女の生み出すアーティストとしての特性――創造性の産物かもしれない。
私は煙草をくわえ、ライターを懐に探した。
その時、傍らから手が差し出される。ライターの火が静かに揺らめいた。
「火です」
「ああ、どうも。こりゃ失礼」
人のよさそうな笑みを浮かべた女性はそのまま会釈する。
「ところで私達、こういう活動をしておりまして……」
差し出されたビラに書かれていたのは――。