ポケットモンスターHEXA - 交錯、思い滲んで
第五章 二十八節「目覚める光」
 瞼を開けた時の音すら感じ取れるほどの静謐が辺りを包んでいた。

 漆黒に抱かれ、まるで夜の中に浮いているように感じる。その闇の中に自分の手が浮き上がっている。外にほとんど出ていないせいで色素が失われた白い手。その手の甲が床を撫でた。冷たい感触が伝わり、ぼんやりとした思考の中に伝達する。床を今度は掌全体で包むように触った。無機質な鉄の感触が指先に伝わり、自分はどうやら横向けに寝そべっているらしいとようやく気づく。何度か神経が繋がっているのを確認するように手を開いたり閉じたりする。脈々と血液が循環するのを感じ、繋がっている、と認識した瞬間、手をついて勢いよく上体を起こした。

 視界が転じ、暗闇に慣れた目が周囲を見渡す。辺りはどこかの倉庫の中のような狭い空間だった。すぐ傍に棚があり、立ち上がって触れてみた。何年も使われていないのか、棚は埃を被っていた。棚の脇には何かを入れた籠がある。手にとって見ると、それは林檎だった。暗闇では判然としないが、つやつやとした表面に触れ、鼻に近づけてその匂いを嗅ぐと腹の底から食欲が湧き上がってくる。その林檎に勢いよく齧り付こうとした、その時である。

「食うなよ。何年前のものか知れないからな」

 その言葉と共に漆黒が四角い光に切り取られた。そこには青い髪の少女が逆光を背に立っていた。白地に青いラインの入った服を着ている。暗闇でも分かる赤い眼が自分を見つめ、知らず感嘆の息が漏れていた。

「迎えに来てくれたの?」

 きっとあの世の迎えにと最期に親友を目の前に連れてきてくれたのだ。ならば、後ろの光は天国だろう。そう思って抱きつこうとした自分を、少女の手が跳ね除けた。

「馬鹿マコめ。寝ぼけているな」

 ぺちん、と頭に少女の手が振るわれる。その痛みに、マコは目を瞬いた。

「あれ? 痛い」

「当たり前だ。生きているんだからな」

 少女――サキは高圧的な態度でふんぞり返っている。マコは目をぱちくりさせてサキを見つめてから、自分の髪や身体に触れてみた。左胸に触れると、確かに鼓動を感じ取れる。

「……生きている」

「だから、そう言っているだろう。どうして信じられない」

「え? だって……」

 マコは口ごもった。自分達はエイタの罠にはめられ、あの部屋で爆発に巻き込まれたはずだ。だというのに、どうして身体があるのだろう。どうして鼓動を感じ取れるのだろう。

「――信じられないのも無理ないよ。咄嗟のことだったからね」

 サキの後ろから聞こえてきた温厚な声に、マコは目を向けた。

 その姿を視界に捉えた瞬間、固まってしまった。覚えず「どうして」という声が漏れる。マコの言葉にその人物は指鉄砲を向けて、声を上げた。

「お、あの時と同じだ。覚えてる? サキちゃんが最初にアスカさんやエイタさんに連れて行かれた時も、君はその言葉を口にしていた」

 その言葉にサキは振り返り、その人物の股間を思い切り蹴りつけた。

「ちゃんとかつけるな!」と久方ぶりに聞く台詞と共に、股間を押さえたその人物が明かりに照らされ、その相貌が露になる。金髪に優男風の顔、間違いなかった。

「……フランさん」

 驚愕を隠せないマコの声にフランはいつかと同じように「やぁ」と陽気な声を返した。ただし、その顔は痛みに引きつっていた。






















 フランとサキは部屋の明かりを点けてマコに向き合った。明かりに照らされた部屋の中はやはり倉庫らしく、そこいらに非常用の水を溜め込んだ容器や、非常食の段ボール箱が山積みになっていた。マコは目を擦ってサキとフランの姿を認めた。サキはディルファンスの制服を纏っており、小脇にノートパソコンを持っている。フランはワイシャツに黒いズボンというラフな服装である。足もついている。幽霊の類ではないらしいと確認したマコは言いづらそうに口を開いた。

「あの、どうして私達は生きてるの?」

 マコが発した当然の疑問にサキとフランは顔を見合わせ、マコへと再び向き直った。

「覚えていないのか?」

 サキの質問にマコは何のことだか分からずに狼狽した目をフランに向けた。フランは笑顔で「まぁ、順を追って説明しよう」と腰のホルスターからモンスターボールを抜き放った。緊急射出ボタンに指をかけ、ボールが手の中で割れる。そこから放たれた光に包まれた物体がマコの前で光を振り払いながらくるくると舞った。ちょうど座ったマコの肩までと同程度の高さの物体からはまずスカート状の身体が見えた。白いスカートから緑色の足がすらりと伸びている。目は大きく瞳孔は赤い。緑色の頭部はちょうど二つに髪を結った人間のように見える。それはエスパータイプのポケモン、キルリアだった。

「まずはなぜ僕が生きているのか、から説明しようか。僕はカトウとの戦闘の最終局面、高熱の火炎放射が荒れ狂う中で気絶したらしい。きっと自分の死を悟ったんだろうね。だが、それは訪れなかった。このキルリアが寸前の所で僕を助け出してくれた」

 フランの目がキルリアに向けられる。キルリアはおしとやかにその場に座り込んで、フランの目を見返して小首を傾げた。フランが微笑み、続きを語る。

「気がつくと、僕はこの部屋にいた。この部屋には非常食もあったから、何とか飢えをしのぐことは出来た。キルリアはその後の状況を僕に教えてくれた。……酷い戦いがあったようだね。コノハも、苦しめてしまった」

 その声にフランの痛みが滲み出していた。この場で他の人々が戦っていることを知りながら出られなかったことを悔いているのだろう。フランは既に死人であり、気安くディルファンスの人々の前に出てはならなかった。

「君達にも迷惑をかけたみたいだね。すまなかった」

 フランが頭を下げる。サキは口を尖らせた。

「すまないと思っているのなら、もっと早くに出てきてくれればよかったんだよ」

「サキちゃん。そんな言い方……」

 マコが宥めようとするとサキは、「……むぅ」とうなって頬を膨らませ、顔を背けた。フランが笑いながら「手厳しいな」と返す。

「確かに、それが一番良かった。だけど、僕が不用意に皆の前に出てはならなかったのは、何も死んだと規定されたからだけじゃない」

「ディルファンスの裏側を知ってしまった」

 サキが口を開くと、フランは頷いた。ディルファンスの裏側、それはすなわちロケット団との壮大ないたちごっこを演じていたという事実であり、今までの戦いは全てエイタとアスカの掌の上で踊らされていたということだ。

「キルリアがテレポートで僕を運んでくれた。ロケット団と情報交換をしていたあの部屋にも行ったよ。今までの戦いは全て仕組まれていた。被害者の帳尻を合わせ、戦力には問題のない程度にお互いを潰しあう。カトウがあの部屋を爆破しに来ることは計算外だったらしいけど、それも結局、エイタさんやアスカさんによって防がれてしまった」

「さん、なんて付ける必要ないんじゃないか。あいつらはもう敵だと分かっているんだろう」

 サキの言葉にフランは「そうだね」と言いつつ、キルリアへと目を向けた。視線に気づいたキルリアがくるくると舞う。

「でも、アスカさんには感謝しなくてはならない。このキルリアはアスカさんのキルリアだからね」

「え? これ、アスカさんの手持ちなんですか?」

 マコが尋ねるとフランは頷いて、キルリアの頭を撫でた。キルリアが気持ちよさそうに目を閉じている。

「アスカさんの手持ちは三体だって言われているけど、本当は四体なんだ。ルカリオ、ジュプトル、そしてキルリアが二体。そのキルリア同士で思念による情報の交換が出来る。それで僕は君達に起こったことを知り、今に至るって訳さ」

「じゃあ、アスカさんは私達があの部屋に入ることも知っていたんですか?」

「直前に知ったらしい。君達が嗅ぎ回っていることをエイタさん、いやエイタが次の戦いの火種に利用しようとしたことを知って僕に知らせてきたんだ。二人を救って欲しいとね。僕はあの部屋にテレポートで侵入し、爆発の寸前に君達を助け出した。といっても、ここはまだ本部の中なんだけどね」

「え?」とマコが天井を見上げると、サキが「本当だよ」と声を被せた。

「この部屋は五階層より下の倉庫の区画だ。ここまで調べる奴はさすがにいないらしい。フランが直前に身代わりを使ってくれたことが捜査されないことに繋がったんだが」

「身代わり?」とマコが鸚鵡返しに尋ねると、フランが「これだよ」と言って指を鳴らした。

 すると、キルリアが緑色の光を帯びて輝き始めた。緑色の光は、キルリアの体表で細かく振動しキルリアの周囲の空間がぼやける。光の輪郭がぶれ、キルリアが二重写しになったかと思うと、突然光と共にキルリアの身体が空間ごとスライドした。マコが驚いて声を上げる。そこにはキルリアが二体いたからだ。だが、今しがた作られたもう一体は光で出来た精巧な彫像だった。本体のキルリアが回転して舞ったおかげでようやく気づけるほど精密に作られた「みがわり」だった。

「これを君達に適応した。君達を転送すると同時に分身を瞬時に作ったんだよ。おかげでエイタは騙されてくれたらしい。……だけど、そのせいでロケット団本部へと襲撃作戦が決行されてしまった」

 フランが重い口調で言った。マコはその言葉を初めて聞いたため、慄然としてサキに訊いた。

「本当なの?」

「ああ。本当だよ。さらにこんなもんまで出てきやがった」

 サキがノートパソコンを開き、キーボードを打つ。すると、ディスプレイに映像が表示された。リアルタイムで流れているニュースの後ろにVTRが流れている。それはつい数時間前に録画された映像だった。

『……今回、ヘキサと名乗ったこの組織ですが、ディルファンスのリーダーがロケット団に寝返ったのかと不安が広がっています。現在、事実関係を洗うために警察による捜査の網が敷かれていますが、ディルファンス副リーダーの不在もあり、組織ぐるみでの共謀も取り沙汰されています』

 手前のアナウンサーの後ろに映った映像の中、青い六角形にHEXA≠ニ描かれた壁面の前にディルファンス構成員とロケット団員が並び立っているのが見える。それを率いるように前に立つ四人の人物達の中にマコは見知った姿を見つけた。赤髪に、エメラルドブルーの瞳、間違いない。

「……アスカ、さん」

 本物なのか、と無意識に問いかけた目にサキは「本物だ」と返した。

「本部に残っていた構成員共々、アスカは寝返ったらしい。新たな組織、ヘキサの幹部として」

「エイタとは別のルートでアスカさんは計画していたんだ。襲撃作戦が決行された場合に、その後に行く当てを失くすであろうロケット団残党と手を組む算段をね」

「……そんな。なんのために」

「不毛な争いをなくすためだよ」

 そう答えたのはフランだった。マコは虚をつかれたようにフランに言葉を返した。

「争いをなくすために?」

「そう。このままではロケット団とディルファンスは生かさず殺さずの戦いが繰り広げられる。どちらかが関係を清算したとしても、流れる血がやむ事はない。ディルファンスはロケット団がなくなれば存在価値を失う。ロケット団はディルファンスの裏から回ってくる資金がなければ存続できない。結局のところ、共依存ってわけだよ。もしロケット団の戦闘員を全て殺したとしても、今度は非戦闘員やかつてロケット団と関わりを持っていた人々に危険が及ぶ。アスカさんはそれを防ぐために、ディルファンスを解体した。それと同時にロケット団も解散を宣言。お互いが同じ組織になれば争いはなくなる」

「だが、ヘキサの目的はカイヘンの支配、そしてカントー政府、セキエイ高原への攻撃だ。結局、争いはやまない。スケールが大きくなっただけだ」

 そう口を挟んだのはサキだった。サキは鋭い目をディスプレイに落としたまま続ける。

「アスカは多分、目先の戦いを止めさせたかっただけだ。ヘキサの目的なんて知らされてなかったのさ。その辺がお飾りのリーダーの弱いところだな。結局つけ込まれて、ヘキサに戦力を与えただけだ。ディルファンスにも戻れない。ロケット団のようにもなりきれない。さて、これからどうするのか、だな」

「そのために僕らの元にキルリアを残したんだ」

 フランはそう言ってキルリアへと強い眼差しを送り、言葉を継いだ。

「キルリアはアスカさんの持つもう一体のキルリアと交信できる。きっと、ヘキサの本拠地を教えてくれるはずだ。僕達はアスカさんを救わなくちゃいけない。僕が助けられたように、アスカさんはきっと助けを求めているはずだ」

「囚われの姫、というわけか。アスカの出来すぎたシナリオ、なんてことはないだろうな」

「それなら、僕らを生かしておく必要はない。アスカさんは僕に君達を助けるように言ってくれた。僕はアスカさんを信じる」

 その言葉にサキは鼻を鳴らした。その時、今まで話を聞いていたマコが突然立ち上がり、サキは肩をびくりと震わせた。

「私も、私も信じます! アスカさんを助けたいです!」

 興奮したマコの様子を見て、サキがため息を漏らしながら言う。

「おいおい、本気か? 馬鹿マコ。アスカのシナリオだという線も捨てきれないんだぞ。そのために身の危険を冒すなんてやれるのか?」

 その言葉にマコはしゅんとして返事を窮した。確かにサキの言う通り、自分に出来ることはほとんどない。だが、「それでも」とマコは言葉を発する。

「それでも、私はアスカさんを助けたい。私達が助けられたんだもの。アスカさんが困っているなら、力になりたい。……サキちゃんは、嫌なの?」

 マコはサキに目を向けた。サキは肩をすくめ、鼻息を漏らした。

「駄目なリーダーが招いた自業自得。お飾りが過ぎたって訳だ。そのために人生を捻じ曲げられた奴もいる。その責任を取れるのか、否か」

 サキはノートパソコンを閉じて立ち上がった。その目がマコに向けられ、目が合った瞬間小さくウインクした。

「やらないとは言ってない。駄目な奴に駄目だと認識させてやるには、私が行かないとな。やってやろうじゃないか。ヘキサ本部に侵入してアスカを助け出す。ついでにヘキサも打倒してやる」

 サキが指鉄砲を作って打つ真似をした。フランも立ち上がり、「よし」と拳を握り締めた。

「やろう、三人で。ヘキサからアスカさんを救い出してみせる!」

 拳を掲げかけた二人に、「ちょっと待て」と水をかける言葉をサキが放った。フランとマコが掲げかけた拳を彷徨わせてサキへと同時に目を向ける。

「お前ら、ここからどうやって出るつもりなんだ? 流石のキルリアでも地上までテレポートは出来ないだろ。ディルファンスが解体されたといっても本部に誰もいないわけじゃないし」

 その言葉に、二人は拳を下ろした。理想よりもまずは現実的な問題に、三人は肩を落とした。


オンドゥル大使 ( 2012/10/29(月) 16:39 )