ポケットモンスターHEXA - 交錯、思い滲んで
第五章 三十節「集結する刻」
 暗闇が目の前で実体を持たずに揺らめいている。

 濃紺の闇から紫色の闇へと、まるで夜が空けるように色が褪せ、そこに不意に亀裂が入った。一対の亀裂が割れ、そこが開き赤い眼と金色の小さな瞳孔が目前の小さな自分の姿を捉える。それが睨み据える先に、自分という存在はいた。

 圧迫されるような感覚に息が詰まる思いを感じながら、足を進めようとする。だが、上げようとした足を粘ついた重い水が絡め取った。それは赤黒い色をしていた。周囲に目を投じれば、所々に仰向けに転がった人の遺骸がある。そこから流れ出している血液なのだと気づいた時、目の前に屹立している巨大な紫色の暗闇の前に、人影が見えた。白い影が浮き立ち、薄紫色の長い髪が揺れる。細いシルエットは今にも紫色の暗闇に押し潰されてしまいそうだった。その影が自分に目を向ける。白い陶器のような肌、暗闇にあるのと同じ赤い眼が寂しげに細められているのを感じた。

「――ルイ」

 反射的に声を上げる。空間を震わせて、その声は人影に届いたが、人影はより一層寂しそうな表情になって、顔を背けた。

 ――来ないで。化け物なんだよ、ボクは。

 ルイの形をとった人影から嗚咽の混じった声が響く。纏わりつく鉄さびの臭気と、足を取ろうとする血の海を蹴り払い、自分は叫ぶ。

「化け物なんかじゃねぇよ! お前は……」

 継ぎかけた言葉を遮るように、紫色の暗闇が弾け無数の手が伸びる。その手が槍の鋭さを持って真横を駆け抜けてゆく。ルイは両手で顔を覆い、「来ないでよ!」と叫んだ。その声に呼応したように、暗闇の手が襲い掛かってくる。

 逃げない。固めた意志に従い、自分は前に進む。向かってくる手が脚に突き刺さっても構わない。ルイだけは助け出さなければならない。この暗闇から救い出せるのは、同じ喪失の悲しみを負った自分しかいない。ルイへと手を伸ばす。しかし、その手は不意に空間に湧いた青い光に絡め取られ、あらぬ方向にねじられた。呻き声を上げ、その場に膝をついて蹲る。すると、ルイを黒い衣服をまとった男が抱いていた。

 ――さよならだ、少年。

 その言葉と共にルイと男が闇の中に消えてゆく。自分はねじられていないほうの手を伸ばした。消させない。絶対にルイを助け出す。その思いに手を暗闇へと精一杯開く。しかし、自分の手を滑り落ちるように男とルイの姿は暗闇の中へと消えていった。

 その瞬間、腹の底から押し寄せてきた無力感と絶望に自分は叫んでいた。
























 夢の中での叫びが、そのまま現実の喉を震わせてリョウは眠りから覚めた。

 叫んだ勢いで上体を起こした途端、右腕に鋭角的な痛みが走る。その痛みに顔をしかめて右腕に目をやった。右腕には包帯が巻かれていた。何重にも巻いた後に、ギブスで固定してある。リョウは夢の痛みをそのまま現実に持ってきたのかと、しばし目を瞬いた。周囲を見渡すと、滅菌された白い壁にカーテンでベッドが仕切られている。点滴の管が左腕に伸びており、身体を動かすと中の液体が揺れた。部屋の隅で窓が開いており、微かな月明かりが差し込んでいる。

 その時、リョウは部屋の隅に置かれたテレビに気づいた。手元の台にリモコンとモンスターボールが置いてあり、誰かが座っていたのかベッドの隣に椅子が置いてあった。リョウはリモコンを手に取り、テレビを点けた。特別報道番組がやっており、女性キャスターの後ろで映像が流れていた。テロップが動き、「新たな組織、ヘキサの目的とは?」という文字が躍っている。

「……ヘキサ」

 リョウは口にしてから、何かが記憶の中で動き出すのを感じた。額で疼痛が脈打ち、リョウは覚えず額を押さえていた。ヘキサツールという言葉が脈動する記憶の中で浮き立ち、それを口にしていた人の姿が頭の中でおぼろげに現れる。薄紫色の長い髪、白いワンピース、赤い眼――。それらの情報が断片的に流れ、リョウは痛みで滲んだ視界の中にテレビの画面を捉えた。瞬間、女性キャスターの後ろに流れている映像がクローズアップされた。その中に、記憶の情報と符合する人影があった。リョウは額から手を退け、映像を凝視する。

「……ルイ」

 口にした途端、右腕が思い出したように痛み始めた。この手で守ろうとしたのだ。しかし、守りきれなかった。痛む右腕を押さえながら、リョウはテレビに視線を固定する。ルイの横にいる男にカメラが移る。その男はルイを攫った人物だった。

 何であいつの隣にルイがいる? 何で平気な顔をしている? 考え出しても答えが纏らず、リョウは痛みに呻いた。その時、テレビの奥にある部屋から足音が近づいてきた。知った顔が視界に入り、リョウは目を見開いた。後ろからナゾノクサが数匹短い足で歩み寄ってくる。

「ヒグチ、博士」

 どうして、という言葉が口から出た。博士はリョウとテレビを交互に見やり、テレビの主電源を切った。

「まだ腕は治っていないんだから、大人しくした方がいい」

 博士はそのままリョウのベッドに歩み寄る。リョウは包帯を巻かれた右腕に目をやり、「博士が?」と問いかけた。

「そう。君に頼んだおつかいは完遂してくれたみたいだけど、厄介事に巻き込まれてくれとは頼んでいないよ」

 博士が白衣のポケットからモンスターボールを取り出す。それはフシギダネの入っているボールだった。博士はボールを仕舞うのと入れ替わりにペンを取り出し、それを手元で回した。

「ナツキ君からもあれから連絡はないし、あの場所は物騒になるから先んじて行ってみれば、君がロケット団員の死体に囲まれて気を失っていた。君の意識が戻ったとなれば、警察が事情聴取をしにくるかもしれない。まぁ、私に言ってくれればそれをそのまま証言として扱うと言ってくれているから、あの場で何が起こったのか、話してくれるかい?」

 博士がペン先をリョウに向ける。リョウはまだ何のことだか理解できていなかった。記憶の中にあるロケット団員達の死体が転がった光景が思い出され、その記憶の中の鉄さびの臭いも嗅いだリョウはようやく状況を把握した。

「俺が疑われているのか?」

「状況からはね。私はそうじゃないと信じている。君の手持ちの中にあれほどの殺戮をやれるポケモンはいない。無論、君自身がそうじゃない。だから、私は必要ないと言ったんだが、どうにも警察というのは融通が利かなくて――」

「博士。俺は何日寝ていたんだ?」

 遮る声に博士は眉根を寄せた。ペンでベッドの端を叩いて、「三日くらいかな」と思案しながら言った。

「君が寝ている間に様々なことが起こった。今まで沈黙を守ってきたロケット団が二日前に復活宣言を出したんだ」

「……二日前。ロケット団が復活した?」

 リョウの確認の声に博士は頷いて手元のペンを弄った。

「シルフカンパニービルで起きたディルファンスの蛮行を記録した映像と共にね。その映像を盾にしてディルファンスの動きを封じたかったようだけど、ディルファンスはその二日後、つまり今日、ロケット団から無差別攻撃があったとして報復を開始。ロケット団本部と目されていたリツ山へと攻撃した。君をその攻撃が始まるまでに回収出来てよかった。ロクベ樹海からディルファンスは侵攻したようだからね。運が悪ければ巻き込まれてもおかしくなかった」

「ディルファンスはロケット団を壊滅したのか?」

「いや。それが奇妙なことにディルファンスはロケット団を壊滅寸前まで追い込んでおきながら、途中で攻撃を中止した。この辺は情報が錯綜していて何とも言えないが、はっきりしていることはディルファンスのリーダー、アスカさんとロケット団の幹部が手を組んだらしいことだ」

「敵対していた組織同士が、手を組む?」

 奇妙な因果に聞き返すと、博士は神妙な顔をして息をついた。

「ああ。私にもよく分からない。その集団はヘキサと名乗り、カイヘンの支配のみならず、カントー地方政府、セキエイ高原への侵攻を宣言した」

 ヘキサ、という言葉に先ほどのテレビの画面が符合した。ならば、ルイはロケット団に捕まった後、ヘキサへとそのまま移送されたのか。それともルイを攫った男が計画したことか、定かではないがどちらにせよまだルイはあの男の手の中にある。その事実がリョウの意識を白熱化させ、リョウは覚えず奥歯を強く噛み締めていた。

「なら、行かなきゃならねぇ」

 リョウがベッドから起き上がろうとする。驚いた博士がそれを制そうとした。

「どうしたんだ、リョウ君」

「博士、ルイがヘキサにいたことを知っているんだろ」

 その言葉に博士が声を詰まらせて顔を背けた。やはり、ルイはヘキサにいる。その確信に、リョウは点滴を無理矢理引き剥がした。点滴袋が揺れ、それを支えていた棒が倒れた。その振動で台に置かれていたモンスターボールが床に転がる。

「無理をするんじゃない! まだ腕も治っていないし、体力だって」

「体力ならどうにかなる。俺は、ルイを助け出さなくちゃならないんだ」

 起き上がりかけたその身に、鋭敏な痛みが走り、リョウは膝を崩した。三日も眠っていたせいで本調子を忘れている身体がついてこない。リョウは床を思い切り殴りつけた。モンスターボールが目の前まで転がってくるが、今の自分では助け出すことが出来ない。無力感に喉の奥から「畜生ッ!」と声が漏れる。

「俺が助け出さなきゃならないっていうのに、どうして……」

 どうしていざというときに身体が動かない。こんな無力感に苛まれるくらいならば身体を捻じ切られた方がマシだったと思える苦しみに、リョウは悪態をつくしか出来なかった。

「落ち着け、リョウ君」

 博士の声が頭上から降りかけられる。リョウは顔を上げた。博士は身を屈ませて、リョウの肩に手を置いた。

「でも、ルイは……」

「ルイ君は、彼女は仕方がなかった。キシベが扱ったのだから、多分そういう風に造られていたんだ」

 博士の意想外の言葉に、リョウは肩に置かれた博士の腕を握った。

「どういうことだ、博士。何を知っている?」

 博士は追及してくるリョウから目を逸らし、口を噤んだ。

 リョウは、そういえば博士はルイを知っているような妙な目で見ていたことを思い出した。もしかしたら、博士はルイのことを知っていたのではないか、そんな疑問が鎌首をもたげ、リョウは博士の白衣を引っ張った。

「どういうことだよ。説明しろよ、博士!」

「……私も最初は完全に忘れていたよ。だが、ヘキサという組織名。あの赤い眼。そしてあの少女と一緒にいた君が巻き込まれたことで全てが繋がった。『R計画』は続いていたのだということを。信じたくはなかったが、認めざるを得ない。彼女は――」

 その時、博士についてきていたナゾノクサが一斉に頭の上の草を振り、周囲を見渡した。その挙動に博士も同じく周囲に目を配る。すると、窓の外の木をざわりと揺らす風が吹きぬけた。次の瞬間、巨大な猛禽の影が翼を羽ばたかせながら、ゆっくりと降りてくるのがリョウの目に映る。リョウは床を転がっているモンスターボールを握って博士を振り切り走り出した。制止の声が背中にかかったが振り返らずに階段を降り、研究室を抜けて鉄製の扉を開ける。

 点々と小さな家屋が軒を連ねる中、研究所の前庭へと今まさに降りたとうとしている影が視界に入った。赤い翼に襟巻きのような白い羽毛を持っている巨大な猛禽だ。それがウォーグルと呼ばれるポケモンであると認識したリョウは手に取ったモンスターボールの緊急射出ボタンに指をかけた。

 このタイミングで研究所に仕掛けてくるのは、ロケット団か、それとも――。その思考はウォーグルの背から顔を出した人影によって打ち消された。

「――ルイ?」

 その声に顔を出した赤い眼の主が「むぅ」と不機嫌そうにうなった。

「久しぶりだからといって名前を忘れたのか、リョウ」

 振りかけられた声はルイのものではなかった。棘を含んだその言い回しにリョウは記憶の中で符合する人物を見つけて言った。

「サキ、か? ……どうして」

 ウォーグルが羽ばたきで地面から砂煙を巻き上げつつ、ゆっくりと前庭に降り立つ。ウォーグルの背中から飛び降りたサキは鼻を鳴らして言い返した。

「どうして、とは随分な言われようだな。私の家に帰って来てはいけないのか?」

 サキの言葉にリョウはサキの姿を見つめた。白地に青いラインの入った服を着ている。その服を着た集団を、リョウは知っていた。

「サキ。お前、ディルファンスに入ったのか?」

 重々しく尋ねた声に、サキは「いや、もうやめた」とあっけらかんと応じた。

「着る物がないから着ているだけだ。他意はないよ」

 その言い草にリョウが閉口していると、ウォーグルの背中から二人飛び降りた。一人は栗色の髪を短く切り揃えた少女だ。ウォーグルの首筋を撫でながら話しかけており、恐らくはトレーナーだろう。もう一人は長い金髪で耳には幾つもピアスをつけている青年だった。その青年の顔をリョウは見たことがあった。ナツキに一度見せられたことがあるディルファンスの幹部の顔だった。サキが現れたことで一度緩めかけた緊張の糸を張りなおし、リョウは少女と青年に向けて言葉を発した。

「どちら様ですか? ディルファンスをここに呼んだ覚えはありませんが」

 慇懃無礼な言い方をわざと選んで相手の出方を待つ。二人はどこか困惑しているようにお互いの顔を見合わせた。その間にサキがリョウの横を通り抜けて研究所へと入ってゆく。リョウは思わずサキの肩に手をかけて呼び止めた。

「おい、勝手に入るんじゃねぇよ」

「ここは私の家だ。勝手に入って何が悪い」

 売り言葉に買い言葉と言った風に、二人は睨みあう。その様子にあたふたした様子で栗色の髪の少女が割って入った。

「駄目だよ、サキちゃん。そんな言い方しちゃ」

 視界に入ったその少女の顔を見た瞬間、サキは少女の頭へとぺチンと張り手をお見舞いした。

「痛いってば! 何するの、サキちゃ――」

「やかましい! 馬鹿マコの癖に一丁前に仲裁なんかに入ろうとするからだ。この馬鹿!」

 馬鹿呼ばわりされたマコという少女はショックを受けたらしくその場にへたり込んだ。リョウが扱いに困ったような目をマコに注ぐ。すると、金髪の青年が今度はリョウの前に立った。

「突然の来訪、失礼だとは思っている。だけど、僕らとて時間がないんだ。それに僕らはもうディルファンスじゃない。自分達の意思で動いている。ご理解願えないだろうか」

 青年が手を差し出す。その手を見つめて、リョウは口を開いた。

「悪いが、俺は突然やって来た奴を信頼するほどお人よしじゃない。それにあんたがディルファンスじゃなければ何者なのか、素性も分からない相手とは話す口もない」

 その言葉に「これは失敬」と青年は白い歯を見せて爽やかに笑った。

「僕の名はフラン。以前はディルファンスの幹部をやっていた。あの栗毛の子はマコ、もう一人は、もう知り合いみたいだけどサキだ」

 研究所に入るなり、「お父さーん。帰って来たよー」と普段の口調より一オクターブ高い年相応の声で話すサキを見てフランと言った青年は苦笑した。

「いつもああならいいのにね」

「その点では同感だが、あんたらはどうしてここに来た? ディルファンスは今ヤバイ状態なんだろ? 元幹部なら、何かすることがあるんじゃないか?」

 その言葉にフランは残念そうに目を伏せて首を振った。

「僕には何も出来ないよ。あの組織にとって僕はもう死人だからね」

 死人。その言葉の意味を問いただそうとしたその時、ざわりとした感触がリョウの感知野を騒がせた。

 ――何か来る。

 その予感に、リョウは前庭を飛び出した。その後ろからフランが追いすがってくる。研究所の前庭を出たその場所に青いオーロラが揺らめいていた。そのオーロラの色彩が徐々に濃くなり、無数の人影がオーロラの中に立ち現れる。

 敵か? と警戒したのはフランも同じだったようだ。外見とは真逆の隙のない身のこなしで懐のモンスターボールへと手を伸ばし緊急射出ボタンに指をかける。リョウも同じくボタンに指をかけたまま、オーロラを見つめていた。目視の限りでは、オーロラに包まれているのは約三十人前後。もし敵だとすれば厄介な数だ。緊張の糸をすり減らし、リョウはオーロラが揺らめく向こう側を凝視した。

 すると、その中のひとりがリョウに気づいて首を巡らせた。来るか、と身構えたリョウは次の瞬間、その緊張を裏切られる形となった。

「リョウ、なの?」

 見知った声に、リョウはボタンにかけていた指から力を抜いた。ゆっくりと歩み寄ってくる影はリョウのよく知る姿だった。ポニーテールに動きやすいフィットした服を着ている。

「ナツキ、か?」

 その声にその人影は頷いた。オーロラが夜の空気の中に霧散し、月明かりが輪郭をはっきりと際立たせる。それは見間違いようも無く、かつてここで共に旅を始めた少女、ナツキだった。キリハシティ以来の再会に、リョウはナツキへと自分から歩み寄った。ナツキはどこか不安げな表情でリョウと対面した。キリハシティでバッジを手に入れた時の明るい面影はない。そこには暗い翳が形を持って現れていた。

「……どうしたんだ。一体、何が――」

 あったんだ、と加えかけた声をフランが突然の怒声で遮った。

「あいつらの服。まさか、ロケット団か!」

 フランがオーロラに包まれて現れた一団を目にして、ボールを構え緊急射出ボタンに指をかけようとする。一団がどよめき、散り散りに逃げようとする。そんな双方をナツキは声で制した。

「やめて! あの人達はもう戻る場所もないの! もう、ロケット団だからとか言っている場合じゃない!」

 その声にフランはボタンを押しかけた指を止めた。リョウが目をやると、一団は黒衣を纏っており、その中には「R」の文字が刻印されたコートを着ているものもいた。ロケット団だとしたら、そんな連中をなぜ庇うのか。リョウはナツキへと視線を向ける。ナツキは言いにくそうに、顔を俯けた。

「とにかく、あの人達はもうどこにも行けない。これ以上、居場所を奪って欲しくない。だから、この場所に連れて来たの。ここならもしかしたら何か打開策を得られるかもしれないって」

「……打開策、って」

 リョウが呟くと、ナツキは顔を上げて強い意思を双眸に宿して頷いた。

「もう、ディルファンスだロケット団だからって争っている場合じゃない。私達の敵は、多分――」

「ヘキサ、か」

 フランが得心したように言ってモンスターボールを懐に仕舞った。僅かに口元に苦笑を宿し、フランは言葉を発する。

「そうだね。確かに今は不毛な争いをしている場合じゃない。頭では分かっているつもりなのに、身体が反応してしまった」

 すまなかった、と付け加えフランは手を差し出す。ナツキは戸惑ったようにその手を見つめながらも、握ろうとはしなかった。

「彼らはロケット団本部から逃げてきた非戦闘員。出来ればこの町でひそやかに暮らさせてあげたい。でも、その前にやることがある」

 数週間前とは一変してしまった幼馴染の切迫した声を聞きながら、リョウは考えていた。一体、何がナツキをここまで追い込ませたのか。ポケモンリーグの制覇だけを考えていたトレーナーであるナツキがなぜロケット団に関わっているのか。聞きたい事は山ほどあったが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。

「私は、ヘキサを壊滅させる」

 ナツキの放った言葉に、リョウは少なからず驚いた。自分も考えていたこととはいえ、それがまさかナツキの口から出るとは思ってもみなかったのである。その言葉に、ほうと嘆息のようなものをフランは漏らした。

「協力して欲しい。できれば、ディルファンスであるフランさんにも」

 その言葉にフランが返そうとしたその時、「ちょっと待った!」と声がかかった。三人はその声のほうに目をやる。そこにはヒグチ博士が肩で息をしながら三人を見つめていた。

「どうやらややこしい話になりそうだ。ひとまず私の研究室に来るといい。話はそれからだ。そこのロケット団の人達も一緒にね」

 博士はロケット団の人々にも目配せした。ナツキは心得たと言わんばかりに踵を返し、ロケット団の人々のところに向かっていった。その背中を見つつ、フランが口を開く。

「しかし、君の知り合いはとてつもない輩ばかりだね。サキに、今の子。只者じゃないよ」

 ひそやかな声にリョウは、「ああ。只者じゃないな」と同意の声を返した。


オンドゥル大使 ( 2012/11/02(金) 17:02 )