ポケットモンスターHEXA - 交錯、思い滲んで
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 最終防衛ラインを突破されたことをわざわざ口にする団員は、戦闘ブリッジの中にはいなかった。スクリーンに映し出されたボーマンダの遺体がそれを如実に物語っている。今更、言うべき事ではないと誰もが思い、口を開こうとしなかった。指揮官もそれは同じである。数分前に交わした通信が思い起こされ、判断の思考を押さえつけていた。
そんな空気の中、フクトクは真っ直ぐにこちらに向かってくる敵影をコンソールのディスプレイに捉えていた。これからどうするのだ。この敵にやられるだけなのだろうか。カントーに残した妻子の姿が思い起こされ、フクトクは自分でも覚えず椅子から立ち上がり、「指揮官」と口にしていた。

「全軍の撤退を提案いたします」

 敗北を意味する言葉に指揮官が伏せていた顔を上げ、フクトクの顔を捉えると目をわなわなと震わせた。フクトクは唾を飲み下した。分かっている。ここでの撤退行為はもはや敗走だ。ロケット団は二度とカイヘン地方で動けなくなる。だが、このまま何もしなくても待っているのは良くてディルファンスによる一斉検挙、悪ければ全員の死だ。二階層の居住ブロックにはロケット団に保護されている住民も存在する。その人々まで嬲られ、殺されることはあってはならない。覚悟を決めた腹に力を込め、目を逸らさずに指揮官を見つめる。指揮官にもそれが伝わったのか、ぐっと奥歯を噛んだような仕草を見せた後、目を瞑って頭を振った。

「……もはや、これまで。全軍に戦闘中止を伝達させろ。居住ブロックの人間には避難勧告を発令させる。地下サービスルートから非戦闘員の脱出を最優先。我々は全ての部隊の避難が完了するまでここに待機だ」

 フクトクが、了解と復誦し他の団員達も指揮系統に命令を伝える。自分達は最後まで踏みとどまらなくてはならない。それが戦うものの務め、と言えば聞こえがいいが実際は責任だ。大人が背負う責任、未来へと繋ぐ意志。地下サービスルートからならば居住ブロックの人々は樹海とは反対側に逃げおおせるだろう。戦闘部隊に白旗を揚げさせるための通告はここまで戦い抜いた戦士達には冒涜に等しいが、その覚悟は誰の胸にもあるだろう。

 フクトク自身、あと数分間生き残れるかという瀬戸際にある。敵影は刻々と近づいてくる。残った地上部隊が白旗を揚げている頃には、間に合わないだろう。破壊光線の光芒がブリッジを貫くのは必至だ。だが、それでも自分達に出来ることをやり通さねばならない。二階層への避難勧告が出され、地下サービスルートへの誘導が開始される。これで未来への希望を託すことが出来る。あとは時間だ。敵影の予想到着時刻まで三分もなかった。残りの人生が三分か、とフクトクは自嘲しならば最後の務めを果たそうとコンソールに向かおうとした、その時である。

 通信回線が開き、ブリッジにいた全員の耳朶を打った。

『戦闘ブリッジ、聞こえるか。私はロケット団幹部、キシベだ』

「キシベ様?」

 指揮官が立ち上がりかねない勢いで聞き返した。

『そうだ。戦闘ブリッジにいる全団員に告げる。我々ロケット団は敗走しない』

 今まで通信が遮断されていた幹部からの通信が今更何になるのか、と指揮官は思ったがそれを表に出さず、どういうことなのか問いただした。

「それは一体、どのような意味ですか? 我らにはもうディルファンスと渡り合える戦力は残されておりません」

『ひとつだけある。一階の実験ブロックにある、実験室にある全ての機器のロックを解除しろ。そうすれば、戦力の方からこちらに来てくれる』

「キシベ様。今、どこにいらっしゃるので?」

『君達の身の安全は保障する。そこに大人しく収まっていれば、大丈夫だ』

 その言葉を最後に通信は途絶された。指揮官は苛立ちよりも困惑を露にした表情で、スクリーンを仰ぎ見た。

「どういうことだ」と呟いた声に、「通信位置、特定!」の声が被さる。

「先ほどのキシベ様の通信は、最上階のパネルを通して発信された模様」

「最上階だと……」

 呻くように指揮官は口にして、天井を仰いだ。最上階は総帥の部屋のはずだ。その場所で総帥ではなく、幹部であるキシベが通信をした。これは一体、どういうことなのか。

 指揮官の懸念はそのままフクトクにも伝播していた。あと二分半で敵影は戦闘ブリッジ前面に辿り着く。だというのに、敗走をするなという命令。

 まさか集団自決か、と過ぎりかけた頭を振り、その予感を打ち消した。だが、どちらにせよ決断は迫られている。キシベの言葉を信じて待つか、戦闘部隊に伝達し次第、この場所を去るか。指揮官にフクトクは無言の目線を向けた。指揮官は天井に視線を向けたまま、動こうとはしなかった。




























 ヘッドレストが外れ、私はあてどなく彷徨わせていた手を光の中に捉えた。先ほどまでの凍てついた闇とは異なる白色に塗りつぶされた空間。ここがどこなのか、考える前に身体が動いた。私の意思ではない。私の内奥にある何かが、外から呼びかけるものに反応している。

 青い光が案内するように、中空で揺らめいている。私はその光を掴もうと、足を踏み出した。私は裸足だったため、冷たい床の感触が伝わった。青い光が扉をすり抜ける。私は扉の前に立った。いつか見たのと同じ、銀色の扉だ。私が手を触れた瞬間、扉が音を立てて開いた。白色の廊下が照明で銀色に映える。その廊下で青い光は私を待っていた。

 夢の中に記憶を置き去りにしたまま、私は動くものを反射的に追いかける獣のように青い光に追いすがった。青い光が再び扉の前で私を待つ。私はぺたぺたと歩いて、青い光に追いつこうとした。すると、青い光が扉の中に消えた。私はその扉を見つめる。真ん中で割れている白色の扉だった。扉の上には青色に輝く「B1」から「4」までの数字がある。私の知識だけ溜め込んだがらんどうの脳髄が、この扉が「エレベーター」と呼ばれる移動するための機械であり、上の数字は階層表示なのだと教えた。私は端にあるボタンを押した。扉が開き、中で青い光が待ち構えている。私は青い光を掴もうと扉の中の直方体の空間へと入った。瞬間に扉が閉まり、青い光が4のボタンの前で右往左往する。私は光を捕まえようと手を伸ばした。その手は光を素通りして4のボタンを押した。直後、低い駆動音が響き、足先から血流を押し上げる圧力が私の身体にかかった。上昇しているのだと私の脳髄が認識する。青い光は私に捕まえられないように天井付近でゆらゆらと揺れている。

 すぐに圧力は収まり、それと同時に扉が開けた。その先にあったのは先ほどまでの廊下とは見まごうばかりの豪華絢爛の装飾を施した廊下だった。青い光が導くように先行する。私はそれを追いかけた。柔らかい廊下の感触に驚きながら、私は廊下の端まで突き進んだ。そこにはポケモンの像が両端に並んだ扉があった。青い光が扉を突き抜けた。私は追うために、鈍い輝きを放つ取っ手に指をかける。

 中は廊下よりも豪勢で天井の高い部屋だった。赤い絨毯の感触が肌にくすぐったい。私が周囲を見渡しながら進んでゆくと、青い光が金色の表皮をした狐のような頭部を持つ人型へと吸い込まれていった。その傍らに立つ人物に、私は見覚えがあった。

「ようこそ、R01B」

 キシベはそう言って私を迎え入れた。
























 カイリューが感じ取る意識の網の中に、複数の人の息遣いが集中する一点をコノハは見つけた。リツ山の中腹、光学カメラが密集している地帯がある。その場所の中に息づく敵意。それを狙って破壊光線を放とうとした、その時だった。中腹に位置する敵意とはまた違う、正体不明のプレッシャーを感じてカイリューはそのプレッシャーの源を探った。プレッシャーはカイリューを見下ろしている。何の感情もない。今までの敵や、ボーマンダのような傲慢な気≠ナはない。純粋な好奇心ともいえる気≠ェ、カイリューを絡めとろうとしている。その気≠ヘこの山の上から感じられた。

 カイリューは破壊光線を撃ちかけた口を閉じ、空気の膜を割って上昇した。中腹に密集する息遣いが戸惑ったような挙動を見せる。お前らなど相手にしている暇はない。この気≠フ正体は――。

 ごつごつとした岩肌の中に隠しきれない窓が視界の中に映りこむ。あの窓の中にいる。その直感に、カイリューは水色の翼で姿勢を制御し、窓を正面に捉える位置で身体を停止させた。そこには割れた窓があり、その中にポケモン一体と、人間が二人いた。ポケモンは見たことがある。金色の表皮に狐のような頭部を持ち、両手に握られたスプーンで念力を操るポケモン、フーディンだ。そのフーディンの横に立つスーツを着込んだ人間の男はロケット団だろう。左胸に赤い「R」の文字がある。

 ――ロケット団は、敵!

 弾けたコノハの感情を吸い込み、カイリューは口に溜め込んでいた破壊光線を発射しようと頤を突き出した。その時、男の後ろにいた人間が前に歩んできた。少女だった。白いワンピース一枚を着ており、薄紫色の長い髪がカイリューの巻き起こす風に煽られてなびく。少女はカイリューをその赤い眼に認めると、薄く笑った。

 赤い眼とその正体不明の笑みにコノハは一瞬呆然とした。直後、意識の網が声を拾い上げた。

 ――邪魔だよ。

 少女の影が伸び空間に屹立したかと思うと、その身が捩れ床に定着し、まるで海面から出た鮫の背びれのような形となった。黒い影の背びれは三つに分かれた。瞬間、その三つがカイリューへと襲い掛かった。ひとつの影の刃が腕ごと片翼を切り裂き、二つ目の刃がつんのめった腹に突き刺さる。三つ目の刃が脚を斬りおとした。その直後、意識が少女の声を拾う。

 ――ゲンガー、シャドークロー。

 バランスを崩したカイリューの身体が傾いだ。その瞬間、今まで封じられていたものが溢れ出すように傷口から鮮血が迸った。皮だけで僅かに繋がった腕がだらんと垂れ、片方しかない翼が浮力を失くす。カイリューは片手で窓枠に掴まった。樹海の中へと吸い込まれるように斬りおとされた片脚と片翼が落ちていった。

 コノハはカイリューからの痛みのフィードバックに意識を失いそうになった。片腕が動かなくなり、背筋と脚の付け根に激痛が走る。怒りに濁った思惟を飛ばし、カイリューが片手だけでよじ登ろうとする。それを嘲笑うかのように、少女がカイリューの手のすぐ傍まで歩み寄っていた。

「無駄なのに。ゲンガー」

 その声が今度は意識で感じるまでもなく明瞭に耳朶を打った。少女の影が伸び、カイリューへと覆い被さる。その影に亀裂が走り、赤い眼が開く。その赤い眼にコノハは射竦められたように何も出来なくなっていた。指示することも、逃げることもかなわない。その赤い双眸の下に亀裂が走り、赤い口腔が露になる。びっしりと乱杭歯が並んでおり、口腔の中で黒い球体が電子を纏って形を成した。カイリューの頭部と同じ位になった黒い球体がその身で回転し、磁場を発生させる。

「シャドーボール」

 その一言で、黒い球体が口の中から弾き出された。球体――シャドーボールはカイリューの頭部へとめり込み、皮膚を裂いて目玉などの粘膜部分を黒い電子が焼いた。瞬間、コノハの意識は焼き切れた。カイリューの手が窓枠から離れ、地上へと落下する。「シャドーボール」によって頭部だけを白骨化させた遺体が、先に翼と脚が沈んだ樹海へと呑み込まれた。
その様子を最後まで不思議そうに少女は見ていた。


オンドゥル大使 ( 2012/10/22(月) 14:04 )