ACT20
ACT20「死に顔岩」

 ――あれ? あなた一度会った事が?

 ――もしかして、前にも会いました?

「こんな事を、聞かれたら君はどう思うだろう? え? 性質の悪いナンパだとか、キャッチだとか、そういう風に考えちゃうタイプ? でもまぁ、オイラは、さ」

 有名人だから、と嫌味っぽくないように伝えてくれた。

 こういう部分も彼女を支持する層がいる事実。気配りの出来るアーティスト。

 彼女の名はディズィー。十代から二十代、いや、最近は番組MCなんかも担当してきてちょっと台頭してきている「有名人」だ。

「……ふぅん。それってさ、皮肉って言うか、ジョークって奴だと、捉えてもらっていいのかな。で、オイラはそういうのに対しての、なに? スタンスみたいなのは、信じたいと思うね。運命とかは信じちゃうタイプだから」

 それが聞けただけでも意外であった。彼女は腐っても有名人、自分のような人間には手の届かない相手。だからこそ、真摯に応じてくれている事には感謝しかない。

「……おいおい、そんな念願叶ったみたいな顔をするなよ。オイラがけち臭い奴みたいじゃないか。言っておくが、サインを求められれば応じるくらいはするし、それにファンだって子には握手だってする。でも……、そうだな。君の言う偶然とか、ジョークだとかを信じるのなら、一つ小話をプレゼントしよう。オイラの辿った、ちょっと奇妙な、運命の偶然って奴を」











 岩肌って言うのはどうしてこう、冷たいのでしょうね、と彼は言った。

「そりゃあれだろ? 温かい岩肌ってのは色合いだからだ。君が見ている岩のモニュメントにはライトも当たっていなければ苔むしている。そりゃ、冷たいよ」

「そうかもしれない。だがそれが、天候上の理由ではないとしたら? あるいは、こう、気持ちの問題……、メンタルの理由だとすれば? ここは環境保護区。保護されてきたこの岩は――」

 彼が顎でしゃくった先にあったのは小さな岩のモニュメントだ。別段、珍しいものでもない。

 ただ、少し苔むしたその岩は不思議な力を帯びているようであった。触れるとその表面は湿っており、苔の部分はぴっちり張り付いている。

 まるでここに何千年、いや、何万年もこれまで、――この先もここに「存在」し続ける事に意義があるというもの。

 そういう存在に、わたしはなりたい、と彼は言ってみせる。

「岩のように、あるいは苔のように、か。そいつは静かな生き方だ。で? どうしてそれと、この岩を動かすかどうかっていう地質工事の話とオイラが繋がってくるんだ?」

 憔悴した様子で彼は頭を振る。

「私は、この地域に住むちょっとした自治会長です。だからそんなに権限はないし、それに発言力も。あなたほどでは」

 その言葉でようやく彼が自分のような門外漢を呼んだ意味が窺えた。

「なるほど。……昔からの景色を守りたいから、オイラに工事反対でも声を張り上げろと?」

「ディズィーさん、あなたはアーティストです。そしてアーティストとは、常に体制に声を荒らげ、抗うもの」

「ロックを分かった風に言われるのは嫌いだけれど、往々にしては間違っていないよ。そう、音楽ってのは声を荒らげる事、がなり立てる事だってのは、理解があると思っていいのかもね」

 しかし、とディズィーは岩を再度見据える。それほどの価値があるようには見えない。ただの苔むした岩。周りにいくらでも似たような岩石、それに植物は群生しているのに何故、これを守れと彼は言うのか。

 ただの地方自治、自然保護区が如何にポケモンの生態環境を保持するとは言っても、この程度の岩、何でもないはずだ。

「……ちょっと解せないのは、そういうのにオイラを普通、呼ぶって話? ホラ、こういうのは事務所にお金が入るわけじゃん。お金は別段、好きじゃないけれどさ。経験上、結構な額を積まないとオイラまで話は来ないと思うんだよね」

 その言葉に彼は神妙に頷いた後、岩を指差した。その指先が震えている。

「……花の模様が、ナマケロの顔に見える事がある」

「うん?」

「天井のシミが、亡霊の叫びに見える事がある」

 ああ、そういう話か、とディズィーは心得る。

「心霊現象とか、精神医学の話は、それこそオイラに言っても……」

「――あるいは、鏡に映った自分の顔を、自然界で見た事も。……本音を言いましょう。この岩は姿見の岩と呼ばれております」

「姿見の岩?」

 自治会長は額へと手をやって、汗を浮かべた。

「この岩には、不可思議な力が働いているのか。あるいは別の現象がそうさせているのか……、ディズィーさん、落ち着いて聞いてください。この岩をある一定角度から見ると、近い将来、見えるというのです」

「何が? まさか運命の相手だとかは言わないよね? 嘘くさい結婚詐欺みたいな」

 自治会長は唾を飲み下し、重々しい声音で告げる。

「……自分に会う人間の顔、それもただの顔ではございません。今際の際――、死に顔です」

 へぇ、とディズィーは苔むした岩を観察する。今のところ、冷たい岩肌にはそれらしい紋様はない。

「それ、何? 新手のジョーク? 面白いじゃん」

 相手は冷や汗を拭いながら、涸れた喉で呻く。

「……ジョーク、ならばよかったのですが。この写真を」

 彼が差し出したホロキャスターの写真には自然保護区の職員が写されていた。華が咲いたような笑顔の女性が岩肌に触れて片手でピースを作っている。

 その写真に不気味なものは感じられない。

「これが?」

「ほら、ここ。女性の顔が、まるで焼き付いたみたいに……」

 そう示された岩石の地点には確かに顔に見える部分はあるが、それを加工やいたずらではないと断じる証左がない。

「……あのさ、担いでいるんならそう言ってくれれば、何? そういう番組作り?」

「いえ……。彼女の友人はこの二週間後、イワヤマトンネルの落盤事故で亡くなりました。その死に顔と、この文様が一致するのです」

「だからって、頼むってまさか、オイラの死に顔を?」

「違います。これは出会うであろう、未来の誰かの顔を写したもの。あなたの死に顔ではない」

「……こいつに触れて、オイラの近親者の死に顔を写せって?」

 それは誰かの死を誘引する行為だ。許されない、という論調であったのだろう。彼は声を荒らげた。

「……いえ、そのような事は決して! これは我が自然保護区において、厳重に保護……、いいえ、封印すべきもの。撤去などをして、どのような祟りがあるか……」

 オカルト話の次は祟りと来たか。ディズィーは眉間に皺を寄せる。

「研究機関への移譲……」

「駄目です。出来れば自然保護区にマイナスイメージはついて欲しくない」

「……じゃあどうやって?」

「……名誉の運送なら、少しはマシかもしれません」

 そこでようやく話が見えてきた。結局はライヴ効果で邪魔だから撤去、ではなく、一時的に致し方なしとして運輸、という形で落ち着けろと。

 しかし、そうなって来ても疑問は残る。

「でもさ、じゃあ結局、死に顔の岩は……、言い草は悪いかもだけどここに残るわけじゃん。それ、どうするのさ」

 自治会長は瞼を閉じ、苦肉の策を口にしていた。

「……残す、しかありません。それが一番平和かつ、誰も傷つかない」

「そうと決めているのなら、もっと不思議。オイラにその話をした意味って何?」

 彼は岩に触れ、言葉を搾り出す。

「……ディズィーさん。あなたの死に顔が、出たんです。わたしが触れた時に」

 まさか、と硬直する。岩を見やるが、それらしい兆候はない。

「……嘘っぱち」

「いえ、わたしは確信しています。……ディズィーさん、こういう話をご存知ですか? 人間、どこかで、この人に会った事がある、あるいは、一度この顔を見た事がある、そのような偶然の一致、否、運命とも思える出会いをした事は」

「……芸能界なら一度や二度くらいは」

「この死に顔の岩はそれなのでしょう。遠からぬ運命を映す鏡。死者の姿見」

 自分が死ぬのが運命ならば、この提案に従え、か。それもまた、ある種の不可抗力――、それが彼の決断なのだろう。だが、自分は違った。

「……死に顔の岩、覆したらどうする?」

 相手は息を呑む。

「まさか……」

「覆せれば、そのジンクス、消えるんじゃない?」

 ディズィーは死に顔の岩に触れる。浮かび上がった顔が、近しい誰かの死に顔――。

 恐ろしいが、何かからくりがあるはずだ。そうでなければ、この現象、説明がつかない。

 そっと触れた岩肌は、やはり冷たかった。まるで死体のように。

 しかし、直後、岩の表面が波打ち始めたのだ。その兆候に彼が悲鳴を上げる。

「死に顔だ!」

 浮かんだ面持ちは知らない人間の顔であった。だが間違いなく、それは死に顔。今際の際にしか見る事の出来ぬ顔だ。

「クチート……」

 モンスターボールに手をかけようとして、死に顔の位相が変位した。こちらの敵意に、死に顔岩は激しく波打ち、脈動を見せたのである。

 それは明らかにポケモンのそれであった。

 握ったのはモンスターボールの代わりのビビり玉。

 着弾と同時に吹かした発煙筒が苔を洗い流し、岩場に張り付いていたポケモンの正体を暴く。

「メタモン……」

 紫色のジェル状のポケモンが、岩から離れていく。

 死に顔岩は沈黙した。

 あまりにも呆気ない幕引きに、二人して茫然としたのもある。

「……まさか、メタモンの悪ふざけだったなんて」

 自治会長は半笑いを浮かべていた。ディズィーは肩を竦める。

「幽霊の正体見たり、ってね。案外、こういうもんだよ。噂話ってのは」












「その後? 死に顔岩は結局、撤去されず、ライヴも大成功。いやー、一時はどうなるかと思ったけれどね。ま、結果オーライじゃんって感じ」

 拍子抜けであった。まさかメタモンのいたずらとは。

 声がかかり、ディズィーはすぐにメイクを終えようとする。

 自分もスタッフルームに集合しようとして、不意に背中に声がかけられた。

「ああ、でも……、そう。オイラが触れた時、現れた顔があったんだ。その顔だけは覚えている。って言うか、今思い出した。――ねぇ、君。前にどこかで会ったっけ?」



オンドゥル大使 ( 2018/09/11(火) 20:29 )