ポケットモンスターHEXA











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交錯、思い滲んで
第五章 二十六節「その名はヘキサ」
 戦闘ブリッジは困惑の中にあった。

 非戦闘員の避難は既に終了しており、残すはブリッジに収まる自分達だけなっている。不安げな目をコンソールに注ぐ面々にはどれも生きた色は浮かんでいない。見捨てられたのか、と口中に呟いたフクトクは苦々しいものを感じた。カントーから落ち延び、最後まで戦った自分達に残されたのはこんな結末だとは冗談にしても性質が悪い。つい先ほど、ブリッジを狙っていたであろう敵影は確かに狙いを定めていたというのに、遥か上空へと昇った。総帥の部屋に向かったのだと誰もが思ったその直後、バラバラになった敵の身体が樹海へと呑み込まれた。総帥からの連絡もなく、降伏勧告を出すことも出来ないブリッジは地上部隊へとろくな指示も出せず、とりあえず逃げろという無責任な命令しか出せなかった。地上部隊は逃げ果せただろうか、非戦闘員は無事だろうか、そんな益のない思考に任せていた指揮官は不意に割って入った通信に息が詰まりそうになった。

『戦闘ブリッジ。こちらキシベだ』

「キシベ様。総帥はどうなさったので?」

『彼には役目を終えてもらった』

 その言葉に、コンソールに向かっていた団員達が顔を付き合わせた。どういうことだ? と指揮官は思わず口にしてから、その言葉を敬語に直した。

「どういうことですか、キシベ様。総帥は? 我々はどうすればいいのですか?」

『本時刻を持って本部基地を破棄、ロケット団は解散する』

 キシベが放った言葉にその場にいた全員が息を呑んだ。降伏、もしくは戦略的撤退ならばまだ理解する頭を持ち合わせていた団員達は、解散という言葉が認識できなかった。

「……解散とは、どういうことですか?」

 指揮官の必死の声に、キシベは『そのままの意味だ』と冷たい声を返した。

『ロケット団はもう必要ない。君達は引き続き私の傘下の組織に入ってもらう。異論は大いに結構。だが、残された君達には他に選択肢があるのか?』

 その言葉に指揮官は首を締め付けられるような圧迫感を感じた。最後まで残った自分達はディルファンスや警察から見れば諦めの悪い残党であり、まともな未来など待っているはずがなかった。良くて留置所、悪ければ裁判も無しに極刑。選択肢はない。ここで死を待つか、キシベに従うか。

『三分後にフーディンをブリッジに送り、テレポートで新拠点へと君達を転送する。残りたい者は残ればいい。君達の自由だ』

 その言葉を最後にして通信は一方的に切られた。指揮官が問いただす声を通信機器に吹き込むも、それは空しくブリッジの中で停滞した。

 フクトクや他の団員達が指揮官へと目を向ける。指揮官は俯いたまま、肘掛を握り締めていた。何が起こっているのかすら把握できないこの状況。団員達の生命を優先するならばキシベの声に従うのが一番だが、果たして信用していいものか。もはや一時的な指揮という枠組みを超え、このブリッジにいる人々の命の重みを背負った指揮官は独自の判断を迫られていた。指揮官は震える唇を噛み締め、喉の奥から声を搾り出した。

「このブリッジにいる総員に通達する。キシベ様の言葉に従う者はここに残れ。少しでも疑いのある者、不安な者はフーディンがここに到着するまでの三分間で決断をしてこのブリッジから出ても構わない。まだ地下サービスルートも有効なはずだ」

 惨い決断を迫っているとも言えた。曖昧模糊としているキシベの思惑に乗るか、それともここから出て留置所送りになるか。キシベの赴く先にさらなる地獄が待ち受けていないとも限らない。かといってここから出ても、ロケット団の制服を纏っている人間はまともに生きてはいけない。誰もが戻れない人々だ。戻れない道の退路をさらに断ち、火の中に己を投げ込むか。それを決めるには三分はあまりに短すぎた。

 コンソールから団員達が立ち上がる。その踵をぴたりと合わせ、団員達は指揮官を見つめた。この戦いの一時的な指揮官とはいえ、命を預けた人間に団員達は挙手敬礼をした。指揮官はその光景を直視できなかった。自分に出来たことは何もない。ただ徒に彼らを不安に苛ませただけだ。

「……私には構うな。私はここに残る」

 確固とした言葉が自然と口をついて出ていた。一時的にでも戦場の指揮を預かった人間の意地か、それとも自分という個の意思か、それは判然としなかった。

 挙手敬礼をしていた団員の一人――フクトクが代表して口を開いた。

「我々も、ここに残ります」

 その言葉に指揮官は驚いて顔を上げた。団員達の覚悟を決めた顔がそこにあった。戻れない者達の顔。腹を括っている彼らの顔が、指揮官の内奥から言葉を滲ませた。

「……いいのか? 君達には未来が」

「自分達はロケット団、いくら解散を宣言されても過去は消せません。拭えない過去に縛られ蔑まれながら生きるか、それとも新たなる可能性にすがりつくか。我々は後者を選びたいのです」

 可能性。その一語が指揮官の胸に突き立った。戻れない者たちにおける明日を生きる原動力。キシベが示した道がたとえ茨の道でも、戻れない人々にとってはそれすら可能性の一つ。そして自身も、彼らにとってしてみればその可能性を示すことが出来る指揮官という存在。

 指揮官は初めて、現場を指揮するという根幹が問われた気がした。ここで彼らの未来を潰すも生かすも自分次第。彼らは進むことを選んだ、なら、自分は――。

「私も、馬鹿かもしれんな」

 独りごち、一人の人間ではなく指揮官の顔を団員達に向けなおして声を張り上げた。

「給与は出んかもしれんぞ! 覚悟はあるな?」

 団員達が頷く。この瞬間、覚悟は決まった。

 ほどなくフーディンがブリッジの中央にテレポートしてきた。指揮官は席から立ち上がり、フーディンへと告げる。

「この場にいる全員を、新たな拠点とやらに転送していただきたい」

 フーディンが頷き、両手のスプーンを掲げてブリッジ全体へと青い光を広げた。青い光がブリッジを包み込み、この場所の景色が徐々に霞んでゆく。指揮官は信頼できる部下達と共に戦えたこの場所に、挙手敬礼をした。

 次の瞬間、景色が全く異なっていた。

 圧迫感がないことからして広い空間だったが、茫漠とした闇が広がる不気味な場所でもあった。「……どこだ?」と誰かが呟いた声が遠く響く。自分達が密集しているのか、それとも離れているのかさえ掴みきれない。指揮官は全員の点呼を取ろうと口を開きかけた、その時である。

 重い音と共に照明が点いた。

 闇からの急な脱却についていかない網膜がちかちかとする。どうやら全員ブリッジから転送された状態の配置のままだったらしく、ほとんど密集していると言っていい状態だった。指揮官は顔で手を拭いながら、ここがどこなのか探ろうとする。広い空間だが、壁は黒で統一されている。広いといっても人が百人も入ればいい方で、復活宣言をした部屋に比べれば随分と小さい。ブリッジ六つ分と言ったところか、と自分の中で大きさを結論付け周囲を見渡した指揮官はその目にあるものを捉えた。他の者達もそれに見入っている。それを視界に入れた瞬間、ここがロケット団の拠点ではないことを悟った。それと同時に、ロケット団は解散するといったキシベの言葉も理解できた。

 ロケット団は解散する。そしてこの形になる、という意志の現れのようにそこには新たな組織のシンボルマークが描かれていた。青い多角形。英字四文字で壁に書かれた新たな組織名は、まるで――。
























 白色光が連なり足元を照らしている。

 その光源に頼らずにナツキは走っていた。ともすれば追いすがる何かから逃げるような足取りだった。事実、ナツキは逃げていた。チアキを守れなかった。何も出来なかったという自分から。ここに残るもう戻れない人々を守り通すとチアキの前で言っておきながら、本当に戻る場所を失ったチアキの助けになれなかった。その事がナツキの心に重石となって圧し掛かる。直後、前につんのめりナツキは通路の中で転んだ。両手で身体を起こしかけて、馬鹿らしくなってその両手を握り締める。この手は何も出来なかった。あの時、カメックスを出して少しでも時間を稼ぐなり出来たはずなのに。ナツキは握り締めた両拳で地面を殴りつけた。何度殴っても自分が許される気がせず、ついには血が滲み始めてようやくその行為の無意味さを知った。今更何になるだろう。ここまで逃げた自分は結局、何も出来なかったことを肯定している。あの時、なぜチアキの前に歩み出て自分が戦うと言えなかったのだろう。

 恐怖、という言葉がナツキの心に浮かび上がり、その手は知らずカメックスのモンスターボールを握っていた。カメックスを制御できる自信がない。どうやってポケモンと信頼関係を築いたらいいのか分からない。少し前まではポケモンとトレーナーが信頼し合うことが当然と考えていたのが信じられなかった。信頼、とはどうするのだったか。ポケモンを使って戦うことはどうするのだったか。心の中に穴が開いて、そこから今までの感覚が抜け出してしまったかのようだった。ナツキはカメックスのボールをホルスターに戻し、とぼとぼと歩き始めた。自分はもう、ポケモントレーナーじゃない。大切な人を守ることも出来なかった一人の弱い人間。歩く足には力が籠もらず、歩いた端から何かが抜けてゆくのが感じられた。それが自信や今まで自分を支えていたものだとこの時ナツキは気づかなかった。ただ弱々しい一歩を重ねて、出口へと向かった。この痛みの出口、苦しみの出口へと。

 その目が遠くの光を捉える。出口か、と呟こうとしたが舌が上手く回らなかった。光は徐々に強くなり、ナツキの身体を呑み込んだ。

 その光の先には、多数の人のいる光景が広がっていた。皆、手に黒い布を握っている。それがロケット団の制服だとナツキは直感的に感じた。外に出る際にロケット団の制服を纏っていれば怪しまれるからだろう。この人達は皆戻れない、帰る場所を失った人達なのか、とぼんやりと考えて歩き出すと、見知った影が目に入った。

「あら、あなたさっきの」

 その声を発した女性に、ナツキは近づく。その傍らには白い上着と青い半ズボンという井出達の少年がいる。確かテクワとかいう名前だったか。

「チアキ姉ちゃんと一緒にいた姉ちゃんだ」

 チアキ、という名前にナツキは通路の中に置いていった筈のものを思い出した。自分は逃げ出したのだという重石。チアキは自分を逃がしてくれたのだという事実がナツキの中で制御不能な熱となって渦巻く。ナツキはよろめき、女性の腕が倒れかけたその身を支えた。

「どうしたの? あなた――」

 ナツキはその瞬間に溢れ出したものを止められなかった。守れなかった、大切な人を犠牲にしてしまった。その事実が熱いものとなって頬を伝う。女性が困惑しながら、ナツキの頭に手を当てた。温かい手のぬくもりが伝わってくる。この人はチアキと親しかったのに、そんな人からも奪ってしまった。守ると誓った人に守られるようにナツキは女性の体温に身を任せた。頬を伝う雫を止められなかった。止めようとすればするほど、チアキへの思いが自身の中で色濃くなってゆくのを感じた。






















 出口はヤマトタウンの近くの森林地帯近辺に繋がっていた、らしい。らしい、というのはナツキが落ち着いてから聞かされたことだからだ。人が先に目に入って背中側の森林など全く意識の外だった。

 ナツキはヤマトタウンのホテルのサロンにいた。大宿泊客という名目で逃げてきた他の非戦闘員達は部屋で落ち着いている。ナツキはサロンの周囲を見渡した。外が見えるガラス張りの壁、奥につけられた大画面の液晶テレビ、あの夜、ここでチアキと会ったことをナツキは思い返してまた目頭が熱くなるのを感じたが今度は寸前で堪えた。

「落ち着いた?」

 テーブルに挟まれた対面から優しげな声が掛けられる。それはテクワの母親のものだった。彼女が率先して自分の面倒を見てくれなかったら、自分はどうなっていたか分からない。ナツキは遅いと分かっていても頭を下げた。

「すいません。迷惑をかけてしまって」

「別にいいけど、あなたチアキと一緒にいた子よね? チアキはどうしたの?」

「……それは」

 ナツキは口ごもった。言えなかった。自分がチアキに生かされてこの場にいるのだということを。チアキを助けられたかもしれないのに逃げてきたことを。

 口を噤んだナツキを心配そうな目でテクワの母親は見つめている。テレビを観ていたテクワがその時、「あ!」と出し抜けに声を上げた。

「チアキ姉ちゃんだ!」

 その声に反応したナツキと母親がテレビへと目をやる。見ると、テレビの画面が粗い画質に切り替わっていた。ライトが画面中央に当てられ、そこにチアキとキシベと薄紫色の髪をした少女、後ろには数十人のロケット団員が並んでいる。

『二日ぶりですか。我々がこうしてあなたがたの前に現れるのは』

 キシベがもったいぶった演技で話し始めた。テクワも母親も、ナツキもそのテレビから視線を外せなくなっていた。何が起こっているのか。なぜ、チアキとキシベが一緒にいるのか。

『あなた方も大変だ。流動する正義と悪に流され続けているという点では我々よりも多忙かもしれない。本日は、そのようなあなた方の時間を少しだけ使わせていただきたい。現時刻を持って、ロケット団は解体される』

 その言葉にナツキは目を見開いて驚愕を露にした。解体、とはどういうことなのか。その思考を読み取ったように、キシベが『解体とはどういうことか、と皆さんは思われているでしょう』と続ける。

『そのままの意味ですよ。ロケット団残党の解体。ここに正式なものとしてロケット団の壊滅を宣言します』

 サロンにいた客達がどよめき始める。当然だろう。二日前に復活を宣言した組織が今度は突然の壊滅を宣言したのだから。

『これより我々は新たな組織として名乗りを上げる。その組織のメンバーをここに集めました。ご紹介いたしましょう。キリハジムジムリーダー、チアキ殿。そしてもう一人――』

 キシベが指を鳴らす。その瞬間、今まで暗がりだった場所に明かりが入った。そのスポットライトを浴びたのは目が覚めるような赤髪の女性だった。エメラルドブルーの瞳、白い生地に青いラインの入った制服は見間違えようがなかった。

『ディルファンスの現リーダー、アスカ。本人です』

 客達が一斉にどよめいた。ナツキも息を呑んでいた。対立していたはずの組織のリーダーが手を組んだというのだから。

『我々は新たな組織を立ち上げる。その名はこれです』

 キシベがまた指を鳴らすと、壁にライトが当てられた。ロケット団員達の後ろにいるディルファンス構成員達の姿も浮かび上がったが、それよりも目を引いたのは壁に描かれた多角形だった。青い多角形に赤い文字が走っている。青い六角形を貫くよう刻まれたその赤い文字はこう読めた。

 HEXA、と。

『新たなる組織の名はヘキサ。全ての現象をコントロールする六角形が根幹に刻まれたヘキサが今こそ、カイヘンを掌握する! そして我らから全てを奪ったカントーの政府中枢、セキエイ高原の破壊を宣言する!』

 キシベが舞台役者さながらヘキサの誕生を祝うように手で空気を薙いだ。ナツキは膝に置いた拳を握り締め、呟いた。

「……ヘキサ。チアキさんはあそこに」

 画面の中にチアキへと目をやる。チアキは何の感情も浮かべない瞳で、ナツキの目を見返した。


オンドゥル大使 ( 2012/10/22(月) 14:22 )