ACT14
ACT14「ソウルソング」

 美しき数式があるのだとすれば、恐らく彼女はその一端を握っているに違いない。
 私はディズィーの歌唱担当をテレビ局より頼まれて、そう思い始めていた。
 今時よくある、専門家。
 私はディズィーだけではない。あらゆる分野において、音波の特殊性を説いてきた。
 音波攻撃によって、相手を窮地に追い込む事も出来るポケモンバトルの世界ではそこそこ重宝されてきた私の理論であるが、殊更、音に関して言えば専門分野であり、その自信もある。
 だから、ディズィーの声の分析を頼むと言われた時も、まぁ人間に出せる音域など知れているのだろうな、程度にしか思っていなかった。
 ディズィーの歌声に人は魅了されるのだというが、どこまで本当なのかどうか。
 私はとあるポケモンを所持している。
 音を聞き分ける事に関しては右に出るものはいないであろうポケモン、メロエッタである。
 戦闘分野ではあまり重要と思われないポケモンであったが、私はメロエッタの形態、いわゆるフォルムチェンジでその人間、あるいはポケモンの音声を解読する専門家であった。
 メロエッタ教授、と誰かに陰口を叩かれていたのを思い出す。
 波形解読、音波分析、これらは今、機械で充分な分野だ。
 しかし、機械には限界がある。
 メロエッタは音声に関して言えば限界はない。どのような音声でも、解析し、それと全く同じ音域を出せる特殊なポケモンなのだ。
 だから、私はディズィーの歌唱も所詮はメロエッタに解析されるだけの、ただの一データに過ぎないと感じていた。
 だが、私は思い知る事になる。
 この世に完璧な数式があるとすれば、あの歌声なのであろうという事を。

「作曲担当が倒れたので急遽、違う人間に作曲を任せてくれ」
 ギルティギアの面子全員に告げられたその言葉にディズィー含め、全員が納得いかなかった。
「オイラがやれる」
 そう言い出したディズィーをプロダクションのディレクターはなだめた。
「まぁまぁ、ディズィーさん。あなたが毎回やると、それこそオーバーワークなんですよ。昨今、歌手にも働かせすぎはよくないって風潮でしてね」
 ディズィーは反論しようとむくれたが、彼女は納得も早い。
「そういう事なら。でもどうすんの? これまでオイラがやるか、その人がやるかだったよね? 誰に任せるの?」
「タマムシ大学に、音楽に関してとても専門的な先生が居られます。その方に、今回の歌は任せようかと」
 ルチアはふぅんと生返事であったが、ディズィーはいい顔をしない。
「学者先生に歌が作れるの?」
「まぁま。今回だけは見守ってくださいよ」
 ディレクターも太鼓判を押すのだから相当なのだろうと、面々は納得した。
「別にいいけれどさ。今までと明らかに方向性違ったら歌わないよ?」
「それも加味して、任せてあります」

「ニナセ教授、今回の仕事、引き受けるのですか?」
 心配性の助手にそう尋ねられてニナセはフッと口元を綻ばせた。
「なかなか妙な話じゃないか。ホウエンのパンクロックバンドが私みたいな、学者に音楽制作を依頼するなんて」
「馬鹿にされているんじゃ……」
「いや、作って見返してやろう」
 ニナセの前向きな意見に助手は言葉を引っ込めた。
 実際、今まで通りならばどのような音楽であれ作れるはずなのだ。
 従来通りの音楽ならばメロエッタがたちどころに分析し、その傾向、サンプルを弾き出す。
 ニナセには誉れがあったし、何よりも可能であるという自負があった。
 それがこのような形で瓦解するとは、本人も思っていなかった。

 メロエッタに聴かせるのはCDで充分だ。
 データを波長化して聴かせればもっと効率がいいが、そこまで譲歩してやる必要はない。
 片手間に作業をしてやる。私はそう感じてメロエッタのいる実験室でギルティギアの曲を流しっ放しにした。
 それで適当な音をサンプリングして、メロエッタが今までにない音を新たな曲として紡ぎ出せば成功。
 自分はコーヒーでも飲みながらそれを待っていればいい。
 実際、そうだと思っていたし、そのようになるはずであった。
 しかし、実験室を訪れて私は驚愕した。
 メロエッタが歌わないのだ。
 私はメロエッタが歌わない状況など見た事がない。スピーカーの調子が悪いのか、と思って調節したがそれでもメロエッタは歌う様子がない。
 だが、それでも私は焦らなかった。
 どうせ、一時のものであろう。メロエッタも聴き慣れていない音に戸惑っているだけなのだ。
 そう言い聞かせたが、三日目になってもメロエッタが一声も鳴かない事にようやく異常を感じ取った。
 歌は流してある。曲もかけているのに、メロエッタはリズムを刻むどころか、その場に立ち竦んで動かない。
 このような事、初めてである。
 加えて私は余裕を持ってプロダクションにかけ合っていたので矢の催促が飛んできた。
『ニナセ教授、一両日待てば、新曲が出来上がると聞いていたのですが……』
「ああ、さすがにちょっと待ってくださいよ。まだ三日目です」
 その段階では、まだ笑って言えた。
 まだ三日目だ。
 焦ってどうする、と。
 しかし、メロエッタに聴かせ続けて一週間過ぎて、状況が変わってきた。
 メロエッタは相変わらず何も歌わない。
 それどころか、波形データにもメロエッタの困惑の声さえも記録されない。
「病気なのか?」
 そう尋ねるとメロエッタは頭を振るのだ。
 病気ではない。それにメロエッタのフォルムもチェンジしない。となると、やはりただの不調か?
 それに追い討ちをかけるかのように大学内で風説が流れた。
 メロエッタ教授も今回ばかりは駄目か、と噂されてきたのだ。
 これでは自分だけではない。メロエッタまで無能の謗りを受ける。
 私は今回ばかりは自分のプライドを捨てて波形データに落とし込み、メロエッタに直接音波をぶつけた。
 これで結果は違うだろうと。
 しかし、メロエッタは鳴かない。歌わないのだ。
 徐々に焦りを募らせてきた。
 私個人でも音波データを聞き分けて、自分で新しいものを紡ぎ出そうとするが、どうしてものってこない。
 メロディが湧いてこないのだ。 
 今まであらゆるメディアで音楽の先駆者だと言われてきた私にとって、それは屈辱に等しい。
 何度も音波データを手繰ってみたが、何度やってもメロエッタは新しい歌声を咲かせないし、私にも斬新なアイデアは出なかった。
 二週間が過ぎ、さすがにプロダクションも我慢出来なくなったらしい。
『駄目ならば断ってくれ』とハッキリ言われたのだ。
 彼ら曰くディズィーならば三日で出来る、との事であった。
 焦りに加えて私にとってそれは屈辱だ。
 そこいらの小娘の作り上げた音の連なりに、我がメロエッタが敗北を喫したも同然。
 音楽の専門家の地位も失墜する。
 躍起になって私は新曲を作り出そうとするが、何度やっても私には編曲のセンスはなかった。
 こうなってしまえばメロエッタ頼みなのであるが、メロエッタは歌わない。
 歌えないメロエッタに失格の烙印を押す事も、しかし私には出来なかった。
 今まで幾度となく、苦行を乗り越えてきた相棒である。
 メロエッタに解析出来ない音などこの世には存在しないはずだ。
 私の焦りを受けてか、メロエッタに疲弊の色が窺えた。
 あるいは毎日のように聴かされているギルティギアの歌声のせいか。
 私は何が新しくて、何が古めかしいのかさえも分からなくなっていた。
 こうなってしまえば迷宮である。
 波形パターンを熟知し、音波をコンマ一秒レベルまで分析し、割っても切っても、何かが生まれる気配はなかった。
 私のパソコンには元の形状が分からなくなるまで細分化したギルティギアの曲だけが残った。
 メロエッタは歌わない。
 私は遂に自分の敗北を認めざるを得なかった。
 ガールズバンドグループに対して、専門家の敗北。
 ニュースになるかと思われたが、案外に世間は静かである。
 私はようやく解放された心地で、タマムシの街中を歩いた。
 すると、不意にメロエッタが歌い出したのである。
 リズムに併せて歌ったその曲は、新曲としてリリースされたギルティギアの曲であった。
 どうして、と私が目を瞠っていると、若者の声が漏れ聞こえてきた。
「やっぱりギルティギアの曲っていいよね。魂があるって言うかさ」
 ――魂。
 私はたちどころに理解した。
 音楽を分析するのに長けていても、新しいものを生み出せるかどうかは、宿った情熱に依拠する。
 魂のない曲に、人間も、……ましてやポケモンも心動かされるわけがない。
 私はここ数週間、メロエッタに「音」を聴かせていただけだ。
 それは「音楽」ではなかった。
「……完敗だよ」
 呟いた私を他所に、そのヒット曲はオリコンチャートを駆け抜ける。
 精緻な数式があるとすれば、きっとそれは作り上げられた「音楽」である。
 決して「音」の連なりではないのだ。
 心がなければ、歌はない。
 静かな敗北を喫した私を他所に、今日も数多の「音楽」は生まれ続ける。
 歌われるテーマがたとえ凡庸でも、所詮はただの繰り言に過ぎなくとも――。
 それは魂を振るわせるビートであるのだけは、間違いない。


オンドゥル大使 ( 2016/07/16(土) 21:58 )